君の秘密を聞かせて
 お休みの日に、二人で、お互いの好きなところへ……。

 それはつまり、デートということなんだろう。考えれば考えるほど気が重く、日が経つにつれ憂鬱さは増していった。

 あれからずっと行きたいところについて考えているけれど、何も思いつかない。

 修ちゃんがいなくなってから、お休みの日はいつも家で過ごしている。とてもどこかへ遊びに行く心境にはなれなかった。

 修ちゃんが生きていたとしても、どっちみち誰かとデートする場所なんて思いつかなかっただろうけど。

 ……いったい、どうしたらいいんだろう。

「吉祥寺にふくろうカフェオープンだってー。ここはどう?」

 井上さんの声が響いてきて、ふと顔を上げた。

 私の前の席で、井上さんとクラスの女の子の一人が楽しそうに話をしていた。

 二人はどうやら、机の上のスマホを囲んで談笑しているようだった。目の前の席だから、どうしても声が聞こえてくる。春休みはもう目の前だから遊びにいく予定でも立てているのだろうか。

 盗み聞きなんかよくないと思いながらも、次の授業である数学の教科書を読む振りをしながらこっそりと聞いてしまった。

「うちのカレシ、鳥類苦手なんだよね。だからフクロウは無理。動物園も行けないの」

「そっか、そりゃ絞られるねぇー。じゃ、井の頭公園は?」

「先週行っちゃった。公園系はもうネタ切れ」

 話の内容からして、デートの行き先を探しているらしい。井上さんが甲斐甲斐しくもう一人の女の子のデート計画を提案してあげている。その声を、そっと耳をそばだてて聞いた。

 このタイミングで、デートスポットの話なんて。私の行き先も決めてくれたらいいのに。

 すると、井上さんが突然こちらを振り向いた。

「相澤さんはさぁ、デートするならどこ行きたい?」

 え、と声が出た。横に座る女の子も、きょとんとした表情で私の顔を見つめる。

 なんで、私に話を振るの?

 今まで一緒に話していたわけじゃないのに。

 さして親しくもないのに、こんな話題で……。

 突然のことに、返す言葉が見つからない。

「え……っと」

 間近に井上さんの瞳が迫ってきて、体が強張った。

 女子の私でも顔を赤らめてしまいそうになる、井上さんの眩しい視線。きれいなまんまるの目が、カールされたまつ毛のせいで吸い込まれそうなくらい大きく見える。

 その瞬間、荻原くんの言葉を思い出した。

〝本当はみんなと仲よくしたいのに、わざと嫌われるように振舞ってる〟

 ……あぁ。

 あの言葉は、その通り、だった。

 本当は、井上さんとも話してみたい。

 井上さん、だけじゃなくて。クラスの中の、誰でもいい。

 友達がほしかった。恋バナなんかは無理かもしれないけれど、架空のデートの話なんかをしたりして。自分の話をするのはちょっと恥ずかしいけれど、人の恋愛について聞くのは好きだった。

 中学の頃は楽しかった。

 喋れる子は片手で数えられるくらいしかいなかったけど、五分休憩の時間、お昼休みの時間、たわいもない話をする時間が好きだった。先生のおもしろい仕草とか、近くにできたパン屋さんの話とか。

 でも、やっぱり無理なんだ。

 話そうとすると、修ちゃんのことを思い出してしまう。

 修ちゃんは、高校生になれなかった。その未来を奪ったのは、私。

 そして私は今、何食わぬ顔をして、修ちゃんが生きられなかった未来を生きている。

 それだけでもひどい話なのに。

 そんな私が友達を作るなんて、許されるわけがない。

「……私、そういうの、わからないから……」

 唇から漏れたのは、井上さんを突き放すような言葉だった。

 自分で言っておきながら、涙が出そうになった。

 じく、と胸が痛くなる。本当はこんなこと言いたいわけじゃない。なのに、勝手に出てくるその言葉を止められない。

 横に座る女の子の表情が一瞬固くなるのを見て、今すぐこの場から消え去りたい気持ちになる。

 私はこのクラスの空気を壊す人間。

 ただそこにいるだけで、みんなの明るく輝かしい青春をくすませてしまう人間。

 私、なんでここにいるんだろう……。

 ——でも、井上さんは怯まなかった。

「遊園地は?」

 変わらない笑顔で、そう聞いてきた。

 一瞬、質問の意味がわからなかった。

 明確に拒絶したのに。さらに質問をされるとは思わなくて、思わずその顔を見返す。

 それでも井上さんはじっと私の返答を待っている、から。

 どうしようもなくなって、戸惑いながらも、答えた。

「……人が多いところは、苦手、だから」

「じゃあ、映画?」

「映画……も、あんまり。興味が……」

「じゃ、食べ歩きとか」

 食べ歩き。

 嫌いじゃない。中学の頃は、よく一人でぶらぶらと食べ歩いていた。

 お店に入って食べるほどのお金はなかったから、テストでいい点が取れた日のご褒美に、店頭売りのクレープを買って歩く程度だったけど。何も考えずに歩いて、偶然見つけたお店に立ち寄って、おまんじゅうやたこ焼きを買って食べるのが好きだった。

 言葉に詰まっていると、井上さんはにっと白い歯を見せて笑った。

「いいじゃん、食べ歩き」

 何も言わない私を見て、イエスと捉えたようだ。

 肯定されて、なんだか恥ずかしくなる。

「行きたいとこ、あるじゃん」

「……で、でも。それは私が行きたいだけであって、別に誰かと行きたいわけじゃ」

「いいんだよ」

 井上さんはくすくすと笑っている。

「自分が行きたいところに、誰かと行けばいいんだよ。みんなそういうもんじゃない?」

 ぽかんとして、井上さんを見返す。

 井上さんは机の上のスマホを手に取って、またいじり始めた。

「食べ歩きでも立派なデートだよねー。下町なんかいろんなものがありそうで楽しそう。あ、アドバイスありがとー、相澤さん」

 そう言うと、井上さんはまた前を向いた。

 ……私、何も役に立ってないのに。

 ありがとう、なんていらないのに。

 目の前から井上さんの視線が消えても、花が咲いたようなその明るさが、ちらちらと世界を輝かせている。

 その気配は時間が経ってもなかなか消えてくれなくて、いつまでもくすぐったいままだった。

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