きみがいる、この世界で。
放課後、少しだけ教室で友梨ちゃんとお喋りをした後、音楽室へ向かう。
今日もいるかな。
昨日、盗み聞きみたいなことをしてしまったから、もう学校では弾かないかもしれない。
彼がいる確証を抱けないまま階段を下りていると、かすかにピアノの音が聞こえる。
昨日とは違う曲。
昨日とは違い、譜面で指示されるよりも、ゆっくりな演奏。
けれど、この音は絶対に高橋くんだ。
「素敵な演奏だなあ……」
本来はもっとアップテンポな曲調だけれど、テンポがゆっくりだからか、伸びやかさと丁寧さを感じる。
昨日と同じように、ゆっくりと音楽室のドアをあける。
やっぱり高橋くんは気づかない。
けれど今日は昨日と違って、少し微笑みながら鍵盤と向き合っている。
嬉しいことでもあったのかな。
彼が生み出す音はやっぱり温かくて、誰かに抱きしめられているような安心感を与えてくれる。音楽室の中に造られた、この穏やかで心地よい世界を壊したくなくて、この世界から出て行きたくなくて、私はただ彼の音楽を楽しんだ。
演奏が終わると同時に立ち上がり、座っている彼にゆっくりと近づく。
今日は驚かせないようにしないと。
どう声をかけようか考えていた時、高橋くんがふと後を向いた。
「あっ……」
慌てて手に持っていたスマートフォンを操作する。
さすがに元の世界で持っていたスマートフォンは使えないらしく(厳密にいうと、操作はできるけれど通信ができないらしい)、昨日鈴木さんからこちらの世界に対応しているものを借りた。操作に不慣れさを感じながら、文字を打ち込んでいく。
【盗み聞きしてごめんね。ピアノ、すごい上手だね】
画面を見た高橋くんはかすかに目を見開き、照れ臭そうに笑う。
彼が笑ってくれたことが嬉しくて、思わず私も口角が上がる。次の文字を打ち込んでいた時、高橋くんは私が彼にしたように、自分のスマートフォンの画面を私に見せた。
【ありがとう。昨日、話しかけてくれたのに無視してごめん。俺、耳聞こえなくて】
ううん、と首を振る。そもそも勝手に入ってきて話しかけ、驚かせてしまった。高橋くんが謝ることは何もない。
私は打ちかけていた文章を完成させ、再度彼に見せた。
【私、高橋くんのピアノ、すごく好きだなって思った。ピアノ、習っているの?】
私の問いかけに、高橋くんはなぜか少し驚いたような表情を見せた。
【ありがとう。自分ではどんな演奏をしているかわからないから、そう言ってもらえると嬉しい】
「そんな、それって……」
控えめにはにかむ男の子を思わず見つめる。
わかっていたはずだった。
わかっていたはずだったけれどー……
彼はこんなに素敵な演奏をしているのに、
こんなにも誰かの心に響く演奏をしているのに、
演奏をしている彼自身は、この演奏を聞けないのか。
悲しいような悔しいような、よくわからない感情が一気に押し寄せてくる。
どんな顔をして彼と話せばいいのかわらかなくなってしまって、私は俯いた。
今日もいるかな。
昨日、盗み聞きみたいなことをしてしまったから、もう学校では弾かないかもしれない。
彼がいる確証を抱けないまま階段を下りていると、かすかにピアノの音が聞こえる。
昨日とは違う曲。
昨日とは違い、譜面で指示されるよりも、ゆっくりな演奏。
けれど、この音は絶対に高橋くんだ。
「素敵な演奏だなあ……」
本来はもっとアップテンポな曲調だけれど、テンポがゆっくりだからか、伸びやかさと丁寧さを感じる。
昨日と同じように、ゆっくりと音楽室のドアをあける。
やっぱり高橋くんは気づかない。
けれど今日は昨日と違って、少し微笑みながら鍵盤と向き合っている。
嬉しいことでもあったのかな。
彼が生み出す音はやっぱり温かくて、誰かに抱きしめられているような安心感を与えてくれる。音楽室の中に造られた、この穏やかで心地よい世界を壊したくなくて、この世界から出て行きたくなくて、私はただ彼の音楽を楽しんだ。
演奏が終わると同時に立ち上がり、座っている彼にゆっくりと近づく。
今日は驚かせないようにしないと。
どう声をかけようか考えていた時、高橋くんがふと後を向いた。
「あっ……」
慌てて手に持っていたスマートフォンを操作する。
さすがに元の世界で持っていたスマートフォンは使えないらしく(厳密にいうと、操作はできるけれど通信ができないらしい)、昨日鈴木さんからこちらの世界に対応しているものを借りた。操作に不慣れさを感じながら、文字を打ち込んでいく。
【盗み聞きしてごめんね。ピアノ、すごい上手だね】
画面を見た高橋くんはかすかに目を見開き、照れ臭そうに笑う。
彼が笑ってくれたことが嬉しくて、思わず私も口角が上がる。次の文字を打ち込んでいた時、高橋くんは私が彼にしたように、自分のスマートフォンの画面を私に見せた。
【ありがとう。昨日、話しかけてくれたのに無視してごめん。俺、耳聞こえなくて】
ううん、と首を振る。そもそも勝手に入ってきて話しかけ、驚かせてしまった。高橋くんが謝ることは何もない。
私は打ちかけていた文章を完成させ、再度彼に見せた。
【私、高橋くんのピアノ、すごく好きだなって思った。ピアノ、習っているの?】
私の問いかけに、高橋くんはなぜか少し驚いたような表情を見せた。
【ありがとう。自分ではどんな演奏をしているかわからないから、そう言ってもらえると嬉しい】
「そんな、それって……」
控えめにはにかむ男の子を思わず見つめる。
わかっていたはずだった。
わかっていたはずだったけれどー……
彼はこんなに素敵な演奏をしているのに、
こんなにも誰かの心に響く演奏をしているのに、
演奏をしている彼自身は、この演奏を聞けないのか。
悲しいような悔しいような、よくわからない感情が一気に押し寄せてくる。
どんな顔をして彼と話せばいいのかわらかなくなってしまって、私は俯いた。