S系外交官は元許嫁を甘くじっくり娶り落とす
ところが、手首を掴まれて再び足が止まる。驚いて身体を捻った途端、さらにありえない事態が起こった。
頭を引き寄せられ、目の前にエツの綺麗な顔が迫って──唇が、柔らかなそれで塞がれていた。
息をするのも忘れ、ただ呆然と彼の伏せられたまつ毛を目に映す。それがゆっくり持ち上げられると共に唇が離れていき、遅れて心臓が激しく動き始める。
「一夜を過ごした相手との挨拶は、このほうが相応しいだろ」
そこはかとなく甘く艶めかしい声が、空港の雑踏を掻き消して耳に届いた。
え……え? 待って待って……キ、キスされたんだけど!?
あまりの衝撃に声も出せないし動けない。目を見開いたまぬけな顔で硬直したままの私に、エツは何事もなかったかのように涼しげな表情で促す。
「ほら、時間なくなるぞ」
「あ、う、うん……!」
ぎこちなくそんな返事しか返せず、ロボットみたいな動きで歩き出そうとする。そんな私に、彼はわずかに笑みを浮かべて告げる。
「またな、花詠」
その短いひと言には、またいつか会おうという気持ちが込められている気がして、胸に希望の光が灯る。自然に笑みが生まれ、私も「またね」と返した。
さっきまで寂しさで一杯だったのに、高鳴る鼓動がそれを薄れさせていく。
今のキスは、本当にただの挨拶だったのかもしれない。でも私にとってはとても大切で、愛しい気持ちを実感させるものだった。
いい加減に認めざるを得ない。結ばれない立場だとしても、もう抑えられないくらい、私は心底彼が好きなのだという事実を。