竜帝陛下と私の攻防戦
相反する二人の感情

大根洗いとわんこ

 珈琲を飲み終わった佳穂は、「部屋を用意します」と言って自分のことを皇帝だと言う青年を居間に残し、逃げるように空き部屋へやって来た。

 窓を開き畳を箒でざっと掃いて、叔父の部屋から使っていない布団一式を運び入れてから、ペタンとその場に座り込む。
 箪笥に布団しか置いてない殺風景な室内を改めて見渡して、どうしてこうなったんだと頭を抱えてしまった。

 今日一日で色々な事がありすぎて、思い返すと頭が痛くなってくる。
 初めて出来た彼氏との記念日だと浮かれていたら、あっという間に失恋してズタボロにされた上に、異世界からやって来た皇帝だという美形に痛め付けられるなんて。
 自分は悪いことでもしたのだろうか。
 それとも、呪術を探して元彼を呪おうとした報いなのか。
 ガックリと項垂れた佳穂は深い溜め息を吐く。

「通報した方が良かったかな……」

 話の流れで受け入れる気になっていたが、不法侵入暴行未遂の不審者として警察に通報しても良かったのだ。
 不審者、異世界からやって来たという聞いたことがない国の皇帝陛下ベルンハルトは、肩より少し長めの銀髪をハーフアップにし不思議な光を宿す蒼色の瞳を持ち、冷たい雰囲気を纏いつつもとんでもなく整った顔立ちをした美青年だった。
 通報を躊躇ったのは、受け入れてしまったのは、あまりにも彼が綺麗だったから。
 映画俳優以上に整った顔立ちをした青年と心臓が繋がってしまったとか、意味不明で今でも信じ難い。
 しかし、突然腕に出来た切り傷は本物で泣き出すくらい痛かったのは本当なのだ。

 恋愛小説やファンタジー漫画ならば、最初はわだかまりがあっても、この後は少しずつお互いを知り恋に落ちていくという展開だろう。だが、彼に恋をするのはちょっと、いや本気で遠慮したい。
 初対面で肩を外され腕を斬られたのに、加害者を許して恋愛感情を抱くなんて怖い。
 背中越しに感じた刃物のような殺気と、体の自由を奪った強い力で押さえつけられた時の上体を思い出すだけで体が震えてしまう。

 怖くて堪らないのに、突然知らない場所へ来てしまい困っているだろう人を見捨てられないのは、彼の綺麗すぎる容姿と所謂「困っている人には親切にしよう」と教えられて来た日本人の性なのか。

 
 掃除を終え居間へ戻り、渋い顔をしてポストへ投函されていた近所にある薬局の広告チラシを見ていたベルンハルトの姿が面白くて、佳穂は吹き出しそうになるのを堪えた。

「何だ?」
「お待たせしました。あの、休まれる前にベルンハルトさんの服を洗濯したいのですが……」

 遠慮がちに言う佳穂の視線の先には、ベルンハルトの血と埃で汚れた服があった。

「お疲れかと思いますが、お風呂に入ってもらえますか?」
「風呂には、俺が一人で入るのか?」
「え?」

 きょとんとした後、意味を理解した直ぐに佳穂の顔はみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
 入浴を勧めた佳穂へ、この皇帝陛下は入浴の介助をしろとほのめかしたのだ。

「それは無理! お風呂の使い方教えるから、一人で入って!」

 いくら高貴な身分だろうと、知り合ったばかりの異性に頼むとは信じられない。
 皇帝という立場の方は、お風呂の世話を他人にさせているのかと顔がひきつった。
 入浴の介助を断固拒否した佳穂は、シャンプーとボディーソープ、シャワーの使い方を説明して彼を浴室へ押し込んだ。

 着替えは叔父の寝間着を、身長の差と足の長さを考慮して浴衣を用意した。
 浴衣ならば、多少サイズが小さくても大丈夫だろう。
 浴室から聞こえる水音と、磨りガラス越しに見える肌色が艶かしい見えて、佳穂は足早に居間へと戻った。

 

 居間へ戻った佳穂は、ベルンハルトが脱いだ黒い上着の埃と飛び散った血で汚れた腕周辺を濡らした布巾で軽く叩き、染み抜きをする。
 黒地に銀糸で綺麗な刺繍が施された上着は、手の込んだ高級なもの。
 朝一でクリーニングへ出せば染みにはならないだろう。

 皺がつかないように、上着をハンガーにかけて鴨居に引っかけて干していると、カラリと廊下と繋がる引き戸が開いた。

「おい」
「ぎゃー!」

 引き戸から居間へ入って来たのは、入浴を済ませたらしいベルンハルトだった。

 浴衣を羽織っただけの腰紐を締めていない状態で、はだけまくった胸元から引き締まって固そうな胸筋とくっきり割れた腹筋、筋肉がついた太股が見えていた。
 シャンプーの香りがする濡れた髪、少し上気した頬、という色気垂れ流し状態の彼の姿は、異性への耐性がほとんど無い佳穂にとって衝撃が強すぎて固まってしまった。

「まだ濡れて、って、ちょっと、ベルンハルトさん!? 髪の毛に泡がついたままじゃないですか! 洗い流してきてください!」
「自分では髪を洗いにくい。後ろは見えない。お前が洗え」
「え? あ、洗え? ちょ、ぎゃあぁー!」

 不機嫌な表情のベルンハルトが動き、浴衣の裾が捲れ彼の股間部が露わになる。
 たまに帰国する叔父用に買ってあった、新品のボクサーパンツを着替えとしておいてあったのに……何故か履いて無かったのだ。

 顔を真っ赤に染めて目と口を見開いた佳穂は、何故か初めて見る男性器から視線を逸らすことも出来ない。

「フンッ、どうした?」
「はぅ!? 前を、前、隠してください……」

 肩を揺らして我に返った佳穂は慌てて横を向く。
 真っ赤に染まった顔を少しでも冷やそうと両手で顔を覆った。

 
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