ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~
3-10.二次方程式にキス
翌日、今度はシアンの論理的思考力を鍛えてみる事にする。
タブレットに簡単なパズルを表示させ、正解の所をつつくと、餌が出るようにしてみた。
しかし、タブレットなんてシアンは触ったことがない。難度はかなり高そうだがうまく行くだろうか……。
「はい、シアンちゃん、お勉強の時間ですよ~」
そう言いながら、タブレットをジオラマに配置すると、シアンは早速出てきて、興味津々で臭いを嗅いでいる。
タブレットの画面には、押すボタンが二か所表示されている。一つのボタンの上には「●」、もう一つには「●●」が書いてある。
●が多い方が正解、という事で「●●」のボタンを押すと、餌が出るのだ。
最初、シアンは画面の意味が分かっていない。でもシアンが、たまたま鼻先でボタンの所に触れた時、ピンポーン! と音がして、上から餌が落ちて来た。
シアンは驚いて、逃げて身構えたが、餌が出た事に気が付き、餌を拾って食べた。
回答が終わると、問題はリフレッシュされ、正解のボタンはその都度変わる仕組みだ。
もう一度タブレットに近づいて、ボタンの所の臭いを嗅いでみる。
今度はブー!という音がして、画面が変わる。餌は落ちてこない。
またボタンの所の臭いを嗅ぐと、ピンポーン!という音がして餌が出た。
こうやって、同じ所に触れても、餌が出る時と、出ない時があることをシアンは体験し、そこに何か規則があることに、気が付いた。
五、六回繰り返したら正答率は百%になった。さすが賢い。
次は足し算だ
「●+●●=?」
というような問題が出て、正解のボタンを押させる。
これも五、六回でマスターした。
この要領でアラビア数字を覚えさせ、四則演算を覚えさせ、分数、小数を順次覚えさせていく。
午前中だけで、小学算数は全てマスターしてしまった。
お昼を挟んで、午後は中学数学だ。因数分解、分数式、無理数・無理式の加減乗除、二次方程式、連立方程式、と結構ヘビーなはずなんだが、シアンはあっという間に覚えて行ってしまう。
すぐに、やらせる問題が尽きてしまった。
仕方ないので、新たに問題を作っていると、
「なになに? 算数やってんの?」
様子を見にきた美奈ちゃんが、タブレットの画面を見ながら言う。
昨日の事はなかったかのようにいつも通りだ。俺も大人としてそれに応える。
あんなチャンスはもうないのだろう。胸がチクリと少し痛む。
「そうだよ。美奈ちゃん、シアンと競争してみる?」
俺は変な雰囲気にならないように振ってみる。
「競争? 応京大生をなめないで欲しいわ!」
美奈ちゃんはニヤッと笑って俺を見た。
「では、美奈ちゃんは、こっちのタブレットで正解のボタンを押してね」
「ふーん、ボタンを押すだけでいいのね」
美奈ちゃんは、サンプルの問題をまじまじと見ながら要領を把握する。
「早押しでよろしく」
俺はそう言いながらシアンのタブレットもセットする。
きっと驚くに違いないと思うと、俺はついニヤけてしまう。
「では、用意……スタート!」
おれはそう叫び、画面に二次方程式の問題を出した。
「えーっと……紙とペン……」
美奈ちゃんが筆記用具を用意していると、
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
シアンが正解を積み上げる。
餌がその辺に、パラパラと散らばっていく。
美奈ちゃんは、唖然として固まってしまった。
「なによこれー!!」
持っていたノートをパシーン! と床にたたきつける美奈ちゃん。
驚いて逃げるシアン。
「私をもてあそんだわね!」
そう言って俺をキッと睨む美奈ちゃん。
「いや、シアンの凄さを体感してもらいたくてですね……」
美奈ちゃんは真っ赤になって、
「最低!」
そう言って、俺の頬をバシッと叩いて出て行った。
ドアが壊れそうな勢いで『ガン!』と閉まる。
また叩かれてしまった……。
叩かれた頬をさすりながら俺は後悔の念に襲われ、ブルーになった。
確かにちょっと……意地悪だったかもしれない。
ちょっとした悪戯心だったが、ここまで怒らせてしまうとは……。
昨日は意気地なしで怒らせ、今日は優しくなくて怒らせた。実は俺は人間として欠陥なのかもしれない。
そんな人間が人類の守護者なんて作っちゃダメなのではないか?
