仮面夫婦のはずが、冷血御曹司の激愛で懐妊いたしました
ガーデンガーデン
『……午前中は以上です。午後は、マネージャー会議がありますから報告があがってきたら、転送いたします』
「いや、こちらで直接アクセスして見ておくからそれはいい」
『了解しました。念のため夕方には報告メッセージを入れておきます』
「ありがとう、よろしく」
昼下がりのショッピングエリア、ガーデンガーデンのベンチに座り、圭一郎は本社にいる渡辺と電話をしている。
朝食の後、午前中いっぱい書斎で仕事をして昼食をホテルで澪ととってから、明日のハイキングに必要なものを揃えにガーデンガーデンにやってきた。さっそくアウトドア用品の店に入り選んでいると、圭一郎の携帯が鳴ったのである。
『副社長、そういえば先週の件ですが……』
「ああ、それは……」
渡辺と話をしながら、圭一郎は店の中で商品を眺めている澪の姿を目で追った。
彼女はレディース用品を手に取って首を傾げあれこれと考えている。だが洋服のデザインというよりは、値札に書いてある数字の方が気になるようで、いちいち確認しては目を丸くしている。
そもそも彼女はハイキング用品を購入して揃えることにも躊躇していたのだ。朝食の時、コンシェルジュから渡されたガーデンガーデンのパンフレットを眉間に皺を寄せて見ていたのを思い出し、圭一郎は笑みを浮かべた。
今朝からの彼女の振る舞いは、自分が坪井家の令嬢であるということを取り繕うつもりはあるのだろうかと疑ってしまうことの連続だ。
圭一郎の車に乗り込んだ時もそうだった。
『よろしくお願いします』と口にして助手席に座った彼女は、ホテルでもらった周辺地図を広げていた。圭一郎がナビでガーデンガーデンの場所を検索し設定すると、気まずそうに地図を畳んで鞄にしまったのだ。
まさか道案内をするつもりだったのだろうか。
そんなことを考えたらおかしくなって圭一郎はついついからかうような言葉を口にした。
『君の車に、ナビはないの?』
彼女は頬を膨らませて反論した。
『ありますけど、古いから時々変なところに案内されちゃうんです! だからこれは念のために……』
でもそこで、しまった、というように口を閉じて気まずそうにうつむいた。ご令嬢の車のナビが古いなんてことはあり得ない、さらにいうとご令嬢が自分で運転すること自体が不自然だと気がついたのだろう。
木漏れ日が差し込む森の道を運転しながら、圭一郎は笑いを噛み殺すのに必死だった。
逆境に屈しない強さと、今どき珍しいくらいの純真さをあわせ持つ彼女は、それでいて嘘はあまりうまくないようだ。結婚式の時は最大限気を張っていてなんとかなったけれど、一夜明けて、ボロが出始めたというところだろう。
でもその彼女の素直な反応を、圭一郎は間違いなく可愛らしいと感じている。だからこそ、もっと彼女のことを知りたいと考えていた。
……だがそのためには、はっきりとさせておかなくてはならないことがある。
『ではまた夕方に……』
そう言って通話を終えようとする渡辺を、圭一郎は止める。
「待ってくれ」
そして一段声を落とした。
「渡辺、追加でひとつ調べてほしいことがあるんだ」
『はい』
圭一郎は店の鏡の前で難しい顔で帽子の試着をしている澪を見つめながら口を開いた。
「坪井澪……妻のことだ。彼女がなぜこの結婚を受け入れたのかということに焦点を絞って調べてほしい」
『なぜ結婚を受け入れたか……?』
「君の言う通り、財産目当てなのか。あるいはなにかほかに断れない理由があったのか」
説明をしながら圭一郎は今朝の朝食後に彼女が見せた涙を思いだしていた。
実家の庭の手入れを続けていいと圭一郎が言っただけで、堰を切ったように泣き出した。その姿を圭一郎は美しいと感じていた。
