就活か魔王か!? 殺虫剤無双で愛と世界の謎を解け!~異世界でドジっ子と一緒に無双してたら世界の深淵へ~
3-21. エステルの決断
しばらく行くと小さな倉庫のようなところがあった。ミネルバは扉を開け、中から大きな筒を出してきて俺に渡した。
「はい、粘着ゴム銃よ」
「え? 何に使うんですか?」
「これは外壁に亀裂が入った時に応急処置するためのゴム銃なの。撃つとゴムが広がってビチャッと引っ付くのよ」
「衝突して裂けた外壁に撃つんですか?」
「まぁ……、気休め程度だとは思うわ……」
ミネルバは渋い顔をして、ヒゲもだらんと下がった。
俺たちは衝突予定箇所へと急ぐ。
動画を見ていると、シャトルのカメラが何かの明かりをとらえ、直後に爆発炎上して映像が途切れた。
レーダーの画像を見ていると、針路はほとんど変わっていない。やはりダメかと落胆しかけた時、急に針路が大きく変わった。なぜだかわからないが、これなら衝突は回避できそうである。
「どう? 上手くいった?」
走りながらミネルバが魔王と通信している。
「うん、うん。やったじゃない!」
弾む声が聞こえ、ミネルバは立ち止まる。
どうやら上手くいったようだ。これで危機は回避できたという事だろう。一安心だ。
◇
この少し前にエステルはシステムに回答をしていた。
『ミネルバとソータ、二名に重大な命の危険があります。衝突回避しますか? はい/いいえ』
これに対してエステルが押した先はなんと『はい』だった。エステルは生まれて初めてマリアンに逆らったのだった。
「うわぁぁ!」
激しい頭痛がエステルを襲い、エステルは椅子から転げ落ちてのたうち回る。マリアンの命令に背いた罰は苛烈なものだった……。
エステルはなぜ自分がそんな事をしたのか全く分からなかった。でも、薄れゆく意識の中で、絶対に譲れない大切なものを守った充実感にエステルは満足していた。
◇
俺はそんなことになっているなんて全く気が付かずに、ただ漫然と喜んでいた。
ところが……。
「え? コンテナ……? 十五階の五十番辺り……。外壁は耐えられるの? ……。いやちょっとそこ重要なんだけど……。うん……、うん……。仕方ないわね……。分かった……」
ミネルバは暗い声で通話を切ると、逆方向に走り出して言った。
「場所が変わったわ、ついてきて!」
「ど、どうなったんですか?」
「貨物船は回避できたんだけど、積み荷が散乱してコンテナの一つが衝突軌道上にあるそうなのよ」
「コンテナなら耐えられますか?」
「積み荷によるから分かんないって……」
「そんなぁ……」
「急ぎましょ! 衝突までもう時間がないわ!」
一難去ってまた一難。コンテナが衝突してくるのはもう確定らしい。外壁が耐えてくれるかどうか……。俺は暗い想いに押しつぶされそうになりながらミネルバの後を追った。
「ハァハァ……。ここよ、準備して! 来るわよ!」
ミネルバは粘着ゴム銃のロックを外しながら言った。
目の前に広がるのっぺりとした漆黒の壁。ここにコンテナがすごい速度で突っ込んでくる……らしい。大穴を開けられたらこの星は終わりだ。エステルもみんなもこの世から消え去ってしまう。俺にできることは穴が小さかった場合、ふさぐことだけだ。ゴム銃のロックをガチャッと外し、俺も構えた。
「あと三十秒!」
ミネルバが叫び、いよいよ秒読みが始まった。
「十、九、八、……」
何億人もの人たちの命運が決まる瞬間がやってくる……。
俺は心臓がバクバクとかつてないほどの音を立てて鼓動してるのを聞いた。数日前まで就活でリクルートスーツを着ていた学生が、世界を守るため、愛する人を守るために海王星でゴム銃を構えている。
どうしてこうなった?
俺はこの数奇な運命に苦笑いをし、ゴム銃をもう一度構え直した。
3-22. 失われた未来
「三、二、一、来るわよー!」
ズーン!
激しい衝撃音がして床が揺れ、亀裂がブワッと広がった。
「うわぁ!」
噴き出してくる氷点下二百度のガスが真っ白なキリとなり、一気に視界を奪う。
ガンガンガン!
俺は亀裂が発生した辺りへ向けて粘着ゴム弾を撃ち続ける。
「どんどん撃って!」
ミネルバが檄を飛ばす。
「やってます!」
吹き付けてくる超低温のガスで顔の表面がパリパリと凍っていくのが分かるが、そんなのを気にしている場合じゃない。何億人もの人たちの命がこの一発一発にかかっているのだ。俺は必死に撃ち続けた。
ガンガンガン!
徐々に噴出ガスが減ってくる。
「何とかなりそうね!」
ミネルバの明るい声が響いた。
「良かったですよー!」
俺はホッとしながらゴム弾のカートリッジを交換し、さらに追加で撃っていった。
と、その時だった、急に照明が落ち、真っ暗になる。
「えっ!?」
直後、俺は意識を失った……。
◇
目を覚ますと……、薄暗い天井が見えた。
「あれ……?」
ショボショボする目をこすりながら起き上がり、辺りを見回す……。
そこは俺の部屋だった。
「え……?」
ミネルバは? 異世界の星は? エステルは?
全てを思い出し、愕然とした。
え? あの後どうなったの?
ベッドから飛び降りると、鏡の所へ行ったが、鏡面は硬い。
急いで【φ】の文字を書いてトントンと叩いた……が、何も起こらない。
「えっ!? なんでだよ!」
何度も何度も【φ】を書いた。
しかし、鏡はいつまで経ってもただの鏡だった。
なぜだ? 亀裂は解決できてたじゃないか。なぜ、俺だけ日本に戻された?
いきなり日本に戻されたということは、海王星でのミッションが失敗したからとしか考えにくい。それはすなわち……、ミネルバの星の消滅……。
エステルもミネルバももうこの世にいないってこと……?
