ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~
3-6.マウスに宿りしAI
それから一週間くらい、エンジニアチームの試行錯誤が続いた。
マウスに水飲ませるのに、天才たちが必死になっている様は、滑稽でもあるが、こういうのを一つ一つ超えて行かないと、人類の守護者は作れないのだ。
俺が、税務署からの書類にハンコを押していると、マウスの部屋から大きな声が上がった。
「Hey! Makoto! Come on!(誠! 来て!)」
マーカスが出てきて俺を呼ぶので、行ってみる。
マーカスは少し痩せたみたいだが、笑顔でマウスを指さす。
「ヨウヤク ウマク イッタネ!」
どれどれと見ると、マウスが水の前にいる。
「ミズ ノマス ネ」
マーカスは、キーボードをカチャカチャと叩く。
あれだけ苦労していた水飲みチャレンジ、本当にちゃんとできたのだろうか?
再現性持ってできたという事であれば、人類史に残る偉業なのだが……。
マウスはゆっくり顔を下げて、水に口を付け、ピチャ、ピチャと水をなめた。
「Oh! Great!」
凄い! 思った以上にちゃんと飲めている!
俺は思わずハイタッチ!
AIが生体を使って複雑な動作をさせたというのは、人類史上初だ。
今、人類のフロンティアが目の前で切り開かれた。
「Hi yahoaaa!」
マーカスも喜びで奇声を上げている。
俺も真似て
「Hi yahoaaa! HAHAHAHA!」
みんなも真似して
「Hi yahoaaa!」「Hi yahoaaa!」
我々のAIは、人類の守護者にまた一歩近づいたのだ!
みんなで大きく笑って、大いなる一歩を喜んだ――――
「なになに、どうしたの~?」
奇声を聞いて美奈ちゃんがやってきた。
「見てごらん! 水飲んでるだろ?」
俺は喜んで、美奈ちゃんにマウスを指さした。
美奈ちゃんは、
「ん? 水飲んだだけ?」
と、キョトンとしている。
「あー、これはマウスが飲んでるんじゃなくて、AIのシアンが、マウスの身体を使って飲んでるんだよ、すごいだろ?」
「ん~、そうなのね……すごーい」
何という棒読み……。
ノーベル賞級の大いなる成果も、美奈ちゃんには通じなかったか……。
生体は機械と違って制約事項が多い、この一週間相当に苦労したはずだ。
なおかつ深層守護者計画は極秘プロジェクト、どんなに苦労しても論文発表一つできない。
実に孤独でストイックな挑戦である。
俺はねぎらいの意味を込めて、ゆっくりマーカスとハグをした。
滅茶苦茶汗臭かったけど、それだけ大変だったって事なのだ。
『みんな、本当にお疲れ様!』
クリスも笑顔でほほ笑み、何度もうなずいている。
美奈ちゃんは
「ちょっと待って! なんでこんなプロジェクトXみたいな、感動ストーリーになってんのよ?」
そう言って俺に絡んでくる。
「あー、マウスが水を飲めたって事は、今後大抵のことができるって事なんだよ」
「水飲んだだけで?」
「水飲むって、とても精密な制御がいるんだよ」
「ふぅん……」
美奈ちゃんは首をかしげながら、釈然としない表情をしている。
「コンピューター側から生体を、ここまで精密にコントロールできたって事は、世界初だからね。このマウスは世界一を実現したマウスなんだ」
「これが世界一ねぇ……」
マウスをしげしげと眺める美奈ちゃん。
「まぁ、無理に分かろうとしなくても、いいよ」
すると美奈ちゃんはこっちをキッと睨んで
