ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~
6-4.パパをなめんなよ
そうだ、いつまでも見惚れている訳にも行かない。クリスに会わないと。
俺は涙をぬぐうと、岩壁を降りていった。
マインド・カーネルの花びらから伸びている微細な網が岩壁の方まできているので、それらを傷つけないように、慎重に足場を選びながら床に降りた。
煌めく花弁はまるで巨大なテントのようにフロアを覆っている。
花びらの下に潜ってマインド・カーネルを見ると、表面には微細な光の点がいろいろな色を放ちながら緻密にびっしりと表面を覆い、そのすぐ下に毛細血管のようにびっしりと張り巡らされた繊維が、細かく振動している事が分かる。
ここの光の粒一つ一つが、人間一人一人の思いを紡いでいるのかと思うと実に感慨深い。
ちなみに俺の魂はどこにあるのだろうか……
俺は自分の深層心理にアクセスし、在りかを探した。導かれるままにずーっと歩いて行くと……あった!
大きな花びらの下で、さまざまな色で瞬くたくさんの光の粒の中に、黄金色に光る点があった。
これだ!
俺の呼吸に合わせて、光が強くなったり弱くなったりしている。間違いない。
俺は手のひらをかざし、目を瞑った。
これが俺……
ここが俺の故郷だ……
俺は自分の本体に戻ってきたのだ……
心が温かいもので満たされていくのを感じた。
では、由香ちゃんはどれだろう?
この巨大な花の中に由香ちゃんもいるに違いない。
百数十億の細胞の中から見つけ出してみよう。
俺はまた目を瞑って深呼吸して、由香ちゃんの事を強く思った。
あれ?
俺の深層心理が指し示したのは、俺の直ぐそばにある青く光る点だった。
こんな巨大な花の中で、すぐ隣とはどういう事だろうか?
青い点はゆっくりと明滅をしてる、なんだか由香ちゃんの不安が伝わってくるようだ。
俺は青い点を人差し指でそっとなで、由香ちゃんの事を想った。
自分の命を投げ出してまで俺をかばってくれた最高のバディ、愛しい人、由香ちゃん……。
シアンを一緒に育てた日々の楽しかった事、大変だった事……そして熱いキスの感触……。
すると心の奥底から、とても温かいものがこみ上げてきた。
由香ちゃん……
どこからともなく、甘く優しい由香ちゃんの匂いがしてくる。
そう、この香り……、由香ちゃんがすぐそこに感じられる……。
俺は由香ちゃんの匂いに包まれながら、会いたい衝動に駆られた。
指を離すと青かった点はピンク色に輝いていた。由香ちゃんにも俺の想いは伝わったみたいだ。
よし! 早く帰るぞ!
「待っててね!」
そう言ってクリスへの道探しに戻った。
◇
さて、確かこの辺りに扉があるはずだ……。
空洞の奥には通路があり、人が歩けるようになっている。
通路を奥まで行くと扉があった。
飛行機のドアのような構造になっている。
50センチはあろうかという大きな取っ手を、90度ほど回すと、バシュッっと音がしてドアが少し開いた。
ゆっくりと押してみると、ドアはギギギギという音をたてて開いた。
外を覗くと……雲海である。
ふかふかの雲が足元に広がっていて、燦燦と陽がさしている。
さて……、これはどうしたらいいのか?
顔を出して周りを見ると手前側も雲海である。つまり、このドアは空間の裂け目で、遥か彼方、どこか分からないところと繋がっているようだ。
と、なると、ここを出てしまうと二度と戻れなさそうだ。
「ダメだ、外れだ」
俺はドアを閉め直し、他を探す。
隣の通路を行くとまたドアがあった。
「今度こそ!」
俺は力を込めてドアを開けた……が、真っ暗。俺は慌ててドアを閉めた。
虚無である。虚無に繋がってしまった。
ただ暗い所とか、夜空とかそういうものじゃない。
本能が『ダメ!』と警報を鳴らすタイプの、ヤバい闇が広がっていた。
魂が浸食され、喰い荒らされていく様な闇の力を感じる。
以前、修一郎がお仕置きで突っ込まれていたのがここに違いない。今わかった、凄い同情する。
思い出すだけで冷や汗が出る。
次にドアを開ける時は慎重になろう。
ここもダメだとすると、どこだろう。
おかしいな、この辺のはずなんだが……。
そう思って歩きながら壁をじっくりと見てみると……不自然に盛り上がっているところを発見した。
叩いてみるとボンボンと鈍い音がする。他の壁はコンコンという音がするので、やはり何か変だ。
俺はマイナスドライバーを取り出して、盛り上がってる辺りに軽くガッと刺してみた。
そうすると凹むので、今度は力任せに何度か叩いてみる。
Bang! Bang! Bang! Pow!
貫通した。
材質は分からないが、どうもベニヤ板っぽい薄い板を、かぶせてあるようだ。
力任せに引っぺがしてみると、ベリベリと音を立てて板全体が剥がれ、中からドアが現れた。
なぜこんな隠しドアになっているのか?