父親と血が繋がりはなくとも彼女は大切に育てられたのだ。彼女の涙には、父を思う気持ちが溢れていた。
『結婚を受け入れた理由……坪井家のためなのではないですか?』
渡辺からの問いかけを圭一郎は否定した。
「そういう建前だが、そもそも彼女も彼女の父親も銀行経営には関わっていないだろう。極端なことを言えば五菱と向坂自動車(うち)がどうなっても関係のない立場にいるんだ。人生をかけてでも取引を成功させる動機はない」
それなのに見合いの日、澪はこの結婚は断れないと言ったのだ。
財産目当てあるいは玉の輿を狙っている、結婚式を挙げるまで、圭一郎はその可能性も否定できないと思っていた。だが実際に式を終えてからここまでの彼女の印象で、そうではないと感じていて、あの涙に確信を深めた。
彼女にはこの結婚を受け入れなくてはならない理由があった。それは彼女を大切に育てた父親にとっても苦渋の決断だったのではないだろうか。
今から思えば式の際の父親の表情はどこか暗かった。
「おそらく坪井頭取と澪の父親の関係が鍵だと思う。……念のためだ。取引に関係しないとも限らないからな」
澪自身に興味が湧いて調査を頼んでいるのだと悟られないように圭一郎は、わざと事務的に言う。
渡辺は素直に頷いた。
『わかりました。そこまでとなると少しお時間をいただくと思いますが調べてみましょう』
「頼む。……それから明日の予定だが。私は完全に休みだが、携帯の電波が届きにくくなる場所にいる。なにかあるなら今日中に頼む」
今日の午前中でやらなくてはならないことはすべて済ませたから、基本的に明日からは完全にフリーだ。それでも連絡手段や居場所を伝えておく必要がある。
向坂自動車規模の企業の取締役ともなるとセキュリティの都合上、常に居場所を会社が把握してなくてはならないからだ。なにか不測の事態が起きた時に連絡がつかなかったら大問題に発展する可能性がある。
『携帯が圏外……どちらへ行かれるんですか?』
やや驚いた様子で渡辺が問いかける。当然だ。海外出張でもないのに、携帯が繋がらないなんてことは副社長に就任してからの五年間で一度もなかったのだから。秘書として当然の問いかけに圭一郎は、気まずい思いで答えた。
「……森だ」
『え? 森ですか?』
素っ頓狂な声をあげる渡辺に、圭一郎は心の中で舌打ちをする。でも言わないわけにはいかなかった。
これは、取締役としての義務だ。
「森へ行くことになっている……ハイキングだ」
『……ハ、ハイキングですか……?』
「そうだ。じゃあ、また夕方に」
困惑する渡辺にそれ以上なにも言わせずに、圭一郎は一方的に電話を切る。そして、俺がハイキングに行くのがそんなにおかしいのかと心の中で悪態をついて舌打ちをした。
さっき澪にも驚かれたのだ。
店に入り圭一郎が自分の分も選ぶと告げると彼女は足を止めて固まった。
『え、圭一郎さんも行かれるんですか……?』
『なんだ? 君の言う幸せな夫婦は、別行動が基本か?』
じろりと睨みそう切り返すと、慌てて口を閉じていた。
とはいえ、自分でも意外な行動であるのも確かだった。
まだよく知らない相手との旅行なのだ、ずっと無理に一緒にいるよりも適宜距離を取る方がいいだろう。ハイキングなんてもってのほかだ。
でもどうしてかは不明だが、圭一郎は一緒に行きたいと思った。大自然の中をふたりで歩き、貴重な植物に目を輝かせる彼女をそばで見たいと思ったのだ。
そういう意味で、渡辺と澪のリアクションに対する圭一郎の気持ちは、八つ当たりでしかないだろう。
圭一郎は自分自身に苦笑して、店の中の澪に視線を移す。
彼女は店のスタッフに目の前にたくさんの商品を並べられてあたふたとしていた。おそらくそんなにたくさん高い物を買ってもらうわけにいかないと慌てているのだろう。