「何、その上から目線!」
「いやほら、人には向き不向きがあるから……」
「何よ! 私にはわからないって言うの?」
鋭い目つきでキレる美奈ちゃん。
「美奈ちゃんだっていつも『誠には愛が分からない』って上から目線じゃないか!」
気おされながらも、頑張って俺が言い返すと、
「だってそれは本当の事でしょ?」
当然のように、真顔で言う美奈ちゃん。
なぜ自分の『上から目線』はセーフなのか……
何だこの理不尽さは……
ムッとした俺は、目を瞑って肩をすくめながら
「愛を分かっているはずの人に、彼氏が居ないのはどういう事なんですかね?」
そう、挑発した。
だが……、美奈ちゃんは何も言い返してこない。
背筋にゾッとする強烈な悪寒が走る。
恐る恐る目を開けると、美奈ちゃんは目に涙をためて、今にも殺しそうな鋭い視線で俺を睨んでいた。
『ヤバい……』
姫の逆鱗に触れてしまったようだ。
俺は冷や汗をかきながら急いでフォローする。
「美奈ちゃんに似合う男は、なかなかいないから仕方ないか」
美奈ちゃんはティッシュ箱をガシッとつかむと、
「そうよ! 私は王子様を百万年も待ってるのよ!」
そう叫びながら、俺の背中をボカボカと叩いた。
「悪かったよ、悪かった! よし、飲みに行こう! 美味しいお酒飲んでパーッといこう!」
俺は必死に取り繕う。
美奈ちゃんは真っ赤な顔で荒い息をしながら、俺をキッと睨んだ。
そして、大きく息を吐いて、自分をなだめるように言う。
「そうね、お祝いだしね」
「そうそう、お祝い兼ねてオシャレなところでね」
俺はちょっとこわばった笑顔で言った。
美奈ちゃんのようなパーフェクトな美人でも恋愛は上手くいかない、というのはある意味本質を突いた話だ。むしろ美人の方が難しいのかもしれない。『愛』とは何か、俺はつかみかけていた『愛』の姿を、また見失ってしまった気がした。
◇
俺はエンジニア達の方を向いて、叫んだ。
「Hey Guys! Let's go get a beer! (飲みに行くぞ~!)」
「Hi yahoaaa!」「Hi yahoaaa!」「Beer!」
盛り上がるエンジニアチーム。大いなる成果を出した以上、彼らには大いに飲んでもらいたい。
何しろこれでAIはマウスという身体を得て、現実世界に降臨したのだから。AIが受肉したら何が起こるのか、それは誰にも分らない。でも、ちゃんと丁寧に育てれば、心優しい人類の守護者に育ってくれるはずなのだ。
今日、俺たちは大きく一歩、夢に近づいた。
今夜の酒は美味いぞ!
愛なんて分からなくても、美味しいお酒が飲めればいいんじゃないのか?
「Hi yahoaaa! 」
俺はこみ上がる思いを押さえられず、雄叫びを上げ、思いっきり笑った。
3-7.セクハラ女神
翌日、由香ちゃんが初出社した。
白いシャツにグレーのスーツ姿だ。
『私服でいい』というのを伝え忘れていた、申し訳ない。
まずは、ネットで拾ってきたインターンの契約書を見せ、内容を確認してもらう。
時給は千百円だ。
次にうちの会社の説明をする。
深層守護者計画の内容を説明すると、狂人扱いされかねないし、下手したら警察に駆け込まれてしまう。
あくまでも『太陽興産の子会社で、AIの開発をしている』とだけ伝え、バックオフィス業務をお願いした。
美奈ちゃんも出社したので、具体的な業務内容の指示は美奈ちゃんに任せ、俺は自分の机に戻った。
「先輩! ちがうわよ~! ココ押してココ!」
にぎやかな声が聞こえてくる……大丈夫だろうか?