全身の血の気がサーっと引いていくのを感じ、ひざから崩れ落ちた。
「え……、まさか……、そんなことないよなぁ!? おい……、エステルぅ……」
涙をポトポトと落とし、鏡をバン!と叩いた。
「うわぁぁぁ……」
床に崩れ、無様に泣き続けた。
全てを失ってしまった。サーバーは壊れてしまったのだ。もう異世界はこの世にないのだろう。エステルもみんなももう消えてしまったのだ。
「ぐぁぁぁ……」
もうすべてが嫌になった。就活地獄を強いるこのクソッタレな日本社会も、マリアン一人に滅ぼされてしまうぜい弱な異世界も、エステルに大切なことも言えずに失ってしまった俺のいい加減な生き方も全てにウンザリだった。
「あぁぁぁ……、いっそ俺も殺してくれよ……」
そのまま床にあおむけに寝転がると、ぼんやりと薄暗い天井を見ながら、ただただ涙を流し続けた。もう何も頭に浮かばなかった。
もう壊れてしまったように、床を濡らし続けた。
◇
涙が枯れた頃、俺はスマホを取り出して先輩に電話をかけた。しかし、出ない……。
俺はメッセンジャーでメッセージを送る。
『ごめんなさい、世界を救うのに失敗しました。もう一度チャンスをもらえませんか?』
しかし、既読スルーだった。失敗した者はもう要らないという事だろうか。俺は先輩にも捨てられてしまったのだ。
ベッドに横になり、一縷の望みを託し、スマホを抱いて寝る。
薄れゆく意識の中で、今後どうやって生きていったらいいか考えていた。異世界が無くなったなら、もう一度就活を始めないといけないのかもしれない。でも、今さら就活? 世界一つ滅ぼし、何億人も殺しておいて自分は就活かよ……。
エステルに会いたい。エステルのあの屈託のない笑顔に癒されたい。
「エステルぅ……」
俺は、ズタズタになった心を抱え、意識が薄れていった。
3-23. 足りなかった運
目を覚ますと真っ暗だった。
グゥギュルギュル……。
お腹が鳴る。
こんな時でも腹は減るのだ。
ひどい顔をしながらゆっくりと起き上がると、ジャケットを羽織って街へと向かう。
行くあてもなく、フラフラ歩くうちに、エステルと行ったイタリアンに足が向いた。
キラキラと水面に灯りをゆらす運河沿いの道をトボトボと歩いていくと、温かな照明の点るレストランが見えてくる。
ガラス窓をのぞくと、ピザ釜にはあの時と同じように火が入っていた。
「こんにちは~」
店に入り、エステルと座った窓際の席をお願いした。
そして、エステルと食べた時と同じメニューを注文する。
スパークリングワインで献杯し、一口含む。あの時と同じ味なはずだが……ひどく苦い。
俺は黙々と思い出の料理を味わい、あの時、エステルと何を話したかを一つ一つ丁寧に思い出し、ポトリと涙を落した。
「エステル……」
エステルと過ごした時間がこんなにも大切なものだったなんて、当時は全然わかってなかった。俺はポトポトと涙をこぼし、頭を抱えた。
「ここ、いいかしら?」
急に声をかけられ、顔をあげると、美奈先輩がいた。
俺は急いで涙をぬぐうと、
「ど、どうぞ」
と、答えた。
「すみませーん! 私にも同じワインを」
先輩はお店の人に声をかけた。
「ひどい顔ね……、残念だったわね」
先輩は俺を見て言った。
「あの星は無くなっちゃったんですか?」
「そう、残念だけどね……」
先輩は淡々と言う。
「亀裂は上手くふさいでましたよね? 何がマズかったんですか?」
「別のコンテナが送電線を切っちゃったのよ。電源が全部落ちて全てパァよ」
先輩は肩をすくめる。
「送電線!? そんなの俺のせいじゃないですよね!?」
「そうね、ソータはよくやったと思うわ。でも、運が……足りなかったかな?」
「運……」
俺は心底ウンザリしてうなだれた。
ワインが運ばれてきて、先輩は美味しそうに飲んだ。
「あの星を復活は出来ないんですか?」
「うーん、できない事もないけど、もともと停滞してたし復活させる価値なんてあるかしら?」
そう言いながら、先輩はブルスケッタをつまんでほお張る。
「え!? じゃ、どうするんですか?」
「……。新しい星を作るわ。縄文時代くらいからやり直し」
「そ、そんな。エステルは? みんなは見殺しですか?」
「見殺しになんてしないわよ。縄文人として赤ちゃんから再スタートよ」
「じょ、縄文人……。エステルも縄文人ですか?」
「そう、かわいい赤ちゃんになると思うわ」
そう言ってニッコリと笑い、一口ワインを含んだ。
「俺の事なんてすっかり忘れて転生ですか……」
俺は頭を抱えてうなだれた。
先輩は肉を一切れフォークで刺すと、
「だからプロポーズを急げって言ったのよ」
そう言って美味しそうにほお張った。
「え!?」
「結婚してたら日本人としてこっちに連れてこれたのにね」
「い、今からじゃダメですか?」
俺は身を乗り出して必死になって聞いた。
「んー、あの子記憶全部消されちゃったからね。今プロポーズしても逃げられちゃうわよ?」
「え!?」
唖然とした。マリアンめ、そこまでやるのか……。
俺と過ごしたあの濃密な日々はもう俺の中にしかないらしい……。
俺は言葉を失い、ガックリとして動けなくなった。
「可愛い女の子なんていくらでもいるじゃない。異世界の、それも人造人間にそこまでこだわらなくてもいいんじゃないの?」
先輩はピザをつまみながら言った。
理屈ではそうかもしれない。しかし、『ソータ様』と言ってニッコリと笑うあの可愛い娘がいいのだ。忘れられないのだ。
「うっ……、うっ……、うぅ……」
俺はエステルを思い出し、またポタポタと涙を流した。
「ちょっと! まるで私が泣かせてるみたいじゃない……」
先輩は慌てて周りを見る。
「そもそも、なぜ先輩は助けてくれなかったんですか?」
俺は涙声で聞いた。
「女神は世界を作るのが仕事、基本干渉はしないわ。星で生まれた人たちが紡ぎだすオリジナリティあふれる文化・文明を邪魔しちゃダメなのよ」
「マリアンの人造人間もOKですか?」
「あれ、面白いと思うわよ。もちろん、エステルみたいな人だらけの社会はつまんなくなるけど、その過程や、つまんなくなった結果どうなるかは興味深いわ」
俺は絶句した。この人にとっては非人道的な試みすら楽しみなのだ。
3-24. 最後の賭け
「今回は残念だったわね。それじゃ就活頑張って! そろそろ行くわ」
先輩はそう言って立ち上がる。
ヤバい、全てが終わってしまう。
俺も急いで立ち上がり、先輩の腕をつかむ。
「ごめんなさい、どうしてももう一度エステルに会いたいんです。会わせてもらえませんか?」
すがりつくように言った。
「だから、彼女は記憶ないって言ってるじゃない」
先輩は俺の手を振り払い、あきれたように言う。
「なくてもいいんです、会わせてください!」
俺は必死に頭を下げた。もう俺の心の中にはエステルがたくさん沁み込んでしまっている。エステルなしには生きていけないのだ。
「君がそこまで入れ込んじゃうとはねぇ……。でも、記憶ない以上、無理なものは無理よ」
先輩は肩をすくめ、首を振る。
「じゃあ、賭けをしましょう!」
俺は最後の手に出た。先輩は勝負事が好きなのだ。
「賭け……?」
「エステルにプロポーズします。OKもらえたら異世界を元に戻してください」
「断られたら?」