その様子がおかしくて圭一郎はフッと笑った。
そろそろ助け船を出した方がよさそうだ。
そう思い立ち上がった。
「いや、こちらで直接アクセスして見ておくからそれはいい」
『了解しました。念のため夕方には報告メッセージを入れておきます』
「ありがとう、よろしく」
昼下がりのショッピングエリア、ガーデンガーデンのベンチに座り、圭一郎は本社にいる渡辺と電話をしている。
朝食の後、午前中いっぱい書斎で仕事をして昼食をホテルで澪ととってから、明日のハイキングに必要なものを揃えにガーデンガーデンにやってきた。さっそくアウトドア用品の店に入り選んでいると、圭一郎の携帯が鳴ったのである。
『副社長、そういえば先週の件ですが……』
「ああ、それは……」
渡辺と話をしながら、圭一郎は店の中で商品を眺めている澪の姿を目で追った。
彼女はレディース用品を手に取って首を傾げあれこれと考えている。だが洋服のデザインというよりは、値札に書いてある数字の方が気になるようで、いちいち確認しては目を丸くしている。
そもそも彼女はハイキング用品を購入して揃えることにも躊躇していたのだ。朝食の時、コンシェルジュから渡されたガーデンガーデンのパンフレットを眉間に皺を寄せて見ていたのを思い出し、圭一郎は笑みを浮かべた。
今朝からの彼女の振る舞いは、自分が坪井家の令嬢であるということを取り繕うつもりはあるのだろうかと疑ってしまうことの連続だ。
圭一郎の車に乗り込んだ時もそうだった。
『よろしくお願いします』と口にして助手席に座った彼女は、ホテルでもらった周辺地図を広げていた。圭一郎がナビでガーデンガーデンの場所を検索し設定すると、気まずそうに地図を畳んで鞄にしまったのだ。
まさか道案内をするつもりだったのだろうか。
そんなことを考えたらおかしくなって圭一郎はついついからかうような言葉を口にした。
『君の車に、ナビはないの?』
彼女は頬を膨らませて反論した。
『ありますけど、古いから時々変なところに案内されちゃうんです! だからこれは念のために……』
でもそこで、しまった、というように口を閉じて気まずそうにうつむいた。ご令嬢の車のナビが古いなんてことはあり得ない、さらにいうとご令嬢が自分で運転すること自体が不自然だと気がついたのだろう。
木漏れ日が差し込む森の道を運転しながら、圭一郎は笑いを噛み殺すのに必死だった。
逆境に屈しない強さと、今どき珍しいくらいの純真さをあわせ持つ彼女は、それでいて嘘はあまりうまくないようだ。結婚式の時は最大限気を張っていてなんとかなったけれど、一夜明けて、ボロが出始めたというところだろう。
でもその彼女の素直な反応を、圭一郎は間違いなく可愛らしいと感じている。だからこそ、もっと彼女のことを知りたいと考えていた。
……だがそのためには、はっきりとさせておかなくてはならないことがある。
『ではまた夕方に……』
そう言って通話を終えようとする渡辺を、圭一郎は止める。
「待ってくれ」
そして一段声を落とした。
「渡辺、追加でひとつ調べてほしいことがあるんだ」
『はい』
圭一郎は店の鏡の前で難しい顔で帽子の試着をしている澪を見つめながら口を開いた。
「坪井澪……妻のことだ。彼女がなぜこの結婚を受け入れたのかということに焦点を絞って調べてほしい」
『なぜ結婚を受け入れたか……?』
「君の言う通り、財産目当てなのか。あるいはなにかほかに断れない理由があったのか」
説明をしながら圭一郎は今朝の朝食後に彼女が見せた涙を思いだしていた。
実家の庭の手入れを続けていいと圭一郎が言っただけで、堰を切ったように泣き出した。その姿を圭一郎は美しいと感じていた。
父親と血が繋がりはなくとも彼女は大切に育てられたのだ。彼女の涙には、父を思う気持ちが溢れていた。
