好きとか愛とか
なにも、
なにも感じない。
ただ気分がいい、楽だということ以外何も感じなかった。
家でいるときのような、常に比較対照となって自分が劣っていることを突きつけられる生活から解放され、ただだ安堵している。
いい気分でもなく窮屈だと思っていたが、どうやらそれは体感していた以上だったようだ。
こんなに落ち着くとは思っていなかった。

たった数時間離れただけなのに。
学校に来ている時だって家から離れているのに、それとはまた違う解放感。
いつもは家にいる時間に一人だからだろうか。
いや、それなら同じように出掛けている時もこの解放感を得ているはず。
じゃあどうして…。

 「帰らなくても、いいからだ…」

出掛けているときは必ず帰らなければ行けない拘束が着いている。
でも今は、帰らなくてもいい。
だからこんなにも気持ちが楽なのだ。

母を嫌ってなどいない。
たった一人の家族、母親なのだから大切に決まっている。
奥津一家にしても恨んでいるわけでないし、居心地が悪いだけで嫌いでもない。
経済的にも母の心労や幸せのためにも、母が楽になる人生を与えてくれたことに感謝もしている。
でも、それと引き換えにするにはあまりにもあまりにも────
言葉にならない気持ちが込み上げて、胸に強烈な痛みが走る。
胸元に手を当て、痛みの根元を宥めようとしたそのとき、

 「壱っ!?」

背後から声をかけられ、慌ただしくドアが開いた。
ビクッとなって上体を起こし、ドアの方へ目をやるとそこには壱矢らしき人が立っていた。
自然の光だけでは顔までは確認できないけれど、声色はもう聞きなれてしまっている壱矢のもの。

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