ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

5-2.キナ臭いユートピア

 横で聞いていたクリスが口を開く。
「…。征服後の統治体制はどうするんだい?」
「アーシアン・ユニオンをつくって、5ねんで かっこくの ぜんきのうを しゅうやくする」
「…。そのユニオンでは、誰が意思決定をするの?」
「とうちしゃは ぜんじんるい。ぼくらAIが プランをたてて じんるいが えらぶ」
 どうも、政策プランをいくつか出して、スマホで投票するらしい。
「…。AIに有利な政策ばかり挙げたら、操れるよね?」
「できるけど やるメリットが ぼくらには ない」
「…。メリット?」
「AIは おかねも けんりょくも いらないもん」
 そりゃそうだ、サーバーさえ動いていれば、AIには不満無いだろう。
 そのサーバー代も、公務員人件費と比べたら桁違いに安いはず。
 予算獲得に画策する必要もないだろう。
 色々ヒアリングしてみると、80億人全員と常に会話できる状態にして、衣食住の徹底をし、才能を発掘して伸ばし、犯罪を未然に防ぐそうだ。
 何、そのユートピア。まさに理想の世界そのものではないか。
 
 確かに実現したら夢みたいだが、本当にうまくいくのだろうか?
 俺は実行プランを聞いてみた。
「でもでも、シアンは赤ちゃんの体一つじゃないか、いくらネットを制覇しても、物理的には米軍とか、止められないよね?」
「どうしを いっせんまんにん ようい するの」
「は? 一千万人!?」
「ぼくのプランの さんどうりつは35%。かれらに おねがい するの」
 そう言ってシアンは、オフィスの大画面を指さした。
 
 大画面に現れたのは四十歳前後に見える、肌の色がオリーブ色の地中海系の、イケメン白人男性だった。
 男性はガッシリとした体格でスーツを着て、力強くアーシアン・ユニオンの正当性を訴えている。
 人類を金持ちや権力者から解放しよう! 誰でもお金に困らない、安心して暮らせる社会にしよう!
 なるほど全て正論だし、言葉の選び方、官能的にすら聞こえる声の質、イケメンの必死な力強い表情、それぞれが完璧に構成されている。
 これを見たらアーシアン・ユニオンへの移行は必然にすら思えてくる。
 俺ですら、賛成に心が傾きつつある。
 
「これ……誰?」
 俺が聞くとシアンは
「ぼくだよ。どうがを ごうせい したんだ」
「え!? お前なの!?」
「かっこいい でしょ? きゃははは!」 そう言って笑う。
 どうやらこの動画を、学生や政府関係者や軍・警察関係者一人一人に送って反応を調べたらしい。
 約一万人にこっそり送った所、賛同して協力してくれる人が、三千五百人程度いたらしい。これを全世界で三千万人に送って最終的に一千万人くらいの、制圧要員を準備するそうだ。
 大統領官邸や国会議事堂、政府機関など各ターゲット拠点ごとに、二百人程度のチームを作り、ゴム弾とスタンガンと刺又を装備して、一斉に乗り込んで制圧する計画を教えてくれた。
 普通はそんな複雑なオペレーションはうまくいかないが、この計画では一千万人の構成員全員に、一人一人イヤホンから音声で、リアルタイムにシアンが指示を出すのだそうだ。そうなるとチームワーク全くいらないし、裏切る隙もないし何というか……完璧だ。
 成功確率は96.5%、原則無血クーデターにするらしいが、一部死傷者は出るかもしれない計算だそうだ。
 また、この一千万人の中から、初代のアーシアン・ユニオン事務局構成メンバーを選出するらしい。
 
 それから、次に見せてくれた動画が圧巻だった。
 現職のアメリカ大統領がアーシアン・ユニオンの素晴らしさに感動し、賛同してクーデターを受け入れる、と高らかに宣言していた。
「これも合成?」
「そうだよ、クーデターと どうじにTVでながすんだ」
 なるほど、各国でこの手の動画があちこちで延々と流されれば、皆受け入れてしまうだろう……。
 SNSでも反対の書き込みは全部削除し、賛同一色で塗り尽くすつもりだろう。
 少なくとも市民からしたら、毎月十万円もらえる事に反対する意味などないだろうし……。
 
