ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

2-9.中国なら共産党

 天安グループの王董事長との面談は、赤坂の中華料理屋で会食しながら、となった。
 メンバーで(おもむ)くと、大きな円卓の部屋に通される。
 壁には達筆すぎて読めない水墨画額と巨大な山水画が飾られてあり、天井からは中華ランプがいくつも垂れ下がっている。もはや中国に来た感じがする。完全にアウェイであり、少し心細くなった。 
 山崎がすでに座っていて、俺を見つけると、
「神崎社長、今日はよろしくお願いします」
 そう言って営業スマイルを見せる。
「こちらこそ」
 俺は不愉快な気分を隠すことなく、そっけなく言葉を投げる。
「売っていただける決心は、つきましたか?」
「さあね」
 俺は手のひらを上に向けて首を振る。
「二百億は、一生豪遊し続けられるお金ですよ。何が不満なんですか?」
「金は幸せを呼ばない。金は単なる数字だ、無きゃ不幸だが、あり過ぎても不幸だ」
 俺は目を合わせないようにしながら、淡々と言い放った。
 もちろん、二百億円で一生豪遊というのはやってみたい気持ちはある。綺麗なお姉さんはべらせて、ドンペリニヨンをポンポン開けてゲラゲラ笑うっていう暮らし、それは()かれない男などいないだろう。
 でも……、きっと俺には向いてない。大金を使うというのにも才能というのがいると思っている。エンジニアとしては最先端のモニタに最高のキーボード、身体にベストフィットする椅子、そして最先端のサーバーぶん回せる環境とかの方が圧倒的に魅力的で、そしてそれは、もう叶ってしまっているのだ。
 で、あるならば、大金など余計なトラブルを呼ぶだけの疫病神だ。そもそもクリスの失望を買うようなことはできない以上、山崎の提案を飲む道などない。
「そういうもんですかねぇ……。私だったら即決しますよ。……。あ、お見えになった!」
 扉が開いて、王董事長とその部下たち一行が現れた。王董事長は40歳前後だろうか、精悍(せいかん)な顔つきをしてスラックスに黒のカッターシャツの姿で現れた。
 みんな起立して出迎える。
 
