ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~
2-2. ビールジョッキ・ブレイカー
アメリカからマーカスが来日する。
成田空港の到着ゲートで旅行客の慌ただしい雑踏の中、俺はマーカスを待つ。
全日空NH8便の表示が、Arrivalに変わって30分、セーラーマーキュリーのTシャツを着た、筋肉ムキムキのマーカスがゲートに現れた。
「Hi マーカス!」
俺は手を上げて近寄ると、
「Oh! Makoto! Thank you!(誠、ありがとう!)」
笑顔で応えてくれた。
まずは固く握手をして長旅をねぎらった。
「Thank you for your long trip.(長旅お疲れ様でした)」
マーカスは首を振ると
「アニメ ミテタカラ ダイジョブ!」
強い。まぁ、ファーストクラスだったからなぁ……。俺も、ぜひ一度は乗ってみたいものだ。
彼の部屋は、オフィスのマンションの別の階に借りてあるので、レンタカーのSUVで東京を目指す。
陽射しがまぶしい、のどかな昼下がり。インターチェンジで東関東自動車道に合流し、青空の下、軽快にアクセルを踏み込んだ。
間が持ちそうにないので、FMラジオで洋楽にチューナーを合わせる。ポップなスタンダードナンバーが車内に響く。
「La la la la~♪ 」
上機嫌に歌い始めるマーカス。
知り合いも誰も居ない日本に、たった一人で飛び込んだばかりだと言うのに、緊張なんて微塵も感じさせない能天気な豪胆さに感じ入る。
あまりに楽しそうに歌うので、つい俺もつられて歌い始めてしまった。
「Na na na na~♪ 」「Na na na na~♪ 」
東京へ向かう高速の上で、カラオケ状態の僕ら。
「Huu~~♪」
信じられない高音を出して、ゲラゲラ笑うマーカス。
俺もつられて笑う。
俺はそんな彼の笑い顔をちらっと見て、うまくやって行けそうな手ごたえを感じていた。
ひとしきり歌うと、俺は聞いてみた。
「クリスに誘われたんですよね?」
「カミサマ ユメ デタ。 クリスニ シタガエ ト」
うは、神のお告げで来たのかこの人。さすがクリス、何でもアリだな。
「我々はシンギュラリティを目指します。大丈夫ですか?」
「カミサマ タダシイ セイコウ カナラズ!」
彼が本気になれば人類最強だ。夢がぐっと現実に近付いてきたのを感じる。
「具体的にはどうしましょう? GPUサーバーとかは?」
「GPU モウ フルイ! AIチップ ツカウネ」
「え? AIチップはまだ研究段階では?」
「ダイジョブ! Martin ヨウイ スル」
なるほど、マーティン(Martin)という名の、彼の仲間が調達してくれる、という事だろう。
AIチップを使えば、サーバーに大量のGPUを挿して、ブンブン回す必要もなくなる。実に理想的だ。
「マーティンもジョインしてくれるのかな?」
「ダイジョブ マーティン ニホン ダイスキ!」
そう言ってニカっと笑った。
日本大好きなのはありがたい。彼もアニメオタクなのだろうか? だとしたら次はセーラーマーズのTシャツを着て現れたりして。
エンジニアチームで、セーラー戦士がそろったらどうしよう。俺はそんなバカな想像しながら、まだ見ぬセーラー戦士たちを想った。
◇
マンションの車寄せに着くと、みんながもう待っていた。
「Hi Marcus! Nice to meet you!(はじめまして!)」
