君の秘密を聞かせて
……え。
思わず振り返る。柵を強く握りしめたせいで、ギシ、と音がした。
井上さんは、私の視線を感じ取ったようで、自分の腕の中に顔を埋めた。
「私、修二と付き合ってたの。……事故にあったのは、私と横浜に行った夜のことだった」
〝今日さ、友達と横浜に行ってきたんだ〟
あの言葉……。
相手は、井上さん、だったの?
「帰り際、修二が幼馴染に豚まん買って帰りたいって言い出してさ。私、ばかじゃないって言ったの。他にも日持ちするやつあるじゃんって。もうそこそこの夜なのに、わざわざ家まで行かなくてもいいじゃんって。でも、絶対豚まんがいいって。おいしかったからって。帰る前にその足で渡しに行くからってさ、ばかでしょ。夜から大雨警報出てるっていうのに」
井上さんは柵を掴んだまま、ずるずるとその場にへたり込んだ。
私も力が抜けて、井上さんの横にしゃがんだ。
「あの夜、修二……浮かれてたんだ。はじめてのデートだったからさ、私もそうだったのかも。修二、今夜幼馴染の家に行ったら、彼女ができたこと話すって言ってた。なんか、ずっと話せなかったんだって。言ったら幼馴染の子が離れていっちゃう気がするらしくて、それが寂しくて……。でも、やっぱり秘密にしてるのも変だし、彼女ができたこと、話そうって。……でも、そんなの、あの日じゃなくてもよかったのに」
私、どうして止めなかったんだろう——そう言った井上さんの語尾は、震えていた。
屋上のアスファルトに、ぽたり、と涙の粒が弾ける。
あまりのことに、私は呆然と、井上さんが声を殺して泣いている姿を見ることしかできなかった。
〝もし、自分が投げたシャトルが当たって、井上さんの大切な人が亡くなったとしたら……どうする?〟
〝……幸せになる、かなぁ〟
——私、なんてことを聞いてしまったのだろう。
何も言えなかった。
自己嫌悪に、押し潰されそうになった。
井上さんの震える肩に、手を触れることもできない。私は何度も井上さんの明るさに救われてきたのに。
そのうち彼女は、ふふ、と笑って赤い目をこちらに向けた。
「高校に入ってからさ、私、ずっと相澤さんのこと見てたんだ」
井上さんの手がそっと伸びてきて、私の頬を滑らせる。
私もいつのまにか、泣いていたみたいだった。
「なんか、修二がずっと話してたもんだから気になっちゃって。で、相澤さんと同じクラスじゃん!って思ってずっと観察してたの。そしたら、聞いてた話と違くてびっくりした。修二は、相澤さんは人なつっこくてほんわかしてて、明るい子だって言ってたから……。なんとなく、相澤さんはいま私と同じ気持ちなんだろうと思って、何か私にできることないかなって考えてた。でも、やっぱりしばらくは私も気持ちに余裕がなくて、何もできなくて」
首を振る。
井上さんが、私を誘ってくれるのがうれしかった。
人と関わるのをやめようとしてたくせに、結局私は人を求めていて。そんな気持ちを汲み取ってくれるように、つかず離れず、井上さんが優しい距離感で話しかけてくれるのがうれしかった。
なのに、私はなんて自分勝手なんだろう。
自分のことばかり考えて、井上さんの傷を抉るような質問をした。
悲しくて、やっぱり涙が落ちてしまう。
「今まで、秘密にしててごめん。知られるのが怖かったの。修二が事故にあったのは、私がデートに誘ったせいだから……相澤さんに知られるのが怖かった。ごめんなさい。ただ……、蓮はね、本当に相澤さんのことが好きなの。私もそう……修二のことは関係ない。修二が亡くなってから私、蓮とは気まずくなって話せなくなっちゃったんだけど……今の蓮の顔見てたらわかる。本当に、相澤さんのことが好きなんだよ。だから……私のことは許せなくても、蓮とは、仲よくしてあげてほしい……」
井上さんはそこまで言うと、声をあげて泣き出した。
止められていた何かが、崩壊したみたいだった。泣き声が世界中にこだましていた。私も横で、涙が止まらずにいた。
弱い私には、どうすることもできない。
ただ、気がつくと、私は井上さんの背中をぎゅっと抱きしめた。
悲しみを、分け合うみたいに。
切なさを、感じ合うみたいに。
すると、井上さんも私の背中に手を回し、強く握り返してきた。私たちはそのまま、互いに体を寄せ合ってしばらく泣き続けた。
なんで、こんなに悲しいんだろう。
なんで、こんなことになってしまったんだろう。
悲しい。
苦しい。
どうすることもできない、自分が悔しい。
——でも、もう過去は変えられないから。
修ちゃんは、もういないから。
もう、戻ってはこないから。
だからその現実に、私たちは向き合うしかないんだ。
井上さんの背中は温かくて、でも、何かをきっかけにぽきりと折れそうなほど、華奢で。
そんな背中で……それでも、生きてきたんだね。
どんなに、つらかっただろう。私は挫けそうになったのに。どんなに努力したら、あんなに明るく振る舞えるのだろう。
今まで頼ってきて、ごめんなさい。
そして……ありがとう。
私の腕を強く握る腕から、底のない、深い悲しみが伝わってくる。
互いに抱えてきたつらさを感じて、涙は止めどなく流れ続けた。
思わず振り返る。柵を強く握りしめたせいで、ギシ、と音がした。
井上さんは、私の視線を感じ取ったようで、自分の腕の中に顔を埋めた。
「私、修二と付き合ってたの。……事故にあったのは、私と横浜に行った夜のことだった」
〝今日さ、友達と横浜に行ってきたんだ〟
あの言葉……。
相手は、井上さん、だったの?