「何でも言うこと聞きます」
「奴隷になるのでも?」
「もう何だって」
俺は真剣に先輩を見る。先輩は宙を眺め、何かを思案した。そして、
「面白いじゃない。いいわよ」
そう言ってニヤッと笑った。
俺の事を覚えていない人へのプロポーズ。どう考えても勝機はないが、それでもやらない訳にはいかない。
人生をかけた一世一代のプロポーズ、俺は全ての思いをしっかりとぶつけようと心に誓った。
「じゃあ、彼女呼ぶわよ」
「あ、呼ぶならあそこでお願いします。あの、地面が鏡みたいになってるところ」
「ウユニ塩湖?」
「そうです、そうです。魔物倉庫行く途中で見かけたので」
人生最大の賭けになる場所くらい、我がままを聞いてもらいたい。
「いいわよ。じゃぁウユニへ送るわ。奴隷になる覚悟はいい?」
先輩は意地悪な顔で言う。
「いつでもOKです。先輩こそ異世界を戻す準備しておいてくださいよ」
俺はニヤッと笑った。
勝ち目のない賭けだったが、俺はエステルに会える喜びで胸がいっぱいになった。
◇
気が付くと俺は、見渡す限り広大な鏡の上にいた。正確には止まった水面なのだが、水面は夕暮れの太陽や茜色に染まる雲たちを反射し、水平線はるかかなたまで美しい空を映し出していた。
「うわぁ、綺麗ですぅ!」
気が付くと隣にはエステルがいた。
サラサラとした金髪に深い青をたたえた碧眼、少し幼さを残した美しい顔の透き通る白い肌に、俺はつい見入ってしまう。例え奴隷になったとしてもまた会えてよかった。俺は湧き出してくるうれしさに思わずほおが緩んだ。
「エステル……」
俺が声をかけると、エステルはこちらを向く。そして、クリッとした目で俺をジッと眺め……、
「どちら……様です?」
と、首をかしげて言った。
「この四日間、エステルと一緒に冒険をしてきたソータだよ」
俺は優しく言った。
「四日……? あれ? 私は何してたですか? 思い出せないですぅ……」
エステルは不思議そうに首をひねる。
「ダンジョン行ったらエステルがゴブリンに襲われていてね、一生懸命戦って助けたんだよ」
「えっ!? 私は大丈夫だったですか?」
丸い目をして驚くエステル。
「大丈夫、ちゃんと守ったんだ」
俺はしみじみと当時の事を思い出しながら優しく答えた。
「ありがとうですぅ」
うれしそうなエステル。
「その後、一緒に冒険したら、スライムにエステルが食べられちゃってねぇ……」
「えっ!? 私やられ過ぎじゃないです?」
「大丈夫、また助けたんだ」
「ありがとうですぅ……」
俺はさらに、ワナに何度も落ちたこと、毒矢にやられて死にそうになったことなどを伝えた。
「なんだかすごく迷惑かけちゃいました……」
エステルは恐縮する。
と、その時、エステルが急に何かに押されたようによろめいた。
「わぁ!」
「おっと危ない!」
俺はエステルを抱きかかえた。
柔らかく温かいエステルの香りが、ほのかに立ち上ってくる。
俺はその大好きな匂いについ、涙がポロリとこぼれた。
「ソ、ソータさん……? ん? ソータ……様?」
「え? 思い出した?」
俺は驚いてエステルの顔を見つめた。
「わからない……、わからないです……。でも、この匂い……好き……」
そう言ってエステルは俺の胸に顔をうずめる。
俺も優しく抱きしめる。息とともに緩やかに揺れるエステルの温かさを、俺は全身で感じていた。
3-25. 言い損ねてたプロポーズ
「エステル……俺は君に言い損ねていたことがある」
「なんです?」
「俺はこの四日間エステルと一緒に命がけの冒険をしてきた。そして気が付いたんだ。これからもずっとエステルと一緒に人生を歩んでいきたい。エステルじゃないとダメなんだ」
「え?」
どういうことか分からず、怪訝そうなエステル。
俺は大きく息をつき、しっかりとエステルの目を見て言った。
「結婚……、してくれないか?」
「はぁっ!?」
面食らってポカンとするエステル。
「俺は一生エステルを大切にする。だから考えて欲しい」
俺は微笑みながらも涙をたたえた目で言った。
エステルが驚き、固まり……。そしてゆっくりと首を振りながら後ずさりする。
やっぱりだめか……。そりゃそうだよな……。
俺は耐えられず、目をつぶり、大きくため息をついた。
これで奴隷決定……。人生終わった。
でも、最後にエステルに会えてよかった。もう悔いはないな……。
俺はぼーっと涙でゆがむエステルを見つめていた。
と、その時、いきなりエステルが金色に光り輝いた。
「うわぁ!」
俺はまぶしさに目がくらみ、よろよろと後ずさる。一体何がどうなったのか? エステルは無事なのか?
夕闇のウユニ塩湖に輝く黄金の光、それは水面に反射され、まばゆい光の筋がいくつも天へ向かって伸び、辺り一面に荘厳な雰囲気を醸し出した。
やがて光は徐々に弱まり、また静かな夕闇が戻ってくる。
そっと目を開けると、そこには大人の女性が目を閉じて立っていた。立派なブロンドをたたえ、身長も俺と同じくらいだ。
「え? 誰?」
俺が驚いていると、女性は目をゆっくりと開く。深い青をたたえた美しい碧眼だった。
「も、もしかして……」
すると、彼女はニコッと笑って言った。
「呪いが解けたわ、ありがと」
「え? 呪い?」
「そうよ、マリアンによってかけられた呪い……、新人類の呪いよ」
「え? じゃあ、もう人間……、これが本当のエステル?」
「そうよ、これが本当の私……、人間の私だわ」
俺は圧倒された。まさか、エステルがいきなりしっかりとした大人の女性になってしまうとは、全く予想もしていなかった。
「私、今までの私じゃないわよ。疑うし、嫉妬するし、計算高いわよ。マスコットみたいな都合のいい女じゃないわ。浮気なんかしたら殺しちゃうわよ?」
エステルはそう言って鋭い目で俺を見る。
俺は大きく深呼吸をし、言った。
「でも、心はエステルのままなんだろ?」
エステルは目をつぶり、一呼吸置くと、
「ふふっ、そうですよ」
と、ニッコリと笑って言った。
「なら、想いは変わらない。どうか僕と結婚してください」
俺はポケットからダイヤモンドの指輪を出すと、ひざまずき、エステルにささげた。
エステルはしばらく指輪を眺め、小さな声でゆっくりと言った。
「私、人間になってもドジなままですよ?」
「大丈夫です」
「私、もう二十七歳なんです」
「年上大好きです」
「これからもいっぱい迷惑かけちゃうですよ?」
「かけてください。二人で一緒に解決しましょう」
エステルは目をつぶり、涙をポロリとこぼした。そして、
「うっ、うっ、うっ……」
と、嗚咽するエステル。
俺は立ち上がり、震える彼女をそっと抱きしめた。
そして、耳元で、
「僕の……、お嫁さんになってください」
と、優しく言った。
美しい茜色の空が広がり、夕陽が水平線の上で最後の輝きを放つ。
エステルはうなずくと、
「はい……、お願いします……」
そう言って、涙いっぱいの目で幸せそうに頬を緩ませた。
「もう二度と離さないよ……」
「ずっと一緒ですぅ……」
二人は離れていた時間を取り戻すかのように、きつくお互いを抱きしめた。
助け合い、一緒にあがき続けた濃密な時間で深まっていた愛は今、形を持って二人を結びつけた。
3-26. 新しい管理者
パン! パン!
