仮面夫婦のはずが、冷血御曹司の激愛で懐妊いたしました
新しい命
 葉が落ちたイロハ紅葉の木の下でベンチに座り、澪はぼんやりと秋の空を眺めている。母が庭仕事をする際の休憩用として父が作ったこのベンチは、今はもっぱら澪専用である。
 灰色の雲が渦巻く空は、まるで自分の心を表しているようだ、と澪は思う。嬉しさと不安がぐるぐるとマーブル模様を作っている。
 澪が本格的に体調の変化に気が付いたのは、圭一郎がドイツに経ってすぐだった。ここのところ疲れやすいとは思っていたが、寝ても寝ても寝足りない。朝起きられなくてお昼頃にようやく起きるということもあるくらいだった。
 疲れが出たのだろうと圭一郎は言っていたが、それにしても長引くなとひとり首をひねっていた。そして昨夜、夕食を作ろうとした際の出汁の匂いに吐き気を覚えて、ようやくただごとではないと思いあたったのだ。
 ——もしかして。
 恐る恐る試した市販の妊娠検査薬は陽性を示した。そして今日の午前中に産婦人科で診察を受けてきたのだ。
 結果は予想通り。澪は妊娠していて十週目に入ったところだった。エコーで小さな心臓がトクトクトクと動く音も聞かせてもらった。その音を聞いた時の気持ちは、とてもひと言では言い表せるものではなかった。
 愛する人との間にできた小さな命。
 嬉しくないわけはない。
 彼だってきっと喜んでくれる。
 でもまだ澪の秘密を打ち明けられていない状況では、それをそのまま受け取るわけにはいかないだろう。
 手にしている携帯をタップして、メッセージアプリを起動させ、澪はさっき届いた圭一郎からのメッセージを表示した。
《おはよう、こっちはめちゃくちゃ寒いよ》
 ドイツにいる彼とは時差があるから主にメッセージでやり取りしている。べつになにか重要なことを伝え合うわけではないけれど、こうしてなにげない言葉を彼はくれる。
 そしてそのたった十数個の文字が、澪を幸せな気持ちにしてくれる。こんな人は、世界中でただひとり、彼だけだ。
 その彼に、この妊娠をどのように伝えるのが正解がわからなかった。
 お腹に手をあてて、澪はジッと考える。
「澪」
 呼ばれて顔を上げると、父が縁側から自分を呼んでいる。
「もう中に入りなさい。雨が降りそうだ」
 成人してもう結婚もした娘なのに、まるで小さな子供に言うみたいに。親というのはいくつになっても子が心配なのだろうか。
 その自分が親になる。
 なんだか変な気分だった。
「はい」
 返事をして、澪はゆっくりと立ち上がった。
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