竜帝陛下と私の攻防戦
(それにしても、今朝は酷かったな)
色々と拗らせていても、ベルンハルトは皇帝だ。四六時中、眠りから覚めない恋焦がれる娘の傍らに張り付いているわけにはいかない。
執務室での日課となっている、娘の様子を確認するため魔術書を開く竜帝陛下へ、トリスタンは生温い視線を送っていた。
ぴくり、ページを捲るベルンハルトの動きが止まる。
ガッシャーン!
おや? とトリスタンが思う間もなく、ベルンハルトが頭上へ振り上げ勢いよく振り下ろした拳により、天板が大理石で出来た執務机は粉々に砕け散った。
特殊な魔術書は無事だったが、ワナワナと肩を震わすベルンハルトは破壊神に見えて、彼の鬼畜な所業を見慣れているはずのトリスタンでさえ直視出来なかった。
「俺が離れた隙に、医者が触れただと?」
持ち主しか魔術書を開くことが出来ないため、ページに浮かび上がった詳しい内容は分からないが、傍で聞いていたトリスタンからしたら、医者が診察のため患者に触れるのは何らおかしなことではない。
しかし、ベルンハルトにとって大事な娘に触れるものは許せないことのようだ。
以降、ベルンハルトの機嫌は側近達も声をかけるのを躊躇するくらい、最悪なものとなっている。
執着されている気の毒な娘は、ベルンハルトの話を聞く限りでは気さくで温厚な性格なのだと推測していた。
どうか、目覚めた後はこの鬼畜な皇帝を上手くコントロールして欲しいと心底願う。
(はぁ、完全に憂さ晴らしにされるな)
八つ当たり、ベルンハルトの苛立ちをぶつける相手となってしまったアクバールを心のなかで哀れみつつ、トリスタンは淡々と処刑のための準備を進めた。
竜帝陛下が剣を抜いただけで、畏怖と 崇敬《すうけい》の空気が騎士達から沸き上がる。
「本当に恐ろしい御方だ」
こんなに恐ろしい男を虜にした、異世界で出逢った娘とは一体何者なのかと勘繰りたくなった。
例えベルンハルトが評した「普通の女」であっても、心臓が繋がりこれだけ執着されていたら、竜帝の子を身籠れる可能性があるやもしれない。
眼下の光景から注意を外した十数秒後、一際大きな歓声が上がりトリスタンは顔を上げた。
眼下を見下ろせば、血溜まりの中に倒れ伏すアクバールの躯があった。
やはり、勝負は一瞬でついたようだ。
「皇帝陛下万歳!」と叫びながら次々に騎士達が立ち上がっていく。
トリスタンと同じく貴賓席に座っていた、処断する程ではないが竜帝に対して反発心を抱いていた高位貴族達だけは、我が身を案じて震え上がっていた。
***
第三騎士団内の処罰も終え一段落ついた頃、ベルンハルトからの執務室を訪れたトリスタンは「は?」と間の抜けた声を出した。
「今、何と?」
「後宮を閉鎖する」
決定事項のように言われ、否、ベルンハルトの中ではもう閉鎖は決定事項なのだろうが、ついトリスタンは痛み出した眉間を人差し指で押さえる。
「……その、理由を御聞きしても?」
「最悪と言われた」
「は?」
ばつが悪そうに視線を逸らした態度と発言に、トリスタンはポカンと口を開いてしまった。
「後宮の女は性欲処理か義務で抱くだけの相手だと話したら、最低最悪だと言われたからだ」
誰に、とは問わなかった。
最近のベルンハルトの様子から、不敬にも彼を最低男と評したのは誰かなど明白で。
まさか、唯我独尊なこの男が、好いた娘に言われた事をずっと気にしていたという事実を知り、トリスタンの背筋に悪寒が走る。
「確かに男としてその発言は最低ですが、貴方は皇帝陛下ですから。陛下の性欲処理や貴族達のバランスを考えると後宮は必要でしょう」
「子を成せない女を囲い続けるだけの後宮は無用だ。元老院には十日以内で了承させる。女達には、褒賞金と縁談を整えてから家へ戻してやれば文句は言えないだろう」
兄皇子派粛清を情け容赦なく行った竜帝が望めば、いくら元老院と言えども受け入れるしかあるまい。ただし、後始末と苦情処理係となり苦しむのはベルンハルトの側近達、特にトリスタンが苦労する羽目になる。
「もしや、件のお嬢さんなら御子を成せると?」
「さあな。こればかりは試してみなければ分からん。いくら俺と魂の繋がりがあるとはいえ、あの娘は魔力を持たないからな。だが、子を成さなくとも俺はあの娘が欲しい。必ず手に入れる。こればかりはトリスタン、お前でも口出しは許さぬ」
なんとまぁ身勝手極まりない発言だ。この男は、絶対に彼女の意志を無視してことに及ぶはず。
しかし、これだけ何かに固執するベルンハルトも珍しい。
今まで帝国の事を重視し、高位貴族達の思い描く恐ろしい竜帝を体現してきたような男がここまで言うとは、よっぽど娘の事を気に入っている様子。
「娘に嫌悪感を抱かせるならば、後宮は不要だ」
長い付き合いであるからこそ、トリスタンには色恋沙汰には淡白なベルンハルトにここまで言わせるとはと驚く反面、今も眠り続ける異世界の娘に同情した。
人以上の独占欲を抱くという竜の性を持つ、こんな厄介な男に好かれてはこの先苦労するだろうから。
「頑張ってみますから、お嬢さんに会わせてくださいね」
「駄目だ」
「はぁ? それはないでしょう、陛下」
トルメニア帝国宰相トリスタンが、意識のある状態の娘とするのは後宮閉鎖が正式に決定し、後処理が終了してから十日も後のことだった。
色々と拗らせていても、ベルンハルトは皇帝だ。四六時中、眠りから覚めない恋焦がれる娘の傍らに張り付いているわけにはいかない。
執務室での日課となっている、娘の様子を確認するため魔術書を開く竜帝陛下へ、トリスタンは生温い視線を送っていた。
ぴくり、ページを捲るベルンハルトの動きが止まる。
ガッシャーン!
