君の秘密を聞かせて
*
結局、今週はまるまるずっと荻原くんと一緒に過ごしていた。
お昼休み、だけじゃない。廊下ですれ違った時には視線で合図をしてきたり、帰り際には三階の窓から手を振ってきたり。
さらには、ちょくちょくチャットまでするようになっていた。
〝おはよう〟
〝今日もいい天気だね〟
〝気をつけて帰ってね〟
気づけば荻原くんは私の生活にダイレクトに入り込んできて、日常を侵食するようになっていた。
最初は、スマホが震えるたびにびくびくしていた。こんなメッセージが送られてきたところでどう返したらいいのかわからない。でも、悩んだあげくにチャットを無視してしまっても荻原くんは何も言わなかったから、そのままにするようになった。荻原くんの一方的なコミュニケーションは飽きることなく続いていった。
恋人ができたら、毎日こんな風にやりとりをするのだろうか。
そんな気はないけれど、ふと考えてしまった。そして同時に、胸が苦しくなる。
……修ちゃんは生きている間に、誰かとこういうチャットをし合いたかったのかな。
「食後のデザート、どうかな」
いつものようにお昼ご飯を食べ終わると、荻原くんに小さな巾着袋を差し出された。
中を開けると、小さなガラス容器に入ったプリンがひとつ、入っていた。
表面に浮いている小さな泡や、パッケージも何もない耐熱容器を見るからに、手作りのように見える。思わず、プリンと荻原くんの顔を交互に見やった。
「あ、ありがとう……。……これ、荻原くんが作ったんですか?」
「うん。芽依ちゃん、前にプリンが好きだって言ってたから」
言った。たしか数日前に、好きなデザートを聞かれてそう答えたとは思う、けど。
わざわざ作ってくるなんて。
「……荻原くんって、普段から料理……するの?」
荻原くんがプリン用のスプーンを差し出しながら答える。
「全然。ただ、芽依ちゃんの好きな食べ物たくさん聞いたから、勉強してるだけ。ほら、買ってきたりすると気を遣わせちゃうかなって思って」
手作りでも充分、気を遣うんだけど……。
でも、その言葉は飲み込んでプリンを一口いただいた。
素朴で、どこか懐かしい味。シンプルなカスタードプリンだけれど、舌の上に広がる卵と牛乳の食感がなめらかで、なんとなく荻原くんらしい、優しい味がする。
「……おいしい」
呟くと、荻原くんはうれしそうに微笑んだ。その表情を見て、なんだか複雑な気持ちになってしまう。
荻原くんは私のことに関して、すべてが全力投球だった。
私が英語が苦手、と言えば翌日にはノートをまとめてくるし、小さい頃どのアーティストの音楽を聞いていた、と言えば翌日には全曲聞いて話を合わせてくる。今までは荻原くんが質問するたびに頭を空っぽにして答えていたけれど、自分の話をするのが怖くなってしまうくらいだった。
荻原くんの、その気持ちがつらかった。
そんなに一所懸命になられても、私はきっと荻原くんの望むようにはなれない。好きにはならないし、ましてや付き合うことなんてできない。私はもう、恋人も、友達も作らないと決めたのだから。
荻原くんの言いなりのまま演技をし続けることはできるかもしれないけれど、結局最後には、荻原くんが傷つくだけのように思う。
……そうだ。
こんな恋人ごっこみたいなこと、してる場合じゃない。
できるなら、私のことなんか今すぐ諦めてもっと見合った女の子に夢中になってもらいたい。そうじゃないと、さすがに荻原くんに申し訳がなさすぎる。
でも、そう簡単に荻原くんが引き下がるとは思えなかった。
私といて楽しいか、と聞いて、楽しいと即答した荻原くん。その微笑みが、何を言っても揺るがないように見えたから。なぜかはわからないけれど、荻原くんは私のことがすごく、好き……みたいだから。
どうして、私なんだろう。
また、いつもの疑問が頭の中を堂々巡りする。
「あの……。この前の質問、なんですけど」
プリンを食べ終わり、改まって聞いてみた。
荻原くんはいつものように、ぱっと表情を明るくさせる。
「なに?」
「教えてくれませんか。どこで私のことを知ったのか、どうして私を……好き、になったのか」
数日前に答えを聞きそびれてしまった、あの質問。
荻原くんはまた明日答えると言ったけれど、翌日のお昼休みにその話題は出ず、私も機を逃してしまってなんとなく口には出せずにいた。
でも、とりあえず疑問を解消したい。それに、何をきっかけに私のことを好きになったのかを知れば、私を諦めてくれる方法もわかるかもしれない。
荻原くんはしばらく悩んだような表情を見せると、急にひらめいたように顔を上げた。