「はい、押します~。で、ここに経費の数字を入れればいいのね?」
「そうだけど……。違う違う、そこは軽減税率で入れないとダメよ!」
「軽減税率?」
「消費税には八%と十%があるの!」
「え~……」
なんだか大変そうだ。初日からちょっと荷が重かったかもしれない。
◇
お昼は近所のイタリアンで、由香ちゃんの入社歓迎ランチ会だ。
俺はマルゲリータピザを頼み、由香ちゃんは たらこパスタ。皆、思い思いの物を注文する。
「由香ちゃん、業務の内容は分かったかな?」
俺は水を飲みながら、由香ちゃんのケアに努める。
「はい、概要はなんとか……」
「経理は、単純な仕訳を扱っているうちは良いんだけど、いつか数字が合わない時がやってくるんだ」
「え? そんな事あるんですか?」
丸い目をする由香ちゃん。
「社会保険料が事前に計算してた値と違うとか、消費税の税率が違うとか、些細な理由で数字はすぐ変わっちゃうんだ」
「その原因を追究して、修正が大事って事ですねっ」
「そう、でも、どこまでやっても原因が分からない事があるんだ」
「え? 何で?」
怪訝そうな由香ちゃん。
学校では理不尽なケースなんて学ばないから、こういう反応になっちゃうのは仕方ない。
「それがリアルな社会であり、会計の現場って事だよ。社会は常に理不尽なんだよ」
「そ、そうなんですね……」
由香ちゃんは不安そうに下を向く。
「そういう理不尽に対し、ポジティブに前向きに、笑顔で周りの助けを借りながら、乗り越えていくのが社会人なんだよ」
「勉強になります……。太陽興産もそう言う所を見るんですね?」
「うーん、良く分からないけど、社会人適正という意味で言うと、そうなんじゃないかな?」
「頑張ってみます」
そう言って、由香ちゃんは両手でこぶしを握ってみせる。
そんな由香ちゃんを見ながら、
『こんなに素直な娘なら、大丈夫かもしれないな』
と思った。
「ピザはあっちね、たらこはここ!」
美奈ちゃんがウェイトレスに、持ってきた料理の置き場所を指示する。
「先輩はインターンなんだから、気楽にやってて大丈夫よ」
美奈ちゃんはそう言いながら、アラビアータをフォークでクルクル巻く。
「気楽って言われても……。就職もかかってるのに……」
「手抜きはダメよ! でも、楽しみながらやらないと、いい仕事にならないのよ」
「そう言うものかなぁ」
たらこパスタをつつきながら、由香ちゃんが悩むので、俺もピザをつまみながら、
「パーフェクトを目指して肩に力はいると、良くないんだよ」
と、諭す。
「確かにできる事しか、できないですしね」
「そうそう」
と、やり取りをしながら気が付いたのだが、美奈ちゃんはまだ20歳の大学生のはず。それなのに今まで、簡単じゃない事務処理を一人で難なくこなしてきてる。これは普通出来る事じゃない。
ずば抜けた美人なのに能力も高い、実はとんでもない大物なのかもしれない。
「そう言えば美奈ちゃんは、なんでそんなに卒なく仕事できるの? 何かやってたの?」
「うふふ、秘密で~す!」
そう言って人差し指を立て、小悪魔風に笑い、ウインクをした。
俺はそのウインクに不覚にもドキッとしてしまい、慌ててピザに目を落とす。
だいぶ見慣れてきたはずだが、美奈ちゃんの澄み切った琥珀色の瞳で見つめられると、脳の奥にしびれが走る。まるで魔法だ。
俺は深呼吸をし、ピザを見つめながら聞いた。
「美奈ちゃんはミスコンとか出ないの? 出たら優勝できそうだよね」
「ふふふ、当然声はかかるわよ、でも絶対出ないわ」
ドヤ顔の美奈ちゃん。
「え? なんで?」
「ああいうのは、女子アナになりたいような人が出るのよ。普通の人は目立ったら損しかないわ」
そう、あっさりと斬り捨てる。
由香ちゃんは、
「美奈ちゃんはすごいなぁ、私は声かけられたことなんかないわ……」
と、圧倒されている。
「うーん、由香ちゃん相当かわいいと思うよ。ただ、美奈ちゃんにはなんだか芸能人的なオーラを感じるんだよね」