不審に思ってドアをよく見ると、ドアのノブに白いクモの巣のような網が巻き付いている。
まるで開けられたら困るから封印したかのようだ。動かそうとしたがビクともしない。
このドアを開けるという事は地球の中枢が外界、多分ジグラートに通じるという事、ジグラートにはクリスが居る。このドアを開けられて困るのは、シアンかタンムズだが……。
よく見ると、巻きついている網の糸の編み方が、シアンと二人でお絵描きしていた時に教えた、クモの巣の描き方そのものだった。
俺が教えたクモの巣で、シアンは俺を妨害している。立派になったなあと思いつつも、躾が足りなかったようだ。やり直してやる!
つまり、シアンが地球を独占するためにここを封鎖し、念のためにドアを隠したのだ。
このドアを開ければクリスが待っているに違いない。
俺はドアノブに巻き付いている網をじっくりと見た。
マイナスドライバーで一部を引っかいてみたがビクともしない。全身の力を細い糸一本にかけてみたが一ミリも動かない。
ドア本体に思いっきりドライバーを叩きつけてみたが傷一つつかない。
なるほど、シアンも馬鹿じゃないようだ。
俺はしばらく考えてみたが、ちょっとこのノブを動かすのは現実的ではない。あきらめた。
しかし、俺はエンジニアだ、パパをなめんなよ! シアン!
俺は雲海の所のドアに行き、ドアを開けてその構造を子細に観察した。
ドアには蝶番があり、外界と遮断するためのシール材があり、ドアの構造材がある。
今回、目指すべきはドアを開ける事ではない。
ドアが遮断している外界との接点を開放してやればいい。
どこか一カ所でも、ほんの0・一ミリでも隙間ができれば地球とジグラートは回路が開き、クリスが地球に干渉できるようになるはずだ。
ドアの構造材はドライバーではビクともしないので、狙うべきはドア周りのゴム状のシール材。ここにドライバーが通る方法を探せばいい。
一つ一つ丁寧にドアの構造を見ていくと、一か所ドアから壁にケーブルを通す所があって、その裏側に隙間があるのを見つけた。
『ココだよ! ココ!』
俺は急いで閉ざされたドアに戻り、その構造を観察する。
ドアは全く同じ構造をしており、ケーブルを通す場所も同じ所にあった。
先ほどの構造であればこの角度でドライバーを入れればシール材に届くはず。
俺は慎重にその角度にドライバーをセットし、ゆっくりと大きく深呼吸した。
そして、気合を込めると全身全霊の力を込め……、
「どっせ――――!」
掛け声とともにドライバーを叩き込んだ。
BSHU!
ドアの奥から音がした。やったか!?
しばらく様子を見てると、次の瞬間
BANG!
と大きな音がしてドアが吹き飛んだ。
6-5.壮大な碧い惑星
ドアの向こうからの眩しい光に、思わず顔を覆ってしまったが、懐かしい声がした。
「…。誠よ、ありがとう」
クリスだ!
「クリスー!」
俺は思わずクリスに飛びついてハグをした。
ついに、ようやく、俺は成し遂げたのだ!
ここに来るまで、何度死を覚悟しただろうか……(いや、実際死んだのだが……)。
思わず目頭が熱くなる。
クリスはポンポンと俺の背中をたたき、気持ちを受け取ってくれた。
「…。誠よ、ちょっと待ってくれ」
クリスは俺から離れると、目を瞑ってドアの開いた所に手をかざした。
すると、すうっとドアの空間の裂け目が消えた。
「シアンがバカな事やってるんだ、すぐに止めないと!」
俺が焦って言うと、
「…。大丈夫、すでに対応した。地球の管理者権限はすでに取り戻したのでもう大丈夫」
クリスが笑顔で言う。
「シアンが殺しちゃった人も何とかなる?」
俺はドキドキしながら聞いてみる。
「…。何とかしよう」
クリスは優しくうなずくと、そう言った。
「良かったぁ……」
俺は全身の力が抜けていくのを感じる。
「…。誠がドアをこじ開けてくれたので、そこから新たな回路を形成する事ができた。その回路からハックして権限を回復できたんだよ」
「お、俺の努力が役に立ったんだ!」
「…。怖い思いをさせてすまなかった。それと、由香ちゃんは無事に田町にいる。安心していい」
「おぉ、由香ちゃん! 由香ちゃん今何やってるの?」
「…。田町のオフィスにいる。ただ、今はシステムを止めてるので、地球時間は止まったままだ。準備ができたら一緒に行こう」
「止まってる……そうか、シアンが何やってたか分からないからな。止めて全部検証しないとだね」
「…。シアンはマインド・カーネルから外れちゃったので、サイコパス状態にある。あれじゃ地球の管理は無理だ」
なるほど、シアンが突然豹変したのはそれが原因だったのか。
ひきつけを起こす前のシアンはマインド・カーネルに繋がっていたから優しく、思いやりがあり、可愛かったのだ。
それが赤ちゃんの身体を抜け出したことでマインド・カーネルとの連携が切れ、サイコパス化し、粗暴で深みのない愚行に走る様になってしまったのだ。