「じゃあね、芽依ちゃんが笑ってくれたら、話してあげる」
その言葉に、今度は私が顔をしかめた。
「……笑ったら?」
「そう。まだ芽依ちゃんの笑顔、見たことないから」
笑顔。
荻原くんからその単語を聞くと、どうしてもあのことを思い出してしまう。
荻原くんはさらに続けた。
「あとね、クラスの子と仲よくなること。つらいときにはちゃんと言葉にすること。困ったことがあったらちゃんと頼ること」
……やっぱり。
思わず、荻原くんの言葉を遮った。
「それって……あの、メールの話ですか?」
私の〝秘密〟だ。
〝本当は笑いたいのに、笑顔の作り方がわからない〟
〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる〟
〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちを話さない……〟
私の、五つの〝秘密〟。
結局あれは、私をおどすためのものじゃなかった。たぶん、〝私のことを知っているよ〟というただのアピールだった。
だけどひとつひとつ、わざわざ覚えてたんだ。
戸惑っている私をよそに、荻原くんは頷いた。
「そう。芽依ちゃんの、五つの〝秘密〟。それが全部解消されて、秘密が秘密じゃなくなったら、本当の芽依ちゃんに会える気がするんだ」
言ってる意味がわからない。
解消。克服しろっていうの?
「わ、笑えばいいんですか? だったら、いくらでも笑いますけど……」
自信はないけど、強がって言い返してしまった。
だけれど荻原くんは首を振る。
「そうじゃなくて。心から笑ってくれないと」
なにそれ。
結局教えてくれないんじゃない。
つい黙っていると、荻原くんは私からの不信感を感じ取ったらしく、言葉を付け足した。
「今、話せることもあるよ。どうしてあんなメールを送ったか……だったよね」
荻原くんの視線は、過去を思い出すかのように宙を捉えていた。
「いきなりあんなメール送りつけて、驚いたよね。ごめん。でも……どうしても伝えたかったんだ。ずっと僕が、見てたってこと。芽依ちゃんのいろんな部分を知ってるってこと。それで、あの日は……どうしても、僕のことを、僕だけのことを、考えていてもらいたくて。だから衝動的にあんなこと書いた。……ごめんね、怖かったよね」
少しの間を置いて、小さく首を振った。
本当は怖かったけれど、荻原くんの謝罪があまりにも真剣だったから、責めることができなかった。
よくわからないけれど、荻原くんは私の気を引きたかったんだ……。
「ずっと見てたんだ。芽依ちゃんのこと」
私は黙って、話し続ける荻原くんの目を見つめていた。
その瞳は、窓から漏れる朧げな光を集めて、ガラス玉みたいにキラキラと光っている。
「それで、芽依ちゃんのことを好きになった。理由はね……芽依ちゃんが人懐っこくて、純粋で、明るい子だったから。だから惹かれたんだ。だから僕は今、ここにいる」
人懐っこくて、純粋で、明るい……。
……私が?
見てたって、いつ?
どこで、そんな私を?
そう口にしようとしたところで、チャイムが鳴ってしまった。
いつもいいところで話が止まってしまう。思わずため息をついた。
まだ本鈴までは時間があるのだから、もう少し続きを聞きたい。でも、私たちはいつも他の生徒に見られないようバラバラに教室へ戻るから、予鈴が鳴った時点で私はすぐに行かなければならなかった。
ひとまず諦めて立ち上がると、荻原くんが引き止めるように声をかけてきた。
「ね。今度のお休み、空いてる?」
聞かれて、明日から二連休であることを思い出す。
荻原くんと知り合ってからはじめてのお休みだ。
予定を聞かれただけなのに、つい先回りして答えてしまった。
「ど、土日は無理! ……家族で旅行に行くから!」
取ってつけたような、うそ。そんな予定はない。
「……そっか」
でも、荻原くんは信じたようだった。やっぱり私を何かしらに誘おうとしていたようで、少しだけ寂しそうな表情をしている。
その顔を見て、ちくり、と胸が痛んだ。
でも、休みの日まで荻原くんと一緒にいることなんてできない。誰かに二人でいるところを見られたらあっという間に噂になってしまうだろうし、何より……私の心が耐えきれない。私は他のみんなみたいに、この高校生活を楽しむことなんてできないから。
でも、しょぼんとしている荻原くんは、なんだか捨てられた猫みたいで。
……そういう顔をされると、困る。
ぷいと荻原くんから視線を外すと、私は足早に階段を降りていった。