美奈ちゃんが流暢な英語でお出迎え。ネイティブかと思うような完璧な挨拶に、俺は驚かされる。
「Oh ミナ! ハジメマシテ!」
笑顔で握手である。言葉の壁の心配はなさそうだ。
それにしても、なぜ美奈ちゃんの名前を知っているのだろう? クリスが説明しておいてくれたのだろうか……。
クリスが後ろでほほ笑んでいるのを見つけたマーカスは、急いでクリスの前にひざまずき、彼の手を取って、早口で何かを話しかける。どうも凄い緊張しているようだ。
クリスは、ゆっくりと彼の耳元に顔を近づけると、小声で彼に何かを言った。
マーカスは涙を流し、クリスの手をしっかりと握りしめた。
俺は信者ではないから、友達みたいに馴れ馴れしく接してしまっているが、信者だったらこういう対応になってしまうだろう。それとも俺が馴れ馴れしくし過ぎだろうか? 神様に対する礼儀なんて、教わったことがないから何が正解か分からない。
一方、修一郎はボーっと突っ立っていた。
◇
歓迎会は近くの居酒屋で開いた。
「日本料理ですがいいですか?」
恐る恐る聞いてみると、
「Wow! サシミ~! テンプゥラ!」
と、好反応に一安心。
囲炉裏を模した、大きなテーブルに腰掛けて、まずは、
「生中を五つ!」
と、叫んだ。
「喜んで~! ご新規、生中五つ!」「喜んで~!」「喜んで~!」
厨房からもいい声が響いてくる。いい店だ。
俺はジョッキを受け取ると、一つずつみんなに配った。
だが、最後、クリスにジョッキを渡す時に一瞬意識が飛んだ……
俺は凄い違和感を感じた。何かの病気……だろうか?
◇
この時、窓の外にこちらを窺う怪しい影があった。誠に『神殺しの呪い』をかけた男だった。男は不思議な方法で気配を殺し、誠が毒を盛ったのをニヤニヤしながら見ていた。
クリスは単独で行動している時は全く隙が無い。しかし、なぜか最近人間と関わり始めた。これは男にとって千載一遇のチャンスだった。
「積年の恨み、思い知れ……」
男はそう言ってほくそ笑んだ。
◇
俺がちょっと考え込んでいると、美奈ちゃんが言う。
「誠さん、乾杯よ、乾杯!」
俺はハッとして見回すと、みんなが乾杯を待ちわびている。
「ごめんなさい、えー、それでは乾杯しましょう。Could you introduce yourself briefly? (自己紹介お願いします)」
俺はマーカスに振る。
マーカスはニコッと笑い、スクっと立つと、
「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」
笑いがあがる
「ワタシ、AIチョットデキル!」
いや、チョットってレベルじゃないだろ。世界一なのに。
「ワタシ、コノチーム デ God ノ コドモ ツクル!」
やる気満々の気合を見せるマーカス。
マーカスは立ち上がって、
「ヤルゾ―――――!! カンパーイ!!」
ジョッキを高く掲げ、叫ぶ。
俺達も立ち上がって、ジョッキを合わせる、
「カンパーイ!!」「カンパーイ!!」「カンパーイ!!」
マーカスは筋肉バカである。盛り上がって手加減なしに、ボクシングのフックのように、思いっきりジョッキを当ててくる
Clash!!
Clink! Clink!――――
ジョッキがいくつも砕け散って床に転がる……
ビールかけみたいに、俺もマーカスもクリスも泡だらけである。
何でこんな事になるのか……
「HA~! HAHAHA!」
マーカスが腹を抱えて、楽しそうに笑う。
あまりに楽しそうに笑うので、釣られてみんなも笑う。
ハッハッハッ! ハーッハッハッ!