クラッカーが鳴らされる。
周りを見ると、先輩や先輩の会社の神様たちがいて拍手をしてくれている。
「やるじゃない、おめでとう!」
先輩がにこやかに言った。
「あ、ありがとうございます」
エステルは先輩を見ると恐縮し、恥ずかしそうに、
「あ、ありがとうです……」
と、言った。
と、その時、ポン! と音を立ててエステルのブラウスのボタンが飛んだ。子供用の服ではもう彼女の豊満なボディを包み切れなかったのだ。
豊かな胸が飛び出してしまいそうになり、
「キャー!」
と、エステルはかがんだ。すると、あちこちがビリビリっと音を立てて破れた。
「いやぁ! うわぁぁん!」
慌てふためくエステル。
「もう、しょうがないわねぇ」
先輩はそう言うと、パチンと指を鳴らす。
すると、エステルの服は純白のウェディングドレスになり、俺は白のタキシードに変わった。
「えっ?」「あわわ!」
いきなりの事で驚いたが、ウェディングドレスはマーメイドラインの大人びたエレガントな物で、長身のエステルにピッタリと似合い、花をあしらった純白のレースが華やかさを演出して、思わず見ほれてしまった。
「美しい……」
俺がつぶやくと、
「うふふ、夢みたいですぅ」
と言ってエステルは幸せそうに顔をほころばせた。
ドレスのすそが濡れちゃうのではと心配したが、しっかりと防水してあって綺麗に水面に浮いていた。
「写真撮影しましょ。前撮りよ、前撮り!」
そう言って先輩はエステルに近づくと、髪の毛を器用に整え、大きな花の髪飾りを編み込んだ。そして、最後に手早く化粧を施して、
「はい、それじゃ並んで~!」
そう言って、先輩は俺とエステルを並ばせる。
「はい、笑って笑って~! チーズ!」
美しいウユニ塩湖の夕景をバックにiPhoneで写真をパチパチと撮った。
俺とエステルは見つめ合う。自然と笑みが浮かんでしまう
「はい、じゃ、キスして~」
先輩は無茶振りする。
俺もエステルも驚き、とまどう。
「結婚式ではするんでしょ! はい、恥ずかしがらない!」
先輩がせっついてくる。
俺が困惑していると、エステルが俺の方を向いて目を閉じた。俺も覚悟を決め、そっとくちびるを重ねる。すると、エステルが舌を入れてくる。
え!?
俺は驚いたが、つい合わせてしまう。
二人は舌を絡ませ、想いを確かめ合った。
「はいはい、写真撮影中ですよ!」
盛り上がる二人に先輩は呆れて言う。
すっかり太陽は沈み、茜色から群青への美しいグラデーションが広がる中、俺たちは見つめ合い、幸せに包まれながら微笑んだ。
◇
「ねぇ、ソータ、管理者やらない?」
先輩がいきなり聞いてきた。
「え? それは就職的な意味でですか?」
「まぁ、専業管理者に就職ってことになるでしょうね。マリアンの枠が空いたからミネルバの下で副管理人からね」
「え? 給料とかはどうなるんですか?」
「給料? あんたバカね。管理者ってのはこういう事よ!」
そう言うと先輩は扇子を取り出し、パチンと鳴らした。
すると、空から膨大な数の金貨が山のように降り注ぎ、あっという間に小山を作った。
「うはぁ!」
一瞬で何百億円にも相当する金が出てきたのだ。俺もエステルもビックリ。
「どうするの? やるの? やらないの?」
「やりますやります! やらせてください!!」
「よろしい!」
先輩は扇子でパタパタと仰ぎながらご満悦の様子だった。
そして、一緒に来ていたリーダーの男性に向かって、
「誠! そういうことだから研修に回しておいてね」
そう言ってパチッとウインクする。
「はいはい、美奈ちゃんも毎度強引だなぁ」
男性は苦笑した。そして、俺に向いて、
「じゃあ、いつから研修やる? 明日とかでも大丈夫?」
と、優しく聞いてくる。
「私はいつでも」
「じゃあ、明日朝十時に田町の会社に来てね。担当はあの子」
そう言って男性は水色の髪の女の子を指した。女の子はサムアップしてニヤッと笑う。
「分かりました! お願いします!」
俺は女の子に頭を下げた。
「ちなみに彼女はああ見えて宇宙最強だから覚悟しててね」
男性は耳元でそっと言う。
「宇宙最強!?」
俺は思わず声をあげてしまい、女の子は
「きゃははは!」
とうれしそうに笑い、碧い目をぼうっと光り輝かせた。
なるほど、ただ者ではない……。
「お、お手柔らかにお願いします……」
俺は頭を下げた。
3-27. 限りなくにぎやかな未来
「今から考えると、就活失敗しててよかったですよ」
先輩にそう言うと、
「あー、ソータの応募は全部不採用にしといたのよ」
と、とんでもない事を言い出した。
「えっ!? 先輩が全部落としてたんですか!? ひ、ひどい……」
俺が愕然としてると、先輩はギロっとにらんで言った。
「何? じゃ、今からでもサラリーマンやる? どこの一流企業でも突っ込めるけど?」
「い、いや、管理者の方がいいです!」
「そうでしょ? 嫁さんも紹介してあげたし、感謝しなさい!」
先輩はドヤ顔で言った。
「紹介!? エステルが襲われてるところに繋がったのは、偶然じゃなかったんですか!?」
「そんな都合のいい話、あるわけないでしょ! この子敬虔なのにドジで、襲われちゃってかわいそうだったから、時間止めてあなたの登場待ってたのよ」
「な、なんと……」
俺が言葉を失っていると、エステルは
「女神様! ありがとうございます! 毎日お祈りしててよかったですぅ……」
そう言って先輩に手を合わせた。
「これからも祈りなさいね」
先輩はそう言ってニヤッと笑った。
俺は先輩に祈る意味が良く分からなかった。
「はい、じゃあ解散! あなたたちはここでゆっくりお楽しみタ~イム!」
先輩はそう言って立派なコテージをボンッと出して言った。
赤い夕焼雲がたなびく中、丸太で組まれたコテージは鏡のような水面の上に静かに降りてきて、大きな波紋を作った。ヒノキの爽やかな香りが匂ってくる。
「おぉ、すごい……」
俺が驚いていると、
「このくらいすぐにできるようになるわよ。研修はここの時間で二十時間後。コテージの鏡使って来なさい。じゃ、また明日~」
そう言ってみんなを連れ、そそくさと消えていった。
◇
コテージの中にはダブルベッドがあり広く、快適だった。窓の外を見ると、水平線に残った茜色が弱まり、宵の明星が明るく輝きだしていた。
「綺麗ですぅ……」
隣でエステルが言った。
「今、明かり点けるね。どこだろう?」
俺が動こうとしたら、いきなりエステルに抱き着かれた。
「点けなくていいですぅ」
「えっ?」
驚いていると、エステルがくちびるを重ねてきた。
いきなりで驚いたが、俺も合わせる。
エステルの柔らかいくちびる、チロチロと愛おしそうに動く舌……。
多くの想いを重ね、今、二人はお互いを貪るように舌を絡めた。