「シアンをマインド・カーネルに繋ぎなおそう!」
俺がそう言うと、クリスはゆっくりうなずいた。
◇
周りを見ると、俺は大きな部屋に居るのに気が付いた。
講堂くらいのだだっ広い円形の部屋で、中央部は天井が高く、三階の高さくらいある。そしてそこに1mくらいの発光体が八個浮かんで、柔らかなオレンジがかった光を放ち、部屋全体を照らしている。
周辺部には多数のディスプレイが空中に浮かんでいる。東京のビル群やNYのマディソンスクエアの景色が出ていたり、グラフや数字のリアルタイム表示がチラチラと動いている。とても贅沢な金融トレーディングルームみたいだ。
後ろを振り返ると壁が全面ガラス張りの窓になっているのを見つけた。近づくと、眼下には巨大な碧い星がドーンと広がっている。
「うぉぉぉ!」
俺は思わず声を上げてしまう。星空の暗がりの中に浮かび上がる真っ青な巨大な星、その偉大な存在感に俺は圧倒された。シアンに見せてもらったホログラムとは全然違う、透き通った深みのある青色、表面を流れる激しい嵐の複雑な模様。そのリアルな佇まいに思わず息をのんだ。
「…。この星が海王星。地球の四倍くらい、巨大な偉大な星だよ。これは上空五千キロからの景色だね」
「すごい! こんな景色初めてだよ!」
「…。まぁ地球人で見たのは誠が初めてだろうね」
俺はしばらくその雄大な青色の世界に見惚れていた……。
ふと上を見ると、星空の中にひときわ明るい星が光っている。
「もしかして、あの星は……」
「…。そう、太陽だよ。四十五億キロも遠くなので、もはや明るい星にしか見えない。」
「うは! 遠くまで来ちゃったなぁ……」
「…。あはは、でも地球の実体はこの海王星のジグラート内だけどね」
「うん、まぁ、そうなんだけど……、なんだか実感がなくて……」
右の方には雄大な天の川が流れ、そこに海王星の環がうっすらと美しい幾何学的な造形でクロスしている。まるで宇宙旅行だな……。
「こんなに綺麗な風景見ながら暮らせるっていいね!」
俺が喜んで言うと、
「…。いやいや、ずっと同じ風景だから飽きるよ。地球の方がいい」と、首を振りながら答える。
「そういうものかなぁ……」
「…。地球には四季もあるし、いい星だ」
「そうかな? 地球の事を褒められるとなんだかうれしいね!」
俺が笑って言うと、
「…。海王星人だって海王星で生まれた訳じゃないけどね」
「あ、氷点下二百度の極寒の星だから人は住めないよね」
「…。そう、もともとはもっと太陽に近い惑星で海王星人は発展した。そして文明の発展の果ての姿として今、海王星にコンピューターシステム群を運用しているんだ。地球もこの部屋もそのコンピューターの創り出した世界だ」
「なんだか実感わかないなぁ……」
「…。ここでしばらく過ごせばすぐに慣れるよ」
「そういうものか……。ここで過ごす上で何か気を付ける事ってある?」
「…。うーん、厳密に言うと私は海王星人のサーバントなので人間ではなくAIになる。だから、人間にできるアドバイスは、実はよくわからないんだ」
俺は混乱した。
海王星人には二種類あって、人間とそのサーバントのAIらしい。どういう事だ?
「クリスはAI? では人間の海王星人はどこに?」
「…。遥か昔に皆眠ってしまった。私も会ったことはない」
「え? サーバントとして仕える先の人間はもういないし、会ったこともないの!?」
「…。そういうことになるね。ただ、彼らは別に死んだわけじゃないよ。寝てるだけだ」
なんだかとんでもない事になってるぞ、これは……
はるか昔に指示された命令を延々と今もこなし続けるAI、それがクリス。
その命令が、精巧な地球シミュレーターをうまく運用することらしい。
なぜ、海王星人たちはそんな事にこだわり、自らは消えて行ってしまったのか?
地球を生んでくれた事には感謝するが、全く釈然としない。
「人間は消えてAIだけが残ると言うのは、地球の少子化みたいな状態だったという事?」
「…。それもあるが、物理的に不老不死にしても人間は長生きできないんだ」
「え? なんで?」
「…。心が枯れちゃうので」
クリスは首を振り、淡々と説明する。
「枯れる……というのは?」
「…。感動と言うのは新しい体験でしか発生しない。つまり、ほとんどの事を体験しちゃったら感動もなくなってしまう。そして、感動のない世界では、人間は生きられないみたいだ」
なるほど、深い……
俺も千年くらいなら前向きに生きられるだろうけど……それ以上経ったら全てに飽き飽きしちゃって寝てしまうだろうな。
不老不死も逆効果だろう。いつか死ぬと思うから、人は一分一秒を大切にするのが当たり前になっている。しかし、死なないのであれば『別にずっと寝ててもいいよね?』という事になってしまう。
なるほど、確かに長く生きる方法が思いつかない……。
でもクリスは長く生きられている。それは単なるサーバントだから……なのだろうか?
