公爵閣下、わたしたちの契約結婚は終了を迎えるのですね。わたしは余命わずかですが、あなたがほんとうに愛する人としあわせになれますよう心よりお祈り申し上げます
大嵐
「アントニー様、大丈夫ですか?」
ハッとわれに返り、彼に慌てて近づいた。
寝台に身を乗りだすようにし、彼の顔をのぞきこむ。
彼の唇がかすかに動いている。
「官能的な唇」と小説などで表現しているけれど、こういう唇のことをいうのね。
こんなときなのに、そんなことを思い浮かべてしまった。
「み……、ず……」
かすれて小さかったけど、たしかに「水」ときこえた。
「お水、ですね。持ってきます」
そうだわ。水差しとコップを準備していなかった。
いつも就寝用に準備しているのに、今夜にかぎって忘れているなんて。
わたしってば、ほんとダメな妻ね。もう何百回落ち込んでいるか。
寝台から離れようとした瞬間、左手をつかまれた。
そう認識したときには、寝台の上に押し倒されていた。
アントニーにのしかかられ、身動きがとれない。
おりしも外はますます荒れ狂い、風と雨の音にまじって雷まで鳴り始めている。
それを冷静にきいている自分がいる。
両手の自由を奪われ、体の上には彼がいる。彼の酔眼がわたしを見下ろしているが、はたしてその瞳に映っているのがわたしなのか、あるいはアナベラなのかはわからない。
「アントニー様」
呼びかけてみたけど、声が小さすぎて彼には届かなかった。
「バリバリバリッ!」
そのとき、すぐ近くで凄まじい雷鳴がし、稲光が起った。
その熾烈なまでの光の中、彼の何の感情もこもっていない美貌が浮かび上がっている。
彼は、そのまま覆いかぶさってきた。
抵抗すべきなのか。
迷いはした。
社会的、倫理的にはまったく問題はない。
なぜなら、わたしたちはちゃんとした夫婦だから。
だけど、感情的、理性的には……。
わたしたちの間に愛はない。幼馴染という愛情はあっても、夫婦という愛は存在しない。
違う。アントニーにはそれがない。彼が愛しているのは、アナベラなのだから。
わたしではない。
だから、こういうことはあってはならない。
いままでもいまもこれから先も、わたしへの愛はない。彼に抱かれるべきではない。
たった一度の過ちで子どもでも出来てしまったら、それこそ彼の足枷になってしまう。
万が一にも子どもが出来てしまったら、堕ろすつもりはないから。
たとえ一人で育てるようなことになっても、わたしはぜったいに堕ろすようなことはしない。
だからこそ、こんな過ちを許すべきではない。
雷鳴と稲光は、ますますひどくなってゆく。
まるでアントニーの凶行に花を添えるかのように。
わたしは弱い。すべてにおいて弱い。
結局、拒否しなかった。抵抗しなかった。
アントニーを愛しているから。彼が欲しかったから。
嵐の夜、みずから罪を犯した。彼のすべてを受け入れてしまった。
「こんなこと言いたくないんだけど、もしも堕ろすつもりならいまのうちよ。日が経てば経つほど母体に、つまりあなた自身に負担がかかってしまうから」
カーリーはすごく言いにくそうに言った。
友人としてでなく医師としての助言であることが、その表情からよくわかる。
母体に負担がかかる……。
そこではじめて気がついた。
堕ろすつもりはない。たとえ一人になっても産みたいという気持ちはある。アントニーに隠してでも産めばいい。
だけど、産む時期まで生きていられるの?生きていたとしても、産めるだけの体力は残っているの?産める時期まで胎内で小さな生命を育むことが出来るの?