少し離れてお互い見つめ合う。
窓から入る明かりがほのかにエステルの顔を照らす。その瞳には涙が浮かんでいた。
「どうしたの?」
「人間って凄いです……」
「えっ?」
「愛しい想いが次々と押し寄せて、おかしくなっちゃいそうです」
「ふふっ、俺も同じだよ」
俺はそっとエステルの頬をなで、微笑んで言った。
「ずっと……、いつまでも一緒に居てくれるです?」
「もちろん」
「約束ですよ?」
「あぁ、約束だ」
エステルはうれしそうに笑うと、またくちびるを重ねてきた。
甘く香るエステルの唾液に脳の奥がツンとする。
俺はエステルをきつく抱きしめ、エステルの想いに応えた。
心の底から愛しい想いがどんどん湧いてきて、俺は限りない幸せに包まれる。
そして、俺は手探りでウェディングドレスのファスナーに手をかけると丁寧に脱がし、エステルをそっとベッドに横たえた。
トロンとした切なそうな目をして両手を俺に広げるエステル。俺もタキシードを脱いで柔らかなエステルの上に重なる……。
そうか、俺はこの娘を愛するために生まれてきたんだな……。ほとばしる熱情に流されながら、俺は生まれて初めて人生の意味を理解した。
こうして、俺の限りなくにぎやかな新生活が始まった。
窓の向こうにはくっきりと天の川が流れ、愛を深める二人をほのかに照らしていた。
了
「はい、粘着ゴム銃よ」
「え? 何に使うんですか?」
「これは外壁に亀裂が入った時に応急処置するためのゴム銃なの。撃つとゴムが広がってビチャッと引っ付くのよ」
「衝突して裂けた外壁に撃つんですか?」
「まぁ……、気休め程度だとは思うわ……」
ミネルバは渋い顔をして、ヒゲもだらんと下がった。
俺たちは衝突予定箇所へと急ぐ。
動画を見ていると、シャトルのカメラが何かの明かりをとらえ、直後に爆発炎上して映像が途切れた。
レーダーの画像を見ていると、針路はほとんど変わっていない。やはりダメかと落胆しかけた時、急に針路が大きく変わった。なぜだかわからないが、これなら衝突は回避できそうである。
「どう? 上手くいった?」
走りながらミネルバが魔王と通信している。
「うん、うん。やったじゃない!」
弾む声が聞こえ、ミネルバは立ち止まる。
どうやら上手くいったようだ。これで危機は回避できたという事だろう。一安心だ。
◇
この少し前にエステルはシステムに回答をしていた。
『ミネルバとソータ、二名に重大な命の危険があります。衝突回避しますか? はい/いいえ』
これに対してエステルが押した先はなんと『はい』だった。エステルは生まれて初めてマリアンに逆らったのだった。
「うわぁぁ!」
激しい頭痛がエステルを襲い、エステルは椅子から転げ落ちてのたうち回る。マリアンの命令に背いた罰は苛烈なものだった……。
エステルはなぜ自分がそんな事をしたのか全く分からなかった。でも、薄れゆく意識の中で、絶対に譲れない大切なものを守った充実感にエステルは満足していた。
◇
俺はそんなことになっているなんて全く気が付かずに、ただ漫然と喜んでいた。
ところが……。
「え? コンテナ……? 十五階の五十番辺り……。外壁は耐えられるの? ……。いやちょっとそこ重要なんだけど……。うん……、うん……。仕方ないわね……。分かった……」
ミネルバは暗い声で通話を切ると、逆方向に走り出して言った。
「場所が変わったわ、ついてきて!」
「ど、どうなったんですか?」
「貨物船は回避できたんだけど、積み荷が散乱してコンテナの一つが衝突軌道上にあるそうなのよ」
「コンテナなら耐えられますか?」
「積み荷によるから分かんないって……」
「そんなぁ……」
「急ぎましょ! 衝突までもう時間がないわ!」
一難去ってまた一難。コンテナが衝突してくるのはもう確定らしい。外壁が耐えてくれるかどうか……。俺は暗い想いに押しつぶされそうになりながらミネルバの後を追った。
「ハァハァ……。ここよ、準備して! 来るわよ!」
ミネルバは粘着ゴム銃のロックを外しながら言った。
目の前に広がるのっぺりとした漆黒の壁。ここにコンテナがすごい速度で突っ込んでくる……らしい。大穴を開けられたらこの星は終わりだ。エステルもみんなもこの世から消え去ってしまう。俺にできることは穴が小さかった場合、ふさぐことだけだ。ゴム銃のロックをガチャッと外し、俺も構えた。
「あと三十秒!」
ミネルバが叫び、いよいよ秒読みが始まった。
「十、九、八、……」
何億人もの人たちの命運が決まる瞬間がやってくる……。
俺は心臓がバクバクとかつてないほどの音を立てて鼓動してるのを聞いた。数日前まで就活でリクルートスーツを着ていた学生が、世界を守るため、愛する人を守るために海王星でゴム銃を構えている。
どうしてこうなった?
俺はこの数奇な運命に苦笑いをし、ゴム銃をもう一度構え直した。
3-22. 失われた未来
「三、二、一、来るわよー!」
ズーン!
激しい衝撃音がして床が揺れ、亀裂がブワッと広がった。
「うわぁ!」
噴き出してくる氷点下二百度のガスが真っ白なキリとなり、一気に視界を奪う。
ガンガンガン!
俺は亀裂が発生した辺りへ向けて粘着ゴム弾を撃ち続ける。
「どんどん撃って!」
ミネルバが檄を飛ばす。
「やってます!」
吹き付けてくる超低温のガスで顔の表面がパリパリと凍っていくのが分かるが、そんなのを気にしている場合じゃない。何億人もの人たちの命がこの一発一発にかかっているのだ。俺は必死に撃ち続けた。
ガンガンガン!
徐々に噴出ガスが減ってくる。
「何とかなりそうね!」
ミネルバの明るい声が響いた。
「良かったですよー!」
俺はホッとしながらゴム弾のカートリッジを交換し、さらに追加で撃っていった。
と、その時だった、急に照明が落ち、真っ暗になる。
「えっ!?」
直後、俺は意識を失った……。
◇
目を覚ますと……、薄暗い天井が見えた。
「あれ……?」
ショボショボする目をこすりながら起き上がり、辺りを見回す……。
そこは俺の部屋だった。
「え……?」
ミネルバは? 異世界の星は? エステルは?
全てを思い出し、愕然とした。
え? あの後どうなったの?
ベッドから飛び降りると、鏡の所へ行ったが、鏡面は硬い。
急いで【φ】の文字を書いてトントンと叩いた……が、何も起こらない。
「えっ!? なんでだよ!」
何度も何度も【φ】を書いた。
しかし、鏡はいつまで経ってもただの鏡だった。
なぜだ? 亀裂は解決できてたじゃないか。なぜ、俺だけ日本に戻された?
いきなり日本に戻されたということは、海王星でのミッションが失敗したからとしか考えにくい。それはすなわち……、ミネルバの星の消滅……。
エステルもミネルバももうこの世にいないってこと……?