言われた事を単にこなす事だけを求められる存在であれば、何の悩みもなく無限に生きられるが、喜怒哀楽で生きる存在『人間』は、長く生き続けるのは不可能という事なのかもしれない。
人間とはなんと脆弱な生き物なのだろうか。
◇
「あ、そうだ、洞窟でタンムズって奴に俺と由香ちゃんが殺されたんだけど、何か知ってる?」
「…。殺された……? 洞窟の様子はこちらからでは見えないんだ。タンムズは確かに私の復活を妨害したいだろうが、誠を殺すというのが良く分からないな……。そもそも、誠はどうやって生き返ったんだ?」
「え? クリスが生き返らせてくれたんじゃないの?」
「…。いや、私はやっていない」
「では誰が?」
クリスは深刻な顔をして何かを必死に考える。
「…。ちょっと待って」
そう言うとクリスは急いで作業席に腰掛け、指先をせわしなく動かして沢山のモニターにいろいろな情報を表示させ始めた。そして、何かをぶつぶつ呟いている。モニターには沢山のチャートや数値が次々と表示され、クリスはそれらを指先で巧みに加工しながら何かを必死に追っているようだった。
しばらくクリスは必死に捜査をしていたが、最後には『バン!』と両手で机を叩き、うつむいて止まってしまった。
いつもと違うクリスに、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。
「だ、大丈夫?」
俺は恐る恐る声をかける。
クリスは大きく深呼吸をして……、
「…。すまない。大丈夫だ」
そう言って、いつものように微笑んだ。
「…。確かにマインド・カーネルの誠のログにはいじられた跡がある。誰かに生き返らせてもらったようだ。しかし、由香ちゃんにはない。由香ちゃんは殺されたことそのものがキャンセルされている……」
「え!? それじゃ殺されたことを覚えているのは俺だけって事?」
クリスは、窓の外を見ながら低い声で言った。
「…。そう。なぜこんな複雑な事を……。こんな事ができるのは『女神様』しかいない」
「女神……様?」
「…。女神様は遥か昔に記録が残っているだけの、伝承上の存在なんだ。なぜ誠を生き返らせたのか……」
「え!? そんなにレアな存在なの!?」
クリスは俺に向き合うと、深刻そうに頼んできた。
「…。誠、悪いが呼んでもらえないかな?」
「よ、呼ぶ!?」
「…。誠に女神様の加護がついているなら、今も我々を見ているだろう。呼べば聞いている可能性が高い」
そう言ってクリスは俺をまっすぐ見つめる。
いつになく真剣なクリスのお願いに、俺はやや気おされながら答える。
「い、いいよ」
そう言って俺は天井に向いて大声で呼んだ。
「女神様! お願いです! 出てきてくださーい!」
広い部屋に俺の叫び声が響く。
……。
何も現れない。
俺はもう一度、さらに大きな声で叫んでみる。
……。
すると、天井からひらひらと、金色の花びらが落ちてきた。
「あ、何か出た!」
俺が叫ぶと、クリスが急いで拾った。キラキラと光る金色の花びらには『イヤ』とカタカナで二文字が書かれていた。
「なんだこりゃぁ!!」
俺は、茶目っ気たっぷりな女神様のリアクションに、思わず大声を出してしまった。
なぜカタカナなのか? 圧倒的な力を持つ海王星人の伝承上の存在が、なぜ日本でしか使われてない文字で、コメディみたいなリアクションをするのか?
予想外過ぎる展開に、俺は言葉を失った。
クリスはまた急いで席に座って、解析を始めている。
俺はその後も、いろいろな声掛けをしてみた。
「お話だけでもできませんか~?」
「美味しいワイン用意しますよ~!」
だが、二度とリアクションは来なかった。
◇
俺は自ら『ヤバい』と告白していた美奈ちゃんを思い出していた。
「女神と言えば美奈ちゃんじゃないか、美奈ちゃんだったりしないかな?」
俺は聞いてみる。
解析が徒労に終わり、疲れ気味のクリスは答える。
「…。美奈ちゃんは今、時間が止まった地球の中だ。動くことも考える事も出来ずに止まっている。見るか?」
クリスは指先をくるくると回して3Dモニタを操作する。
すると……、濡れた腕が映り、固まってしまった。
「え!?」
俺が少しドキドキしていると、
「…。ごめん、入浴中だった。ちょっと表示はできない」
そう言ってクリスは苦笑いをした。
「あ、そ、それはマズいね」
俺はそう言いながらちょっと赤くなった。
少し火照った、透き通るような肌に浮かぶ水滴……妄想が捗ってしまう。
そうか、管理者なら何でも見放題なのだ。これが全部見えてしまうとは極めてヤバい事じゃないだろうか?
