きみがいる、この世界で。
【大丈夫?】
心配そうに顔を覗き込む高橋くんに、小さく頷く。
【どこか痛いの? 保健室行く?】
あまりの的外れな心配に、思わずクスッと笑ってしまった。
そういえば彼は私の名前を知っているのだろうか。
昨日の朝礼で挨拶はしたけれど、念の為、【私、泉本涼音(いずもとすずね)っていうの】と伝えると、高橋くんは【昨日転校してきたんだよね】と返してくれた。よかった。私のことを知ってくれていた。もし知られずに勝手に演奏を聴き、一方的に話しかけていたら、それこそ完全なる不審者だった。
【高橋くんも一週間前に転入してきたばかりなんだよね?】
【うん。よく知ってるね?】
【友梨ちゃんが教えてくれたから】
高橋くんは”友梨ちゃん”が誰だかわからなかったようで、首を傾けた。【私の前の席に座っている石川さんだよ】と伝えても、微妙な顔をしている。まあ、そうか。私だってまだクラスメートの名前はほとんど覚えていない。特に男子生徒は、高橋くん以外名前がわからないし。
勝手に自分の中で納得していると、高橋くんはフッと笑った。
【どうしたの?】
【こうやって同年代の人と会話するの、久しぶりだなと思って】
【どうして?】
理由を聞いていいものなのかためらいながらも尋ねると、【俺、人と会話出来ないから】と、彼は文字で伝えた。少し寂しげな表情に、胸が詰まる。
【今、私と会話してるじゃん】
【それは泉本さんが優しいからだよ。俺、みんなみたいに話せないから、話すのめんどくさがられるんだ】
【そんなこと】
打ち掛けた文字を消す。
もしかすると過去に、何か彼にそう思わせるような出来事があったのだろうか。
「そんなことないよ」という言葉を伝えるのは、浅はかすぎる気がした。
【ねえ、いつも何を考えながらピアノを弾いているの?】
【何を、って?】
【何か考えながらピアノを弾いていない?】
高橋くんは私の質問に、わかりやすく眉を寄せた。
確かに抽象的すぎる質問か、と思い直し、別の質問を打ち込んだ。
【高橋くんはどうしてピアノを弾くの?】
質問を見た高橋くんは、ふと画面から視線を逸らした。
少しだけ考えた後、画面に指を走らせる。
【曲の世界に篭れるから、かな】
ためらいながら見せられた文字に、心臓がドクンと大きな音を立てた。見たくなかったものを見たような、気持ち。