全身の血の気がサーっと引いていくのを感じ、ひざから崩れ落ちた。
「え……、まさか……、そんなことないよなぁ!? おい……、エステルぅ……」
涙をポトポトと落とし、鏡をバン!と叩いた。
「うわぁぁぁ……」
床に崩れ、無様に泣き続けた。
全てを失ってしまった。サーバーは壊れてしまったのだ。もう異世界はこの世にないのだろう。エステルもみんなももう消えてしまったのだ。
「ぐぁぁぁ……」
もうすべてが嫌になった。就活地獄を強いるこのクソッタレな日本社会も、マリアン一人に滅ぼされてしまうぜい弱な異世界も、エステルに大切なことも言えずに失ってしまった俺のいい加減な生き方も全てにウンザリだった。
「あぁぁぁ……、いっそ俺も殺してくれよ……」
そのまま床にあおむけに寝転がると、ぼんやりと薄暗い天井を見ながら、ただただ涙を流し続けた。もう何も頭に浮かばなかった。
もう壊れてしまったように、床を濡らし続けた。
◇
涙が枯れた頃、俺はスマホを取り出して先輩に電話をかけた。しかし、出ない……。
俺はメッセンジャーでメッセージを送る。
『ごめんなさい、世界を救うのに失敗しました。もう一度チャンスをもらえませんか?』
しかし、既読スルーだった。失敗した者はもう要らないという事だろうか。俺は先輩にも捨てられてしまったのだ。
ベッドに横になり、一縷の望みを託し、スマホを抱いて寝る。
薄れゆく意識の中で、今後どうやって生きていったらいいか考えていた。異世界が無くなったなら、もう一度就活を始めないといけないのかもしれない。でも、今さら就活? 世界一つ滅ぼし、何億人も殺しておいて自分は就活かよ……。
エステルに会いたい。エステルのあの屈託のない笑顔に癒されたい。
「エステルぅ……」
俺は、ズタズタになった心を抱え、意識が薄れていった。
3-23. 足りなかった運
目を覚ますと真っ暗だった。
グゥギュルギュル……。
お腹が鳴る。
こんな時でも腹は減るのだ。
ひどい顔をしながらゆっくりと起き上がると、ジャケットを羽織って街へと向かう。
行くあてもなく、フラフラ歩くうちに、エステルと行ったイタリアンに足が向いた。
キラキラと水面に灯りをゆらす運河沿いの道をトボトボと歩いていくと、温かな照明の点るレストランが見えてくる。
ガラス窓をのぞくと、ピザ釜にはあの時と同じように火が入っていた。
「こんにちは~」
店に入り、エステルと座った窓際の席をお願いした。
そして、エステルと食べた時と同じメニューを注文する。
スパークリングワインで献杯し、一口含む。あの時と同じ味なはずだが……ひどく苦い。
俺は黙々と思い出の料理を味わい、あの時、エステルと何を話したかを一つ一つ丁寧に思い出し、ポトリと涙を落した。
「エステル……」
エステルと過ごした時間がこんなにも大切なものだったなんて、当時は全然わかってなかった。俺はポトポトと涙をこぼし、頭を抱えた。
「ここ、いいかしら?」
急に声をかけられ、顔をあげると、美奈先輩がいた。
俺は急いで涙をぬぐうと、
「ど、どうぞ」
と、答えた。
「すみませーん! 私にも同じワインを」
先輩はお店の人に声をかけた。
「ひどい顔ね……、残念だったわね」
先輩は俺を見て言った。
「あの星は無くなっちゃったんですか?」
「そう、残念だけどね……」
先輩は淡々と言う。
「亀裂は上手くふさいでましたよね? 何がマズかったんですか?」
「別のコンテナが送電線を切っちゃったのよ。電源が全部落ちて全てパァよ」
先輩は肩をすくめる。
「送電線!? そんなの俺のせいじゃないですよね!?」
「そうね、ソータはよくやったと思うわ。でも、運が……足りなかったかな?」
「運……」
俺は心底ウンザリしてうなだれた。
ワインが運ばれてきて、先輩は美味しそうに飲んだ。
「あの星を復活は出来ないんですか?」
「うーん、できない事もないけど、もともと停滞してたし復活させる価値なんてあるかしら?」
そう言いながら、先輩はブルスケッタをつまんでほお張る。
「え!? じゃ、どうするんですか?」
「……。新しい星を作るわ。縄文時代くらいからやり直し」
「そ、そんな。エステルは? みんなは見殺しですか?」
「見殺しになんてしないわよ。縄文人として赤ちゃんから再スタートよ」
「じょ、縄文人……。エステルも縄文人ですか?」
「そう、かわいい赤ちゃんになると思うわ」
そう言ってニッコリと笑い、一口ワインを含んだ。
「俺の事なんてすっかり忘れて転生ですか……」
俺は頭を抱えてうなだれた。
先輩は肉を一切れフォークで刺すと、
「だからプロポーズを急げって言ったのよ」
そう言って美味しそうにほお張った。
「え!?」
「結婚してたら日本人としてこっちに連れてこれたのにね」
「い、今からじゃダメですか?」
俺は身を乗り出して必死になって聞いた。
「んー、あの子記憶全部消されちゃったからね。今プロポーズしても逃げられちゃうわよ?」
「え!?」
唖然とした。マリアンめ、そこまでやるのか……。
俺と過ごしたあの濃密な日々はもう俺の中にしかないらしい……。
俺は言葉を失い、ガックリとして動けなくなった。
「可愛い女の子なんていくらでもいるじゃない。異世界の、それも人造人間にそこまでこだわらなくてもいいんじゃないの?」
先輩はピザをつまみながら言った。
理屈ではそうかもしれない。しかし、『ソータ様』と言ってニッコリと笑うあの可愛い娘がいいのだ。忘れられないのだ。
「うっ……、うっ……、うぅ……」
俺はエステルを思い出し、またポタポタと涙を流した。
「ちょっと! まるで私が泣かせてるみたいじゃない……」
先輩は慌てて周りを見る。
「そもそも、なぜ先輩は助けてくれなかったんですか?」
俺は涙声で聞いた。
「女神は世界を作るのが仕事、基本干渉はしないわ。星で生まれた人たちが紡ぎだすオリジナリティあふれる文化・文明を邪魔しちゃダメなのよ」
「マリアンの人造人間もOKですか?」
「あれ、面白いと思うわよ。もちろん、エステルみたいな人だらけの社会はつまんなくなるけど、その過程や、つまんなくなった結果どうなるかは興味深いわ」
俺は絶句した。この人にとっては非人道的な試みすら楽しみなのだ。
3-24. 最後の賭け
「今回は残念だったわね。それじゃ就活頑張って! そろそろ行くわ」
先輩はそう言って立ち上がる。
ヤバい、全てが終わってしまう。
俺も急いで立ち上がり、先輩の腕をつかむ。
「ごめんなさい、どうしてももう一度エステルに会いたいんです。会わせてもらえませんか?」
すがりつくように言った。
「だから、彼女は記憶ないって言ってるじゃない」
先輩は俺の手を振り払い、あきれたように言う。
「なくてもいいんです、会わせてください!」
俺は必死に頭を下げた。もう俺の心の中にはエステルがたくさん沁み込んでしまっている。エステルなしには生きていけないのだ。
「君がそこまで入れ込んじゃうとはねぇ……。でも、記憶ない以上、無理なものは無理よ」
先輩は肩をすくめ、首を振る。
「じゃあ、賭けをしましょう!」
俺は最後の手に出た。先輩は勝負事が好きなのだ。
「賭け……?」
「エステルにプロポーズします。OKもらえたら異世界を元に戻してください」
「断られたら?」
