竜帝陛下と私の攻防戦
 触れられた部位が熱い。
 重なる唇から広がる甘い疼きに酔いしれ、もっとして欲しくて佳穂はベルンハルトを見詰めた。

「昨夜もそうだったが初々しい反応といい、口付けされるのは俺が初めてか?」
「ち、ちがうっ」

 顔を真っ赤にしつつ首を横に振って佳穂が否定すれば、それまで愉しそうに笑っていたベルンハルトの眉間には皺が寄った。

 いくら男性経験が乏しいと言っても、キスくらいはしたことある。小学校低学年の時に仲良かった男の子と今は亡き父親とだけど。
 なんてことを思っていたら、今度は触れるなんて優しいものじゃなくて唇に噛み付くように口付けられた。

 いつの間にか肩を抱かれて、逃げられないように抱き締められていて逃れられない。
 今が夜で良かったと茹だった思考で佳穂は思う。
 路上でいちゃいちゃちゅっちゅしているなんて、羞恥心を忘れたバカップルだ。
 花火大会後からの急展開についていけないし、恥ずかしい上に自分の反応やベルンハルトの行動が怖い。 
 怖いのに、優しい手付き触れ合う唇の感触が気持ちが良くて足から力が抜けていく。

 腰砕けになった佳穂は全身茹だった状態で、ベルンハルトにしがみつきながら何とか帰宅した。
 


 雰囲気に流され拒めなかったとはいえベルンハルトとキスしてしまったのも、彼に触れられているのが心地好いと感じてしまったのも事実。
 異世界人に惹かれるとか無いと思っていたのに、もっと触れて欲しいとキスされたいと思ってしまった自分もいたのだ。
 その日の夜は、ベッドの上をゴロゴロと転がり身悶えてしまった。

 路上キスなんぞしてしまってから、ベルンハルトの佳穂への態度は一変した。

「ちょっ、近、近いってっ」

 いくら明日には元の世界へ帰るとはいえ、「おはよう」の挨拶を交わした朝から不意打ちでくっ付いてくるもんだから、こちらとしたら堪ったものではない。
 恥ずかしくて顔を合わせられないかもと、緊張していて損した。
 文句を言っても彼は知らん顔だし。
 いや、知らん顔なんてもんじゃない。こっちの反応を楽しんでいる。
 
「手伝おうか?」
「け、結構ですっ」

 朝食準備中の玉ねぎを切っている時に、耳元で言われると手が滑って指を切り落としそうになるから、からかうのは勘弁して欲しい。

 どうしよう、キスされてから何かおかしい。
 至近距離にベルンハルトが居ると思うと動悸が激しくなって、身体が火照って変になりそうだ。

(意識しちゃ駄目なのに、明日の夜には此処から居なくなる人なのに)

 彼がちょっかいをかけてくるのは、反応が面白いからなのと身近にいる女が自分だけだから。
 後宮にいっぱい美女を侍らしているような皇帝陛下にとって、毛色の違う女だから珍しくてからかっているだけ。
 玉ねぎを切りながら、佳穂は心の中で勘違いしそうになる自分へ言い聞かせる。

 手の届かない相手に恋愛感情を抱いて傷付くのは、一人だけ盛り上がって涙するのは、もう懲り懲りだった。


 ***


 近付くだけで頰を赤らめる佳穂の、初々しい反応に心が満たされる。
 これほどまでに変わるものなのかと、ベルンハルトは自分自身が信じられなかった。
 信じられないが、この感情は不快ではない。

「指を切るなよ」

 明らかに自分を意識している佳穂に、ベルンハルトは満足げに笑うとソファーに座って新聞を読み始めた。
 お互いの意識の上では変化があったとしても、それは何時もと変わらない朝の光景の筈だった。



『陛下の居場所は分かったか?』
『いえ、まだ……』
『捜索魔法には何も反応しないのか?』
『やはり、エルネスト殿がおっしゃった通り境界を抉じ開けねばならないのか』



「トリスタン?」

 唐突に聞き覚えのある、宰相を務める親しい男の声が聞こえて一気に周りの光景が色を無くした白黒の世界と化す。

 次にやって来たのはソファーに座ったまま、ベルンハルトの全身が後方へ強く引っ張られる感覚。
 時計の秒針の音も、台所から佳穂が朝食を作る音も消え失せて、耳にはゴウゴウと風が渦巻く音が聞こえるのみ。
 このまま引き潮のような流れを魔力で増幅すれば、界渡りの渦へ呑まれ元居た世界へ戻れるだろう。
 しかし、この時のベルンハルトは素直に渦へ呑み込まれるわけにはいかなかった。

(まだだ、まだ戻れぬ)

 魔力を練り空間を遮断する防御壁を展開すると、身体を引きずり連れて行こうとする力が止んだ。




 
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