結局、今週はまるまるずっと荻原くんと一緒に過ごしていた。
お昼休み、だけじゃない。廊下ですれ違った時には視線で合図をしてきたり、帰り際には三階の窓から手を振ってきたり。
さらには、ちょくちょくチャットまでするようになっていた。
〝おはよう〟
〝今日もいい天気だね〟
〝気をつけて帰ってね〟
気づけば荻原くんは私の生活にダイレクトに入り込んできて、日常を侵食するようになっていた。
最初は、スマホが震えるたびにびくびくしていた。こんなメッセージが送られてきたところでどう返したらいいのかわからない。でも、悩んだあげくにチャットを無視してしまっても荻原くんは何も言わなかったから、そのままにするようになった。荻原くんの一方的なコミュニケーションは飽きることなく続いていった。
恋人ができたら、毎日こんな風にやりとりをするのだろうか。
そんな気はないけれど、ふと考えてしまった。そして同時に、胸が苦しくなる。
……修ちゃんは生きている間に、誰かとこういうチャットをし合いたかったのかな。
「食後のデザート、どうかな」
いつものようにお昼ご飯を食べ終わると、荻原くんに小さな巾着袋を差し出された。
中を開けると、小さなガラス容器に入ったプリンがひとつ、入っていた。
表面に浮いている小さな泡や、パッケージも何もない耐熱容器を見るからに、手作りのように見える。思わず、プリンと荻原くんの顔を交互に見やった。
「あ、ありがとう……。……これ、荻原くんが作ったんですか?」
「うん。芽依ちゃん、前にプリンが好きだって言ってたから」
言った。たしか数日前に、好きなデザートを聞かれてそう答えたとは思う、けど。
わざわざ作ってくるなんて。
「……荻原くんって、普段から料理……するの?」
荻原くんがプリン用のスプーンを差し出しながら答える。
「全然。ただ、芽依ちゃんの好きな食べ物たくさん聞いたから、勉強してるだけ。ほら、買ってきたりすると気を遣わせちゃうかなって思って」
手作りでも充分、気を遣うんだけど……。
でも、その言葉は飲み込んでプリンを一口いただいた。
素朴で、どこか懐かしい味。シンプルなカスタードプリンだけれど、舌の上に広がる卵と牛乳の食感がなめらかで、なんとなく荻原くんらしい、優しい味がする。
「……おいしい」
呟くと、荻原くんはうれしそうに微笑んだ。その表情を見て、なんだか複雑な気持ちになってしまう。
荻原くんは私のことに関して、すべてが全力投球だった。
私が英語が苦手、と言えば翌日にはノートをまとめてくるし、小さい頃どのアーティストの音楽を聞いていた、と言えば翌日には全曲聞いて話を合わせてくる。今までは荻原くんが質問するたびに頭を空っぽにして答えていたけれど、自分の話をするのが怖くなってしまうくらいだった。
荻原くんの、その気持ちがつらかった。
そんなに一所懸命になられても、私はきっと荻原くんの望むようにはなれない。好きにはならないし、ましてや付き合うことなんてできない。私はもう、恋人も、友達も作らないと決めたのだから。
荻原くんの言いなりのまま演技をし続けることはできるかもしれないけれど、結局最後には、荻原くんが傷つくだけのように思う。
……そうだ。
こんな恋人ごっこみたいなこと、してる場合じゃない。
できるなら、私のことなんか今すぐ諦めてもっと見合った女の子に夢中になってもらいたい。そうじゃないと、さすがに荻原くんに申し訳がなさすぎる。
でも、そう簡単に荻原くんが引き下がるとは思えなかった。
私といて楽しいか、と聞いて、楽しいと即答した荻原くん。その微笑みが、何を言っても揺るがないように見えたから。なぜかはわからないけれど、荻原くんは私のことがすごく、好き……みたいだから。
どうして、私なんだろう。
また、いつもの疑問が頭の中を堂々巡りする。
「あの……。この前の質問、なんですけど」
プリンを食べ終わり、改まって聞いてみた。
荻原くんはいつものように、ぱっと表情を明るくさせる。
「なに?」
「教えてくれませんか。どこで私のことを知ったのか、どうして私を……好き、になったのか」
数日前に答えを聞きそびれてしまった、あの質問。
荻原くんはまた明日答えると言ったけれど、翌日のお昼休みにその話題は出ず、私も機を逃してしまってなんとなく口には出せずにいた。
でも、とりあえず疑問を解消したい。それに、何をきっかけに私のことを好きになったのかを知れば、私を諦めてくれる方法もわかるかもしれない。
荻原くんはしばらく悩んだような表情を見せると、急にひらめいたように顔を上げた。
