死んでも推したい申し上げます
丘の上の石造りの霊廟に到着した肉桂は、あることに気づく。
この中に入ることは勿論初めてであるし、言わば“女性の寝所”に入ることなどもっと経験がなかった。
失礼に当たらないだろうか。いいや、今はそれどころではない。こんな無神経な行動を取って、幻滅されても至極当然だ。
偶然にもローズマリー、肉桂ともに「幻滅されるかも」という不安を抱えていたのだ。
「お邪魔します。」
意を決して石の扉を開ける。人間なら大の大人が二、三人掛かりの重厚な扉も、肉桂にかかれば片手で楽々だ。
扉をくぐり中に入る。
オレンジ色のランプで薄暗く照らされた室内を見た時、
「!」
肉桂の動きがまた止まった。
霊廟内に所狭しと置かれた、自分そっくりの人形、人形、人形…。
壁の造り付けの石の棚には、肉桂をモチーフにした扇子やカップ、ブローチといった小物がずらりと並ぶ。反対側の壁には、以前一度ローズマリーに貸した礼服そっくりのサイズダウンしたドレスが、手を加え丈を変えて何着も掛かっている。
石棺の中にはくたびれた肉桂ぬいぐるみがちょこんと収まり、持ち主が夜毎それを抱きしめて眠りに就いていることが想像できた。
祭壇ゾーンから離れた位置には一人分の机と椅子が作業台として置かれ、様々な工具や材料、スケッチが散乱している。ここからあの無数の創作物は生み出されていたらしい。
「………。」
ローズマリーは何も言わない。(言えない)
肉桂は特に感想を言うでもなく、作業台へ向かう。
何か役に立つものはないか…と見回したとき、人の腕の形の型紙を見つけた。恐らく等身大肉桂人形を作るのに用いたものだろう。
肉桂サイズのものと、それより小さい…女性サイズのものもある。これはローズマリーが自分の腕のサイズと比べて“どれだけ大きさが違うのか”を俯瞰的に見て楽しむために作ったのだが、その事実を肉桂が知る必要はない。
肉桂は作業台に型紙を置き、ローズマリーの残骸を一掬い、その上に乗せる。
不器用な彼ながら、型紙とサイズを照らし合わせながら、慣れない手つきで崩れた体を捏ね始めた。
ーーー肉桂様…。
いびつで不恰好な形に仕上がっていく。が、それは確かに女性の腕だった。
「厚みは……指はもう少し…長かったような…。」
いつも淡々としている肉桂らしくなく、独り言を呟きながら熱心に腕を形作っていく。
雪だるま作りの時のような諦めの色は微塵もない。ただ真剣に「彼女を治したい」。彼の頭にはそれだけがあった。
肉桂の熱心な姿を、ブルーの目玉が静かに見守る。
片腕の修復には、なんと丸三日がかかった。
何度も量を調整して、形を整えて…を繰り返した左腕は、お世辞にも完璧とは言えない。
だが形を得たことで、ひとりでに動くことが可能になった。
指を使って器用に立ち上がった左腕。
それを見て、だいぶ疲弊気味の肉桂は、
「……ハァ…。」
安堵の溜め息を漏らした。
自由を得た左腕は、さながら水を得た魚。
机の上に残った大量の残骸を一掴み取ると、それを細長く、先を枝分かれさせて造形していく。みるみるうちに、ローズマリーの右腕が出来上がった。
その完成度は彫刻家も目を剥くレベル。肉桂も思わずポカンと口を開けてしまうほどだ。
左腕、右腕が揃うと、彼女の仕事は段違いのスピードを見せる。
みるみる出来上がっていく足、脛、太腿、下腹部の辺りから胸にかけての造形が始まった頃からは、肉桂は紳士らしく後ろを向いていた。
離れていた両腕が胴体に固定され、最後に頭部が造られる。
髪の毛まで手際良く整え、ふたつの眼窩にブルーの目玉が収まる。
ボロボロのドレスを纏いコルセットを締めると、
「……に、肉桂様。」
ローズマリーは、恐る恐る彼の名を呼んだ。
善意で後ろを向いていた肉桂が、正面へ向き直る。
そこには、昨日と寸分違わない姿のローズマリーが、作業台の上に小さく座り込んでいた。
顔も体も、完璧な造形だ。肉桂が作った左腕以外は…。
「ローズマリーさん……。元に戻って良かった。」
どこか、落ち着いた声の中に安堵の色が窺える。
ローズマリーの心中は複雑だった。元の姿に戻れた安心感。大切な人にみっともない姿を見られた落胆。肉桂の祭壇と化した霊廟を目の当たりにされた絶望。
…そして、こんなに疲弊しながら自分を助けてくれた肉桂に対する、深い深い感謝。
「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありませんわ…。腕、治していただいて、ありがとうございます。」
「いえ……。元々は私が驚かせたのが原因ですから。こちらこそごめんなさい。」
どちらかと言えば一方的に自壊したのはローズマリーなのだが、その理由を知らない肉桂からすれば「自分のせい」と考えるのが自然だ。
ずっと綺麗な姿勢を保っていた肉桂だが、安心感からかドッと体の力が抜け、椅子の背もたれに体を預けてしまった。
「に、肉桂様…!お疲れですわよね…!
本当に、なんてお詫びをしたらいいか…。」
「……いいえ。嬉しいんです。
大切な友人が元に戻らなかったらどうしようかと、とても不安だったので。」
肉桂が自身の青白い手の平を見つめる。
そこにはさっきまでローズマリーの体を捏ねていた感触や余韻がまだ残っていた。
「“何かを作る”のは初めてでした。私自身、道士に造られた存在なので。
ローズマリーさんのことを頭の中でずっと考えて、形や感触や、一緒に体験した出来事のことも、何度も何度も思い出していました。」
「……。」
肉桂が感じた初めての感覚。初めての体験。
誰かを思いながら作品に込める。
とても大変な、楽ではない作業だった。それでも彼には、ただの“つらい作業”という経験ではなく、
「“楽しかった”です。
ローズマリーさんも、いつもこんな気持ちで創作しているんでしょうか。」
一種の「幸せ」として彼の中に根付いたのだった。
ローズマリーは、呆然と彼の顔を見つめる。
“楽しい”……そうだ。100年間たった一人で霊廟に籠り、墓場や雑木林を徘徊していた彼女の原動力は「好きなことをする」。
呪いの人形の数々であっても、物を作る楽しさは無意識に自分の中にあった。
肉桂と出会ってからは…今までの反動で、創作がより楽しく活力が湧いてきた。霊廟内に溢れる品々はすべて、ローズマリーの楽しみの結晶だった。
「げ、幻滅、なさらないの…?」
声が震える。
肉桂を模した人形やアイテムに溢れたこの空間は、確かにローズマリーの楽園。だが、彼女以外が同じ感情を持つわけもない。まして、人形のモデルとなった人が。
肉桂は意外にも、少しだけ驚いた顔をした。
「左腕を造っていた時に思いました。
ローズマリーさんも、私のことを考えて、楽しみながら作ってくれていたんだろう…と。
ローズマリーさんの楽しみの手伝いができるなら、私のことをモデルにしてくれて構いません。」
公認を得た気分だった。
しばらく「信じられない」と言うように口をパクパクさせて、また顔に熱を集める。
自壊する寸前で、肉桂の冷たい両手が顔の形を保護するように、ローズマリーの頬を包み込んだ。
「また崩れたら大変です。」
「ア…ギャ……ニッ、ギャワワ…!!」
その親切は徒労に終わる。
幸せの絶頂を迎えたローズマリーは、派手な音を立てて顔を自壊させた。