君の秘密を聞かせて
日曜日、荻原くんと踏切で会った夜から三週間が経とうとしていた。
私は相変わらず、迷いながらも学校に通っていた。
そして相変わらず、私のそばには荻原くんがいた。誘われるがまま、一緒にいる日々だった。
最初は、私の秘密を誰にも言わないから、とおどされて。
次は、私が死ぬなら僕も死ぬ、とおどされて。
だから、というわけじゃないけど、私はまだ死んではいなかった。死ぬことを、延期していた。
毎朝毎晩、駅のホームに降り立つ。そして線の際に立つたびに、荻原くんの顔を思い出す。
私は今、きっと荻原くんを言い訳にして生きているんだ。
ずるい人間だと思う。
「クッキー焼いてきたんだけど、どうかな」
いつもの屋上でお昼ご飯を食べ終えると、荻原くんが小さなラッピング袋を差し出してきた。
中には、プレーン、チョコチップ、抹茶の三種類のクッキーが入っている。その場で食べるのならおしゃれにする必要なんかないのに、袋には大ぶりのリボンまでついていた。
ここのところ、デザートの差し入れは毎日だ。昨日はチョコレート、おとといはパンケーキ。
さすがに口に出てしまった。
「あ……ありがとう。でも、こういうの……やめて、ほしい。なんか、申し訳ない気持ちになるから……」
そう言うと、荻原くんは焦ったように目を見開いた。
「プレゼント、嫌だった?」
「あ、あの、そういうわけじゃないんだけど。私、何も返せないから……。私の勝手な、気持ち」
荻原くんに言われてなんとか敬語をやめた私だけれど、やっぱりそこには友人とは呼ぶにはほど遠い厚い壁があって、すぐに遠慮してしまう。
特に、荻原くんの過剰な行動は、度々私を不安にさせるから。
あの土日のことだって、そう。寒い中、荻原くんは二日間のうち何時間あのベンチに座っていたのだろう。問い詰めたところ、寝る時間には家に帰ってたよ、なんて冗談めかして言われたけれど、どこまで本当かわからない。そもそも寝る時間には帰ったとしても、朝から晩までいたのだとしたら充分長時間だ。
「……もう、駅の前で見張ったりしてないよ、ね?」
一応、聞いた。
荻原くんはにっこりと笑う。
「してないよ。芽依ちゃんに言われてから、やめてる」
「ほ、他も、うちの前にいるのとかもなしだよ……」
「あ、それは前に通報されちゃったからもうできなくて」
「……えぇっ?」
驚いて、叫んでしまった。
念のためにと聞いたのに、本当にやってたなんて。しかも、通報って。たしかにあの住宅街で、何時間も人の家を睨んでいる人がいたらご近所の人に不審者だと思われてもおかしくない。
そもそも荻原くんは、なんでうちの住所を知っているんだろう。学校帰りに私のことをつけたりしたのだろうか。
思わず黙り込んでいると、荻原くんは小指を差し出した。
「でも、そう言うなら約束してくれないと」
意味がわからなくて、私はその指を見返した。
「もう、死のうとなんてしないって。そうじゃないと、僕も心配で何をするかわからないからさ。約束」
その指を見ながら、頭の中にいろいろな葛藤が生まれた。
でも、今は荻原くんの望むまま、静かに頷いた。
「……うん」
返事をすると、荻原くんは私の手首を掴んだ。
そして、無理やり指切りをさせる。手が離れると、荻原くんは満足そうな笑みを浮かべた。その顔を私は複雑な気持ちで見返す。
別に、本気で承諾したわけじゃない。
でも、約束しないと荻原くんは引いてくれそうになかったから。仕方なく、だ。私が本当にこの先、このまま生きていくのかはまだ決めていない。
……でも、生きるにしても、私にはもう生き方がわからないんだ。
「次の土日、空いてる?」
チャイムが鳴り、いつものように先に教室へ戻ろうしたところで聞かれた。
近頃、毎週末この話をしている。そのたびに頭を働かせて断る理由を作ってきたけど、もう何も思いつかなかった。
「ど……土日も一緒にいるの? お昼休みも一緒にいるのに」
「毎週じゃなくてもいいよ。ただね……これ、見て」
荻原くんが、制服の胸ポケットに手を入れる。取り出したのは小さな手帳だった。
茶色い、手のひらサイズの古ぼけた手帳。
荻原くんが開いたページを見ると、そこには五行、文字が書かれていた。
〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる〟
〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちを話さない◯〟
〝本当は笑いたいのに、笑顔の作り方がわからない……〟
「私の〝秘密〟……?」
「そうそう。早くこれを解消したいなって思って。前に言ったでしょ、どこで芽依ちゃんのことを知ったのか、秘密を解消できたら教えるって。これらをクリアするためには、たくさん一緒にいた方が進めやすいと思うし」
見ると、〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちは話さない〟の下にだけ丸がついていた。そうか。これはこの前の日曜の夜、クリアしたことになったんだ……。
でも、不思議で仕方ない。
荻原くんは、なんでこの五つの〝秘密〟にこだわるんだろう。
この〝秘密〟が解消されたら、本当の私に会えるって言っていた。でも、それってどういう意味だろう。本当の私も何も、私は私でしかないのに。
それはともかく、だ。
「……クリア、なんて。そんなの、無理だよ」
つい、言ってしまった。
〝幼馴染が亡くなってしまったことを、ずっと引きずってる〟
他はともかく、修ちゃんのことを乗り越えるのは、無理だ。
そんなに簡単に解消できるくらいなら、最初から悩んでなんかない。もうすでに一年間悩んだ。その結果、私はあの日、駅のホームに立つことを決めたのに。
今更、どうしろっていうの?
どうやって乗り越えろっていうの?
修ちゃんのことを忘れて、明るく、楽しく暮らしていけばいいの……?
「日曜はね……。僕が行きたいところと、芽依ちゃんが行きたいところ、両方行くのはどうかな」
気がつくと、いつのまにか荻原くんの中で出かけることが決まったらしく、勝手に話が進んでいた。
両手を振って、慌てて反論する。
「ど、土日は親戚のところにお泊まりすることになってるの!」
「じゃあ、春休みは? もうすぐだよね」
そう言われて、何も言えなくなってしまった。
春休みは来週から、二週間だ。
さすがにもう逃げられない、と悟る。
「……行きたいところ、なんてないよ」
「ない、は、なし。どこでもいいからね」
楽しそうな荻原くんの笑顔を、私はそっと睨んでしまった。
でも、もう観念するしかないみたいだ。心の中で、小さくため息をついた。
私は相変わらず、迷いながらも学校に通っていた。
そして相変わらず、私のそばには荻原くんがいた。誘われるがまま、一緒にいる日々だった。
最初は、私の秘密を誰にも言わないから、とおどされて。
次は、私が死ぬなら僕も死ぬ、とおどされて。
だから、というわけじゃないけど、私はまだ死んではいなかった。死ぬことを、延期していた。
毎朝毎晩、駅のホームに降り立つ。そして線の際に立つたびに、荻原くんの顔を思い出す。
私は今、きっと荻原くんを言い訳にして生きているんだ。
ずるい人間だと思う。
「クッキー焼いてきたんだけど、どうかな」
いつもの屋上でお昼ご飯を食べ終えると、荻原くんが小さなラッピング袋を差し出してきた。
中には、プレーン、チョコチップ、抹茶の三種類のクッキーが入っている。その場で食べるのならおしゃれにする必要なんかないのに、袋には大ぶりのリボンまでついていた。
ここのところ、デザートの差し入れは毎日だ。昨日はチョコレート、おとといはパンケーキ。
さすがに口に出てしまった。
「あ……ありがとう。でも、こういうの……やめて、ほしい。なんか、申し訳ない気持ちになるから……」
そう言うと、荻原くんは焦ったように目を見開いた。
「プレゼント、嫌だった?」
「あ、あの、そういうわけじゃないんだけど。私、何も返せないから……。私の勝手な、気持ち」
荻原くんに言われてなんとか敬語をやめた私だけれど、やっぱりそこには友人とは呼ぶにはほど遠い厚い壁があって、すぐに遠慮してしまう。
特に、荻原くんの過剰な行動は、度々私を不安にさせるから。
あの土日のことだって、そう。寒い中、荻原くんは二日間のうち何時間あのベンチに座っていたのだろう。問い詰めたところ、寝る時間には家に帰ってたよ、なんて冗談めかして言われたけれど、どこまで本当かわからない。そもそも寝る時間には帰ったとしても、朝から晩までいたのだとしたら充分長時間だ。
「……もう、駅の前で見張ったりしてないよ、ね?」
一応、聞いた。
荻原くんはにっこりと笑う。
「してないよ。芽依ちゃんに言われてから、やめてる」
