竜帝陛下と私の攻防戦
(どうしよう、苦しい。早く落ち着かなきゃ、ベルンハルトさんに伝わっちゃうのに)

 ベルンハルトを意識してしまってから、全速力で走り終えた後のような激しい動悸が続き、困ったことに静まってくれない。

 逃げるように佳穂は台所へ向かい、深い息を吐く。
 たかが間接キス、意識するまでもないのに。それなのに、心臓が甘い痛みに似た苦しさを与えるのだ。



 つまみの追加を入れたお盆を持って台所から縁側へ戻ると、そこには花火を眺めて一人酒を飲むベルンハルトの姿。
 花火が上がる度、淡い光に照らされる幻想的な彼の姿に佳穂は目を奪われてしまった。

「……どうした?」

 物憂げな表情で、ベルンハルトは首だけ動かして佳穂を見る。
 色気と憂いを含んだ表情で問われても、貴方の姿に見惚れていましたなんて言えない。
 何か理由になる物は無いのかと、慌てて縁側を見渡す。
 動揺している佳穂へ、ニヤリと口角を上げたベルンハルトは手酌でぐい呑みへ冷酒を注ぐ。

 皿を乗せたお盆を置き、佳穂はベルンハルトの横に腰掛けると、床に置かれた酒壷に手を伸ばす。

「お酌するね」

 とくとくとく、
 ぐい呑みへ注がれる酒を二人は無言のまま見詰めていた。
 なみなみと注がれた冷酒を、ベルンハルトは一気に飲み干す。
 空になったぐい呑みへ二度酒を注ごうとして、佳穂の手を徳利ごと大きな手のひらが包んだ。

「ベルンハルトさん?」
「異世界の女に、興味など持つ気は無かったのだがな」

 自嘲の笑みを浮かべたベルンハルトは、静かな瞳でじっと佳穂を見下ろす。

「お前は月のようだな。誰に媚びる事なく、日光のように強くは無いが俺を惹きつけるやわらかな光を放つ。この惹き付けられる感情は、魔術書による干渉、心臓が繋がったせいだとは分かっている」
「え?」
「だが、」

 手を掴まれて急に引き寄せられる。
 至近距離でベルンハルトの吐息と床の感触を感じ、佳穂には何が起こったか分からず大きく目を見開く。

「えぇっ?」

 視界の隅に天井が見えて、ようやく彼に押し倒されている事に気が付いた。

 佳穂の手から離れた徳利が床に転がり、こぼれた酒が床に小さな水たまりを作る。
 硝子の徳利が割れなくて良かった。床に染みを作る前に早く拾わなきゃ、回らない頭でそう思った。

「な、にを……?」

 酔っているの? 放して、そう言うつもりだった。
 だが、熱を帯びた蒼色の瞳に見詰められているうちに、佳穂の体から抵抗する気力が奪われていく。
 不思議な光を宿す蒼色の瞳には、言いようのない情欲が湧いているのを感じ、本能的に身を捩って逃れようとした。
 しかし、頬に添えられた優しい手に身体が脳が麻痺してしまう。

「俺は、お前が欲しい……」

 こんな声色を出せるのかと吃驚するくらい、ベルンハルトは甘い声で囁く。
 互いの吐息を感じ、唇が触れ合うまであと少し。

「だめぇ」

 茹だった思考を叱咤して、佳穂は唯一自由になる左手で唇を覆った。
 涙目になった佳穂の抵抗に、愉しげなベルンハルトはクツリと喉を鳴らす。

「心臓が壊れそうなくらい早鐘を打っているな。心臓が繋がり傷を共有しているのだから、他の感覚も共有しているのだろう。お前を抱いたら、その身を快感に溺れさせたら、どれだけ甘美な快楽を得られるのか。俺を拒むな。その身へ全て受け入れろ……カホ」

 名を呼ばれて、佳穂は大きく目を見開いた。
 お前でもなく、確かにカホと呼ばれたのだ。

「あ……」

 初めてベルンハルトの口から紡がれた自分の名は、甘美な響きとなり身体中を駆け巡る。
 強張っていた身体中から力が抜け、唇を覆っていた左手は簡単に外されてしまった。

 低めの体温とは逆に、熱を帯びた少し硬い唇が佳穂の唇へ重なる。
 啄むような口付けは佳穂の唇を食み、徐々に深くなっていく。

「はっ、」

 息苦しさに少しだけ開いた口の隙間から、ぬるりと熱い舌先が口腔内へと侵入した。
 熱い舌先は歯列の表と裏をなぞり、逃げ惑う佳穂の舌へと絡み付く。
 逃がさないとばかりにベルンハルトの舌が絡み付き、時折吸い上げられて翻弄する。
 吸い上げられる度に、甘い刺激が体を突き抜けていき佳穂を酔わせていく。

「は、ぅんっ」

 打ち上げられる花火の音よりも、ちゅくちゅくと舌を絡ませる卑猥な水音が聴覚を犯していく。

 こんな風にファーストキスを奪われるのは嫌なのに、佳穂の全身は与えられる甘い痺れによって蕩けてしまう。
 身体の奥、脚の付け根の恥ずかしい場所がじんじんと熱を持っていくのが分かり、恥ずかしくて堪らない。
 恥ずかしくて堪らないのにこの甘い刺激をもっと欲しくて、拙いながらベルンハルトの舌に自らの舌を絡めていた。
 胸元へ伸びるベルンハルトの指と唇の導く先へ、流されてしまいたくなる。

 甘い砂糖菓子を食べている時みたいに、甘く幸せな感情に満たされた佳穂は目蓋の重さに堪えきれず、ゆるゆると瞳を閉じた。


「おい、カホ」

 目蓋を閉じた後、甘さから一変したベルンハルトの驚いた声がやけに遠くから聞こえた。
< 34 / 61 >

この作品をシェア

pagetop