好きとか愛とか
温もりを感じるのは、壱矢の体温が残っているからか、私のものだけなのか…。
そんなことが何故か頭に浮かんだ。
しばらくぼんやりしてからソファを降り、髪を結わえ直して身だしなみを整える。
膝掛けを畳んで片付けている間に壱矢が本を返し、カウンターのすき後そばで足を止めた。

 「じゃあ帰ろうか」

絶対そう来ると思っていた。
朝もそんなことを言っていたし、それに同じ家に帰るのだから一緒に帰る選択肢は当然生まれる。
けれどそれに乗ることは出来ない。

 「私この後先生に訊きたいことがあるので。先に帰ってください」

一番現実味のある嘘を瞬時に思い付いた自分に拍手したいくらいだった。
これなら一緒に帰らなくても不自然に思われない。

 「いや、待ってる」

だが壱矢は引いてくれない。
え、なんで?
そんなの必要ないから。

 「でも、かなり遅くなると思いますし、帰りも先生が送ってくれますので大丈夫です。なので、待たないでください」

これならどうだ。
先生が送ってくれるとなればそれほど安心なものはないだろう。
なるだけ嘘であることを嗅ぎ取らせないように壱矢から目を逸らさず、滲み出るだろう後ろ暗さも努めて消していく。
そうやって見つめ合うみたいに視線を絡ませ、瞳の奥の奥を覗かれる手前で壱矢が目を逸らせた。

 「わかった。じゃあ家で待ってる」

待たれるのは困る。
約束できない。

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