「じゃあね、芽依ちゃんが笑ってくれたら、話してあげる」
その言葉に、今度は私が顔をしかめた。
「……笑ったら?」
「そう。まだ芽依ちゃんの笑顔、見たことないから」
笑顔。
荻原くんからその単語を聞くと、どうしてもあのことを思い出してしまう。
荻原くんはさらに続けた。
「あとね、クラスの子と仲よくなること。つらいときにはちゃんと言葉にすること。困ったことがあったらちゃんと頼ること」
……やっぱり。
思わず、荻原くんの言葉を遮った。
「それって……あの、メールの話ですか?」
私の〝秘密〟だ。
〝本当は笑いたいのに、笑顔の作り方がわからない〟
〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる〟
〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちを話さない……〟
私の、五つの〝秘密〟。
結局あれは、私をおどすためのものじゃなかった。たぶん、〝私のことを知っているよ〟というただのアピールだった。
だけどひとつひとつ、わざわざ覚えてたんだ。
戸惑っている私をよそに、荻原くんは頷いた。
「そう。芽依ちゃんの、五つの〝秘密〟。それが全部解消されて、秘密が秘密じゃなくなったら、本当の芽依ちゃんに会える気がするんだ」
言ってる意味がわからない。
解消。克服しろっていうの?
「わ、笑えばいいんですか? だったら、いくらでも笑いますけど……」
自信はないけど、強がって言い返してしまった。
だけれど荻原くんは首を振る。
「そうじゃなくて。心から笑ってくれないと」
なにそれ。
結局教えてくれないんじゃない。
つい黙っていると、荻原くんは私からの不信感を感じ取ったらしく、言葉を付け足した。
「今、話せることもあるよ。どうしてあんなメールを送ったか……だったよね」
荻原くんの視線は、過去を思い出すかのように宙を捉えていた。
「いきなりあんなメール送りつけて、驚いたよね。ごめん。でも……どうしても伝えたかったんだ。ずっと僕が、見てたってこと。芽依ちゃんのいろんな部分を知ってるってこと。それで、あの日は……どうしても、僕のことを、僕だけのことを、考えていてもらいたくて。だから衝動的にあんなこと書いた。……ごめんね、怖かったよね」
少しの間を置いて、小さく首を振った。
本当は怖かったけれど、荻原くんの謝罪があまりにも真剣だったから、責めることができなかった。
よくわからないけれど、荻原くんは私の気を引きたかったんだ……。
「ずっと見てたんだ。芽依ちゃんのこと」
私は黙って、話し続ける荻原くんの目を見つめていた。
その瞳は、窓から漏れる朧げな光を集めて、ガラス玉みたいにキラキラと光っている。
「それで、芽依ちゃんのことを好きになった。理由はね……芽依ちゃんが人懐っこくて、純粋で、明るい子だったから。だから惹かれたんだ。だから僕は今、ここにいる」
人懐っこくて、純粋で、明るい……。
……私が?
見てたって、いつ?
どこで、そんな私を?
そう口にしようとしたところで、チャイムが鳴ってしまった。
いつもいいところで話が止まってしまう。思わずため息をついた。
まだ本鈴までは時間があるのだから、もう少し続きを聞きたい。でも、私たちはいつも他の生徒に見られないようバラバラに教室へ戻るから、予鈴が鳴った時点で私はすぐに行かなければならなかった。
ひとまず諦めて立ち上がると、荻原くんが引き止めるように声をかけてきた。
「ね。今度のお休み、空いてる?」
聞かれて、明日から二連休であることを思い出す。
荻原くんと知り合ってからはじめてのお休みだ。
予定を聞かれただけなのに、つい先回りして答えてしまった。
「ど、土日は無理! ……家族で旅行に行くから!」
取ってつけたような、うそ。そんな予定はない。
「……そっか」
でも、荻原くんは信じたようだった。やっぱり私を何かしらに誘おうとしていたようで、少しだけ寂しそうな表情をしている。
その顔を見て、ちくり、と胸が痛んだ。
でも、休みの日まで荻原くんと一緒にいることなんてできない。誰かに二人でいるところを見られたらあっという間に噂になってしまうだろうし、何より……私の心が耐えきれない。私は他のみんなみたいに、この高校生活を楽しむことなんてできないから。
でも、しょぼんとしている荻原くんは、なんだか捨てられた猫みたいで。
……そういう顔をされると、困る。
ぷいと荻原くんから視線を外すと、私は足早に階段を降りていった。