竜帝陛下と私の攻防戦
ささやかな仕返し?
 夏休み集中講義の最終日。
 最終日の確認試験を終わらせて、講義室から出た時は正午過ぎになっていた。

 これでやっと夏休みを楽しめると、声を弾ませる友人と並んで廊下を歩く佳穂は相槌を打ちつつ、階段前の壁にかかっている時計を見上げた。

(ベルンハルトさん、もうお昼ご飯を食べているよね。ランチして帰ったら心配するかな。飲み会で泥酔してから心配性になってのよね)

 初対面の時の傍若無人っぷりが信じられないくらい、佳穂に対して過保護になったと思う。
 心臓が繋がっているため、佳穂が傷付けば彼も傷付くからという理由で過保護なのだと、分かっていても気にかけて貰えるのは嬉しい。

(大事にしてくれるのも、気になるのも心臓が繋がっているからだと分かっていても、キスもしたし「欲しい」って言われたら期待しちゃう。もうすぐサヨナラするのに……)

 ここ数日の急展開で、ベルンハルトのことを考えると感傷的な気分になり、胸が苦しくなり瞳が潤み出す。
 大学で泣き出すわけにはいかないと、佳穂は下唇を噛んだ。

「佳穂、聞いている?」
「あ、ごめん。ぼーっとしていた。頭を使って疲れたみたい」

 友人に顔を覗き込まれた佳穂は、話をろくに聞いていなかったことを笑って誤魔化した。

「でさ、明日暇? 暇なら遊ぼうよ。バイト休みなんだー」
「明日?」

 明日は特に出掛ける予定も無く、家の掃除をしてゆっくり過ごそうと思っていた。
 異世界へ帰る皇帝に渡す餞別の品を買いに行くのもいいかと、頷きかけた佳穂の脳裏に花火大会の夜に見上げた、切なげに蒼色の瞳を揺らすベルンハルトの顔が浮かぶ。

「ごめん、明日は先約があるんだ」
「例のお客さんと? じゃあ、いつなら暇?」
「週末には帰国予定だから、来週だったら遊べるよ」

 来週には帰る、自分で言った言葉なのに、佳穂の胸がチクリと痛んだ。


 階段を下りる途中から聞こえて来た、甲高い笑い声に友人が嫌そうに眉を寄せた。
 聞き覚えのある女子学生の笑い声で会いたくも無い相手がこの先にいるのだと、げんなりした気分になり歩く速度がゆっくりになっていく。

 正面出入り口へ向かう通路に置かれたベンチに座り、甲高い声で喋る派手な化粧をした女子達の中心にいるのはやはり、忘れたくても忘れられない相手だった。

「佳穂どうしたの? あっ」

 女子達に気付いた友人が庇うように佳穂の前に出る。

「中庭を通って行こう」
「大丈夫、相手にしなきゃいいし」

 階段を下りて直ぐのこの場所にいる彼女達からは、佳穂が階段から下りて来たのは見えている。
 此方を見て笑っているのは不快に感じても、相手にしなければ特に問題ない。回れ右して中庭を通って外へ出たら、彼女達は面白おかしい噂を作って広めるのだと、ダイキとの一件で思い知った。

(大丈夫、ベルンハルトさんが守ってくれるから)

 呼吸を整えた佳穂は、首から下げているネックレスに触れ、今朝のやり取りを思い出す。
 冷たくなった指先がほんのり温かくなり、怯みそうになる心に力が与えられる気がした。



『行っています』
『カホ』

 ベルンハルトに呼び止められ、玄関の扉に手をかけようとしていた佳穂は振り向く。

『これを持って行け』

 腕を伸ばしたベルンハルトが差し出したのは、青みがかった銀色雫形の石のネックレスだった。
 反射的に手を出した佳穂の手首を掴み、ベルンハルトは手の平の上へネックレスを乗せる。

『守護の力がこもっている魔石だ。元々の魔力と俺の魔力を混ぜて強化し、持ち主をあらゆるモノから守るようにした。この世界でも効果はあるだろう』
『それって』

 わざわざ用意してくれたのかとは訊けなかった。
 訊かなくても向けられるベルンハルトの瞳が答えになっていたから。
 胸の中に温かい感情が広がり、佳穂はそっと両手でネックレスを包んだ。

『お前は隙だらけだからな』

 ふっと笑ったベルンハルトは手首を離し、彼の指先が佳穂の頬を滑り落ち、唇をなぞっていく。

 ちゅっ
 顔を近付けたベルンハルトの唇が一瞬だけ重なって、息がかかる前に離れる。

『早く帰って来い』

 耳元で囁かれた彼の声は、佳穂の中へ甘く沁み込んでいった。

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