ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

1-7. 一万円札を1トン

 ワインを飲みながら美奈ちゃんが言う。
「ねぇ誠さん、生身の体を使うから、人類の敵にならないって事?」
「そう、これが秘策なんだ。もちろん、人間の世界観を持たせただけでは百%安全とは言えない。でも、人の痛みが分かるAIにはなるので、ちゃんと運用さえすれば、脅威にはならないはずだよ」
「そんなにうまく行くかしら?」
 美奈ちゃんは、首をかしげる。
「…。でもまぁ、一応筋は通ってはいる……。とりあえず、やってみよう……」
 クリスはそう言うと、ワインをぐっと空けた。
 
「メインディッシュでございます」
 ギャルソンが、タイミングを見計らって皿を持ってくる。
 美奈ちゃんに出された皿には、小さなパイの上からブラウンのソースがかかり、レタスが添えられている。
 
「これがフォアグラ?」
 美奈ちゃんは、見た目平凡なパイをしげしげと見ている。
 
「いいから切ってごらん」
 俺がそう言うと、美奈ちゃんは慎重にナイフを動かし、一口頬ばった。
 
「う、うわ~ナニコレ!?」
 丸い目をして、口を押える美奈ちゃん。
 
「フォアグラは美味いだろ?」
 俺までうれしくなってきて、そう言った。
「こんなの初めて……」
 上を向き、目を瞑ってふるふる揺れ、余韻を満喫している。
 美味しい料理は感動を呼ぶ、人生の宝物だ。
 俺はステーキを堪能しながら、素敵なディナーになった事を、クリスと美奈ちゃんに感謝した。
 
「…。で、誠よ、具体的にはどう進めるんだ?」
 クリスは、真鯛をナイフで切りながら聞いてきた。
 
「まずは会社を作ろう。AIベンチャーだ。そこでAIの開発を行う。そして準備が整った所で、無脳症の赤ちゃんを手に入れて繋げる」
「へ~、ベンチャー企業作るんだ! すごぉい!」
 美奈ちゃんは、目を輝かせてこちらを見る。
「社長は言い出しっぺの俺でいいかな? クリスと美奈ちゃんは取締役。どう?」
「わーい、やるやる!」
 美奈ちゃんは、フォークでフォアグラを持ち上げたまま、ニコニコして言う。
 俺は美奈ちゃんのお行儀悪の悪さを、ビシッと指先で指摘する。
 すると、美奈ちゃんは舌をペロッと出し、パクっといって、またふるふる揺れた。
「…。いいんじゃないか? 社長」
 クリスは俺たちの様子を見て、微笑みながらそう言った。
 
「ありがとう。では役員三人でスタートだ。最初の仕事は資本金を集める事だな」
「…。お金か……。幾ら位集めるんだ?」
「囲碁のAIを作るのにかかった、コンピューターの費用が60億円と聞いたので、少なくとも百億円は必要……なんだよね」
「百億円!? そんな天文学的なお金どうすんの!?」
 美奈ちゃんが目を丸くして、こちらを見る。
 
「美奈取締役! 俺たちのやろうとしてるのは、人類の未来を託す事業だぞ、百億円位でビビッてどうするんだ?」
「でも百億円なんて、想像した事もないよ……」
 一般の人にとって、百億円とは一生縁のない規模の金額だ。もちろん俺もない。
 
「確かに百億円って、一万円札にしたら、1トンくらいの重さになるからなぁ」
「1トンの一万円札!? すごぉい!」
 美奈ちゃんの大きなリアクションに、俺も楽しくなってくる。
 
「…。誠よ、お金の当てはあるのか?」
「百億円となるとすぐには……」
 一介のサラリーマンに百億の当てなんてある訳がない。
「クリスが株価操作して、パーッと集めちゃえば?」
 美奈ちゃんは楽しそうに言う。
「…。技術的にはできるが、株価操縦は犯罪。百億儲けたら確実に金融庁や裏社会からマークされる。やるのか?」
 クリスは渋い顔をして答える。
「いや、悪目立ちはマズい。正攻法で何とか集めよう。どこかの大きな企業と組めないかな……」
「なら、修一郎よ!」
 美奈ちゃんが、ワインをクルクルさせながら言う。
「シュウちゃんの会社に、出させればいいわ! あそこ幾らでもお金あるし」
 それを聞いたクリスは、ちょっと考えると美奈ちゃんに言った。
「…。なるほど、相談してみよう。修一郎君に電話してもらえるかな?」
「オッケー!」
 美奈ちゃんは、スマホを取り出して発信した。
「シュウちゃん? こんばんわ~。……。そうそう、フォアグラが美味しいの! でね、今すぐ銀座来て欲しいの! え? 忙しい? え~? あ、ちょっと待って、クリスに代わるね!」
「…。修一郎君、素敵なディナーをありがとう。……。そう、それは大丈夫です。で、ちょっと相談をさせて欲しくて。いや、大丈夫、いい話です。忙しい? その左手に持ってるのは何? いや、なんとなくですが。それでお父さんも一緒にお話しを。そう、お父さんは銀座にいるみたいだから、ぜひ一緒に。うん、そう、分かりました、では一時間後に」
 詳細は聞かないが、クリスを相手にすると言うのは、大変な事だよな。

         ◇
 
 デザートと珈琲(コーヒー)を堪能し、外へ出た。
 (あで)やかな街灯が煌めく銀座の街を、みんなで歩く。
 夜になって少し冷え込んできた。もう夏も終わりだ。
 薄手のネイビーのアウターを取り出し、ちょっと寒そうにしている美奈ちゃんにかけてあげた。
「あら、誠さん、いいの? ありがとう!」
 美奈ちゃんはうれしそうにこちらを見る。その瞳は街灯を映し、キラキラと輝いて見えた。
「取締役の健康管理も、社長の仕事です」
 そう言って(うやうや)しく胸に手を当てて、執事の真似をする。
「本当に…… 私が取締役でいいの?」
 ちょっと申し訳なさそうに、上目遣いで言う。
「この三人は、なんだか凄い良いチームだと思うんだよね。美奈ちゃんにしかできない事、沢山あると思う」
 俺は本心からそう伝えた。
「ふ~ん、ただの女子大生なんだけどなっ!」
 そう言うと、美奈ちゃんは軽くピョンと飛んで、笑顔で俺を見る。
 クリスを説得できたのも、美奈ちゃんのおかげだし、美奈ちゃんは俺にとってはまさに女神。
 銀座の街灯を反射して、チラチラと輝くピアスを目で追いながら、俺はこれから始まる大冒険に、胸が高鳴っていた。
 
            ◇

 地球から遠く離れた星の一室で、誰かがつぶやいた――――
「あら、クリスが人と関わるなんて、珍しいわね……」
 透き通った白い肌に、ヘーゼル色の瞳の美しい女性は、珈琲を(すす)りながら、空中に浮かぶ映像に見入っていた。
「ふぅん……賭けに出たわね……。失敗したらこの地球、消されちゃうわよ、いいのかしら?」
 女性は首を傾げ、眉間(みけん)にしわを寄せた。
「彼に……できるかしら?」
 彼女は椅子を回して立ち上がり……窓へと歩いて手をあてた。
「お気に召してくれると……いいんだけど……」
 窓の外には、巨大な(あお)い惑星が眼下に広がり、その紺碧(こんぺき)の水平線から、天の川が立ち上がっている。
 彼女はひときわ明るく輝く星を、チラッと眺めて目を瞑り、手を組んで祈った。
 誠とクリスたちの出会いは、地球を巡る運命を大きく変え始めた。
 もちろん、そんなことを、誠は知る由もないのだが……。
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