美奈ちゃんも美貌台無しにして、ゲラゲラ笑ってる。
みんなが爆笑するスタート、幸先がいいのかもしれない。
「お客様! 困ります!」
店員さんが、モップとチリトリを手に怒っている。
丁寧に謝り、生を三つ追加する。
「二度と止めてくださいよ! 生三丁!」「喜んで~!」「喜んで~!」
次は気をつけよう……。
◇
窓の外で様子を見ていた男が『チッ』と舌打ちし、消えた。
マーカスがナチュラルに『神殺しの呪い』を粉砕したのだ。
クリスは、逃げる男が発した微かな聞き覚えのあるノイズに気づき、
「…。ちょっと失礼」
そう言うと、しばらく席を外した……。
一度見つけてしまえば、クリスの方が圧倒的に優位だった。クリスは男を追跡すると無言で躊躇なく処分した。
「ぐぉぉぉ!」
男は断末魔の叫びを上げながら、
「つ、次だ! 次こそお前の最期だ!」
と、毒づいて、闇の中に飲み込まれていった。
そして実際、しばらく後にこの男は最悪の事態を引き起こす。それはクリスですら予期できなかった……。
◇
そんな事があったなど、俺は全く気が付かずに、店員を呼んだ。
刺身の盛り合わせに季節の天ぷら、手羽先のから揚げに、シーザーサラダと出汁巻き玉子……次々と注文する。
本当は馬刺しも食べたいのだが……マーカスには地雷かもしれないから我慢した。
ジョッキ三杯くらい飲んで、だいぶ出来上がってきた。
酔った勢いでマーカスに絡んでみる。
「 What do you think about using anencephaly ?(無脳症の子供を使う事は、どう思う? )」
酔ってる方が英語が上手くなるのは、なぜなのだろう?
「Good! クリス ノ プラン タダシイ!」
「クリスの言う事なら、なんだってやるの?」
酔った勢いで、意地悪な質問を投げてみる。
「モチロン! クリス ノ タメナラ シヌ!」
そう言ってマーカスはニカっと笑った。
「WOW!」
クリスの方を見ると、優しく微笑んでいる。
グラス片手に美奈ちゃんが、小悪魔的な笑顔でやってくる。
マーカスとグラスを合わせながら――――
「Watz up homeboi?(調子はどう?)」
なんだかすごく色っぽい。こんな美奈ちゃんは初めて見た。
飲み過ぎではないだろうか……。
「Smashing, thanks! Wazz up shawty?(最高! おねぇさんは? )」
マーカスも上機嫌である。美奈ちゃんの美貌は外国人にもウケる様だ。
美奈ちゃんはにっこり微笑むと、スプモーニの赤いグラスを一口飲み、上目遣いに聞く。
「Can you die for me?(私のためにも死ねる?)」
「Well obvi!(もちろん!)」
そして見つめあって、もう一度グラスを合わせる。
初対面なのに、なぜこんなにいい雰囲気になってしまうのか。俺は、いきなり蚊帳の外に追いやられた感じがした。
修一郎を見ると、つまらなそうにスマホを弄ってる。
俺は
「そういうとこやぞ!」
と、八つ当たりをして修一郎を弄った。
◇
数えきれないほどビールをお替わりして、俺はみんなの歓談をボーっと聞いていた。
美奈ちゃんは、マーカスと話し込み、アメリカンで派手なジェスチャーをして盛り上がっている。
二人の仲良さそうな様子を見ながら、
『やっぱり美奈ちゃんも、世界一の男の方がいいんだろうか……』
と、俺はついバカな事を考えてしまう。
そりゃあ、うだつの上がらないAIエンジニアより、世界一の有名エンジニアの方がいいに決まってる。それに腕だけじゃない、トラウマを口実に愛から逃げてきた俺などハートの面でも負け負けだし、筋力でも勝負にならない……。