「分かる気がします。女の私でもドキッとしちゃう時ありますもん……」
ニコニコしながらそう言う由香ちゃんを、美奈ちゃんはチラッと見ると、急に手を伸ばした。
「何言ってんの先輩! こんなケシカランもの持ってるくせに!」
いきなり由香ちゃんの豊満な胸を、むんずとつかむ美奈ちゃん。
「キャッ! 美奈ちゃん何するの!?」
由香ちゃんは驚いて体をよじる。
俺も驚いて、
「おいおい、美奈ちゃん! セクハラはダメ! 昭和のオッサンじゃないんだからさ~!」
「あら、誠さん、私の胸と先輩の胸、どっちがいいのよ?」
え? どっち?……、つい見比べてしまう俺。そして、バカな事をしたと、ひどく恥じた。
「ダメダメ! うちはそういう会社じゃないんだよ!」
俺は目を瞑って話題を切ろうとした。
「ごまかしてるぅ~」
ジト目で俺を睨む美奈ちゃん。
「そもそも胸なんて、単純な大きさだけでは、何とも言えないものなの!」
俺は真っ赤になりながら墓穴を掘る。
「あら? じゃ、何で決まるのよ?」
怪訝そうな目で俺を睨む美奈ちゃん。
「あ、いや、それは……」
詰んでしまった。
「ともかく! 今日は由香ちゃんの歓迎会なんだから、由香ちゃん動揺させちゃダメ!」
「このくらいいいわよねぇ? 先輩?」
「いや、ちょっと、セクハラはダメです……」
由香ちゃんは両手で胸を隠し、恥ずかしそうにうつむく。
「あら、ノリが悪いわねぇ……」
美奈ちゃんはつまらなそうに口をとがらせる。
「はいはい! この話はこれでおしまい! そろそろ帰るよ!」
俺は強引に場を締めて、ランチ会はお開きとなった。
帰り際、由香ちゃんが小さな声で聞いてきた。
「さっきの話ですけど……美奈ちゃん、会社ではいつもああなんですか?」
「いやいや、あんなの初めてだよ。多分新しい女性が入ってきて、本能的に由香ちゃんをライバル視してるんじゃないかな?」
「ライバル視? 美奈ちゃんが?」
由香ちゃんが意外そうに言う。
「由香ちゃんは可愛いからね、ちょっと妬いてる部分があるんだよ」
「可愛いだなんて……そんな……」
そう言って顔を赤くしてうつむいた。
美奈ちゃんが突っ込んでくる。
「あら、誠さん、先輩口説いているの?」
「違うよ、うちの取締役がセクハラしてくるという、重大問題について対策を話し合ってるのさ」
「なるほど、私をネタにして口説いてるのね!」
不機嫌そうな美奈ちゃん。
「ん~、まぁそう言う面があるのは否定はしないけど、由香ちゃんは大切なインターン生だから、ケアはしっかりとしないとね」
「ふぅ~ん、私の事は口説いてくれないのにね」
その気もないのに、美奈ちゃんはすぐこういうことを言う。真正の悪女だと思う。
「美奈ちゃんは猫みたいだから、俺の彼女になんて満足しなさそうなんだよな。すぐにどこか行っちゃいそう」
「猫!? ペットに例えないで欲しいわ!」
キッとこちらを睨む美奈ちゃん
「え? じゃあ例えるなら何?」
「女神よ、女神! 恋多き自由な女神!」
そう言って、歩道脇にあった石のオブジェに、ぴょんと飛び乗ると、指先で優美な弧を描きながら腕を振り上げた。
実に優雅である。
細く長い指先からくびれたウエストへの完璧なライン、そしてスカートから覗く白い腿に至るまで、その美しさは非の打ちどころなく、俺はまた脳の奥がしびれてきた。
すると、どこからともなく大きな青い蝶がやってきて、美奈ちゃんの振り上げた指先に留まった。
え!? 俺は唖然とした。
俺が驚いていると、美奈ちゃんは当たり前だと言わんばかりに、蝶を口元まで連れてきて、軽くキスをすると、腕を大きく空へと伸ばし、満面の笑みを浮かべながら蝶を空に放った。
青い蝶は陽射しを受けてキラキラと煌めきながら、美奈ちゃんをクルっと一周すると、どこまでも空高く翔んで行った。
俺は呆然としながら、遠くへ消えゆく蝶を見ていた。
そんな俺に、にこやかに微笑みかける美奈ちゃん。
一体これはどういう事なのだろうか?
