幸せのつかみ方
【樹side】
【樹 side】
仕事を一段落させたところで時計を見ると、もう20時を回っていた。
(そろそろ帰るか)
と鞄を持ち、エレベーターに向かった。
エレベーターの階数表示を見て、下ボタンを押す。
いつもよりすぐに来たエレベーターにのって1階を押す。
首をクキッと鳴らしてふと思う。
(このエレベーター、屋上に停まってなかったか?)
安全を考えて、今の時期は18時には屋上の扉にはロックがかかるようにしている。
誰か、屋上にいるのか?
「ふう」
念のため、降りたエレベーターにそのまま乗って屋上へ行った。
屋上のエレベーターホールには誰もいない。
ビオトープのある屋上のドアは施錠されている。
ピッピッピッピッ。
暗証番号を押して鍵を開けた。
きっと職員が気分転換に来ているのだろうとは思うが、ここまで来たのだから確かめておこう。
ドアを開けて屋上に出ると、ライトの下に人影が見えた。
服装が医療関係者のそれではなかったから、確認のため近寄る。
数歩歩いたところで、
「待って」
という大きな声を掛けられ、足を止めた。
聞き覚えのあるその声は、千夏さんだと思った。
千夏さんがこちらに背を向けたまま、スマホを耳に当てていた。
「切らないで!」
待ってほしかったのは俺ではなく、電話相手だと気づいた。
千夏の声は、とても緊張感のあるものだった。
聞こえてくるその内容から電話相手はご主人の親しい人だろう。
・・・憶測でしかないが、電話相手はご主人の不倫相手・・・だろうか?
まさかな。
どの世界に、自分の夫の不倫相手に「見舞いに来てくれ」という妻がいるというのだ。
しかし、とぎれとぎれに聞こえてくるその内容は、夫の浮気を思わせる。
まさかとはおもうが、本当にご主人には他所に女がいるのか?
こんなに素敵な千夏さんという奥さんがいるのに?
千夏さんは素敵な人だ。ご主人とお子さんと幸せなご家庭を築いている・・・いたと思っていた。
俺が横から割って入る余地などないし、そんなつもりもなかった。
『恋愛は早いもの勝ちではない』と聞くが、結婚は別だ。100%、早いもの勝ちだと思う。
けれど、浮気をしている旦那から、千夏さんを奪って幸せにしたいという欲求にかられる。
だめだ。
そんな不誠実なことは千夏さんにもできないし、千夏さんにさせることもできない。
・・・・。
どうしようもない、どこにもぶつけることのできない、片想いというのは苦しいな。
自分が千夏さんより10歳も若かったことが悔しい。
出会ったときにはもう千夏さんにはご主人がいたのだ。
そんなことを思いながら、千夏さんを見ることしかできず、その場に立ち尽くしていた。