俺は思わずぐっとジョッキを空けると
『おねぇさん、生おかわり!』
と、叫んだ。
人生、一歩踏み出すというのはこういう事なのだ。モブの森の中に埋もれていれば、ぬるま湯の中で気づかずに済んだことも、新たな世界に踏み出す事によって、化けの皮が剥がれてしまう。本当の弱く惨めな自分の姿と、対峙せねばならなくなるのだ。
俺は、運ばれてきたジョッキをボーっと見つめながら、自分の至らなさについて静かに考えていた。仕事面で言えば、確かに俺は必死に生きてきた。でも、それは手を動かす事に逃げていただけではなかったか? 目の前の作業の忙しさを理由にして、本質的な挑戦から目を背けて来てしまったのではないか。
本質から目を背け、他者のせいにして逃げてきた結果である今の自分……。そう、このダメな自分を、ごまかさずにちゃんと受け止める季節……なのかもしれない。
にぎやかな歓談の声が響く中、俺は居酒屋の硬い椅子の上で、ジョッキのガラスからプクプク湧き上がる泡を見つめながら静かに決意を固めた。
今、ここで生まれ変わろう。そもそも社長なのだから、他者のせいになどもうできないのだ。失敗したらすべてその責任は俺にかかってくる。誰のせいにもできない。自分の頭で考え、決断し、行動し、そしてこの『深層守護者計画』というステージで輝くのだ。
いくらマーカスが世界一だと言っても、一人でシアンを作れる訳じゃない。チームで力を合わせないと偉業など成し遂げられない。そう、マーカスを始め世界トップクラスの男たちをオーケストラのように、俺が指揮者となって導くのだ。
俺は生まれ変わり、神のチームを率いて人類の未来を紡ぐ。
俺がみんなの力を引き出して、俺にしかできない、大いなる人類の一歩を踏み出すのだ!
俺はスクッと立ち上がると、少しフラフラしながら、
「よしっ! ヤルゾ―――――!!」
と叫んだ。
それを見たマーカスもスクっと立ちあがって、ジョッキを高々と掲げた。
「ヤルゾ―――――!! カンパーイ!!」
マーカスとニッコリ笑い合い、俺は叫んだ、
「カンパーイ!!」
ジョッキをぶつける。
Clash!!
Clink! Clink!――――
ジョッキがまた砕け散った……
あ…… またやっちゃった……
店員さんの鋭い視線に、平謝りである。
それでも、モヤモヤが吹っ切れた俺はすごくいい気分だった。
深層守護者シアン、待ってろよ、
俺たちは確実に一歩ずつ、君に近づいている――――
成田空港の到着ゲートで旅行客の慌ただしい雑踏の中、俺はマーカスを待つ。
全日空NH8便の表示が、Arrivalに変わって30分、セーラーマーキュリーのTシャツを着た、筋肉ムキムキのマーカスがゲートに現れた。
「Hi マーカス!」
俺は手を上げて近寄ると、
「Oh! Makoto! Thank you!(誠、ありがとう!)」
笑顔で応えてくれた。
まずは固く握手をして長旅をねぎらった。
「Thank you for your long trip.(長旅お疲れ様でした)」
マーカスは首を振ると
「アニメ ミテタカラ ダイジョブ!」
強い。まぁ、ファーストクラスだったからなぁ……。俺も、ぜひ一度は乗ってみたいものだ。
彼の部屋は、オフィスのマンションの別の階に借りてあるので、レンタカーのSUVで東京を目指す。
陽射しがまぶしい、のどかな昼下がり。インターチェンジで東関東自動車道に合流し、青空の下、軽快にアクセルを踏み込んだ。
間が持ちそうにないので、FMラジオで洋楽にチューナーを合わせる。ポップなスタンダードナンバーが車内に響く。
「La la la la~♪ 」
上機嫌に歌い始めるマーカス。
