竜帝陛下と私の攻防戦
 セクハラされるのは困りものでも、改めて考えてみるとベルンハルトは優しい男だ。

 徒歩五分のコンビニへ買い物に行くだけなのに「夜道で、女の一人歩きは物騒だ」と言ってついて来てくれる。
 住宅街から直ぐの、大通りに出れば明るいし遅い時間では無いから危険は無いけれど、心遣いは有り難い。
 それにさり気なく道路側を歩いてくれ、買い物袋を持ってくれる。
 ただ少し困るのは迷子になった以来、当然のように繋がれる手。
 なんだかこれって恋人みたいだ、と思って恥ずかしくなったがそんなことは言えない。

「もうすぐ満月ですね」
「ああ」

 夜空に浮かぶ月はほぼ真ん丸で、周囲を明るく照らしていた。
 川沿いの道へ出ると、佳穂は葉っぱだけになった桜並木を見上げた。


「此処は、春になると川沿いの桜が綺麗に咲くんです。桜の花びらが舞い落ちて、水面はピンクの絨毯になるんです」

 あと二日で隣を歩く彼は居なくなる。
 春になってこの桜が咲いた時、一人でベルンハルトを思い出して寂しく思うのかな、と感傷的な気分になってきた。

「早く帰るぞ。買ったアイスが溶ける」

 足を止めた佳穂は桜の木を見つめたまま動かない。
 繋いでいた手のひらを離して、ベルンハルトの方へ振り向く。

「この世界は、楽しかったですか?」

 元の世界へ戻れば、皇帝の責務に追われて此方の世界のことも自分のことも、記憶は薄れていくことだろう。
 少しでも此処での生活を楽しいと思ってくれていたら、薄れてしまっても彼の記憶には残ってくれる。

「この世界は、目新しいものに溢れていて中々楽しめた。煩わしい者共に囲まれない、自由な生活というのも面白い」
「そっか、良かった」

 俯いていたのを次の瞬間には笑みを浮かべて、くるくる表情を変える佳穂をベルンハルトはじっと見詰める。

「元の世界へ戻りしだい、魔術書の呪いを解かせる。解呪されれば、心臓の繋がりは無くなる」

 感情の読めない表情と声色のまま言うベルンハルトからは、解呪されるのは喜ばしいことだとは伝わってきてこず、佳穂は首を傾げた。

「良かったじゃないですか」

 一瞬の間の後発せられた、佳穂の必要以上の明るい声色にベルンハルトの瞳が怪訝そうに細められた。

「だって、故郷に帰ることが出来るんでしょ? やっぱり住み慣れた場所の方がいいだろうし、ベルンハルトさんも皇帝としてやることがいっぱいある。それに心臓が繋がったままじゃお互い大変だし、」
「カホ」
「ベルンハルトさ、わっ」

 手首を掴まれてそのまま引き寄せられれば、ぽすっと、簡単に身体ごとベルンハルトの胸の中に落ちた。

「そんな不細工な顔をして言われても、本心からの言葉には聞こえないが?」

 不細工な顔とか言っているわりには、彼の声は甘く優しい。
 優しく頭を撫でるその手に、仕草に余計に胸が痛くなる。
 どうしてこんなにも胸が痛くなるのか。
 自分の本心は、一体何なのだろう。

「ベルンハルトさんが居なくなったら、私、は」

 じんわりと涙腺が緩んでいくのが分かって、ベルンハルトの胸に顔をうずめてしまいたい衝動を堪え、無理やり上を向く。
 今の自分は、彼の言葉通り相当不細工な顔になっているだろうけど。

「寂しい、です」

(ああ、そうか。私は寂しいんだ)

 だからこんなにも、彼が居なくなることを思うと胸が痛くなるのか。
 そうだと、自覚してしまえば佳穂の瞳からはポロポロと涙が零れ落ちる。

「可愛らしいことを言ってくれるな」

 涙でぼやけた視界ではよく見えないが、フッとベルンハルトが笑った気配がした。

 ベルンハルトの指先は涙が溢れる佳穂の目元を拭い、頬を滑り落ちて顎先を持つ。
 ゆっくりと彼の端正な顔が近づいてきて、そのまま唇が重なった。

 驚きに目を見開く佳穂が息をする暇も無いくらい、僅かな間だけ触れて離れていく唇。
 そっと瞳を閉じれば、今度は角度を変えて二度落とされる口付け。
 何度も重なる度に、背中や腰を撫でる大きな手のひらに、身体中が徐々に熱を持っていって何も考えられなくなった。

「はぁ、口を開け」
「ベルンハルト、さん、んっ」

 少しだけ開いた唇の間からヌルリと差し込まれたベルンハルトの舌が、歯列をなぞり佳穂の舌へ絡み付く。
 絡まり吸い上げられる刺激は、佳穂の身体の奥を甘く痺れさせる。

 巧みな舌技に翻弄されているうちに、スカートの裾を捲り上げてスカートの中へ侵入した不埒な手が、尻と太股を撫で始めた。
 大きな手のひらが肌を這う、むず痒いような刺激で佳穂はビクリッと身体を揺らしてしまう。

「ひゃっ」

 太股の内側を手のひらが這い上がり、その擽ったい刺激に口内にあったベルンハルトの舌を噛んでしまった。
 さすがに噛まれたのは痛かったらしく、佳穂の口内からベルンハルトの舌が抜け出ていく。

「やってくれるな」

 ニヤリと笑う彼が手の甲で口元を拭う仕草が妙に艶かしく、佳穂は熱が集中して真っ赤になった両頬に手を当てた。

(どうしよう、どうしよう、私……)

 恋愛経験の乏しい佳穂の内に生じた、甘酸っぱくて苦しい感情の名前は。
 その想いを認めたくなくて、佳穂はぎゅっと手のひらを握り締めた。
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