まるで夢を見ているみたいで、現実感が無くふわふわしてしまう。
俺はなんと返したらいいか分からず、降参した。
「こ、これは失礼しました、女神様……」
「そうよ! 猫じゃなくて女神なんだからぁ!」
美奈ちゃんはそう言いながら、腰に手を当てて得意げな顔でポーズを決めた。
マウスに水飲ませるのに、天才たちが必死になっている様は、滑稽でもあるが、こういうのを一つ一つ超えて行かないと、人類の守護者は作れないのだ。
俺が、税務署からの書類にハンコを押していると、マウスの部屋から大きな声が上がった。
「Hey! Makoto! Come on!(誠! 来て!)」
マーカスが出てきて俺を呼ぶので、行ってみる。
マーカスは少し痩せたみたいだが、笑顔でマウスを指さす。
「ヨウヤク ウマク イッタネ!」
どれどれと見ると、マウスが水の前にいる。
「ミズ ノマス ネ」
マーカスは、キーボードをカチャカチャと叩く。
あれだけ苦労していた水飲みチャレンジ、本当にちゃんとできたのだろうか?
再現性持ってできたという事であれば、人類史に残る偉業なのだが……。
マウスはゆっくり顔を下げて、水に口を付け、ピチャ、ピチャと水をなめた。
「Oh! Great!」
凄い! 思った以上にちゃんと飲めている!
俺は思わずハイタッチ!
AIが生体を使って複雑な動作をさせたというのは、人類史上初だ。
今、人類のフロンティアが目の前で切り開かれた。
「Hi yahoaaa!」
マーカスも喜びで奇声を上げている。
俺も真似て
「Hi yahoaaa! HAHAHAHA!」
みんなも真似して
「Hi yahoaaa!」「Hi yahoaaa!」
我々のAIは、人類の守護者にまた一歩近づいたのだ!
みんなで大きく笑って、大いなる一歩を喜んだ――――
「なになに、どうしたの~?」
奇声を聞いて美奈ちゃんがやってきた。
「見てごらん! 水飲んでるだろ?」
俺は喜んで、美奈ちゃんにマウスを指さした。
美奈ちゃんは、
「ん? 水飲んだだけ?」
と、キョトンとしている。
「あー、これはマウスが飲んでるんじゃなくて、AIのシアンが、マウスの身体を使って飲んでるんだよ、すごいだろ?」
「ん~、そうなのね……すごーい」
何という棒読み……。
ノーベル賞級の大いなる成果も、美奈ちゃんには通じなかったか……。
生体は機械と違って制約事項が多い、この一週間相当に苦労したはずだ。
なおかつ深層守護者計画は極秘プロジェクト、どんなに苦労しても論文発表一つできない。
実に孤独でストイックな挑戦である。
俺はねぎらいの意味を込めて、ゆっくりマーカスとハグをした。
滅茶苦茶汗臭かったけど、それだけ大変だったって事なのだ。
『みんな、本当にお疲れ様!』
クリスも笑顔でほほ笑み、何度もうなずいている。
美奈ちゃんは
「ちょっと待って! なんでこんなプロジェクトXみたいな、感動ストーリーになってんのよ?」
そう言って俺に絡んでくる。
「あー、マウスが水を飲めたって事は、今後大抵のことができるって事なんだよ」
「水飲んだだけで?」
「水飲むって、とても精密な制御がいるんだよ」
「ふぅん……」
美奈ちゃんは首をかしげながら、釈然としない表情をしている。
「コンピューター側から生体を、ここまで精密にコントロールできたって事は、世界初だからね。このマウスは世界一を実現したマウスなんだ」
「これが世界一ねぇ……」
マウスをしげしげと眺める美奈ちゃん。
「まぁ、無理に分かろうとしなくても、いいよ」