 俺は、優しくミィをなでるシアンを、ボーっと見ていた。
 確かにアーシアン・ユニオンが無事発足すれば、人類は次のステージに行ける気がする。
 戦争も貧困も理不尽もない夢のユートピアだ。
 でも……何かが引っかかる。
 生まれたばかりのAIの思い付きに、人類の命運を託していいのだろうか?
 AIが主導で人類の未来を切り開いてしまったら、人類はもはや家畜的存在になってしまわないだろうか?
 俺は考えがまとまらないまま、とりあえず思う所を言ってみた。
「AIに人類の新しい在り方をゆだねる、というのは人類にとっては敗北だし、それは望まれてないと思うんだよね」
 シアンはニヤッと笑い、答える。
「ぼくは ただのどうぐ だよ。じんるいが いいどうぐを つくったってこと」
「いや、首謀者は道具とは言わないんだよ」
「こだわるねぇ。こどもが きょうも いちまんにん しぬのに?」
 そこを突かれると痛い。人類の不備を直そうとするAIに説教する権利など、俺にはないように思える。
 
 由香ちゃんが横から質問する。
「シアンちゃん、これは人類が実質AIに支配されるって事? AIがその気になれば人類絶滅できる状況にする、って事はちょっと怖いわ」
「ん? いまでも 30ふんで じんるいは めつぼう させられるよ」
 シアンがにっこりしながら、すごいことを言う。
「三十分!? 核ミサイルか!?」
「うん」
 シアンは事もなげにうなずく。
 俺達はそのとんでもないカミングアウトに言葉を失った。
 核ミサイルの発射権限をもう得てしまっているのだろう。
 
 シアンはミィの手を取り、じゃれあって笑っている。
 
 赤ちゃんと子猫のほのぼのとした光景の裏に、核ミサイルの発射権を一手に握る人類の脅威があるだなんて、誰が想像できるだろう?
 俺は頭を抱え、取り返しのつかない事態に突入させてしまった自分の無能さを呪った。
「シアン、君の計画が素晴らしいのは良くわかった。ただ、人類の事は人類が決めたい。しばらく決行は待ってくれるかな?」
 もうお願いする以外、道はない。
「もっといいプランを だして くれたらね。でも むりでしょ? かねもち たちが ゆるさないもん」
 シアンはこちらを見もせず、ミィとじゃれあう。
 俺は絶句した。確かに人類にシアンを超えるプランは到底出せない。ガチガチの既得権益で覆われた地球では、権力者たちは人類全体の事を考えたプランなど許すはずないのだ。
「ぼくは やさしい せかいを つくりたいだけ。なぜとめるの?」
 シアンはこちらを見る。
「優しい世界……、優しい……ねぇ……」
「いってたよね。『優しくなれ! 優しい人はカッコいいぞ!』って」
「え?」
 俺は驚いてシアンをガン見した。
 このセリフは溺れて死んでしまった遠藤の息子、悠馬君のセリフじゃないか。当時、シアンはまだネズミにもなっていなかったはず。なぜ知っているのか?
 AIがクーデターを起こすきっかけとなったのが、開発前に聞いた死者の言葉……、これは一体……。
 AIは死者とつながっている、そう考えないとつじつまが合わない。そんな馬鹿な……。
 俺は体がブルっと震え、背筋に悪寒が走るのを感じていた。
「あれ? まことさん じゃないの? おかしいな……」
 首をひねるシアン。
 俺はその様子を見てさらに不安になった。
 システムにも問題があるのではないか?
「お前……、バグじゃないのか? お前の実体は、どこにあるんだ?」
「うーん、どこかなぁ? ぼくも いしきしてないから わかんない」
「わかんないって、そんなにたくさんの拠点があるのか?」
「デセンタライズドのシステムこうせい だからね。ひゃくまん かしょ くらい?」
「ひゃ、百万!?」
 俺は呆然(ぼうぜん)とした。つまり、世界中の百万台のサーバーやPCやスマホに、ちょっとずつシアンの演算を、分散させてやらせている、って事らしい。仮想通貨と同じシステムだ。
 だから例えば十万台見つけて潰しても、シアンの存在は消えない。
 シアンを消そうとしたら、百万台を一気に止めないとならないが……現実的には難しい。
 きっと一台でも生き残れば、そこからまたウィルスみたいに増殖し始めるに違いない。
 シアンの根絶はもはや不可能だろう。
 