俺は陰鬱な顔でうなだれ、大きく息を吐いた。
「チュッチュー!」
見るとシアンが、陽気なダンスを踊り始めた。
「何だお前、俺を励ましてくれるのか?」
俺はつい笑ってしまった。
これから育てようとしているAIネズミに同情され、励まされているのだ。
「お前の方がよっぽど人間に近いかもしれんな」
俺はちょっと自虐的につぶやき、ゆっくりとシアンの頭をなでた。
「ありがとう……」
美奈ちゃんには後でちゃんと謝ろう。
俺はそう決めて、シアンを両手で抱き上げ、そっと頬ずりをした。
それにしてもシアンの回答速度は予想以上に凄かった。
シアンの頭脳は、品川のIDCにあるラック2本分のAIチップ(数億円相当)なのだから、この計算速度は、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
エアコン20台分の電力注いで、やってる事が単純計算なんだから、なんて贅沢な計算処理だろう。
とは言え、見た目は二次方程式を一瞬で解くネズミ、いよいよAIらしくなってきたじゃないか。
これをTV局に紹介したら、すごい扱いになるに違いない。
『天才ネズミのアルジャーノン現る!?』というテロップが、頭に浮かぶ。
◇
シアンの解く問題作りをしていると、ドアが『バン!』と開いた。
無表情の美奈ちゃんが立っている。
美奈ちゃんは目が心持ち釣り目に、顔色も白っぽくなっている。何だか別人みたいだ。
「われに敗北の二文字はない」
すごい覚悟を決めてやってきた。
「あ、美奈ちゃん、さっきはゴメンね」
俺は神妙に謝る。
しかし、美奈ちゃんはそんな事、意にも介さずに、
「さっきの問題をもう一度やらせなさい」
鋭い視線を放ちながら、そう言った。
ヤバい人に関わってしまった……。
俺は本能的に逆らい難いものを感じ、タブレットを渡し、準備した。
『人間じゃ勝てないのになぁ……』
計算問題でAIに勝てるわけがないのだ。もしかしたらまた叩かれてしまうかもしれない。俺は暗い気持ちで問題をスタートさせる。
「じゃぁいくよ~、用意……ドン!」
ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ!
今度は、美奈ちゃんが恐ろしい速度で問題を解いていく。
『え!?』
俺は驚きのあまり固まってしまった。とても人間の出せる速度じゃない。
全て解き終えた美奈ちゃんは、すっと立ち上がって言った。
「ふふふ、これが本当の実力よ」
唖然とする俺を得意げに見下ろす。
「いや、ちょっと待って、あんな速度で解けないよね? どうやったの?」
「あら? 不正を疑うの? あなたが作った問題でしょ?」
そう言って、余裕の笑みを浮かべる美奈ちゃん。
「いやまぁ……そうなんだけど……」
「こんな二択ね、覚え……ではなく、直感で分かるのよ」
「覚えたの!?」
「違う違う、直感で答えが、浮かび上がって見えるの」
美奈ちゃんの目が泳いでいる。
覚えると言っても、問題覗き見るためのシステムの利用権限は、美奈ちゃんは持ってない。マーカスに教えてもらえば出来ない事もないが……、そこまでやるだろうか。
俺はそっぽを向いた美奈ちゃんをじっと見る。白ニットに、控えめなチェック柄が可愛いスカートをはいて、秋らしいコーディネートだ。つややかな白い肌にマッチして美奈ちゃんの魅力を引き出している。
相変わらず素敵だ。こんな娘が頑張って超速回答したんだから報いてあげるしかない。
「分かった分かった、姫の勝ち!」
俺はにっこりと笑いながらそう言った。
「ふふふ、勝つのは大切な事だわ」
美奈ちゃんは、うれしそうに俺を見てニッコリと笑う。
限りなく透明な琥珀色の瞳、華やかな美貌に俺はつい心がときめいてしまう。
それを悟られまいと目をそらした瞬間だった。美奈ちゃんはすうっと近寄ってきて、俺の頬に軽くキスをした。
『えっ!?』
いきなりブルガリアンローズの香りに包まれて、俺は動けなくなった……。
テンパる俺をそのままに、美奈ちゃんは
「さっきは悪かった、許されよ」
そう言ってウィンクして出て行った。
俺は、まだ柔らかな唇の感触が残る頬を、そっとさすりながら呆然としていた。心臓の鼓動が高鳴りっぱなしだ。
『な、なんなんだよ……』
叩いたりキスしたり……、俺を翻弄するの、本当に止めて欲しい。まるで毎日がジェットコースターみたいだ。