知り合いも誰も居ない日本に、たった一人で飛び込んだばかりだと言うのに、緊張なんて微塵も感じさせない能天気な豪胆さに感じ入る。
あまりに楽しそうに歌うので、つい俺もつられて歌い始めてしまった。
「Na na na na~♪ 」「Na na na na~♪ 」
東京へ向かう高速の上で、カラオケ状態の僕ら。
「Huu~~♪」
信じられない高音を出して、ゲラゲラ笑うマーカス。
俺もつられて笑う。
俺はそんな彼の笑い顔をちらっと見て、うまくやって行けそうな手ごたえを感じていた。
ひとしきり歌うと、俺は聞いてみた。
「クリスに誘われたんですよね?」
「カミサマ ユメ デタ。 クリスニ シタガエ ト」
うは、神のお告げで来たのかこの人。さすがクリス、何でもアリだな。
「我々はシンギュラリティを目指します。大丈夫ですか?」
「カミサマ タダシイ セイコウ カナラズ!」
彼が本気になれば人類最強だ。夢がぐっと現実に近付いてきたのを感じる。
「具体的にはどうしましょう? GPUサーバーとかは?」
「GPU モウ フルイ! AIチップ ツカウネ」
「え? AIチップはまだ研究段階では?」
「ダイジョブ! Martin ヨウイ スル」
なるほど、マーティン(Martin)という名の、彼の仲間が調達してくれる、という事だろう。
AIチップを使えば、サーバーに大量のGPUを挿して、ブンブン回す必要もなくなる。実に理想的だ。
「マーティンもジョインしてくれるのかな?」
「ダイジョブ マーティン ニホン ダイスキ!」
そう言ってニカっと笑った。
日本大好きなのはありがたい。彼もアニメオタクなのだろうか? だとしたら次はセーラーマーズのTシャツを着て現れたりして。
エンジニアチームで、セーラー戦士がそろったらどうしよう。俺はそんなバカな想像しながら、まだ見ぬセーラー戦士たちを想った。
◇
マンションの車寄せに着くと、みんながもう待っていた。
「Hi Marcus! Nice to meet you!(はじめまして!)」
美奈ちゃんが流暢な英語でお出迎え。ネイティブかと思うような完璧な挨拶に、俺は驚かされる。
「Oh ミナ! ハジメマシテ!」
笑顔で握手である。言葉の壁の心配はなさそうだ。
それにしても、なぜ美奈ちゃんの名前を知っているのだろう? クリスが説明しておいてくれたのだろうか……。
クリスが後ろでほほ笑んでいるのを見つけたマーカスは、急いでクリスの前にひざまずき、彼の手を取って、早口で何かを話しかける。どうも凄い緊張しているようだ。
クリスは、ゆっくりと彼の耳元に顔を近づけると、小声で彼に何かを言った。
マーカスは涙を流し、クリスの手をしっかりと握りしめた。
俺は信者ではないから、友達みたいに馴れ馴れしく接してしまっているが、信者だったらこういう対応になってしまうだろう。それとも俺が馴れ馴れしくし過ぎだろうか? 神様に対する礼儀なんて、教わったことがないから何が正解か分からない。
一方、修一郎はボーっと突っ立っていた。
◇
歓迎会は近くの居酒屋で開いた。
「日本料理ですがいいですか?」
恐る恐る聞いてみると、
「Wow! サシミ~! テンプゥラ!」
と、好反応に一安心。
囲炉裏を模した、大きなテーブルに腰掛けて、まずは、
「生中を五つ!」
と、叫んだ。
「喜んで~! ご新規、生中五つ!」「喜んで~!」「喜んで~!」
厨房からもいい声が響いてくる。いい店だ。
俺はジョッキを受け取ると、一つずつみんなに配った。
だが、最後、クリスにジョッキを渡す時に一瞬意識が飛んだ……
俺は凄い違和感を感じた。何かの病気……だろうか?