「何でも言うこと聞きます」
「奴隷になるのでも?」
「もう何だって」
俺は真剣に先輩を見る。先輩は宙を眺め、何かを思案した。そして、
「面白いじゃない。いいわよ」
そう言ってニヤッと笑った。
俺の事を覚えていない人へのプロポーズ。どう考えても勝機はないが、それでもやらない訳にはいかない。
人生をかけた一世一代のプロポーズ、俺は全ての思いをしっかりとぶつけようと心に誓った。
「じゃあ、彼女呼ぶわよ」
「あ、呼ぶならあそこでお願いします。あの、地面が鏡みたいになってるところ」
「ウユニ塩湖?」
「そうです、そうです。魔物倉庫行く途中で見かけたので」
人生最大の賭けになる場所くらい、我がままを聞いてもらいたい。
「いいわよ。じゃぁウユニへ送るわ。奴隷になる覚悟はいい?」
先輩は意地悪な顔で言う。
「いつでもOKです。先輩こそ異世界を戻す準備しておいてくださいよ」
俺はニヤッと笑った。
勝ち目のない賭けだったが、俺はエステルに会える喜びで胸がいっぱいになった。
◇
気が付くと俺は、見渡す限り広大な鏡の上にいた。正確には止まった水面なのだが、水面は夕暮れの太陽や茜色に染まる雲たちを反射し、水平線はるかかなたまで美しい空を映し出していた。
「うわぁ、綺麗ですぅ!」
気が付くと隣にはエステルがいた。
サラサラとした金髪に深い青をたたえた碧眼、少し幼さを残した美しい顔の透き通る白い肌に、俺はつい見入ってしまう。例え奴隷になったとしてもまた会えてよかった。俺は湧き出してくるうれしさに思わずほおが緩んだ。
「エステル……」
俺が声をかけると、エステルはこちらを向く。そして、クリッとした目で俺をジッと眺め……、
「どちら……様です?」
と、首をかしげて言った。
「この四日間、エステルと一緒に冒険をしてきたソータだよ」
俺は優しく言った。
「四日……? あれ? 私は何してたですか? 思い出せないですぅ……」
エステルは不思議そうに首をひねる。
「ダンジョン行ったらエステルがゴブリンに襲われていてね、一生懸命戦って助けたんだよ」
「えっ!? 私は大丈夫だったですか?」
丸い目をして驚くエステル。
「大丈夫、ちゃんと守ったんだ」
俺はしみじみと当時の事を思い出しながら優しく答えた。
「ありがとうですぅ」
うれしそうなエステル。
「その後、一緒に冒険したら、スライムにエステルが食べられちゃってねぇ……」
「えっ!? 私やられ過ぎじゃないです?」
「大丈夫、また助けたんだ」
「ありがとうですぅ……」
俺はさらに、ワナに何度も落ちたこと、毒矢にやられて死にそうになったことなどを伝えた。
「なんだかすごく迷惑かけちゃいました……」
エステルは恐縮する。
と、その時、エステルが急に何かに押されたようによろめいた。
「わぁ!」
「おっと危ない!」
俺はエステルを抱きかかえた。
柔らかく温かいエステルの香りが、ほのかに立ち上ってくる。
俺はその大好きな匂いについ、涙がポロリとこぼれた。
「ソ、ソータさん……? ん? ソータ……様?」
「え? 思い出した?」
俺は驚いてエステルの顔を見つめた。
「わからない……、わからないです……。でも、この匂い……好き……」
そう言ってエステルは俺の胸に顔をうずめる。
俺も優しく抱きしめる。息とともに緩やかに揺れるエステルの温かさを、俺は全身で感じていた。
3-25. 言い損ねてたプロポーズ
「エステル……俺は君に言い損ねていたことがある」
「なんです?」
「俺はこの四日間エステルと一緒に命がけの冒険をしてきた。そして気が付いたんだ。これからもずっとエステルと一緒に人生を歩んでいきたい。エステルじゃないとダメなんだ」
「え?」
どういうことか分からず、怪訝そうなエステル。
俺は大きく息をつき、しっかりとエステルの目を見て言った。
「結婚……、してくれないか?」
「はぁっ!?」
面食らってポカンとするエステル。
「俺は一生エステルを大切にする。だから考えて欲しい」
俺は微笑みながらも涙をたたえた目で言った。
エステルが驚き、固まり……。そしてゆっくりと首を振りながら後ずさりする。
やっぱりだめか……。そりゃそうだよな……。
俺は耐えられず、目をつぶり、大きくため息をついた。
これで奴隷決定……。人生終わった。
でも、最後にエステルに会えてよかった。もう悔いはないな……。
俺はぼーっと涙でゆがむエステルを見つめていた。
と、その時、いきなりエステルが金色に光り輝いた。
「うわぁ!」
俺はまぶしさに目がくらみ、よろよろと後ずさる。一体何がどうなったのか? エステルは無事なのか?
夕闇のウユニ塩湖に輝く黄金の光、それは水面に反射され、まばゆい光の筋がいくつも天へ向かって伸び、辺り一面に荘厳な雰囲気を醸し出した。
やがて光は徐々に弱まり、また静かな夕闇が戻ってくる。
そっと目を開けると、そこには大人の女性が目を閉じて立っていた。立派なブロンドをたたえ、身長も俺と同じくらいだ。
「え? 誰?」
俺が驚いていると、女性は目をゆっくりと開く。深い青をたたえた美しい碧眼だった。
「も、もしかして……」
すると、彼女はニコッと笑って言った。
「呪いが解けたわ、ありがと」
「え? 呪い?」
「そうよ、マリアンによってかけられた呪い……、新人類の呪いよ」
「え? じゃあ、もう人間……、これが本当のエステル?」
「そうよ、これが本当の私……、人間の私だわ」
俺は圧倒された。まさか、エステルがいきなりしっかりとした大人の女性になってしまうとは、全く予想もしていなかった。
「私、今までの私じゃないわよ。疑うし、嫉妬するし、計算高いわよ。マスコットみたいな都合のいい女じゃないわ。浮気なんかしたら殺しちゃうわよ?」
エステルはそう言って鋭い目で俺を見る。
俺は大きく深呼吸をし、言った。
「でも、心はエステルのままなんだろ?」
エステルは目をつぶり、一呼吸置くと、
「ふふっ、そうですよ」
と、ニッコリと笑って言った。
「なら、想いは変わらない。どうか僕と結婚してください」
俺はポケットからダイヤモンドの指輪を出すと、ひざまずき、エステルにささげた。
エステルはしばらく指輪を眺め、小さな声でゆっくりと言った。
「私、人間になってもドジなままですよ?」
「大丈夫です」
「私、もう二十七歳なんです」
「年上大好きです」
「これからもいっぱい迷惑かけちゃうですよ?」
「かけてください。二人で一緒に解決しましょう」
エステルは目をつぶり、涙をポロリとこぼした。そして、
「うっ、うっ、うっ……」
と、嗚咽するエステル。
俺は立ち上がり、震える彼女をそっと抱きしめた。
そして、耳元で、
「僕の……、お嫁さんになってください」
と、優しく言った。
美しい茜色の空が広がり、夕陽が水平線の上で最後の輝きを放つ。
エステルはうなずくと、
「はい……、お願いします……」
そう言って、涙いっぱいの目で幸せそうに頬を緩ませた。
「もう二度と離さないよ……」
「ずっと一緒ですぅ……」
二人は離れていた時間を取り戻すかのように、きつくお互いを抱きしめた。
助け合い、一緒にあがき続けた濃密な時間で深まっていた愛は今、形を持って二人を結びつけた。
3-26. 新しい管理者
パン! パン!