「ほ、他も、うちの前にいるのとかもなしだよ……」
「あ、それは前に通報されちゃったからもうできなくて」
「……えぇっ?」
驚いて、叫んでしまった。
念のためにと聞いたのに、本当にやってたなんて。しかも、通報って。たしかにあの住宅街で、何時間も人の家を睨んでいる人がいたらご近所の人に不審者だと思われてもおかしくない。
そもそも荻原くんは、なんでうちの住所を知っているんだろう。学校帰りに私のことをつけたりしたのだろうか。
思わず黙り込んでいると、荻原くんは小指を差し出した。
「でも、そう言うなら約束してくれないと」
意味がわからなくて、私はその指を見返した。
「もう、死のうとなんてしないって。そうじゃないと、僕も心配で何をするかわからないからさ。約束」
その指を見ながら、頭の中にいろいろな葛藤が生まれた。
でも、今は荻原くんの望むまま、静かに頷いた。
「……うん」
返事をすると、荻原くんは私の手首を掴んだ。
そして、無理やり指切りをさせる。手が離れると、荻原くんは満足そうな笑みを浮かべた。その顔を私は複雑な気持ちで見返す。
別に、本気で承諾したわけじゃない。
でも、約束しないと荻原くんは引いてくれそうになかったから。仕方なく、だ。私が本当にこの先、このまま生きていくのかはまだ決めていない。
……でも、生きるにしても、私にはもう生き方がわからないんだ。
「次の土日、空いてる?」
チャイムが鳴り、いつものように先に教室へ戻ろうしたところで聞かれた。
近頃、毎週末この話をしている。そのたびに頭を働かせて断る理由を作ってきたけど、もう何も思いつかなかった。
「ど……土日も一緒にいるの? お昼休みも一緒にいるのに」
「毎週じゃなくてもいいよ。ただね……これ、見て」
荻原くんが、制服の胸ポケットに手を入れる。取り出したのは小さな手帳だった。
茶色い、手のひらサイズの古ぼけた手帳。
荻原くんが開いたページを見ると、そこには五行、文字が書かれていた。
〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる〟
〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちを話さない◯〟
〝本当は笑いたいのに、笑顔の作り方がわからない……〟
「私の〝秘密〟……?」
「そうそう。早くこれを解消したいなって思って。前に言ったでしょ、どこで芽依ちゃんのことを知ったのか、秘密を解消できたら教えるって。これらをクリアするためには、たくさん一緒にいた方が進めやすいと思うし」
見ると、〝本当は聞いてほしいのに、自分の本当の気持ちは話さない〟の下にだけ丸がついていた。そうか。これはこの前の日曜の夜、クリアしたことになったんだ……。
でも、不思議で仕方ない。
荻原くんは、なんでこの五つの〝秘密〟にこだわるんだろう。
この〝秘密〟が解消されたら、本当の私に会えるって言っていた。でも、それってどういう意味だろう。本当の私も何も、私は私でしかないのに。
それはともかく、だ。
「……クリア、なんて。そんなの、無理だよ」
つい、言ってしまった。
〝幼馴染が亡くなってしまったことを、ずっと引きずってる〟
他はともかく、修ちゃんのことを乗り越えるのは、無理だ。
そんなに簡単に解消できるくらいなら、最初から悩んでなんかない。もうすでに一年間悩んだ。その結果、私はあの日、駅のホームに立つことを決めたのに。
今更、どうしろっていうの?
どうやって乗り越えろっていうの?
修ちゃんのことを忘れて、明るく、楽しく暮らしていけばいいの……?
「日曜はね……。僕が行きたいところと、芽依ちゃんが行きたいところ、両方行くのはどうかな」
気がつくと、いつのまにか荻原くんの中で出かけることが決まったらしく、勝手に話が進んでいた。
両手を振って、慌てて反論する。
「ど、土日は親戚のところにお泊まりすることになってるの!」
「じゃあ、春休みは? もうすぐだよね」
そう言われて、何も言えなくなってしまった。
春休みは来週から、二週間だ。
さすがにもう逃げられない、と悟る。
「……行きたいところ、なんてないよ」
「ない、は、なし。どこでもいいからね」
楽しそうな荻原くんの笑顔を、私はそっと睨んでしまった。
でも、もう観念するしかないみたいだ。心の中で、小さくため息をついた。