 俺も大学以来、久し振りに使う中国語であいさつをした。
「您好! 我是神崎、初次見面、請多关照!(はじめまして神崎です。よろしくお願いいたします。)」
 笑顔で、はきはきと大きな声で話すと、
「好好! 你会説中文嗎?(中国語話せるの?)」
 ちょっと驚いたような感じで、王董事長が聞いてくる。
「一点点 大学時我学中文。(大学時代少し勉強しました)」
「好好! 坐下 喝酒吧。(座って、飲みましょう)」
 王董事長を俺の背中をポンポンと叩いて、椅子に座らせた。
 極小さなグラスが配られ、王董事長が、綺麗な木箱から高そうな酒を出す。
「我帯来了茅台酒 請喝越来越多(マオタイ酒を持ってきたから、どんどん飲んで)」
 王董事長は高そうな陶器の酒瓶を俺に見せると、にこやかにそう言った。
 ウェイトレスが次々と我々のグラスに注いでいく。
 山崎は
「それ一杯でだいたい一万円ですね。凄い高い酒ですよ」
 と、俺に耳打ちする。
「あーそう。まぁ、そんな気はしたんだ……」
 俺は臭いを嗅いでみたが、鼻がツーンとする独特の香りがする。
 もはや完全にアウェイであり、俺は苦笑いをした。
「干杯!(乾杯)」
 王董事長がグラスを掲げ、声を上げると
 部下の人達が
「干杯!」「干杯!」「干杯!」
 と、言って、グラスを丸テーブルの角でコンコンと叩いた。
 我々も見よう見真似でコンコンと叩く。
 すると、みんな一気飲みをして、グラスを空けていく。
 我々も空ける……が、予想以上にキツい酒で目が白黒する。
 渋い顔をしていると、山崎は
「アルコール度数53度です。無理しないでくださいね」
 と、言ってニヤッと笑う。
 美奈ちゃんは、ゴホゴホとせき込んでいる。
 日本人にはちょっとキツい。
 食道から胃にかけて、熱い感覚が流れていく。喉が焼けそうだ。
 回転テーブル中央の、大きな皿には、野菜を巧みに切り抜いて創り上げられた、鳳凰(ほうおう)のデコレーションが置かれている。
 その周りに前菜の皿が、ドンドンと乗せられていき、皆、それを取って回していく。
 棒棒鶏やクラゲの冷菜、叩いたキュウリ、乾いた豆腐をひも状にした干豆腐料理……たくさん出てくる。
 俺もいくつか取って食べてみる。さすが高級中華、丁寧で繊細な味付けが奥行きのある風味を演出し、思わずうなってしまう。街の中華屋とは大違いだ。
 すると、王董事長から声がかかる、
「神崎先生、干杯!(乾杯)」
 そう言って、俺のグラスに酒を注ぐ
「謝謝 干杯!(乾杯)」
 俺もそう言って、グラスを合わせてまた一気飲み。このままだと潰されるので、何か考えないと……。
 すると、王董事長は俺の目をじっと見て言った。
「想加入天安集団嗎?(天安グループに入りませんか?)」
 いきなり本題から切り出される。ここは頑張らないと。
「我感到很荣幸。但是我優先考慮自由。(光栄ですが、自由でいたいのです。)」
「我們集団有很多銭和優秀的人才。開発速度将提高(うちは金も人材も豊富だぞ)」
 熱のこもった誘いが来る。たしかに天安グループはすごい、それは俺も認める所だ。
「我的環境感到満意。(今の環境で十分です)」
「……。我們的資金雄厚(金の力というのは凄いよ)」
 上目遣いに、ゆっくりと言ってくる。金色のネックレスが揺れてきらりと光った。
 要は、強引に乗っ取るよ、と言ってる訳だ。いよいよここが今晩の天王山。
 俺がクリスに目配せをすると、クリスはそっとトイレに離席した。
 俺は一つ大きく息をして、アウェイの重圧を薄め、
「我們的朋友很堅強。(我々の友人の力も凄いよ)」
 そう、ニッコリと笑って言った。
「朋友嗎?(友人?)」
 怪訝(けげん)そうな顔をする王董事長。
「看你的手机(携帯を見てごらん)」
「手机?(携帯?)」
 王董事長が携帯を取り出すと、着信音が響き渡った。
 携帯には『中南海』と出ている。中南海とは中国共産党の本部がある所、共産党の要人から電話があったという事なのだ。
 王董事長はビックリして飛び上がると、直立不動で電話を受けた。
「対……。対……。(はい、はい)」
 額には冷や汗がにじんでいる。
 異様な雰囲気に気付いた部下たちは、一斉に話を止め、王董事長の電話に聞き耳を立てる。
 宴会場は不気味な静けさに包まれた――――
 山崎が怪訝(けげん)そうな顔で俺を見るので、ドヤ顔でにやけてやった。
 短い電話が終わると、王董事長はドカッと椅子に座り、憔悴(しょうすい)しきった様子で茅台酒を(あお)った。
 そして、俺をジロっと(にら)むと
「神崎先生、你是真偉大。(神崎さん、あなたは凄い)」
 そう言って軽く手を上げ、首を振った。
 中国においては、共産党幹部が圧倒的に強い。どんなに成功したIT長者でも、絶対に共産党には逆らえない。共産党に(にら)まれたら、一瞬で会社など潰されてしまうのだ。
 もちろん、天安グループ位になれば、共産党幹部を味方に付けてあるわけではあるが、その人より上のクラスを出せば絶対に逆らえないのだ。
 俺はにっこりと王董事長に笑いかけ、ゆっくりと言った。
「謝謝 想成為朋友嗎?(友達になりませんか?)」
 王董事長は俺をジロッと(にら)み……そして相好を崩して言った。
「対!你是我的朋友!(なりましょう!)」
「明年,我想在中国銷售AI解決方案。可以成為代理店嗎?(来年、AI製品を中国で売るのに協力してくれますね?)」
「対、対。当然可以!(もちろんです!)」
 形勢逆転である。これは当たり前だ。俺を敵に回すという事は、電話をかけて来た共産党幹部を敵に回す事、それは絶対に避けないとならないはず。ついでに副産物の売り込みにも成功した。これで太陽興産に恩返しもできるだろう。大勝利である。
「王先生、干杯! 干杯!(乾杯)」
 そう言って、俺は満面の笑みで王董事長のグラスに酒を注ぐ
「謝謝 干杯!(乾杯)」
 王董事長はやや引きつった笑顔で乾杯をする。
 俺はキツい酒を(あお)りながら、クリスの力の素晴らしさに改めて感動を覚えた。地球上でクリスに勝てる人など居ないだろう。その気になれば世界征服すら余裕、というより、すでに実質世界征服済みだろう、これは。
 うちは神のチーム、世界最強なのだ。
 俺はクリスと美奈ちゃんに指のサインでうまく行ったことを報告し、改めて高級中華を皿に取った。
「クックック……」
 酔いも手伝って、つい笑いがこみあげてきてしまう。
 まるで世界を獲ったかのような錯覚に、俺は酔っていた。
Thwack(バシッ)
 いきなり美奈ちゃんが俺の背中を叩いてくる。
「何浮かれてんのよ!」
「痛いなぁ……、何すんだよ」
 俺はムッとして美奈ちゃんを見る。
「クリスがいつまでも助けてくれる保証は無いのよ、しっかりしなさい」
 美奈ちゃんは冷たい目で、嫌な事を言ってくる。
「何言ってんだよ……」
 俺は反論しようとして……、言葉が出てこず、口を開けたまま間抜けな顔で止まってしまった。確かに美奈ちゃんの言う通りだったのだ。
 クリスが助けてくれたのは、深層守護者計画が順調だからであって、もし、行き詰まっていたら、見捨てられていたかもしれないのだ。
 もちろん、今日明日いきなりという事は無いと思うが、ある日いきなり切られても全然おかしくないのだ。
 教授みたいに記憶を全部消されて放り出されるリスクは、常に付きまとう。
 もし、記憶を消されたら俺は何を想うのだろうか?
 俺は、ジト目で俺を(にら)んでくる美奈ちゃんを見て、こんなやり取りも皆忘れてしまうのかと思い、背筋がぞっとした。
 美奈ちゃんの事だけでなく、築いてきたいろいろな思い出も、全部忘れてしまうに違いない。気が付いたら海辺の公園のベンチで寝っ転がっていて何も覚えていない、記憶喪失の男として施設行き、そんな事になってしまうのだろう。
 ダメだ、そんな結末は到底受け入れられない。絶対に成功しなくては……。
 折角の勝利だというのに、現実を突きつけられた俺の心は晴れなかった。
 勝利の美酒はほろ苦い味がした。

