君の秘密を聞かせて
第五話



 お昼休み、いつものように屋上への階段を登ると、いつもは閉じられているはずのドアが開かれていた。

 屋上は、立ち入り禁止。とはいえその鍵は職員室の奥に掛けられていることは生徒の中で周知の事実だけれど、ちょっとした進学校であるうちはまじめな生徒が多いから、先生の叱責と引き換えに鍵を盗み出そうとする人なんていなかった。

 その鍵を開けて、誰かが屋上に入っている。今日まで何度もこの場所に足を運んできた私だけど、ここで知らない生徒に鉢合わせたことはないから、犯人は一人しか思いつかない。

 そっとドアを覗くと、柵に両肘をかけ、たそがれている蓮くんの姿が見えた。

 その後ろ姿がどこか儚い感じがして、急に、この姿が本当の蓮くんなんじゃないかと思えた。

 いつも、優しく私を見守ってくれる蓮くん。長谷くんみたいに見るからに強そうな感じじゃないけれと、何からでも守ってくれそうな、柔らかい強さがある蓮くん。

 でも、蓮くんだって一人の高校生なんだから、何から何まで完璧じゃないはずだ。

 私には口にしないけれど、いろいろな不安があるのかもしれない。それを一人で屋上に出ることで、発散しているのかもしれない。

 そしてその不安を作り出しているのは、もしかしたら私かもしれなくて……。

 声も出さずにそっと蓮くんに近寄ると、私はその横に並んだ。

 柵の外を見てみると、灰色の街並みと大きなグラウンド、そして左手には中学の校舎が見えた。

 しばらくそうしていて、ふと真横を見てみる。

 だけれど、蓮くんはまるで私の存在に気づいていないようで、何かを考え込むように虚空を見つめていた。

「おはよう、蓮くん」

 声をかけて、やっと蓮くんがこちらを向く。

 すぐにいつもの柔らかな表情で、微笑んでくれた。

「……おはよう。ご飯、食べよっか」

 あの日。

 夕方と朝、蓮くんからいつものチャットが来なかった日以来、私たちはなんとなくぎくしゃくしていた。

 私がぎくしゃくするなんて、いつものことなんだけれど。蓮くんもどこか元気がないようで、それがずっと気になっていた。

 でもなんとなく、何かあった?と、聞く勇気が出なかった。

 自意識過剰だけれど、自分のせいかもしれないと思ったから。

 蓮くんが日常の中で気にすることといえば、私のことばかりだったから。何かあった?と聞いて、芽依ちゃんのせいだと言われるのが怖かった。

 でも、きっと。

 私は蓮くんを不安にさせている。

 ひとつだけはっきりと、心当たりはある。

 ただ……。

 私も私で気になることができてしまい、身動きが取れなくなってしまって、お互いに悶々とした日々を送っているような感じがしていた。

「あ、蓮くん、これ……!」

 ご飯を食べ終わったあと、私は背中側からさりげなくラッピング袋を取り出した。

 それを、蓮くんに手渡す。

「え、なに? ……これ、クッキー?」

「前にデザート、よくいただいてたから……。蓮くんより下手だし、お口に合うか、わからないけど」

 昨日の夜焼いたクッキーだった。お菓子作りが趣味のお母さんに習いながら、夜通しかけて作ったのだ。

 やってみて、お菓子作りの才能がない自分にだいぶ辟易したけど、お母さんに助けてもらいながらどうにか形にした。

 お母さんには「友達に配るから」とうそをついて山ほど作り、その中から出来のいいものを選んで持ってきたのだった。

「うれしい……! ありがとう」

 蓮くんの笑顔が弾ける。その笑顔を見ていると、なんだか私もうれしくなってしまった。

 だけれど今は、それじゃない。

 ……もっと欲しいものがあるんだ。

『なんで蓮くん、井上さんと同じキーホルダー持ってたの?』

 欲しいのは、この質問の、答え。

 井上さんの元彼って——蓮くん、なの?

 気になるけれど、どうしても聞けなかった。

 聞いたところでどうなるわけでもないし、自分でもなんでそんなことを知りたいのかわからない。

 ただただ、モヤモヤしていた。もしかしたら、蓮くんと井上さんは付き合っていたのかもしれない、という事実に。

 そしたら、いろいろな辻褄が合う気がする。

〝昔さ、同じ塾に通ってた。明るい子だよね〟

 あの時の、蓮くんの歯切れの悪さとか。

〝あの人、D組のオギワラレンだよね〟

 あの時の、井上さんの知らんぷりとか。

 付き合っていたのは、塾が一緒だと言っていた昔の話なのかもしれない。今は別れて疎遠になってしまったけれど、私をきっかけに友達に戻ったのかもしれない。

 私と蓮くんは今、たぶん、お互いに言いたいことを飲み込んでいる。

 そのぎこちなさを解消したくて、クッキーを焼いてみたけれど、やっぱり話さないとこの気持ちは解消できない。

 蓮くんがクッキーを食べ終え、山のような感想を言い終えたあと、私はさりげなく話題を変えた。

「蓮くんってさ……恋人できたら、周りの人に公表したいと思う?」

 勇気を出してやっと出てきた問いは、随分遠回しなものだった。

 蓮くんは、いつもの微笑みを浮かべて即答した。

「したい」

 やっぱり……。

 聞かなくてもわかる。蓮くんは、そういうタイプだ。

 井上さんと考え方が似ている。

〝公表したいってタイプもいたかなー〟

 やっぱり、井上さんの元彼って、蓮くんなのかな……。

 視界いっぱいに(もや)が立ち込めて、前が見えなくなりそうになる。

 胃の中に重たい岩石が詰まって、体が動けなくなったような感覚がする。

 なんでそんな気持ちになるんだろう。

 お似合いの、二人。

 自分でも、お似合いだなぁ、付き合えばいいのに、と思ったほどの二人。

 蓮くんが井上さんの元彼だろうが、今彼だろうが、自然に見えるし……かまわないはずなのに。

「……大丈夫だよ、誰にも言わないから」

「え?」

 よくわからない蓮くんの言葉に、私は正気を取り戻した。

 蓮くんは困ったような顔をしていたけれど、それでも笑顔だった。

「心配しないで。今はもちろん、今後僕たちがどうなったとしても、芽依ちゃんがいいって言うまで僕たちの関係を誰かに話したりしないから」

 そういう意味で言ったわけじゃ、ないんだけど……。

 つい口を噤んでいると、蓮くんは付け足した。

「……あとね。もし芽依ちゃんに他に好きな人ができたなら、遠慮なく言ってほしい。僕は大丈夫だから。本当は、僕のことを好きになってくれたらうれしかったけど……他の人を好きになったとしても、それはもうどうにもならないし、仕方がないことだから。僕は芽依ちゃんに幸せになってほしい。それだけなんだ。……こうして無理やりそばにいるくせに、今更だけど」

 私に、好きな人?

 あまりに突拍子もない発想に、言葉を失う。

 私に好きな人なんて、できるわけないのに。修ちゃんのことを考えていたいこの状況で、蓮くんに対してでさえ宙ぶらりんにしているこの状況で、新しく好きな人なんてできるわけないのに。

 蓮くんだって、それを知ってるはずなのに……急にそんなことを言うなんて。

 なんで、そんな風に思うの?

 ……やっぱり、蓮くん……。

 思わず、大きな声が出た。
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