君の秘密を聞かせて
 *


 荻原くんと約束した春休みの初日は、雲ひとつない晴天だった。

 玄関を出ると、私の気持ちとは正反対のさわやかな空が私を出迎えて、目が眩んだ。

 気分は重い。でも引き返すことはできなくて、腕にぐっと力を入れて玄関の門を開けた。

 待ち合わせ場所は、私の家の最寄りの駅。

 本来ならお互いの住む駅の中間地点で待ち合わせるのが妥当なのかもしれないけれど、荻原くんは私の家まで迎えに行く、と言って聞かなかった。それをどうにか説得して、私の最寄りの駅前で許してもらい、今に至る。

 わざわざうちまで来なくていいから、と言うと、一秒でも長く一緒にいたいし、と返されるので困ってしまう。

「芽依ちゃん、おはよ!」

 荻原くんは私の姿を見るなり駆けてくると、満面の笑みを向けてきた。

 私はまだ心の準備ができないまま、荻原くんの全身をまじまじと見つめた。

 少しだけ春めいた、グレーの薄いロングコート。それに似合う、革のショートブーツ。

 コートの向こうには、第二ボタンまで開けた緩めのシャツが見えている。

 なんていうか、スタイリッシュ。

 モデルさんが着る春の新作発表会みたいで、その装いに戸惑っていると、荻原くんも荻原くんで私の全身を見回していた。

「私服、かわいい……。新鮮」

 かわいい、と言われて、思わず首を傾げそうになる。

 私は今、学校に行く時と同じダッフルコートを着ていた。下は、何の個性もないジーンズに履き潰したスニーカー。インナーのニットはコートを脱がないと見えないとして、あと制服と違う箇所といえば、安物のトートバッグくらい。

 別に、かわいくはない。むしろ制服の方がマシだと思う。

 なのに、私の姿を見て顔を赤らめている荻原くんは、やっぱり変わっている。

「えっと……ありがとう。で……、これから、どうしよう……」

「じゃあ、僕のコースから巡ろっか」

 荻原くんの後に、私。

 作文の発表会みたいで、不安になった。自分の番が来るのが怖くてたまらない。

 荻原くんはきっと私がどんなコースを提案しても嫌な顔なんてしないんだろうけど、それでもやっぱり、自分の意思で人を動かすのは抵抗を感じてしまう。

 この後に及んでまだもやもやしている私。それを気にせず、荻原くんが駅の方へ向かおうとする。

 そして、あ、と足を止めた。

「あのさ。今日は……っていうか、今日からは、オギハラくん、じゃなくて、蓮、って呼んでほしいんだけど」

 もじもじと、呟く。

 それを聞いて、声がひっくり返ってしまった。

「え……? む、無理! 無理だよ、名前なんて」

「大丈夫だよ。同級生でしょ。ほら、苗字呼びだと距離がちょっと遠い感じがするから」

 う、と思わず唸る。

 いきなり言われて、そんなに急に変われるはずがない。

 そもそも、男の人を下の名前で呼ぶなんて、修ちゃん以外に経験もない。中学の頃に喋っていた同性の友達でさえ、苗字にさん付けで呼んでいたくらいだ。

 首を振り続ける私に、荻原くんは眉をハの字にさせながら微笑んでいる。

「ね、おねがい」

 その顔。

 お願いする時に醸し出す、捨てられた猫みたいな表情。

 やめてほしい……。

「……できたら、やってみる……」

 仕方なく頷くと、荻原くんは口に手を当てて笑った。

「すごく、嫌そう」

 いつまでも笑っている荻原くんを、また睨みたくなる。

 それでも耐えて、私は荻原くんに促されるまま歩道を進んだ。


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