俺はさりげなく深呼吸し、ドキドキする心臓を落ち着けながら考える。
美奈ちゃんが本当に女神だったら、なんだかとても素敵な話だと思ったが、どうやらその線は薄そうだ。こうやって監視されている中で変な事をするのは現実的ではない。
俺は窓から眼下に広がる巨大な海王星を眺めた。その紺碧の惑星にはいくつか白い筋が走り、巨大な渦が回っているのが見える。その美しくも壮大な風景に思わずボーっと見入ってしまう。
『ただ……本当に本物の女神だったらどうだろうか……』
俺は物思いに沈む……。
命を救ってくれた恩人の謎は解けそうにない。
俺は涙をぬぐうと、岩壁を降りていった。
マインド・カーネルの花びらから伸びている微細な網が岩壁の方まできているので、それらを傷つけないように、慎重に足場を選びながら床に降りた。
煌めく花弁はまるで巨大なテントのようにフロアを覆っている。
花びらの下に潜ってマインド・カーネルを見ると、表面には微細な光の点がいろいろな色を放ちながら緻密にびっしりと表面を覆い、そのすぐ下に毛細血管のようにびっしりと張り巡らされた繊維が、細かく振動している事が分かる。
ここの光の粒一つ一つが、人間一人一人の思いを紡いでいるのかと思うと実に感慨深い。
ちなみに俺の魂はどこにあるのだろうか……
俺は自分の深層心理にアクセスし、在りかを探した。導かれるままにずーっと歩いて行くと……あった!
大きな花びらの下で、さまざまな色で瞬くたくさんの光の粒の中に、黄金色に光る点があった。
これだ!
俺の呼吸に合わせて、光が強くなったり弱くなったりしている。間違いない。
俺は手のひらをかざし、目を瞑った。
これが俺……
ここが俺の故郷だ……
俺は自分の本体に戻ってきたのだ……
心が温かいもので満たされていくのを感じた。
では、由香ちゃんはどれだろう?
この巨大な花の中に由香ちゃんもいるに違いない。
百数十億の細胞の中から見つけ出してみよう。
俺はまた目を瞑って深呼吸して、由香ちゃんの事を強く思った。
あれ?
俺の深層心理が指し示したのは、俺の直ぐそばにある青く光る点だった。
こんな巨大な花の中で、すぐ隣とはどういう事だろうか?
青い点はゆっくりと明滅をしてる、なんだか由香ちゃんの不安が伝わってくるようだ。
俺は青い点を人差し指でそっとなで、由香ちゃんの事を想った。
自分の命を投げ出してまで俺をかばってくれた最高のバディ、愛しい人、由香ちゃん……。
シアンを一緒に育てた日々の楽しかった事、大変だった事……そして熱いキスの感触……。
すると心の奥底から、とても温かいものがこみ上げてきた。
由香ちゃん……
どこからともなく、甘く優しい由香ちゃんの匂いがしてくる。
そう、この香り……、由香ちゃんがすぐそこに感じられる……。
俺は由香ちゃんの匂いに包まれながら、会いたい衝動に駆られた。
指を離すと青かった点はピンク色に輝いていた。由香ちゃんにも俺の想いは伝わったみたいだ。
よし! 早く帰るぞ!
「待っててね!」
そう言ってクリスへの道探しに戻った。
◇
さて、確かこの辺りに扉があるはずだ……。
空洞の奥には通路があり、人が歩けるようになっている。
通路を奥まで行くと扉があった。
飛行機のドアのような構造になっている。
50センチはあろうかという大きな取っ手を、90度ほど回すと、バシュッっと音がしてドアが少し開いた。
ゆっくりと押してみると、ドアはギギギギという音をたてて開いた。
外を覗くと……雲海である。
ふかふかの雲が足元に広がっていて、燦燦と陽がさしている。
さて……、これはどうしたらいいのか?
顔を出して周りを見ると手前側も雲海である。つまり、このドアは空間の裂け目で、遥か彼方、どこか分からないところと繋がっているようだ。
と、なると、ここを出てしまうと二度と戻れなさそうだ。
「ダメだ、外れだ」
俺はドアを閉め直し、他を探す。
隣の通路を行くとまたドアがあった。
「今度こそ!」
俺は力を込めてドアを開けた……が、真っ暗。俺は慌ててドアを閉めた。
虚無である。虚無に繋がってしまった。
ただ暗い所とか、夜空とかそういうものじゃない。
本能が『ダメ!』と警報を鳴らすタイプの、ヤバい闇が広がっていた。
魂が浸食され、喰い荒らされていく様な闇の力を感じる。
以前、修一郎がお仕置きで突っ込まれていたのがここに違いない。今わかった、凄い同情する。
思い出すだけで冷や汗が出る。
次にドアを開ける時は慎重になろう。
ここもダメだとすると、どこだろう。
おかしいな、この辺のはずなんだが……。
そう思って歩きながら壁をじっくりと見てみると……不自然に盛り上がっているところを発見した。
叩いてみるとボンボンと鈍い音がする。他の壁はコンコンという音がするので、やはり何か変だ。
俺はマイナスドライバーを取り出して、盛り上がってる辺りに軽くガッと刺してみた。
そうすると凹むので、今度は力任せに何度か叩いてみる。
Bang! Bang! Bang! Pow!
貫通した。
材質は分からないが、どうもベニヤ板っぽい薄い板を、かぶせてあるようだ。
力任せに引っぺがしてみると、ベリベリと音を立てて板全体が剥がれ、中からドアが現れた。
なぜこんな隠しドアになっているのか?