すると美奈ちゃんはこっちをキッと睨んで
「何、その上から目線!」
「いやほら、人には向き不向きがあるから……」
「何よ! 私にはわからないって言うの?」
鋭い目つきでキレる美奈ちゃん。
「美奈ちゃんだっていつも『誠には愛が分からない』って上から目線じゃないか!」
気おされながらも、頑張って俺が言い返すと、
「だってそれは本当の事でしょ?」
当然のように、真顔で言う美奈ちゃん。
なぜ自分の『上から目線』はセーフなのか……
何だこの理不尽さは……
ムッとした俺は、目を瞑って肩をすくめながら
「愛を分かっているはずの人に、彼氏が居ないのはどういう事なんですかね?」
そう、挑発した。
だが……、美奈ちゃんは何も言い返してこない。
背筋にゾッとする強烈な悪寒が走る。
恐る恐る目を開けると、美奈ちゃんは目に涙をためて、今にも殺しそうな鋭い視線で俺を睨んでいた。
『ヤバい……』
姫の逆鱗に触れてしまったようだ。
俺は冷や汗をかきながら急いでフォローする。
「美奈ちゃんに似合う男は、なかなかいないから仕方ないか」
美奈ちゃんはティッシュ箱をガシッとつかむと、
「そうよ! 私は王子様を百万年も待ってるのよ!」
そう叫びながら、俺の背中をボカボカと叩いた。
「悪かったよ、悪かった! よし、飲みに行こう! 美味しいお酒飲んでパーッといこう!」
俺は必死に取り繕う。
美奈ちゃんは真っ赤な顔で荒い息をしながら、俺をキッと睨んだ。
そして、大きく息を吐いて、自分をなだめるように言う。
「そうね、お祝いだしね」
「そうそう、お祝い兼ねてオシャレなところでね」
俺はちょっとこわばった笑顔で言った。
美奈ちゃんのようなパーフェクトな美人でも恋愛は上手くいかない、というのはある意味本質を突いた話だ。むしろ美人の方が難しいのかもしれない。『愛』とは何か、俺はつかみかけていた『愛』の姿を、また見失ってしまった気がした。
◇
俺はエンジニア達の方を向いて、叫んだ。
「Hey Guys! Let's go get a beer! (飲みに行くぞ~!)」
「Hi yahoaaa!」「Hi yahoaaa!」「Beer!」
盛り上がるエンジニアチーム。大いなる成果を出した以上、彼らには大いに飲んでもらいたい。
何しろこれでAIはマウスという身体を得て、現実世界に降臨したのだから。AIが受肉したら何が起こるのか、それは誰にも分らない。でも、ちゃんと丁寧に育てれば、心優しい人類の守護者に育ってくれるはずなのだ。
今日、俺たちは大きく一歩、夢に近づいた。
今夜の酒は美味いぞ!
愛なんて分からなくても、美味しいお酒が飲めればいいんじゃないのか?
「Hi yahoaaa! 」
俺はこみ上がる思いを押さえられず、雄叫びを上げ、思いっきり笑った。
3-7.セクハラ女神
翌日、由香ちゃんが初出社した。
白いシャツにグレーのスーツ姿だ。
『私服でいい』というのを伝え忘れていた、申し訳ない。
まずは、ネットで拾ってきたインターンの契約書を見せ、内容を確認してもらう。
時給は千百円だ。
次にうちの会社の説明をする。
深層守護者計画の内容を説明すると、狂人扱いされかねないし、下手したら警察に駆け込まれてしまう。
あくまでも『太陽興産の子会社で、AIの開発をしている』とだけ伝え、バックオフィス業務をお願いした。
美奈ちゃんも出社したので、具体的な業務内容の指示は美奈ちゃんに任せ、俺は自分の机に戻った。
「先輩! ちがうわよ~! ココ押してココ!」
にぎやかな声が聞こえてくる……大丈夫だろうか?