おや? とトリスタンが思う間もなく、ベルンハルトが頭上へ振り上げ勢いよく振り下ろした拳により、天板が大理石で出来た執務机は粉々に砕け散った。
特殊な魔術書は無事だったが、ワナワナと肩を震わすベルンハルトは破壊神に見えて、彼の鬼畜な所業を見慣れているはずのトリスタンでさえ直視出来なかった。
「俺が離れた隙に、医者が触れただと?」
持ち主しか魔術書を開くことが出来ないため、ページに浮かび上がった詳しい内容は分からないが、傍で聞いていたトリスタンからしたら、医者が診察のため患者に触れるのは何らおかしなことではない。
しかし、ベルンハルトにとって大事な娘に触れるものは許せないことのようだ。
以降、ベルンハルトの機嫌は側近達も声をかけるのを躊躇するくらい、最悪なものとなっている。
執着されている気の毒な娘は、ベルンハルトの話を聞く限りでは気さくで温厚な性格なのだと推測していた。
どうか、目覚めた後はこの鬼畜な皇帝を上手くコントロールして欲しいと心底願う。
(はぁ、完全に憂さ晴らしにされるな)
八つ当たり、ベルンハルトの苛立ちをぶつける相手となってしまったアクバールを心のなかで哀れみつつ、トリスタンは淡々と処刑のための準備を進めた。
竜帝陛下が剣を抜いただけで、畏怖と 崇敬《すうけい》の空気が騎士達から沸き上がる。
「本当に恐ろしい御方だ」
こんなに恐ろしい男を虜にした、異世界で出逢った娘とは一体何者なのかと勘繰りたくなった。
例えベルンハルトが評した「普通の女」であっても、心臓が繋がりこれだけ執着されていたら、竜帝の子を身籠れる可能性があるやもしれない。
眼下の光景から注意を外した十数秒後、一際大きな歓声が上がりトリスタンは顔を上げた。
眼下を見下ろせば、血溜まりの中に倒れ伏すアクバールの躯があった。
やはり、勝負は一瞬でついたようだ。
「皇帝陛下万歳!」と叫びながら次々に騎士達が立ち上がっていく。
トリスタンと同じく貴賓席に座っていた、処断する程ではないが竜帝に対して反発心を抱いていた高位貴族達だけは、我が身を案じて震え上がっていた。
***
第三騎士団内の処罰も終え一段落ついた頃、ベルンハルトからの執務室を訪れたトリスタンは「は?」と間の抜けた声を出した。
「今、何と?」
「後宮を閉鎖する」
決定事項のように言われ、否、ベルンハルトの中ではもう閉鎖は決定事項なのだろうが、ついトリスタンは痛み出した眉間を人差し指で押さえる。
「……その、理由を御聞きしても?」
「最悪と言われた」
「は?」
ばつが悪そうに視線を逸らした態度と発言に、トリスタンはポカンと口を開いてしまった。
「後宮の女は性欲処理か義務で抱くだけの相手だと話したら、最低最悪だと言われたからだ」
誰に、とは問わなかった。
最近のベルンハルトの様子から、不敬にも彼を最低男と評したのは誰かなど明白で。
まさか、唯我独尊なこの男が、好いた娘に言われた事をずっと気にしていたという事実を知り、トリスタンの背筋に悪寒が走る。
「確かに男としてその発言は最低ですが、貴方は皇帝陛下ですから。陛下の性欲処理や貴族達のバランスを考えると後宮は必要でしょう」
「子を成せない女を囲い続けるだけの後宮は無用だ。元老院には十日以内で了承させる。女達には、褒賞金と縁談を整えてから家へ戻してやれば文句は言えないだろう」
兄皇子派粛清を情け容赦なく行った竜帝が望めば、いくら元老院と言えども受け入れるしかあるまい。ただし、後始末と苦情処理係となり苦しむのはベルンハルトの側近達、特にトリスタンが苦労する羽目になる。
「もしや、件のお嬢さんなら御子を成せると?」
「さあな。こればかりは試してみなければ分からん。いくら俺と魂の繋がりがあるとはいえ、あの娘は魔力を持たないからな。だが、子を成さなくとも俺はあの娘が欲しい。必ず手に入れる。こればかりはトリスタン、お前でも口出しは許さぬ」
なんとまぁ身勝手極まりない発言だ。この男は、絶対に彼女の意志を無視してことに及ぶはず。
しかし、これだけ何かに固執するベルンハルトも珍しい。
今まで帝国の事を重視し、高位貴族達の思い描く恐ろしい竜帝を体現してきたような男がここまで言うとは、よっぽど娘の事を気に入っている様子。
「娘に嫌悪感を抱かせるならば、後宮は不要だ」
長い付き合いであるからこそ、トリスタンには色恋沙汰には淡白なベルンハルトにここまで言わせるとはと驚く反面、今も眠り続ける異世界の娘に同情した。
人以上の独占欲を抱くという竜の性を持つ、こんな厄介な男に好かれてはこの先苦労するだろうから。
「頑張ってみますから、お嬢さんに会わせてくださいね」
「駄目だ」
「はぁ? それはないでしょう、陛下」
トルメニア帝国宰相トリスタンが、意識のある状態の娘とするのは後宮閉鎖が正式に決定し、後処理が終了してから十日も後のことだった。