クラッカーが鳴らされる。
周りを見ると、先輩や先輩の会社の神様たちがいて拍手をしてくれている。
「やるじゃない、おめでとう!」
先輩がにこやかに言った。
「あ、ありがとうございます」
エステルは先輩を見ると恐縮し、恥ずかしそうに、
「あ、ありがとうです……」
と、言った。
と、その時、ポン! と音を立ててエステルのブラウスのボタンが飛んだ。子供用の服ではもう彼女の豊満なボディを包み切れなかったのだ。
豊かな胸が飛び出してしまいそうになり、
「キャー!」
と、エステルはかがんだ。すると、あちこちがビリビリっと音を立てて破れた。
「いやぁ! うわぁぁん!」
慌てふためくエステル。
「もう、しょうがないわねぇ」
先輩はそう言うと、パチンと指を鳴らす。
すると、エステルの服は純白のウェディングドレスになり、俺は白のタキシードに変わった。
「えっ?」「あわわ!」
いきなりの事で驚いたが、ウェディングドレスはマーメイドラインの大人びたエレガントな物で、長身のエステルにピッタリと似合い、花をあしらった純白のレースが華やかさを演出して、思わず見ほれてしまった。
「美しい……」
俺がつぶやくと、
「うふふ、夢みたいですぅ」
と言ってエステルは幸せそうに顔をほころばせた。
ドレスのすそが濡れちゃうのではと心配したが、しっかりと防水してあって綺麗に水面に浮いていた。
「写真撮影しましょ。前撮りよ、前撮り!」
そう言って先輩はエステルに近づくと、髪の毛を器用に整え、大きな花の髪飾りを編み込んだ。そして、最後に手早く化粧を施して、
「はい、それじゃ並んで~!」
そう言って、先輩は俺とエステルを並ばせる。
「はい、笑って笑って~! チーズ!」
美しいウユニ塩湖の夕景をバックにiPhoneで写真をパチパチと撮った。
俺とエステルは見つめ合う。自然と笑みが浮かんでしまう
「はい、じゃ、キスして~」
先輩は無茶振りする。
俺もエステルも驚き、とまどう。
「結婚式ではするんでしょ! はい、恥ずかしがらない!」
先輩がせっついてくる。
俺が困惑していると、エステルが俺の方を向いて目を閉じた。俺も覚悟を決め、そっとくちびるを重ねる。すると、エステルが舌を入れてくる。
え!?
俺は驚いたが、つい合わせてしまう。
二人は舌を絡ませ、想いを確かめ合った。
「はいはい、写真撮影中ですよ!」
盛り上がる二人に先輩は呆れて言う。
すっかり太陽は沈み、茜色から群青への美しいグラデーションが広がる中、俺たちは見つめ合い、幸せに包まれながら微笑んだ。
◇
「ねぇ、ソータ、管理者やらない?」
先輩がいきなり聞いてきた。
「え? それは就職的な意味でですか?」
「まぁ、専業管理者に就職ってことになるでしょうね。マリアンの枠が空いたからミネルバの下で副管理人からね」
「え? 給料とかはどうなるんですか?」
「給料? あんたバカね。管理者ってのはこういう事よ!」
そう言うと先輩は扇子を取り出し、パチンと鳴らした。
すると、空から膨大な数の金貨が山のように降り注ぎ、あっという間に小山を作った。
「うはぁ!」
一瞬で何百億円にも相当する金が出てきたのだ。俺もエステルもビックリ。
「どうするの? やるの? やらないの?」
「やりますやります! やらせてください!!」
「よろしい!」
先輩は扇子でパタパタと仰ぎながらご満悦の様子だった。
そして、一緒に来ていたリーダーの男性に向かって、
「誠! そういうことだから研修に回しておいてね」
そう言ってパチッとウインクする。
「はいはい、美奈ちゃんも毎度強引だなぁ」
男性は苦笑した。そして、俺に向いて、
「じゃあ、いつから研修やる? 明日とかでも大丈夫?」
と、優しく聞いてくる。
「私はいつでも」
「じゃあ、明日朝十時に田町の会社に来てね。担当はあの子」
そう言って男性は水色の髪の女の子を指した。女の子はサムアップしてニヤッと笑う。
「分かりました! お願いします!」
俺は女の子に頭を下げた。
「ちなみに彼女はああ見えて宇宙最強だから覚悟しててね」
男性は耳元でそっと言う。
「宇宙最強!?」
俺は思わず声をあげてしまい、女の子は
「きゃははは!」
とうれしそうに笑い、碧い目をぼうっと光り輝かせた。
なるほど、ただ者ではない……。
「お、お手柔らかにお願いします……」
俺は頭を下げた。
3-27. 限りなくにぎやかな未来
「今から考えると、就活失敗しててよかったですよ」
先輩にそう言うと、
「あー、ソータの応募は全部不採用にしといたのよ」
と、とんでもない事を言い出した。
「えっ!? 先輩が全部落としてたんですか!? ひ、ひどい……」
俺が愕然としてると、先輩はギロっとにらんで言った。
「何? じゃ、今からでもサラリーマンやる? どこの一流企業でも突っ込めるけど?」
「い、いや、管理者の方がいいです!」
「そうでしょ? 嫁さんも紹介してあげたし、感謝しなさい!」
先輩はドヤ顔で言った。
「紹介!? エステルが襲われてるところに繋がったのは、偶然じゃなかったんですか!?」
「そんな都合のいい話、あるわけないでしょ! この子敬虔なのにドジで、襲われちゃってかわいそうだったから、時間止めてあなたの登場待ってたのよ」
「な、なんと……」
俺が言葉を失っていると、エステルは
「女神様! ありがとうございます! 毎日お祈りしててよかったですぅ……」
そう言って先輩に手を合わせた。
「これからも祈りなさいね」
先輩はそう言ってニヤッと笑った。
俺は先輩に祈る意味が良く分からなかった。
「はい、じゃあ解散! あなたたちはここでゆっくりお楽しみタ~イム!」
先輩はそう言って立派なコテージをボンッと出して言った。
赤い夕焼雲がたなびく中、丸太で組まれたコテージは鏡のような水面の上に静かに降りてきて、大きな波紋を作った。ヒノキの爽やかな香りが匂ってくる。
「おぉ、すごい……」
俺が驚いていると、
「このくらいすぐにできるようになるわよ。研修はここの時間で二十時間後。コテージの鏡使って来なさい。じゃ、また明日~」
そう言ってみんなを連れ、そそくさと消えていった。
◇
コテージの中にはダブルベッドがあり広く、快適だった。窓の外を見ると、水平線に残った茜色が弱まり、宵の明星が明るく輝きだしていた。
「綺麗ですぅ……」
隣でエステルが言った。
「今、明かり点けるね。どこだろう?」
俺が動こうとしたら、いきなりエステルに抱き着かれた。
「点けなくていいですぅ」
「えっ?」
驚いていると、エステルがくちびるを重ねてきた。
いきなりで驚いたが、俺も合わせる。
エステルの柔らかいくちびる、チロチロと愛おしそうに動く舌……。
多くの想いを重ね、今、二人はお互いを貪るように舌を絡めた。
少し離れてお互い見つめ合う。
窓から入る明かりがほのかにエステルの顔を照らす。その瞳には涙が浮かんでいた。
「どうしたの?」
「人間って凄いです……」
「えっ?」
「愛しい想いが次々と押し寄せて、おかしくなっちゃいそうです」
「ふふっ、俺も同じだよ」
俺はそっとエステルの頬をなで、微笑んで言った。
「ずっと……、いつまでも一緒に居てくれるです?」
「もちろん」
「約束ですよ?」
「あぁ、約束だ」
エステルはうれしそうに笑うと、またくちびるを重ねてきた。
甘く香るエステルの唾液に脳の奥がツンとする。
俺はエステルをきつく抱きしめ、エステルの想いに応えた。
心の底から愛しい想いがどんどん湧いてきて、俺は限りない幸せに包まれる。
そして、俺は手探りでウェディングドレスのファスナーに手をかけると丁寧に脱がし、エステルをそっとベッドに横たえた。
トロンとした切なそうな目をして両手を俺に広げるエステル。俺もタキシードを脱いで柔らかなエステルの上に重なる……。
そうか、俺はこの娘を愛するために生まれてきたんだな……。ほとばしる熱情に流されながら、俺は生まれて初めて人生の意味を理解した。
こうして、俺の限りなくにぎやかな新生活が始まった。
窓の向こうにはくっきりと天の川が流れ、愛を深める二人をほのかに照らしていた。
了