「帰り際、修二が幼馴染に豚まん買って帰りたいって言い出してさ。私、ばかじゃないって言ったの。他にも日持ちするやつあるじゃんって。もうそこそこの夜なのに、わざわざ家まで行かなくてもいいじゃんって。でも、絶対豚まんがいいって。おいしかったからって。帰る前にその足で渡しに行くからってさ、ばかでしょ。夜から大雨警報出てるっていうのに」
井上さんは柵を掴んだまま、ずるずるとその場にへたり込んだ。
私も力が抜けて、井上さんの横にしゃがんだ。
「あの夜、修二……浮かれてたんだ。はじめてのデートだったからさ、私もそうだったのかも。修二、今夜幼馴染の家に行ったら、彼女ができたこと話すって言ってた。なんか、ずっと話せなかったんだって。言ったら幼馴染の子が離れていっちゃう気がするらしくて、それが寂しくて……。でも、やっぱり秘密にしてるのも変だし、彼女ができたこと、話そうって。……でも、そんなの、あの日じゃなくてもよかったのに」
私、どうして止めなかったんだろう——そう言った井上さんの語尾は、震えていた。
屋上のアスファルトに、ぽたり、と涙の粒が弾ける。
あまりのことに、私は呆然と、井上さんが声を殺して泣いている姿を見ることしかできなかった。
〝もし、自分が投げたシャトルが当たって、井上さんの大切な人が亡くなったとしたら……どうする?〟
〝……幸せになる、かなぁ〟
——私、なんてことを聞いてしまったのだろう。
何も言えなかった。
自己嫌悪に、押し潰されそうになった。
井上さんの震える肩に、手を触れることもできない。私は何度も井上さんの明るさに救われてきたのに。
そのうち彼女は、ふふ、と笑って赤い目をこちらに向けた。
「高校に入ってからさ、私、ずっと相澤さんのこと見てたんだ」
井上さんの手がそっと伸びてきて、私の頬を滑らせる。
私もいつのまにか、泣いていたみたいだった。
「なんか、修二がずっと話してたもんだから気になっちゃって。で、相澤さんと同じクラスじゃん!って思ってずっと観察してたの。そしたら、聞いてた話と違くてびっくりした。修二は、相澤さんは人なつっこくてほんわかしてて、明るい子だって言ってたから……。なんとなく、相澤さんはいま私と同じ気持ちなんだろうと思って、何か私にできることないかなって考えてた。でも、やっぱりしばらくは私も気持ちに余裕がなくて、何もできなくて」
首を振る。
井上さんが、私を誘ってくれるのがうれしかった。
人と関わるのをやめようとしてたくせに、結局私は人を求めていて。そんな気持ちを汲み取ってくれるように、つかず離れず、井上さんが優しい距離感で話しかけてくれるのがうれしかった。
なのに、私はなんて自分勝手なんだろう。
自分のことばかり考えて、井上さんの傷を抉るような質問をした。
悲しくて、やっぱり涙が落ちてしまう。
「今まで、秘密にしててごめん。知られるのが怖かったの。修二が事故にあったのは、私がデートに誘ったせいだから……相澤さんに知られるのが怖かった。ごめんなさい。ただ……、蓮はね、本当に相澤さんのことが好きなの。私もそう……修二のことは関係ない。修二が亡くなってから私、蓮とは気まずくなって話せなくなっちゃったんだけど……今の蓮の顔見てたらわかる。本当に、相澤さんのことが好きなんだよ。だから……私のことは許せなくても、蓮とは、仲よくしてあげてほしい……」
井上さんはそこまで言うと、声をあげて泣き出した。
止められていた何かが、崩壊したみたいだった。泣き声が世界中にこだましていた。私も横で、涙が止まらずにいた。
弱い私には、どうすることもできない。
ただ、気がつくと、私は井上さんの背中をぎゅっと抱きしめた。
悲しみを、分け合うみたいに。
切なさを、感じ合うみたいに。
すると、井上さんも私の背中に手を回し、強く握り返してきた。私たちはそのまま、互いに体を寄せ合ってしばらく泣き続けた。
なんで、こんなに悲しいんだろう。
なんで、こんなことになってしまったんだろう。
悲しい。
苦しい。
どうすることもできない、自分が悔しい。
——でも、もう過去は変えられないから。
修ちゃんは、もういないから。
もう、戻ってはこないから。
だからその現実に、私たちは向き合うしかないんだ。
井上さんの背中は温かくて、でも、何かをきっかけにぽきりと折れそうなほど、華奢で。
そんな背中で……それでも、生きてきたんだね。
どんなに、つらかっただろう。私は挫けそうになったのに。どんなに努力したら、あんなに明るく振る舞えるのだろう。
今まで頼ってきて、ごめんなさい。
そして……ありがとう。
私の腕を強く握る腕から、底のない、深い悲しみが伝わってくる。
互いに抱えてきたつらさを感じて、涙は止めどなく流れ続けた。