      ◇

 王董事長とのやり取りを見てた部下の人たちは、俺と仲良くしようと我先に乾杯にやってくる。
「我是負責企划的董事。見到您很高興。神崎先生、干杯!(企画担当役員です、お目にかかれてうれしいです。乾杯)」
「謝謝 干杯!(乾杯)」
 
「我是総経理。拜托了。神崎先生、干杯!(実務責任者です。よろしく。乾杯)」
「謝謝 干杯!(乾杯)」
 次々とやってくる部下たちを断るわけにもいかず、結局、全員と乾杯させられた。とっくに限界の酒量は超えてしまっている。
 中国企業と付き合うというのはとんでもない事だと、身をもって痛感した。
 
 山崎はその様子を見て、俺と友達になりたいとか言ってきたが、当然断っておいた。
 美奈ちゃんはジャスミン茶を飲んで涼しい顔をしてるし、クリスはにこやかに乾杯を繰り返しながら、全然酔ってる様子を見せず、相手を圧倒している。ヤバいのは俺である。結局俺は、その後も数えきれないほど乾杯をして、何度もトイレに行く羽目になった。
 気が付いたら……、俺はオフィスのソファーで転がっていた。どうやって帰宅したのかすら覚えていない。
 でも……、美奈ちゃんの事はまだ覚えている。セーフらしい。覚えていて良かった……。
「美奈ちゃん……」
 グルグル回る天井を見ながら、失われていく意識の中そうつぶやいた。

     ◇

 その晩、美奈が港区の高級マンションに戻ると、怪しげな男に高い声で呼び止められた。間接照明がお洒落なエントランスホールの奥から現れたその男は、ハンチング帽をかぶり、中世ヨーロッパ風のちょっと変わった服を着た、小柄な男だった。
「美奈さん、ちょっといいですか?」
 美奈はご近所さんかと思い、立ち止まって答える。
「はい、なんでしょう?」
 男はニヤッと笑うと、言った。
「美奈さんは、クリスがやってる奇跡を、自分でもやってみたいと……」
Thump(ドスッ)
 美奈は無表情のまま、いきなり男の金的を蹴り上げた。
「ぐわぁ!」
 男は余りの激痛に転がってのたうち回る。
 美奈は、
「百万年早いわよ、ストーカー!」
 そう言うと、スタスタと自宅へ歩いていった。
 男は、額から冷や汗を流しながら、
「な、なぜ、痛いんだ!? クリス、クリスだな、畜生!」
 そう喚きながらスーッと消えていった。

       ◇

「ただいま~」
 美奈が家に入ると、父親の克彦(かつひこ)が声をかけてくる。
「美奈ちゃん、変な声が聞こえたけど……大丈夫?」
「え? あぁ、変な虫が出たので驚いただけ、心配しなくて大丈夫よ」
 そう言ってニコッと笑った。
「なら……いいけど……。あれ? お酒臭い……、また飲んできたの?」
「今日は大事な会食だったのよ、そんなにたくさん飲んでないわよ、社長は潰れてたけど」
「え? 社長潰しちゃったの!?」
「男の人は飲むのも仕事なのよ」
 そう言ってニヤッと笑った。
「いやまぁそうだけど……、社長放っておいていいの?」
「大丈夫よ、いざとなればクリスが何とかするわ」
「なら……いいけど……、こないだもほら、70億出すって男が来たじゃないか。美奈ちゃんのところの会社、ちょっとなんか変だよ……」
 克彦は、娘の事が心配でしょうがない。
「大丈夫、大丈夫、いざとなったら私がエイッて解決しちゃうんだから!」
 美奈は人差し指をくるりと回し、ニッコリと笑った。
「エイッて……どうやるの?」
 美奈は、不安そうな克彦をきゅっとハグすると、頬に軽くキスをした。
「うわぁ」
 克彦はふわっとブルガリアンローズの香りに包まれ、驚いて目を白黒させる。
「こうやるの!」
 それを見ていた母美也子(みやこ)は、
「美奈ちゃん! またパパからかって、ダメよ!」
 と、怒った。
「はーい!」
 美奈はうれしそうに笑いながら、自分の部屋に駆けて行った。
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