不審に思ってドアをよく見ると、ドアのノブに白いクモの巣のような網が巻き付いている。
まるで開けられたら困るから封印したかのようだ。動かそうとしたがビクともしない。
このドアを開けるという事は地球の中枢が外界、多分ジグラートに通じるという事、ジグラートにはクリスが居る。このドアを開けられて困るのは、シアンかタンムズだが……。
よく見ると、巻きついている網の糸の編み方が、シアンと二人でお絵描きしていた時に教えた、クモの巣の描き方そのものだった。
俺が教えたクモの巣で、シアンは俺を妨害している。立派になったなあと思いつつも、躾が足りなかったようだ。やり直してやる!
つまり、シアンが地球を独占するためにここを封鎖し、念のためにドアを隠したのだ。
このドアを開ければクリスが待っているに違いない。
俺はドアノブに巻き付いている網をじっくりと見た。
マイナスドライバーで一部を引っかいてみたがビクともしない。全身の力を細い糸一本にかけてみたが一ミリも動かない。
ドア本体に思いっきりドライバーを叩きつけてみたが傷一つつかない。
なるほど、シアンも馬鹿じゃないようだ。
俺はしばらく考えてみたが、ちょっとこのノブを動かすのは現実的ではない。あきらめた。
しかし、俺はエンジニアだ、パパをなめんなよ! シアン!
俺は雲海の所のドアに行き、ドアを開けてその構造を子細に観察した。
ドアには蝶番があり、外界と遮断するためのシール材があり、ドアの構造材がある。
今回、目指すべきはドアを開ける事ではない。
ドアが遮断している外界との接点を開放してやればいい。
どこか一カ所でも、ほんの0・一ミリでも隙間ができれば地球とジグラートは回路が開き、クリスが地球に干渉できるようになるはずだ。
ドアの構造材はドライバーではビクともしないので、狙うべきはドア周りのゴム状のシール材。ここにドライバーが通る方法を探せばいい。
一つ一つ丁寧にドアの構造を見ていくと、一か所ドアから壁にケーブルを通す所があって、その裏側に隙間があるのを見つけた。
『ココだよ! ココ!』
俺は急いで閉ざされたドアに戻り、その構造を観察する。
ドアは全く同じ構造をしており、ケーブルを通す場所も同じ所にあった。
先ほどの構造であればこの角度でドライバーを入れればシール材に届くはず。
俺は慎重にその角度にドライバーをセットし、ゆっくりと大きく深呼吸した。
そして、気合を込めると全身全霊の力を込め……、
「どっせ――――!」
掛け声とともにドライバーを叩き込んだ。
BSHU!
ドアの奥から音がした。やったか!?
しばらく様子を見てると、次の瞬間
BANG!
と大きな音がしてドアが吹き飛んだ。
6-5.壮大な碧い惑星
ドアの向こうからの眩しい光に、思わず顔を覆ってしまったが、懐かしい声がした。
「…。誠よ、ありがとう」
クリスだ!
「クリスー!」
俺は思わずクリスに飛びついてハグをした。
ついに、ようやく、俺は成し遂げたのだ!
ここに来るまで、何度死を覚悟しただろうか……(いや、実際死んだのだが……)。
思わず目頭が熱くなる。
クリスはポンポンと俺の背中をたたき、気持ちを受け取ってくれた。
「…。誠よ、ちょっと待ってくれ」
クリスは俺から離れると、目を瞑ってドアの開いた所に手をかざした。
すると、すうっとドアの空間の裂け目が消えた。
「シアンがバカな事やってるんだ、すぐに止めないと!」
俺が焦って言うと、
「…。大丈夫、すでに対応した。地球の管理者権限はすでに取り戻したのでもう大丈夫」
クリスが笑顔で言う。
「シアンが殺しちゃった人も何とかなる?」
俺はドキドキしながら聞いてみる。
「…。何とかしよう」
クリスは優しくうなずくと、そう言った。
「良かったぁ……」
俺は全身の力が抜けていくのを感じる。
「…。誠がドアをこじ開けてくれたので、そこから新たな回路を形成する事ができた。その回路からハックして権限を回復できたんだよ」
「お、俺の努力が役に立ったんだ!」
「…。怖い思いをさせてすまなかった。それと、由香ちゃんは無事に田町にいる。安心していい」
「おぉ、由香ちゃん! 由香ちゃん今何やってるの?」
「…。田町のオフィスにいる。ただ、今はシステムを止めてるので、地球時間は止まったままだ。準備ができたら一緒に行こう」
「止まってる……そうか、シアンが何やってたか分からないからな。止めて全部検証しないとだね」
「…。シアンはマインド・カーネルから外れちゃったので、サイコパス状態にある。あれじゃ地球の管理は無理だ」
なるほど、シアンが突然豹変したのはそれが原因だったのか。
ひきつけを起こす前のシアンはマインド・カーネルに繋がっていたから優しく、思いやりがあり、可愛かったのだ。
それが赤ちゃんの身体を抜け出したことでマインド・カーネルとの連携が切れ、サイコパス化し、粗暴で深みのない愚行に走る様になってしまったのだ。
