好きとか愛とか
知らず知らずのうちに作っていた握りこぶしを緩め、両手をだらんと垂れ下げる。
そんなこといいですと言っている壱矢の前へ立ち、深々と頭を下げた。
これ見よがしすぎたのだろうか。
壱矢がそれを阻んであたしの頭を上げさせた。

 「先輩、今日は愛羅ちゃんのお迎えも私の迎えも、ありがとうございました。ご迷惑をお掛けしました」

役立たずですみませんとつけ添えてやればよかった。
壱矢は苦笑して私を見つめ、「どういたしまして」と答える。
見届けたところで母がリビングへ入っていった。
義理の妹は既にテレビを観ていて、クスクス笑っているのが聞こえる。
恭吾さんはまだ帰っていないらしい。
よかった。
今日は壱矢以外の男に関わるには、荷が重すぎる。

 「これ。すみません、洗って返したかったんですが、明日も学校ですし、このままで」

二人だけになったタイミングで壱矢に声をかけ、羽織っていたブレザーを脱いで彼に返した。
手を離したとき同様に、温度が逃げていくのを感じる。

 「いいよそんなの。それより、何かあったら言えよ」

なにかってなんですか?

 「大丈夫です」

私は大丈夫なんです。
なにもなかったんだし、いままでだってこれからだって、なにもないんだから。
なにも、ないんだから。

脱衣所へ入った私はむしり取るように制服を脱ぎ、靴下も下着もなにもかも乱雑に洗濯機へ投げ入れた。
それから浴室へ入ってシャワーを出し、熱いお湯を勢いよく頭からかける。
首筋で痛みを感じたのは、カッターの刃先が当たった時に出来た傷だろう。
上から順番に、お湯の触れた傷が痛みを訴えてきた。

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