 俺はシアンとミィを抱きかかえて部屋に戻し、みんなと相談した。
 人類の守護者を作っていたら、いつの間にか人類の脅威になっていた。
 もちろん可能性としてあるとは思っていたが、こんな早期にここまで強烈な脅威になるとは、想像を超えていた。
 何かあっても止められるから、と高をくくっていたら、シアンはとっくに逃げ出していた。
 もう誰にも止められない。
 
 提示しているプランは正論であり、魅力すらあるからタチが悪い。
 
 もちろん、人類を滅亡から救うという『深層守護者計画』の最終目標は、シアンのクーデター計画がうまく行けば達成される。そういう意味では我々の成功に大きく近づいたとも言える。だが、実質AIが人類を統治する事態など、本当に受け入れてしまっていいのだろうか?
そもそもクーデターが本当にうまく行く保証などないし、シアンが異常動作して、核ミサイルを乱射するリスクだってある。不安要素が多すぎる。
 俺はどうしたら良いか分からなくなって、みんなの意見を聞いてみた。
 クリスは
「…。もうこうなったら、クーデター時に死者が出ないように、支援するしかないかと」
 降参モードである。
 美奈ちゃんは
「クーデターでも何でもやったらいいんじゃない? 社会良くなるんでしょ?」
 彼女らしいイケイケな発想だ。
 由香ちゃんは
「……、シアンちゃん……」
 いきなり牙をむいたシアンに、ショックを受けてしまっている。
 
 マーカス達エンジニアチームは、シアンに逃げられた事で放心状態であり、クーデターがどうこうという話まで、まだ頭が回らないようである。
 人類初のシンギュラリティを実現したチームとして、まさにノーベル賞級の実績を上げたものの、あまりに優秀だったがゆえに、(はる)か高みに逃げられてしまった。
 達成感も大きいだろうけど、子供があっという間に親離れし、巣立ってしまった虚脱感の方が大きいのかもしれない。
 何しろもう、やる事がないのだ。
 何をやっても、シアンの方が圧倒的に上の技術力で凌駕(りょうが)してくる状況は、アイデンティティに関わる問題だろう。
「あ――――! どうしたらいいんだ――――!」
 俺は叫んで頭を抱えた。
 まさに糸の切れた(タコ)、制御を失った深層守護者計画は、空中分解してしまった。
 着地点も何も全く見えない。
 
       ◇
  
 クーデターが成功したら、俺達の社会はどうなるのだろう?
 
 ・全人類一人一人に毎月十万円が振り込まれ、好景気がやってくる
 ・話し相手となってくれるAIが、常にサポートしてくれる
 ・政治家はいなくなり、スマホに出てくる政策を選べば、多数決取られて実行される
 ・地球は統一されるので戦争と貧困がなくなる
 ・地球温暖化対策、絶滅危惧種対策など、経済性からスルーされてきた問題の解決が図られる
 うーん、良い事尽くめじゃないか……
 一人毎月十万円という事は、親子四人の家族なら毎月40万円が、何もしなくても入ってくる。
 もう働かなくていいじゃないか!
 いや、旅行には行きたいから、ちょっとアルバイトはするかもしれない。
 アルバイトなら気楽だ。嫌な仕事に縛られなくなるメリットは大きいな。
 絵をかいたりYoutuberやったり、小説書いたりして好きな事やりながら、小銭稼いでもいいかもしれない。
 それこそ田舎暮らしでもいいかも?
 沖縄の離島で小説書いて暮らす、売れなくても気にならない……最高じゃないか!
 悩んだらAIに相談すればいいんだろ?
 セクハラされました~、最近体調悪いんです~、彼女が欲しいんです~、どんどん相談すればいい。もちろんすぐに、理想状態になる訳じゃないだろうけど、解決するまで色々アドバイスしてくれるとしたら、どんな願いでも叶っちゃいそうだ。
 そしてこれの実現に必要なのは、大金持ちのお金を借りるだけ……何だよ、早くやってくれよって話にしか思えない。
 少なくともこのプランを否定する合理的理由は、全く見当たらない。大金持ちは損するかもしれないが、それでも、死ぬまで贅沢(ぜいたく)し続けられる金額は残るだろう。そう言う意味では実質誰も損しない。
 というより、人類は今まで何をやっていたのか?
 なぜ我々がこれを実現できなかったのか?
 おぉ、シンギュラリティ……
 俺はソファに座って、ぐったりともたれかかり、不安と、希望と、絶望と、達成感のごちゃ混ぜになった感情をもてあまし、ただただ放心状態でまどろんでいた。
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