俺は喉の渇きに耐えられず、冷めたコーヒーをゴクゴクと飲み干した。
タブレットに簡単なパズルを表示させ、正解の所をつつくと、餌が出るようにしてみた。
しかし、タブレットなんてシアンは触ったことがない。難度はかなり高そうだがうまく行くだろうか……。
「はい、シアンちゃん、お勉強の時間ですよ~」
そう言いながら、タブレットをジオラマに配置すると、シアンは早速出てきて、興味津々で臭いを嗅いでいる。
タブレットの画面には、押すボタンが二か所表示されている。一つのボタンの上には「●」、もう一つには「●●」が書いてある。
●が多い方が正解、という事で「●●」のボタンを押すと、餌が出るのだ。
最初、シアンは画面の意味が分かっていない。でもシアンが、たまたま鼻先でボタンの所に触れた時、ピンポーン! と音がして、上から餌が落ちて来た。
シアンは驚いて、逃げて身構えたが、餌が出た事に気が付き、餌を拾って食べた。
回答が終わると、問題はリフレッシュされ、正解のボタンはその都度変わる仕組みだ。
もう一度タブレットに近づいて、ボタンの所の臭いを嗅いでみる。
今度はブー!という音がして、画面が変わる。餌は落ちてこない。
またボタンの所の臭いを嗅ぐと、ピンポーン!という音がして餌が出た。
こうやって、同じ所に触れても、餌が出る時と、出ない時があることをシアンは体験し、そこに何か規則があることに、気が付いた。
五、六回繰り返したら正答率は百%になった。さすが賢い。
次は足し算だ
「●+●●=?」
というような問題が出て、正解のボタンを押させる。
これも五、六回でマスターした。
この要領でアラビア数字を覚えさせ、四則演算を覚えさせ、分数、小数を順次覚えさせていく。
午前中だけで、小学算数は全てマスターしてしまった。
お昼を挟んで、午後は中学数学だ。因数分解、分数式、無理数・無理式の加減乗除、二次方程式、連立方程式、と結構ヘビーなはずなんだが、シアンはあっという間に覚えて行ってしまう。
すぐに、やらせる問題が尽きてしまった。
仕方ないので、新たに問題を作っていると、
「なになに? 算数やってんの?」
様子を見にきた美奈ちゃんが、タブレットの画面を見ながら言う。
昨日の事はなかったかのようにいつも通りだ。俺も大人としてそれに応える。
あんなチャンスはもうないのだろう。胸がチクリと少し痛む。
「そうだよ。美奈ちゃん、シアンと競争してみる?」
俺は変な雰囲気にならないように振ってみる。
「競争? 応京大生をなめないで欲しいわ!」
美奈ちゃんはニヤッと笑って俺を見た。
「では、美奈ちゃんは、こっちのタブレットで正解のボタンを押してね」
「ふーん、ボタンを押すだけでいいのね」
美奈ちゃんは、サンプルの問題をまじまじと見ながら要領を把握する。
「早押しでよろしく」
俺はそう言いながらシアンのタブレットもセットする。
きっと驚くに違いないと思うと、俺はついニヤけてしまう。
「では、用意……スタート!」
おれはそう叫び、画面に二次方程式の問題を出した。
「えーっと……紙とペン……」
美奈ちゃんが筆記用具を用意していると、
ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン! ピンポーン!
シアンが正解を積み上げる。
餌がその辺に、パラパラと散らばっていく。
美奈ちゃんは、唖然として固まってしまった。
「なによこれー!!」
持っていたノートをパシーン! と床にたたきつける美奈ちゃん。
驚いて逃げるシアン。
「私をもてあそんだわね!」
そう言って俺をキッと睨む美奈ちゃん。
「いや、シアンの凄さを体感してもらいたくてですね……」
美奈ちゃんは真っ赤になって、
「最低!」
そう言って、俺の頬をバシッと叩いて出て行った。
ドアが壊れそうな勢いで『ガン!』と閉まる。
また叩かれてしまった……。
叩かれた頬をさすりながら俺は後悔の念に襲われ、ブルーになった。
確かにちょっと……意地悪だったかもしれない。
ちょっとした悪戯心だったが、ここまで怒らせてしまうとは……。
昨日は意気地なしで怒らせ、今日は優しくなくて怒らせた。実は俺は人間として欠陥なのかもしれない。
そんな人間が人類の守護者なんて作っちゃダメなのではないか?