「シアンをマインド・カーネルに繋ぎなおそう!」
俺がそう言うと、クリスはゆっくりうなずいた。
◇
周りを見ると、俺は大きな部屋に居るのに気が付いた。
講堂くらいのだだっ広い円形の部屋で、中央部は天井が高く、三階の高さくらいある。そしてそこに1mくらいの発光体が八個浮かんで、柔らかなオレンジがかった光を放ち、部屋全体を照らしている。
周辺部には多数のディスプレイが空中に浮かんでいる。東京のビル群やNYのマディソンスクエアの景色が出ていたり、グラフや数字のリアルタイム表示がチラチラと動いている。とても贅沢な金融トレーディングルームみたいだ。
後ろを振り返ると壁が全面ガラス張りの窓になっているのを見つけた。近づくと、眼下には巨大な碧い星がドーンと広がっている。
「うぉぉぉ!」
俺は思わず声を上げてしまう。星空の暗がりの中に浮かび上がる真っ青な巨大な星、その偉大な存在感に俺は圧倒された。シアンに見せてもらったホログラムとは全然違う、透き通った深みのある青色、表面を流れる激しい嵐の複雑な模様。そのリアルな佇まいに思わず息をのんだ。
「…。この星が海王星。地球の四倍くらい、巨大な偉大な星だよ。これは上空五千キロからの景色だね」
「すごい! こんな景色初めてだよ!」
「…。まぁ地球人で見たのは誠が初めてだろうね」
俺はしばらくその雄大な青色の世界に見惚れていた……。
ふと上を見ると、星空の中にひときわ明るい星が光っている。
「もしかして、あの星は……」
「…。そう、太陽だよ。四十五億キロも遠くなので、もはや明るい星にしか見えない。」
「うは! 遠くまで来ちゃったなぁ……」
「…。あはは、でも地球の実体はこの海王星のジグラート内だけどね」
「うん、まぁ、そうなんだけど……、なんだか実感がなくて……」
右の方には雄大な天の川が流れ、そこに海王星の環がうっすらと美しい幾何学的な造形でクロスしている。まるで宇宙旅行だな……。
「こんなに綺麗な風景見ながら暮らせるっていいね!」
俺が喜んで言うと、
「…。いやいや、ずっと同じ風景だから飽きるよ。地球の方がいい」と、首を振りながら答える。
「そういうものかなぁ……」
「…。地球には四季もあるし、いい星だ」
「そうかな? 地球の事を褒められるとなんだかうれしいね!」
俺が笑って言うと、
「…。海王星人だって海王星で生まれた訳じゃないけどね」
「あ、氷点下二百度の極寒の星だから人は住めないよね」
「…。そう、もともとはもっと太陽に近い惑星で海王星人は発展した。そして文明の発展の果ての姿として今、海王星にコンピューターシステム群を運用しているんだ。地球もこの部屋もそのコンピューターの創り出した世界だ」
「なんだか実感わかないなぁ……」
「…。ここでしばらく過ごせばすぐに慣れるよ」
「そういうものか……。ここで過ごす上で何か気を付ける事ってある?」
「…。うーん、厳密に言うと私は海王星人のサーバントなので人間ではなくAIになる。だから、人間にできるアドバイスは、実はよくわからないんだ」
俺は混乱した。
海王星人には二種類あって、人間とそのサーバントのAIらしい。どういう事だ?
「クリスはAI? では人間の海王星人はどこに?」
「…。遥か昔に皆眠ってしまった。私も会ったことはない」
「え? サーバントとして仕える先の人間はもういないし、会ったこともないの!?」
「…。そういうことになるね。ただ、彼らは別に死んだわけじゃないよ。寝てるだけだ」
なんだかとんでもない事になってるぞ、これは……
はるか昔に指示された命令を延々と今もこなし続けるAI、それがクリス。
その命令が、精巧な地球シミュレーターをうまく運用することらしい。
なぜ、海王星人たちはそんな事にこだわり、自らは消えて行ってしまったのか?
地球を生んでくれた事には感謝するが、全く釈然としない。
「人間は消えてAIだけが残ると言うのは、地球の少子化みたいな状態だったという事?」
「…。それもあるが、物理的に不老不死にしても人間は長生きできないんだ」
「え? なんで?」
「…。心が枯れちゃうので」
クリスは首を振り、淡々と説明する。
「枯れる……というのは?」
「…。感動と言うのは新しい体験でしか発生しない。つまり、ほとんどの事を体験しちゃったら感動もなくなってしまう。そして、感動のない世界では、人間は生きられないみたいだ」
なるほど、深い……
俺も千年くらいなら前向きに生きられるだろうけど……それ以上経ったら全てに飽き飽きしちゃって寝てしまうだろうな。
不老不死も逆効果だろう。いつか死ぬと思うから、人は一分一秒を大切にするのが当たり前になっている。しかし、死なないのであれば『別にずっと寝ててもいいよね?』という事になってしまう。
なるほど、確かに長く生きる方法が思いつかない……。
でもクリスは長く生きられている。それは単なるサーバントだから……なのだろうか?
