死んでも推したい申し上げます
「ギャッ!!」
ドスン、という鈍い音とともに、ヒューゴの姿が消えた。
代わりに、たった今ヒューゴが居た位置に立つのは、ローズマリーが会いたくて会いたくてたまらなかった存在…。
「取り込み中失礼します。」
肉桂だった。
いつものぼんやりした無表情で、脚を綺麗に揃え、ヒューゴを背中から踏み潰し着地したのだ。
踏み潰された衝撃で、ヒューゴの握っていた金の小瓶は粉々に割れ、足元に聖水が溢れた。
だが、裸足のローズマリーとは違い、元々靴を履いている肉桂には何の脅威もない。聖水の水溜まりをちゃぷちゃぷと踏みながら、たった今伸した相手の背から降りる。
ローズマリーは剥き出した牙をしまうことも忘れて、肉桂の姿をただただ見つめる。
「…に、肉桂様……。」
「突然すみません、ローズマリーさん。
何やら揉めていたようなので。話の腰を折ってしまったでしょうか。
……あれ、それ…。」
肉桂の視線が、ローズマリーの左腕があった位置に向けられる。
聖水によって跡形もなく消失した左腕。怯えた様子のローズマリー。それだけで、肉桂はすべてを理解した。
ゆっくり後ろを振り返る。
たった今伸されたと思われたヒューゴは、ヨロヨロと立ち上がり残りの退治グッズを掲げて、肉桂を強く睨んでいた。ゾンビ退治を謳うだけあり、体を鍛えているらしい。
「あなたが、ローズマリーさんを傷付けたのですね?」
肉桂の声色が低くなる。
抑揚の少ない声の中には確かに、激しい“怒り”を感じることができた。
「…クッ、仲間を呼んだのか、卑怯なゾンビめ…!まあいい、そこの変な格好の男もろとも退治するまで!」
ヒューゴがロザリオの先の十字架を握り、肉桂に向かって迫った。
「肉桂様…!危ないっ!」
ローズマリーが叫ぶ。
十字架は肉桂の顔面目掛けて突っ込んでくる。
聖なるモチーフに触れたら、いかに肉桂と言えど無事では済まないだろう。
「…これは何かの遊戯でしょうか?」
肉桂はどこかうんざりと言う。
その額に十字架がピッタリと押し当てられているというのに、彼の肌は崩れることも溶けることもない。
それどころか、肉桂は鋭い自身の牙で十字架を捕らえると、力を加えて十字架を真っ二つに折ってしまった。
これに一番驚いたのはヒューゴだ。
「…な、なぜ…っ、お前は化け物のはず…!」
今まで聖水と十字架で退治できない怪物はいなかった。
ならばこれはどうだとばかりに、ヒューゴはもう一方の手の聖書を肉桂に押し当てる。
それでも、肉桂の体に変化はなかった。
チラッと聖書の表紙に目をやると、
「すみません、英語が分かりません。」
またもうんざりと吐き捨てた。
ヒューゴは混乱と怒りが頂点に達する。
聖なる十字架も聖なる書も効果なし。では彼に残された手は一つ。
「クソッ!!天誅!!」
聖書の分厚さを利用し、その硬い“背表紙”を肉桂の脳天目掛けて振り下ろしたのだ。
物理はいつだって正義だ。
しかしその天からの一撃も、肉桂の片手にアッサリと受け止められ、逆に聖書を奪われてしまう。
そのことにヒューゴが反応するよりも速く、肉桂からの“背表紙天誅”を脳天に食らう結果となってしまった。
ガンッとひどく鈍い音が響く。
後ろで様子を見ていたローズマリーでさえ、あまりの痛々しさに自分の頭を押さえてしまうほど。
「あ……あが……。」
地面に倒れ伏したヒューゴは瀕死の蛾のようにピクピクと痙攣しだした。
耳を澄ますと、虫の息の声がこう言っている。
「…な、なぜ…神の祈りが…効かな……。」
何一つ納得のいかない結果に、肉桂が端的に答えを教えてくれた。
「私は道教の怪物なので、キリスト教とは宗旨が違うのです。」
なるほど、とローズマリーはすんなり納得。
虫の息のヒューゴも、
「……それなら、仕方な…。」
そこまで言うと、首をガクッと地に倒し、意識を手放してしまった。