◇
この時、窓の外にこちらを窺う怪しい影があった。誠に『神殺しの呪い』をかけた男だった。男は不思議な方法で気配を殺し、誠が毒を盛ったのをニヤニヤしながら見ていた。
クリスは単独で行動している時は全く隙が無い。しかし、なぜか最近人間と関わり始めた。これは男にとって千載一遇のチャンスだった。
「積年の恨み、思い知れ……」
男はそう言ってほくそ笑んだ。
◇
俺がちょっと考え込んでいると、美奈ちゃんが言う。
「誠さん、乾杯よ、乾杯!」
俺はハッとして見回すと、みんなが乾杯を待ちわびている。
「ごめんなさい、えー、それでは乾杯しましょう。Could you introduce yourself briefly? (自己紹介お願いします)」
俺はマーカスに振る。
マーカスはニコッと笑い、スクっと立つと、
「ワタシ、ニホンゴチョットデキル!」
笑いがあがる
「ワタシ、AIチョットデキル!」
いや、チョットってレベルじゃないだろ。世界一なのに。
「ワタシ、コノチーム デ God ノ コドモ ツクル!」
やる気満々の気合を見せるマーカス。
マーカスは立ち上がって、
「ヤルゾ―――――!! カンパーイ!!」
ジョッキを高く掲げ、叫ぶ。
俺達も立ち上がって、ジョッキを合わせる、
「カンパーイ!!」「カンパーイ!!」「カンパーイ!!」
マーカスは筋肉バカである。盛り上がって手加減なしに、ボクシングのフックのように、思いっきりジョッキを当ててくる
Clash!!
Clink! Clink!――――
ジョッキがいくつも砕け散って床に転がる……
ビールかけみたいに、俺もマーカスもクリスも泡だらけである。
何でこんな事になるのか……
「HA~! HAHAHA!」
マーカスが腹を抱えて、楽しそうに笑う。
あまりに楽しそうに笑うので、釣られてみんなも笑う。
ハッハッハッ! ハーッハッハッ!
美奈ちゃんも美貌台無しにして、ゲラゲラ笑ってる。
みんなが爆笑するスタート、幸先がいいのかもしれない。
「お客様! 困ります!」
店員さんが、モップとチリトリを手に怒っている。
丁寧に謝り、生を三つ追加する。
「二度と止めてくださいよ! 生三丁!」「喜んで~!」「喜んで~!」
次は気をつけよう……。
◇
窓の外で様子を見ていた男が『チッ』と舌打ちし、消えた。
マーカスがナチュラルに『神殺しの呪い』を粉砕したのだ。
クリスは、逃げる男が発した微かな聞き覚えのあるノイズに気づき、
「…。ちょっと失礼」
そう言うと、しばらく席を外した……。
一度見つけてしまえば、クリスの方が圧倒的に優位だった。クリスは男を追跡すると無言で躊躇なく処分した。
「ぐぉぉぉ!」
男は断末魔の叫びを上げながら、
「つ、次だ! 次こそお前の最期だ!」
と、毒づいて、闇の中に飲み込まれていった。
そして実際、しばらく後にこの男は最悪の事態を引き起こす。それはクリスですら予期できなかった……。
◇
そんな事があったなど、俺は全く気が付かずに、店員を呼んだ。
刺身の盛り合わせに季節の天ぷら、手羽先のから揚げに、シーザーサラダと出汁巻き玉子……次々と注文する。
本当は馬刺しも食べたいのだが……マーカスには地雷かもしれないから我慢した。
ジョッキ三杯くらい飲んで、だいぶ出来上がってきた。
酔った勢いでマーカスに絡んでみる。
「 What do you think about using anencephaly ?(無脳症の子供を使う事は、どう思う? )」
酔ってる方が英語が上手くなるのは、なぜなのだろう?