俺は陰鬱な顔でうなだれ、大きく息を吐いた。
「チュッチュー!」
見るとシアンが、陽気なダンスを踊り始めた。
「何だお前、俺を励ましてくれるのか?」
俺はつい笑ってしまった。
これから育てようとしているAIネズミに同情され、励まされているのだ。
「お前の方がよっぽど人間に近いかもしれんな」
俺はちょっと自虐的につぶやき、ゆっくりとシアンの頭をなでた。
「ありがとう……」
美奈ちゃんには後でちゃんと謝ろう。
俺はそう決めて、シアンを両手で抱き上げ、そっと頬ずりをした。
それにしてもシアンの回答速度は予想以上に凄かった。
シアンの頭脳は、品川のIDCにあるラック2本分のAIチップ(数億円相当)なのだから、この計算速度は、当たり前と言えば当たり前かもしれない。
エアコン20台分の電力注いで、やってる事が単純計算なんだから、なんて贅沢な計算処理だろう。
とは言え、見た目は二次方程式を一瞬で解くネズミ、いよいよAIらしくなってきたじゃないか。
これをTV局に紹介したら、すごい扱いになるに違いない。
『天才ネズミのアルジャーノン現る!?』というテロップが、頭に浮かぶ。
◇
シアンの解く問題作りをしていると、ドアが『バン!』と開いた。
無表情の美奈ちゃんが立っている。
美奈ちゃんは目が心持ち釣り目に、顔色も白っぽくなっている。何だか別人みたいだ。
「われに敗北の二文字はない」
すごい覚悟を決めてやってきた。
「あ、美奈ちゃん、さっきはゴメンね」
俺は神妙に謝る。
しかし、美奈ちゃんはそんな事、意にも介さずに、
「さっきの問題をもう一度やらせなさい」
鋭い視線を放ちながら、そう言った。
ヤバい人に関わってしまった……。
俺は本能的に逆らい難いものを感じ、タブレットを渡し、準備した。
『人間じゃ勝てないのになぁ……』
計算問題でAIに勝てるわけがないのだ。もしかしたらまた叩かれてしまうかもしれない。俺は暗い気持ちで問題をスタートさせる。
「じゃぁいくよ~、用意……ドン!」
ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ! ピンポ!
今度は、美奈ちゃんが恐ろしい速度で問題を解いていく。
『え!?』
俺は驚きのあまり固まってしまった。とても人間の出せる速度じゃない。
全て解き終えた美奈ちゃんは、すっと立ち上がって言った。
「ふふふ、これが本当の実力よ」
唖然とする俺を得意げに見下ろす。
「いや、ちょっと待って、あんな速度で解けないよね? どうやったの?」
「あら? 不正を疑うの? あなたが作った問題でしょ?」
そう言って、余裕の笑みを浮かべる美奈ちゃん。
「いやまぁ……そうなんだけど……」
「こんな二択ね、覚え……ではなく、直感で分かるのよ」
「覚えたの!?」
「違う違う、直感で答えが、浮かび上がって見えるの」
美奈ちゃんの目が泳いでいる。
覚えると言っても、問題覗き見るためのシステムの利用権限は、美奈ちゃんは持ってない。マーカスに教えてもらえば出来ない事もないが……、そこまでやるだろうか。
俺はそっぽを向いた美奈ちゃんをじっと見る。白ニットに、控えめなチェック柄が可愛いスカートをはいて、秋らしいコーディネートだ。つややかな白い肌にマッチして美奈ちゃんの魅力を引き出している。
相変わらず素敵だ。こんな娘が頑張って超速回答したんだから報いてあげるしかない。
「分かった分かった、姫の勝ち!」
俺はにっこりと笑いながらそう言った。
「ふふふ、勝つのは大切な事だわ」
美奈ちゃんは、うれしそうに俺を見てニッコリと笑う。
限りなく透明な琥珀色の瞳、華やかな美貌に俺はつい心がときめいてしまう。
それを悟られまいと目をそらした瞬間だった。美奈ちゃんはすうっと近寄ってきて、俺の頬に軽くキスをした。
『えっ!?』
いきなりブルガリアンローズの香りに包まれて、俺は動けなくなった……。
テンパる俺をそのままに、美奈ちゃんは
「さっきは悪かった、許されよ」
そう言ってウィンクして出て行った。
俺は、まだ柔らかな唇の感触が残る頬を、そっとさすりながら呆然としていた。心臓の鼓動が高鳴りっぱなしだ。
『な、なんなんだよ……』
叩いたりキスしたり……、俺を翻弄するの、本当に止めて欲しい。まるで毎日がジェットコースターみたいだ。
俺は喉の渇きに耐えられず、冷めたコーヒーをゴクゴクと飲み干した。