幸せのつかみ方
忙しい業務をこなし、昼休憩に屋上へやってきた。
医務課では順番に昼休憩を取ることになっている。
病院の診察時間は過ぎていたが、受付や会計、ご相談の患者さんがいらっしゃるからだ。

いつものように屋上のベンチに座り、一人でお弁当を食べていた。
そこに樹さんがやってきた。


「お疲れ様です」
と挨拶すると、
「お疲れ様。千夏さんでしたか」
と言いながら近くにやってきた。

「はい」
何が私だったのかわからないがとりあえずと返事をしておく。
「エレベーターが屋上にストップしたのが見えたので、まだ来ていなかった屋上に興味を持ちまして。乗っていたのは千夏さんだったのですね」

「あの・・・私の名前、ご存じなんですね。驚きました」
「先程、事務長が呼んでいたのを聞いたので。『ちなつさん』とおっしゃるのですね。珍しい名字だったのですぐに覚えてしまいましたよ」
「・・・えっと・・・千夏は名前でして・・・」
「え?」
「私、浅倉千夏といいます」
「え。浅倉さん?」
「はい。朝倉です。漢字は深い浅いの浅に校倉の倉ですが」
と反対にしていた名札をもとに戻した。
「申し訳ない。いきなり名前で呼んでしまって」

「いえ。私は問題ないですよ。新しく入られた方は『千夏』が名字だと思う方が時々いらっしゃるんです」
「はははは。初対面、いや、会って2回目でまさかのお名前呼びをしてしまったんですね。すみません、距離感ない人ですね」
「あはははは。お気になさらないでください」

「それにしても、名前呼びとは。皆さんから慕われているんですね」
「いえいえ。ただ間違えやすかっただけなんです。
私がはこちらに就職した時、すでに事務の朝蔵さんと佐倉さんがいらしたんです。お二人とも聞き間違いをされることが多かったところに、私も働き始めて。『紛らわしすぎる』ということで、千夏と呼ばれることになったんです」
「なろほど。朝蔵と佐倉と浅倉・・・あははは。それはよく似た名字ばかりが揃いましたね」
「本当に。名前呼ばれて3人とも振り返ってました」
「あははは。それは面倒ですね」

「朝蔵さんはなんとお呼びしましょうか?」
ここは朝蔵総合病院というだけあって、朝蔵さんという方がおおく勤めている。
名前呼びのドクターの名字はみな朝蔵姓だ。

「そうですね、なんでもいいのですが・・・。事務長は私を『樹さん』と呼びますね」
「『樹さん』ですね。かしこまりました」

「私も千夏さんとお呼びしていいですか?」
「ええ、もちろん。呼びやすいように呼んでください」
「千夏さんは、いつも屋上でお弁当を食べられるんですか?」
「そうですね。天気がいい時は。景色もいいですから気持ちがいいですよ」
ぐるりと見渡す。
「山、海、空、ビル群。気持ちがいいでしょ?」
「贅沢ですね」
「こんなにいい景色なのに、患者さんたちご存じないから残念です」

「・・・・」
樹さんが口元に手を当て、何かを考え込んだ。
少ししてにっこりと笑いかけ、
「それ、おもしろいですね」
とくっきりとした瞳をきらりと光らせた。


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