君の秘密を聞かせて
 お昼休みの校内はどこも人通りが多くて、その波がおさまるまでの間、私は不自然に廊下を行き来していた。

 このまま廊下をうろうろし続けて、お昼休みが終わってしまえばいいのに。そう心の中で呟いてみるものの、もちろんそういうわけにもいかず、生徒たちがこちらに背を向けた瞬間を狙って階段を駆け上がった。

 向かうのは、屋上。

 でも外へと通じるドアはいつも鍵が閉まっているから、実質そこは誰も来ない秘密の空間だ。

「芽依ちゃん!」

 見上げると、荻原くんがうれしそうに頬を染めながら手を振っていた。

 でも、こっちはとても笑顔を返せる心境じゃない。本当は今すぐにでも教室に戻りたかった。

 その気持ちを押し殺して、階段を上り切る。

 そしてすぐさま抗議した。

「あ、あの……、……教室には、来ないでほしいんですけど」

 先ほど荻原くんが教室にやってきた時、おそらくその場にいた生徒全員が私たちに意識を向けていた。

 やっぱり荻原くんは目立つらしい。噂には聞いていたけれど、想像以上だった。

 廊下に出て小声で「話は屋上で聞くので先に行っててください」とだけ伝えたけれど、その間、教室の中からも外からも好奇の視線を感じた。〝あの、暗くていつも一人ぼっちの相澤芽依が、噂の転入生と、どうして〟——そんな声が聞こえた気すら、した。

 私は、幸せになんかならない。なっちゃ、いけない。

 だから今日まで友達も作らず、極力目立たないように過ごしてきたのに。

 そんな私の気持ちとは裏腹に、荻原くんはあっけらかんと微笑んでいる。

「ごめんね。メール返ってこなかったから、なんだか心配になっちゃって」

 そう言われて、ぐ、と言葉が詰まった。

「……メール」

 二時間目の終わりに来た、〝お昼、一緒に食べない?〟というメールのことだ。私はそれを無視していた。

 荻原くんと一緒にお昼ご飯なんか食べたら、変な噂をたてられるのは目に見えている。そしたら、興味本位に話しかけてくる人も出てくるかもしれない。荻原くん目当てに私と関わろうとする人だって現れるかもしれないし、逆に私を妬んで嫌がらせをしてくる人だっているかもしれない。とにかく目立つことは避けたかった。

 結果、私に残されたのは〝メールを見なかったことにする〟という選択だけだった。

「ごめんなさい……。メール、気づかなかった……かも」

「ううん、いいんだ。ただのお昼のお誘いだったから」

 荻原くんは私の言葉をひとかけらも疑っていないようで、優しく笑っている。

 その表情のまま、すとんと階段の淵に腰をかけると、上目遣いで私を見つめた。

「……お昼、一緒に食べてもいいかな」

 まっすぐな、目。

 その視線に、困惑してしまう。

 荻原くんという人物がわからなかった。突然不思議なメールをしてきたり、告白してきたり。

 今だって、「食べてもいいかな」じゃなくて「食べよう」と命令することだってできるのに、荻原くんはただ私の様子を伺うようにこちらをじっと見つめてくるだけ。

 何を考えているのだろう。

 ただ、荻原くんがどんな人であったとしても私の答えは変わらない。

 スカートの裾を握り、小さく息を吸うと、声を振り絞った。

「……ごめんなさい。私、荻原くんと一緒にはいられません。修ちゃんの……近藤修二くんのことは、誰かに喋りたいなら喋ってもかまわないので。……もう、私につきまとわないでください」

 そう言い残すと、私は荻原くんを置いて階段を降り始めた。

 体が震えている。本当は、怖かった。修ちゃんのことを知られて、みんなから非難されるのが。

 それでも、私は荻原くんに、修ちゃんと私の関係を秘密にしてもらうことはできなかった。

 私には、修ちゃんとのことを隠す資格はないから。

 今まではたまたま誰にも知られなかったけれど、荻原くんが修ちゃんと私のことを公表するというなら、私は受け入れなければならない。それだけのことをしてしまったのだから。あの夜、修ちゃんは私の家へ来ようとしたせいで亡くなってしまった——私は元から責められても仕方のない人間だ。

 握った手に汗がにじむ。頭の隅で、〝戻って荻原くんに謝った方がいい〟と声がする。それを無視して進んだ。

 これでいい。これで、いいんだ。

 そう思いながら階段を曲がろうとした瞬間、後ろから声がした。

「……じゃあ、明日も誘っていいかな」

 足を止めた。

 振り返ると、荻原くんは私の冷たい言葉に少しも動じていないようで、優しげな目で見つめ返している。

「……え?」

「毎日、教室まで迎えにいくからさ。気が向いたらでいいから、一緒にご飯食べようよ」

 毎日?

 思わず口が開く。

 そんなの、無理。毎日荻原くんが教室にやってきたりしたら、断るにしてもとにかく目立ってしょうがない。

 つい大きな声が出てしまった。

「そ……そんなの困ります!」

「じゃあ、今日だけ。今日だけ、一緒に食べよう」

 そう言われて、また言葉が詰まった。明らかに困っている表情をしているはずの私に、荻原くんはにこにことした表情を崩さない。

 この人。

 優しそうな顔してるけど……なんだろう。

 強引、だ。

「……私、荻原くんと一緒にいるところ……誰にも見られたくないんです」

「それなら、ここで食べたらいいんじゃないかな。ここなら誰も来ないよ」

「……でも。お弁当……今から教室に取りに行ったら、誰かに勘繰られるかもしれないし……」

「これ、芽依ちゃんの分!」

 荻原くんが脇に置いていたランチバックを持ち上げる。中から取り出したのは、色違いのふたつのお弁当箱だった。

 透明の蓋の向こうに見えるのは、卵焼き、ハンバーグ、ブロッコリーにミニトマト。それらが彩りを考えて、きれいに並べられている。

 それらは全部手作りのようで、私は呆気に取られてお弁当箱と荻原くんを何度も見返した。

 今朝の時点で、一緒に食べる約束なんかしてなかったのに。

 断られる可能性だって、充分あったはずなのに。

 わざわざ二人分、用意してきたの?

「……なんで、そこまで」

「好きになってほしいから」

 間髪入れずに答える。思わず、はぁ、と、ため息とも返事とも取れない言葉が出た。

 全然、わからない。

 なんで、私なの? なんで私のために、そこまでするの?

 今、私が彼を見ている目は、きっと宇宙人を見るようなものになっていると思う。一方で、荻原くんは変わらず笑顔を浮かべているけれど、そのまつ毛の奥にふと哀しげな光が見えていた。

 笑ってるのに、どこか寂しそうな表情。その下がった眉尻を見ていると、何も言えなくなってしまった。

 なんで、そんな顔するの。

 おどしてるくせに。

 無理強いをしてるのは、そっちのくせに。

 ……でも。

 本当に悪いことをしたのは……私なんだ。

「……ご飯、いただきます」

 そう答えると、荻原くんは目を線のように細めて笑った。今度は心の底からの笑みのようで、それを見て、なんだか私もほっとしてしまう。

 別に、荻原くんが笑ったから安心したんじゃなくて、荻原くんが気分を損ねなかったようだからほっとしただけ。

 結局私は言われるがまま、彼のご機嫌取りをするしかなかった。


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