S系外交官は元許嫁を甘くじっくり娶り落とす
「とりあえず中庭に行くか」と言う彼に従って歩き出す私たちを、仲居さんやフロントの従業員も不安そうに眺めている。暮泉家と石動家の確執は、この旅館では知らない人はいないだろう。
角を曲がり、昼間でも行燈の灯りに照らされるレトロな廊下へ。今は誰もいない。ふたりきりだ。
しばらくそこを歩くと、ふいに足を止めた彼が振り返る。目を合わせた瞬間、家族の前のものとはまったく違う柔らかな微笑みが生まれた。
「うまくいったな。計画通り」
得意げに口角を上げる彼は、着物の袖から覗く私の手を引いて抱き寄せた。私も湧き上がる喜びを抑えられず、背中にぎゅっと手を回す。
実は、私たちの間に愛はとっくに芽生えているのだ。
ただ、それを感づかれるとまた引き離されてしまいかねないから、上辺は素っ気なくしていただけ。
彼はちょっぴり意地悪だけれど、心はとても温かいと知っている。私に触れる手や、キスが、とろけるほどに甘いことも。
「これで遠慮なくお前を愛せる」
耳元で甘美な声が囁き、私も嬉しさを隠せない笑みをこぼして頬をすり寄せた。
──私たちがこんな風に〝逆〟仮面カップルとなったきっかけは、約一年前に遡る。フランスでの奇跡の一日から、運命の歯車が回りだしたのだ。