言われた事を単にこなす事だけを求められる存在であれば、何の悩みもなく無限に生きられるが、喜怒哀楽で生きる存在『人間』は、長く生き続けるのは不可能という事なのかもしれない。
人間とはなんと脆弱な生き物なのだろうか。
◇
「あ、そうだ、洞窟でタンムズって奴に俺と由香ちゃんが殺されたんだけど、何か知ってる?」
「…。殺された……? 洞窟の様子はこちらからでは見えないんだ。タンムズは確かに私の復活を妨害したいだろうが、誠を殺すというのが良く分からないな……。そもそも、誠はどうやって生き返ったんだ?」
「え? クリスが生き返らせてくれたんじゃないの?」
「…。いや、私はやっていない」
「では誰が?」
クリスは深刻な顔をして何かを必死に考える。
「…。ちょっと待って」
そう言うとクリスは急いで作業席に腰掛け、指先をせわしなく動かして沢山のモニターにいろいろな情報を表示させ始めた。そして、何かをぶつぶつ呟いている。モニターには沢山のチャートや数値が次々と表示され、クリスはそれらを指先で巧みに加工しながら何かを必死に追っているようだった。
しばらくクリスは必死に捜査をしていたが、最後には『バン!』と両手で机を叩き、うつむいて止まってしまった。
いつもと違うクリスに、ちょっと近寄りがたい雰囲気がある。
「だ、大丈夫?」
俺は恐る恐る声をかける。
クリスは大きく深呼吸をして……、
「…。すまない。大丈夫だ」
そう言って、いつものように微笑んだ。
「…。確かにマインド・カーネルの誠のログにはいじられた跡がある。誰かに生き返らせてもらったようだ。しかし、由香ちゃんにはない。由香ちゃんは殺されたことそのものがキャンセルされている……」
「え!? それじゃ殺されたことを覚えているのは俺だけって事?」
クリスは、窓の外を見ながら低い声で言った。
「…。そう。なぜこんな複雑な事を……。こんな事ができるのは『女神様』しかいない」
「女神……様?」
「…。女神様は遥か昔に記録が残っているだけの、伝承上の存在なんだ。なぜ誠を生き返らせたのか……」
「え!? そんなにレアな存在なの!?」
クリスは俺に向き合うと、深刻そうに頼んできた。
「…。誠、悪いが呼んでもらえないかな?」
「よ、呼ぶ!?」
「…。誠に女神様の加護がついているなら、今も我々を見ているだろう。呼べば聞いている可能性が高い」
そう言ってクリスは俺をまっすぐ見つめる。
いつになく真剣なクリスのお願いに、俺はやや気おされながら答える。
「い、いいよ」
そう言って俺は天井に向いて大声で呼んだ。
「女神様! お願いです! 出てきてくださーい!」
広い部屋に俺の叫び声が響く。
……。
何も現れない。
俺はもう一度、さらに大きな声で叫んでみる。
……。
すると、天井からひらひらと、金色の花びらが落ちてきた。
「あ、何か出た!」
俺が叫ぶと、クリスが急いで拾った。キラキラと光る金色の花びらには『イヤ』とカタカナで二文字が書かれていた。
「なんだこりゃぁ!!」
俺は、茶目っ気たっぷりな女神様のリアクションに、思わず大声を出してしまった。
なぜカタカナなのか? 圧倒的な力を持つ海王星人の伝承上の存在が、なぜ日本でしか使われてない文字で、コメディみたいなリアクションをするのか?
予想外過ぎる展開に、俺は言葉を失った。
クリスはまた急いで席に座って、解析を始めている。
俺はその後も、いろいろな声掛けをしてみた。
「お話だけでもできませんか~?」
「美味しいワイン用意しますよ~!」
だが、二度とリアクションは来なかった。
◇
俺は自ら『ヤバい』と告白していた美奈ちゃんを思い出していた。
「女神と言えば美奈ちゃんじゃないか、美奈ちゃんだったりしないかな?」
俺は聞いてみる。
解析が徒労に終わり、疲れ気味のクリスは答える。
「…。美奈ちゃんは今、時間が止まった地球の中だ。動くことも考える事も出来ずに止まっている。見るか?」
クリスは指先をくるくると回して3Dモニタを操作する。
すると……、濡れた腕が映り、固まってしまった。
「え!?」
俺が少しドキドキしていると、
「…。ごめん、入浴中だった。ちょっと表示はできない」
そう言ってクリスは苦笑いをした。
「あ、そ、それはマズいね」
俺はそう言いながらちょっと赤くなった。
少し火照った、透き通るような肌に浮かぶ水滴……妄想が捗ってしまう。
そうか、管理者なら何でも見放題なのだ。これが全部見えてしまうとは極めてヤバい事じゃないだろうか?
俺はさりげなく深呼吸し、ドキドキする心臓を落ち着けながら考える。
美奈ちゃんが本当に女神だったら、なんだかとても素敵な話だと思ったが、どうやらその線は薄そうだ。こうやって監視されている中で変な事をするのは現実的ではない。
俺は窓から眼下に広がる巨大な海王星を眺めた。その紺碧の惑星にはいくつか白い筋が走り、巨大な渦が回っているのが見える。その美しくも壮大な風景に思わずボーっと見入ってしまう。
『ただ……本当に本物の女神だったらどうだろうか……』
俺は物思いに沈む……。
命を救ってくれた恩人の謎は解けそうにない。