そのことに思いいたった。
ちょっと待って……。
もう一つ気がついた。
先程、カーリーはわたしの症状は懐妊の典型的な症状だと言った。当然、伯父にも同じ症状を申告した。
それなのに、伯父はきいたこともない原因不明の病にかかっていると診断した。その病は、「このオールストン王国では症例が少なく、だから対処のしようがない」ということだった。そして、数日後の診察で伯父は、「隣国の医師に問い合わせ、進行を遅らせる薬があるときいて取り寄せた」と言い、数種類の薬を処方されたのである。
伯父は、さらに告げた。
「この病は、いまのところは不治の病だ。薬を服用したところで、進行を遅らせて症状をじゃっかん緩和出来るかどうかだ。実際のところはどうなるかわからない」
いくら男性医師で産科系に携わっていないとしても、懐妊の典型的な症状を未知なる不治の病と結び付けて診断するのはおかしくないかしら。
「カーリー、堕ろすつもりはないんだけど。不安なことがあるの。ごめんなさい。もう一つ伝えなくてはならないことを伝えていないの」
カーリーに心からの謝罪した後、伯父から診断された未知なる不治の病のことも話をした。
話を進めるにつれ、カーリーの美しいまでの顔が険しくなっていく。
彼女の眉間に、皺が刻みこまれていく。
ハッとわれに返り、彼に慌てて近づいた。
寝台に身を乗りだすようにし、彼の顔をのぞきこむ。
彼の唇がかすかに動いている。
「官能的な唇」と小説などで表現しているけれど、こういう唇のことをいうのね。
こんなときなのに、そんなことを思い浮かべてしまった。
「み……、ず……」
かすれて小さかったけど、たしかに「水」ときこえた。
「お水、ですね。持ってきます」
そうだわ。水差しとコップを準備していなかった。
いつも就寝用に準備しているのに、今夜にかぎって忘れているなんて。
わたしってば、ほんとダメな妻ね。もう何百回落ち込んでいるか。
寝台から離れようとした瞬間、左手をつかまれた。
そう認識したときには、寝台の上に押し倒されていた。
アントニーにのしかかられ、身動きがとれない。
おりしも外はますます荒れ狂い、風と雨の音にまじって雷まで鳴り始めている。
それを冷静にきいている自分がいる。
両手の自由を奪われ、体の上には彼がいる。彼の酔眼がわたしを見下ろしているが、はたしてその瞳に映っているのがわたしなのか、あるいはアナベラなのかはわからない。
「アントニー様」
呼びかけてみたけど、声が小さすぎて彼には届かなかった。
「バリバリバリッ!」
そのとき、すぐ近くで凄まじい雷鳴がし、稲光が起った。
その熾烈なまでの光の中、彼の何の感情もこもっていない美貌が浮かび上がっている。
彼は、そのまま覆いかぶさってきた。
抵抗すべきなのか。
迷いはした。
社会的、倫理的にはまったく問題はない。
なぜなら、わたしたちはちゃんとした夫婦だから。
だけど、感情的、理性的には……。
わたしたちの間に愛はない。幼馴染という愛情はあっても、夫婦という愛は存在しない。
違う。アントニーにはそれがない。彼が愛しているのは、アナベラなのだから。
わたしではない。
だから、こういうことはあってはならない。
いままでもいまもこれから先も、わたしへの愛はない。彼に抱かれるべきではない。
たった一度の過ちで子どもでも出来てしまったら、それこそ彼の足枷になってしまう。
万が一にも子どもが出来てしまったら、堕ろすつもりはないから。
たとえ一人で育てるようなことになっても、わたしはぜったいに堕ろすようなことはしない。
だからこそ、こんな過ちを許すべきではない。
雷鳴と稲光は、ますますひどくなってゆく。
まるでアントニーの凶行に花を添えるかのように。
わたしは弱い。すべてにおいて弱い。
結局、拒否しなかった。抵抗しなかった。
アントニーを愛しているから。彼が欲しかったから。
嵐の夜、みずから罪を犯した。彼のすべてを受け入れてしまった。
「こんなこと言いたくないんだけど、もしも堕ろすつもりならいまのうちよ。日が経てば経つほど母体に、つまりあなた自身に負担がかかってしまうから」
カーリーはすごく言いにくそうに言った。
友人としてでなく医師としての助言であることが、その表情からよくわかる。
母体に負担がかかる……。
そこではじめて気がついた。
堕ろすつもりはない。たとえ一人になっても産みたいという気持ちはある。アントニーに隠してでも産めばいい。
だけど、産む時期まで生きていられるの?生きていたとしても、産めるだけの体力は残っているの?産める時期まで胎内で小さな生命を育むことが出来るの?
そのことに思いいたった。
ちょっと待って……。
もう一つ気がついた。
先程、カーリーはわたしの症状は懐妊の典型的な症状だと言った。当然、伯父にも同じ症状を申告した。
それなのに、伯父はきいたこともない原因不明の病にかかっていると診断した。その病は、「このオールストン王国では症例が少なく、だから対処のしようがない」ということだった。そして、数日後の診察で伯父は、「隣国の医師に問い合わせ、進行を遅らせる薬があるときいて取り寄せた」と言い、数種類の薬を処方されたのである。
伯父は、さらに告げた。
「この病は、いまのところは不治の病だ。薬を服用したところで、進行を遅らせて症状をじゃっかん緩和出来るかどうかだ。実際のところはどうなるかわからない」
いくら男性医師で産科系に携わっていないとしても、懐妊の典型的な症状を未知なる不治の病と結び付けて診断するのはおかしくないかしら。
「カーリー、堕ろすつもりはないんだけど。不安なことがあるの。ごめんなさい。もう一つ伝えなくてはならないことを伝えていないの」
カーリーに心からの謝罪した後、伯父から診断された未知なる不治の病のことも話をした。
話を進めるにつれ、カーリーの美しいまでの顔が険しくなっていく。
彼女の眉間に、皺が刻みこまれていく。