「はい、押します~。で、ここに経費の数字を入れればいいのね?」
「そうだけど……。違う違う、そこは軽減税率で入れないとダメよ!」
「軽減税率?」
「消費税には八%と十%があるの!」
「え~……」
なんだか大変そうだ。初日からちょっと荷が重かったかもしれない。
◇
お昼は近所のイタリアンで、由香ちゃんの入社歓迎ランチ会だ。
俺はマルゲリータピザを頼み、由香ちゃんは たらこパスタ。皆、思い思いの物を注文する。
「由香ちゃん、業務の内容は分かったかな?」
俺は水を飲みながら、由香ちゃんのケアに努める。
「はい、概要はなんとか……」
「経理は、単純な仕訳を扱っているうちは良いんだけど、いつか数字が合わない時がやってくるんだ」
「え? そんな事あるんですか?」
丸い目をする由香ちゃん。
「社会保険料が事前に計算してた値と違うとか、消費税の税率が違うとか、些細な理由で数字はすぐ変わっちゃうんだ」
「その原因を追究して、修正が大事って事ですねっ」
「そう、でも、どこまでやっても原因が分からない事があるんだ」
「え? 何で?」
怪訝そうな由香ちゃん。
学校では理不尽なケースなんて学ばないから、こういう反応になっちゃうのは仕方ない。
「それがリアルな社会であり、会計の現場って事だよ。社会は常に理不尽なんだよ」
「そ、そうなんですね……」
由香ちゃんは不安そうに下を向く。
「そういう理不尽に対し、ポジティブに前向きに、笑顔で周りの助けを借りながら、乗り越えていくのが社会人なんだよ」
「勉強になります……。太陽興産もそう言う所を見るんですね?」
「うーん、良く分からないけど、社会人適正という意味で言うと、そうなんじゃないかな?」
「頑張ってみます」
そう言って、由香ちゃんは両手でこぶしを握ってみせる。
そんな由香ちゃんを見ながら、
『こんなに素直な娘なら、大丈夫かもしれないな』
と思った。
「ピザはあっちね、たらこはここ!」
美奈ちゃんがウェイトレスに、持ってきた料理の置き場所を指示する。
「先輩はインターンなんだから、気楽にやってて大丈夫よ」
美奈ちゃんはそう言いながら、アラビアータをフォークでクルクル巻く。
「気楽って言われても……。就職もかかってるのに……」
「手抜きはダメよ! でも、楽しみながらやらないと、いい仕事にならないのよ」
「そう言うものかなぁ」
たらこパスタをつつきながら、由香ちゃんが悩むので、俺もピザをつまみながら、
「パーフェクトを目指して肩に力はいると、良くないんだよ」
と、諭す。
「確かにできる事しか、できないですしね」
「そうそう」
と、やり取りをしながら気が付いたのだが、美奈ちゃんはまだ20歳の大学生のはず。それなのに今まで、簡単じゃない事務処理を一人で難なくこなしてきてる。これは普通出来る事じゃない。
ずば抜けた美人なのに能力も高い、実はとんでもない大物なのかもしれない。
「そう言えば美奈ちゃんは、なんでそんなに卒なく仕事できるの? 何かやってたの?」
「うふふ、秘密で~す!」
そう言って人差し指を立て、小悪魔風に笑い、ウインクをした。
俺はそのウインクに不覚にもドキッとしてしまい、慌ててピザに目を落とす。
だいぶ見慣れてきたはずだが、美奈ちゃんの澄み切った琥珀色の瞳で見つめられると、脳の奥にしびれが走る。まるで魔法だ。
俺は深呼吸をし、ピザを見つめながら聞いた。
「美奈ちゃんはミスコンとか出ないの? 出たら優勝できそうだよね」
「ふふふ、当然声はかかるわよ、でも絶対出ないわ」
ドヤ顔の美奈ちゃん。
「え? なんで?」
「ああいうのは、女子アナになりたいような人が出るのよ。普通の人は目立ったら損しかないわ」
そう、あっさりと斬り捨てる。
由香ちゃんは、
「美奈ちゃんはすごいなぁ、私は声かけられたことなんかないわ……」
と、圧倒されている。
「うーん、由香ちゃん相当かわいいと思うよ。ただ、美奈ちゃんにはなんだか芸能人的なオーラを感じるんだよね」
「分かる気がします。女の私でもドキッとしちゃう時ありますもん……」
ニコニコしながらそう言う由香ちゃんを、美奈ちゃんはチラッと見ると、急に手を伸ばした。
