君の秘密を聞かせて
「あ、あの、私、この前長谷くんと、会ってね!」

 突然話題が変わったものだから、蓮くんは面食らったように私の目を見た。

 私も流れがおかしかったなと思いながら、でも止められず、話を続けた。

「偶然校内で見かけたから、追いかけていって、親睦会の時のこと話して。ちゃんと仲直りできたの。変な空気にしてごめんって。長谷くんね、私がクラスでいつも一人きりだったからいじめにあってるんじゃないかって思ってたんだって。親睦会であの時、それを言おうとしてたんだ」

「……いじめ?」

 意外な答えだったらしく、蓮くんが繰り返す。

 私は何度も頷きながら、続けた。

「こうして話せたのも、蓮くんのおかげだよ。長谷くんはきっと悪気があったわけじゃないって言ってくれたから……もう一度話してみようって、勇気が出せた。ありがとう、蓮くん」

 長谷くんと二人きりで会ってた、ということを蓮くんに言いにくくて、この一週間話せずにいた。でも、もし蓮くんが私のあとをつけて長谷くんと二人きりのところを目撃していたとしたら、内緒にするのは逆効果だ。

「……よかった」

 蓮くんは私の言葉に、心底ほっとしたように表情を緩ませた。その表情に、私もほっと息をつく。

 蓮くんからの夜と朝のチャットが来なかったのは、私と長谷くんが会った日の夜からだった。

 やっぱり、蓮くんが気にしてたのって、長谷くんのことだったんだ……。

 早く伝えなかったことを、後悔した。蓮くんが小さく、でも深く深く息を吐くのを、私はじっと見ていた。

 長谷くんは、最初は怖かったけれど今となっては頼れるし、好きな人。だけど、特別な意味で好きなわけじゃない。

 そもそも、井上さんの彼氏だし。私は今、修ちゃんのことを考えていたいのだし。

 それでももしも、私がいつか誰かを好きになるとしたら。

 それは。

 それは……。

 はっとして、頭を振る。

 そんなこと、考えちゃいけない。

 今、私は、修ちゃんのことに集中したいのに。

 気持ちに蓋をするように、開けっ放しになってきたお弁当箱にも蓋をして片付けた。

 そしてしばらく二人で黙っていると、昼休みを終えるチャイムが鳴った。

 予鈴だ。私はもうここを出ないといけない。

 でも、なんとなく足が動かなかった。

「もう少し、ここにいたいな……」

 ふと、蓮くんの小さな呟きが耳に届いた。

 顔を見ると、蓮くんはどこか遠くを見ていた。その表情は笑顔なのに、なんだか泣きそうに見えて、このまま教室には戻れないと思った。

 それに、もう少しここにいたいというのは私も同じ気持ちだ。

 結局、予鈴が鳴っても本鈴が鳴っても私たちは動かず、そのまま二人で座っていた。

 蓮くんはあの公園デートの日のようにその場に寝転ぶと、私の方を向いたまま目をつむった。しばらくの間、私たちは春先の優しい風を浴びながら、どこからか聞こえてくる生徒たちの声に耳に傾けていた。

 体育をやっているらしい、生徒たちの元気なかけ声。音楽の授業の始まりの発声練習。

 聞き馴染みのあるいろいろな音が聞こえてくるのに、それらすべてがどこか他人事に感じるのは、蓮くんとのこの空間が居心地のいいものだからなのかもしれない。

 私はいつも一人ぼっちだけれど、授業をサボったことなんてないから、今頃教室はざわついているだろうか。

 いや、そんなことない。蓮くんのクラスなら騒ぎになっているかもしれないけれど、私は地味でちっぽけな存在だから、先生なんか私がいないことにすら気づいてないかもしれない。

 でも今は、そんなことはどうでもよかった。

 この時間を大切にしたいなと思った。

 せっかく授業を放棄して時間を作ったのに、何も喋らない私たち。でもこの空気感が、心地よかった。

 蓮くんといると、安心できる。不安で吹き荒れる心の中の風を、すっと止めてくれる。

 そんな想いが伝わったのか、蓮くんが目をつむったまま呟いた。

「……ずっと、芽依ちゃんとここにいられたらいいのに」

 柔らかな髪が、指先に触れる。

 その頭を撫でてあげたい衝動にかられる。

 どうしてだろう。

 なんで、そんなことしたくなるんだろう。

 それは……。

 ……もう、いい。

 私はもう、わかってるんだ。

「……あのね。私、前に井上さんに聞いてみたの」

 そう、話しかけてみる。

 寝ちゃったかなとも思っていたけど、蓮くんはちゃんと起きていて、何を?と答えた。

「自分のせいで大切な人が亡くなったどうする?って」

「……なんて、言ってた?」

「その人の分まで、ハッピーになるって」

「はーちゃんらしい……」

 目をつむったまま、蓮くんがくすりと笑う。

 私も笑いながら、続けた。

「蓮くんはさ、自分のせいで大切な人が亡くなるようなことがあったら……どうする?」

 蓮くんは、うーん、と少しだけ悩んで、答えた。

屋上(ここ)から飛び降りようかな」

 息が、止まった。

 想像してしまったから。蓮くんが、あの柵を乗り越えてここから飛び降りる瞬間を。

 ぞっとして、涙すら出そうになる。

 私がもしその瞬間を見ていたとしたら、ショックで、もう生きていけないかもしれない。修ちゃんに続いて、蓮くんまで失ってしまうなんて。きっと、飛び降りるために柵を登ろうとしている彼を見つけたなら、その体にしがみつくようにしてでも止めるのだろう。

 それでも、私の力ではとても止められなくて、結局蓮くんは……。

 頭の中でぐるぐると考え込む。すると、蓮くんがぱっと目を開けて、上半身を起こした。

「ごめん。悩んでるのは芽依ちゃんの方なのに」

 蓮くんの焦ったような表情。その顔に、首を振る。

 蓮くんがここから飛び降りるなんて想像するのもつらいけれど、私を励ますためのうそより、本心の方がいい。

 蓮くんは小さくため息をついて、また寝転んだ。

「でも、考えるだけで怖いんだ。大切な人……もし、芽依ちゃんがいなくなったら、なんて考えるだけで、怖くてたまらない……。情けないけど……」

 まどろんでいるような、蓮くんの言葉。

 心配してくれるありがたさと、なんでそんなに私のことを、といういつもの疑問が、入り混じる。

 蓮くんは途切れ途切れになりながらも、続けた。

「飛び降りるって言ったのは……うそ。……もし僕が、誰かを殺してしまったとしたら……僕はそれ以上に、誰かを、助けよう……かな」

 その後、蓮くんは本当に眠ってしまったようで、長いまつ毛を伏せたまま黙ってしまった。

 彼の折り曲げた右腕、指の先が、私の膝に触れている。そこから、彼の弱さが伝わってくるような気がした。

 蓮くんは、ずっと私のそばにいてくれている。

 付き合ってるわけでもないのに。私は何も返すことができないのに。ずっとそばにいてくれている。

 なのに、彼の気持ちはいつまでたっても報われない。

 きっと私が答えを出すまで、満たされないままなんだ。そして私が出した答えによっては、しばらくは立ち直れないくらい、深く傷つけてしまうのかもしれない。

 これ以上、彼を縛りたくない。

 不安の中で過ごさせたくない。

 修ちゃん。私、答えを出したいよ。

 ……でも、どうしたらいい……?


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