『結婚を受け入れた理由……坪井家のためなのではないですか?』
渡辺からの問いかけを圭一郎は否定した。
「そういう建前だが、そもそも彼女も彼女の父親も銀行経営には関わっていないだろう。極端なことを言えば五菱と向坂自動車(うち)がどうなっても関係のない立場にいるんだ。人生をかけてでも取引を成功させる動機はない」
それなのに見合いの日、澪はこの結婚は断れないと言ったのだ。
財産目当てあるいは玉の輿を狙っている、結婚式を挙げるまで、圭一郎はその可能性も否定できないと思っていた。だが実際に式を終えてからここまでの彼女の印象で、そうではないと感じていて、あの涙に確信を深めた。
彼女にはこの結婚を受け入れなくてはならない理由があった。それは彼女を大切に育てた父親にとっても苦渋の決断だったのではないだろうか。
今から思えば式の際の父親の表情はどこか暗かった。
「おそらく坪井頭取と澪の父親の関係が鍵だと思う。……念のためだ。取引に関係しないとも限らないからな」
澪自身に興味が湧いて調査を頼んでいるのだと悟られないように圭一郎は、わざと事務的に言う。
渡辺は素直に頷いた。
『わかりました。そこまでとなると少しお時間をいただくと思いますが調べてみましょう』
「頼む。……それから明日の予定だが。私は完全に休みだが、携帯の電波が届きにくくなる場所にいる。なにかあるなら今日中に頼む」
今日の午前中でやらなくてはならないことはすべて済ませたから、基本的に明日からは完全にフリーだ。それでも連絡手段や居場所を伝えておく必要がある。
向坂自動車規模の企業の取締役ともなるとセキュリティの都合上、常に居場所を会社が把握してなくてはならないからだ。なにか不測の事態が起きた時に連絡がつかなかったら大問題に発展する可能性がある。
『携帯が圏外……どちらへ行かれるんですか?』
やや驚いた様子で渡辺が問いかける。当然だ。海外出張でもないのに、携帯が繋がらないなんてことは副社長に就任してからの五年間で一度もなかったのだから。秘書として当然の問いかけに圭一郎は、気まずい思いで答えた。
「……森だ」
『え? 森ですか?』
素っ頓狂な声をあげる渡辺に、圭一郎は心の中で舌打ちをする。でも言わないわけにはいかなかった。
これは、取締役としての義務だ。
「森へ行くことになっている……ハイキングだ」
『……ハ、ハイキングですか……?』
「そうだ。じゃあ、また夕方に」
困惑する渡辺にそれ以上なにも言わせずに、圭一郎は一方的に電話を切る。そして、俺がハイキングに行くのがそんなにおかしいのかと心の中で悪態をついて舌打ちをした。
さっき澪にも驚かれたのだ。
店に入り圭一郎が自分の分も選ぶと告げると彼女は足を止めて固まった。
『え、圭一郎さんも行かれるんですか……?』
『なんだ? 君の言う幸せな夫婦は、別行動が基本か?』
じろりと睨みそう切り返すと、慌てて口を閉じていた。
とはいえ、自分でも意外な行動であるのも確かだった。
まだよく知らない相手との旅行なのだ、ずっと無理に一緒にいるよりも適宜距離を取る方がいいだろう。ハイキングなんてもってのほかだ。
でもどうしてかは不明だが、圭一郎は一緒に行きたいと思った。大自然の中をふたりで歩き、貴重な植物に目を輝かせる彼女をそばで見たいと思ったのだ。
そういう意味で、渡辺と澪のリアクションに対する圭一郎の気持ちは、八つ当たりでしかないだろう。
圭一郎は自分自身に苦笑して、店の中の澪に視線を移す。
彼女は店のスタッフに目の前にたくさんの商品を並べられてあたふたとしていた。おそらくそんなにたくさん高い物を買ってもらうわけにいかないと慌てているのだろう。
その様子がおかしくて圭一郎はフッと笑った。
そろそろ助け船を出した方がよさそうだ。
そう思い立ち上がった。