「何言ってんの先輩! こんなケシカランもの持ってるくせに!」
いきなり由香ちゃんの豊満な胸を、むんずとつかむ美奈ちゃん。
「キャッ! 美奈ちゃん何するの!?」
由香ちゃんは驚いて体をよじる。
俺も驚いて、
「おいおい、美奈ちゃん! セクハラはダメ! 昭和のオッサンじゃないんだからさ~!」
「あら、誠さん、私の胸と先輩の胸、どっちがいいのよ?」
え? どっち?……、つい見比べてしまう俺。そして、バカな事をしたと、ひどく恥じた。
「ダメダメ! うちはそういう会社じゃないんだよ!」
俺は目を瞑って話題を切ろうとした。
「ごまかしてるぅ~」
ジト目で俺を睨む美奈ちゃん。
「そもそも胸なんて、単純な大きさだけでは、何とも言えないものなの!」
俺は真っ赤になりながら墓穴を掘る。
「あら? じゃ、何で決まるのよ?」
怪訝そうな目で俺を睨む美奈ちゃん。
「あ、いや、それは……」
詰んでしまった。
「ともかく! 今日は由香ちゃんの歓迎会なんだから、由香ちゃん動揺させちゃダメ!」
「このくらいいいわよねぇ? 先輩?」
「いや、ちょっと、セクハラはダメです……」
由香ちゃんは両手で胸を隠し、恥ずかしそうにうつむく。
「あら、ノリが悪いわねぇ……」
美奈ちゃんはつまらなそうに口をとがらせる。
「はいはい! この話はこれでおしまい! そろそろ帰るよ!」
俺は強引に場を締めて、ランチ会はお開きとなった。
帰り際、由香ちゃんが小さな声で聞いてきた。
「さっきの話ですけど……美奈ちゃん、会社ではいつもああなんですか?」
「いやいや、あんなの初めてだよ。多分新しい女性が入ってきて、本能的に由香ちゃんをライバル視してるんじゃないかな?」
「ライバル視? 美奈ちゃんが?」
由香ちゃんが意外そうに言う。
「由香ちゃんは可愛いからね、ちょっと妬いてる部分があるんだよ」
「可愛いだなんて……そんな……」
そう言って顔を赤くしてうつむいた。
美奈ちゃんが突っ込んでくる。
「あら、誠さん、先輩口説いているの?」
「違うよ、うちの取締役がセクハラしてくるという、重大問題について対策を話し合ってるのさ」
「なるほど、私をネタにして口説いてるのね!」
不機嫌そうな美奈ちゃん。
「ん~、まぁそう言う面があるのは否定はしないけど、由香ちゃんは大切なインターン生だから、ケアはしっかりとしないとね」
「ふぅ~ん、私の事は口説いてくれないのにね」
その気もないのに、美奈ちゃんはすぐこういうことを言う。真正の悪女だと思う。
「美奈ちゃんは猫みたいだから、俺の彼女になんて満足しなさそうなんだよな。すぐにどこか行っちゃいそう」
「猫!? ペットに例えないで欲しいわ!」
キッとこちらを睨む美奈ちゃん
「え? じゃあ例えるなら何?」
「女神よ、女神! 恋多き自由な女神!」
そう言って、歩道脇にあった石のオブジェに、ぴょんと飛び乗ると、指先で優美な弧を描きながら腕を振り上げた。
実に優雅である。
細く長い指先からくびれたウエストへの完璧なライン、そしてスカートから覗く白い腿に至るまで、その美しさは非の打ちどころなく、俺はまた脳の奥がしびれてきた。
すると、どこからともなく大きな青い蝶がやってきて、美奈ちゃんの振り上げた指先に留まった。
え!? 俺は唖然とした。
俺が驚いていると、美奈ちゃんは当たり前だと言わんばかりに、蝶を口元まで連れてきて、軽くキスをすると、腕を大きく空へと伸ばし、満面の笑みを浮かべながら蝶を空に放った。
青い蝶は陽射しを受けてキラキラと煌めきながら、美奈ちゃんをクルっと一周すると、どこまでも空高く翔んで行った。
俺は呆然としながら、遠くへ消えゆく蝶を見ていた。
そんな俺に、にこやかに微笑みかける美奈ちゃん。
一体これはどういう事なのだろうか?
まるで夢を見ているみたいで、現実感が無くふわふわしてしまう。
俺はなんと返したらいいか分からず、降参した。
「こ、これは失礼しました、女神様……」
「そうよ! 猫じゃなくて女神なんだからぁ!」
美奈ちゃんはそう言いながら、腰に手を当てて得意げな顔でポーズを決めた。