「Good! クリス ノ プラン タダシイ!」
「クリスの言う事なら、なんだってやるの?」
酔った勢いで、意地悪な質問を投げてみる。
「モチロン! クリス ノ タメナラ シヌ!」
そう言ってマーカスはニカっと笑った。
「WOW!」
クリスの方を見ると、優しく微笑んでいる。
グラス片手に美奈ちゃんが、小悪魔的な笑顔でやってくる。
マーカスとグラスを合わせながら――――
「Watz up homeboi?(調子はどう?)」
なんだかすごく色っぽい。こんな美奈ちゃんは初めて見た。
飲み過ぎではないだろうか……。
「Smashing, thanks! Wazz up shawty?(最高! おねぇさんは? )」
マーカスも上機嫌である。美奈ちゃんの美貌は外国人にもウケる様だ。
美奈ちゃんはにっこり微笑むと、スプモーニの赤いグラスを一口飲み、上目遣いに聞く。
「Can you die for me?(私のためにも死ねる?)」
「Well obvi!(もちろん!)」
そして見つめあって、もう一度グラスを合わせる。
初対面なのに、なぜこんなにいい雰囲気になってしまうのか。俺は、いきなり蚊帳の外に追いやられた感じがした。
修一郎を見ると、つまらなそうにスマホを弄ってる。
俺は
「そういうとこやぞ!」
と、八つ当たりをして修一郎を弄った。
◇
数えきれないほどビールをお替わりして、俺はみんなの歓談をボーっと聞いていた。
美奈ちゃんは、マーカスと話し込み、アメリカンで派手なジェスチャーをして盛り上がっている。
二人の仲良さそうな様子を見ながら、
『やっぱり美奈ちゃんも、世界一の男の方がいいんだろうか……』
と、俺はついバカな事を考えてしまう。
そりゃあ、うだつの上がらないAIエンジニアより、世界一の有名エンジニアの方がいいに決まってる。それに腕だけじゃない、トラウマを口実に愛から逃げてきた俺などハートの面でも負け負けだし、筋力でも勝負にならない……。
俺は思わずぐっとジョッキを空けると
『おねぇさん、生おかわり!』
と、叫んだ。
人生、一歩踏み出すというのはこういう事なのだ。モブの森の中に埋もれていれば、ぬるま湯の中で気づかずに済んだことも、新たな世界に踏み出す事によって、化けの皮が剥がれてしまう。本当の弱く惨めな自分の姿と、対峙せねばならなくなるのだ。
俺は、運ばれてきたジョッキをボーっと見つめながら、自分の至らなさについて静かに考えていた。仕事面で言えば、確かに俺は必死に生きてきた。でも、それは手を動かす事に逃げていただけではなかったか? 目の前の作業の忙しさを理由にして、本質的な挑戦から目を背けて来てしまったのではないか。
本質から目を背け、他者のせいにして逃げてきた結果である今の自分……。そう、このダメな自分を、ごまかさずにちゃんと受け止める季節……なのかもしれない。
にぎやかな歓談の声が響く中、俺は居酒屋の硬い椅子の上で、ジョッキのガラスからプクプク湧き上がる泡を見つめながら静かに決意を固めた。
今、ここで生まれ変わろう。そもそも社長なのだから、他者のせいになどもうできないのだ。失敗したらすべてその責任は俺にかかってくる。誰のせいにもできない。自分の頭で考え、決断し、行動し、そしてこの『深層守護者計画』というステージで輝くのだ。
いくらマーカスが世界一だと言っても、一人でシアンを作れる訳じゃない。チームで力を合わせないと偉業など成し遂げられない。そう、マーカスを始め世界トップクラスの男たちをオーケストラのように、俺が指揮者となって導くのだ。
俺は生まれ変わり、神のチームを率いて人類の未来を紡ぐ。
俺がみんなの力を引き出して、俺にしかできない、大いなる人類の一歩を踏み出すのだ!
俺はスクッと立ち上がると、少しフラフラしながら、
「よしっ! ヤルゾ―――――!!」
と叫んだ。
それを見たマーカスもスクっと立ちあがって、ジョッキを高々と掲げた。
「ヤルゾ―――――!! カンパーイ!!」
マーカスとニッコリ笑い合い、俺は叫んだ、
「カンパーイ!!」
ジョッキをぶつける。
Clash!!
Clink! Clink!――――
ジョッキがまた砕け散った……
あ…… またやっちゃった……
店員さんの鋭い視線に、平謝りである。
それでも、モヤモヤが吹っ切れた俺はすごくいい気分だった。
深層守護者シアン、待ってろよ、
俺たちは確実に一歩ずつ、君に近づいている――――