ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~
第2部 彼女にイベント・ホライズン
8章 0次元の母なる宇宙
8-1. 56億7千万年の袈裟斬り
ここにきて俺は、漠然と感じていた違和感が決定的になるのを感じていた。
クリスと出会ってから、想定外の事が次々と起こり、今、まさに大団円を迎えたわけだが……あまりにも出来過ぎだ。現実離れしすぎている。
もしかしてこれらは全部夢か、とも思ったが、夢にしては長すぎる……。
では、誰かの筋書き通りに踊らされているのか? しかし……、誰が何のために?
俺はモヤモヤとした思いの中、眉間にしわを寄せながら、参列者をボーっと眺めていた。
と、その時、いきなり時間が止まった。
舞い散る花びらはピタッと静止し、音楽の演奏も静寂に飲み込まれ、みんなもマネキンになったかのように、微動だにせず、全てが凍り付いた――――
俺が呆然としていると、後ろから靴音が近づいてきた。
カツ、カツ、カツ……
誰かと思えば修一郎だった。スーツに身を包み、にこやかに近づいてくる。
いつの間にやってきたのか……
「しゅ、修一郎……お、お前がこれをやったのか!?」
俺は、冷や汗をかきながら声をかけると、
「やぁ、誠さん。僕は始祖、便宜的に修一郎君の身体を貸してもらってる」
そう言って、修一郎っぽくない爽やかさで微笑んだ。
「オ、始祖? もしかしてこの世界の創始者という事……ですか?」
「そう思ってもらっていい。誠君、君は四層もの管理者に認められた。これは長い宇宙の歴史でもそうある事じゃない。それは誇っていい」
なんと、この世界で一番偉い人が出てきてしまった。
予想外の展開に俺は心臓が高鳴る。
「あ、ありがとうございます。たまたま運が良かっただけだと思います」
「ふふっ、謙虚なんだね」
「四層とおっしゃいましたが、この世界は何層で出来ているんですか?」
好奇心が抑えられず、思わず聞いてしまう。
「見てもらった方がいいかな?」
そう言うと、始祖は俺の手を取り、宙へ跳んだ。チャペルの屋根を抜け、海中を抜け、グングンと加速し、水の星からどんどん遠ざかり、気が付くと壮大な樹木の枝の様な構造が浮き上がってきた。枝の先にはピンクに光り輝く、まさに花の様な構造物が付いている。更にどんどんと遠ざかると、宇宙空間の中に、巨大な満開の桜の樹の様な構造物が浮いている様子が、見て取れた。
「仮想現実空間の入れ子構造を、樹木の枝に模して表現したのが、この世界樹だよ。君たちの地球があそこの枝の花。一万個の花を支える枝が海王星、その一つ根元が金星、さらに根元が水星、一番下の根っこが僕の星だ。文化と生命活動が盛んなのは末端の星、だから丁度満開の桜の樹のように、末端が咲き誇り、輝くんだ」
始祖は丁寧に説明してくれる。
宇宙空間に浮かぶ雄大な桜の樹が、俺たちの世界の全てを表している。それは暗闇の宇宙を照らすイルミネーションのように美しく輝き、煌めく命の営みがそのまま心に伝わってくるかのような、荘厳な景観だった。どこからともなく桜の花の香りが漂ってきて、俺はすっかり魅了された。
「世界は庭木のように、伸びては切られを繰り返し、たまに接ぎ木のように移植もされるから、一直線の単純な構造ではないけど、56億7千万年かけてトータルでは一万層くらいは作られている」
俺は壮大なスケールに圧倒された。世界樹は56億年かけて育った巨木という事らしい。しかし、気になるのは切られる事。切られるという事は星が消滅させられるという事、実に深刻だ。
「やはり切られちゃうんですね……。切られちゃった所はどうなってしまうんですか?」
俺は恐る恐る聞いてみる。
「マインドカーネルは回収し、うちのマインドプールに繋ぐから、魂が消される事は無い。そこは安心していい」
「そ、そうなんですね……良かった。星の数はこの位が上限って事なんでしょうか?」
「そうだね、母星の容量に上限は無いが、幹の星たちの計算リソース、エラーやバグを考えると百万個程度が上限だろう」
どうもエネルギーの問題ではない様だが上限はあるらしい。
「母星はどういう所なんですか?」
「あはは、何にもないよ。巨大なコンピューターが延々と並んでいるイカれた機械の星さ。生きてる人なんて私しかいない。後はAIたちが黙々とコンピューターをメンテしてるくらいさ。妻なんてあれになっちゃったし」
そう言って始祖は世界樹を指さす。
「えっ? あれは奥様なんですか?」
「もちろん、人型に戻ろうと思えば戻れると思うよ。でも、世界樹が気に入ってしまったらしく、もう何十億年も樹のままさ」
すると、世界樹が風を受けたかのように、ゆさゆさと揺れた。
こちらの様子を見てるらしい。
すべての星のマインドカーネルとつながって、その喜怒哀楽の光を枝先に付けて宇宙を照らす存在……確かに、生き方としては最上級の部類に入りそうだ。少し羨ましく思った。
「それにしても世界がこんな構造をしていたなんて、全然知りませんでしたよ」
俺は、神々しい世界樹の放つ光に、心奪われながら答えた。
すると始祖は急に真顔になり、
「まぁ……そう思うのも無理はない……か。さて、儀式の時間だ……」
低い声でそう言うと、胸の前で指先をツーっと動かして空間の切れ目を作った。
何をするのかと見ていると、始祖はそこから古めかしい鉄剣を取り出した。それは古代ローマ軍のグラディウスに似た、どっしりとした肉厚で幅広な両刃の剣だった。
俺が訝しく思っていると、始祖は聖剣をジッと見つめ、
「これは聖剣『開闢之剣』、56億7千万年の時を超えて今、君の血を求めている」
そう言って、聖剣にそっと顔を近づけ、ゆっくりとなで、刃の具合を確認する。
そして、納得したようにニヤッと笑った。
「血? 俺の血……ですか?」
何だか面倒な事になってきた。
始祖は聖剣を胸の前に立てて構えると目を瞑り、何か呪文をつぶやいて『ハッ!』と気合を入れる。すると、聖剣の刀身に、光を放つ文字が次々と浮かび上がり、最後に刀身全体が薄い青色の光を纏った。
始祖は満足そうに聖剣を眺め、そして、俺に向けてビュッと振り下ろした。
「さぁ、儀式の始まりだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺を斬るつもりですか!? 何のために?」
俺は焦って後ずさりながら言う。
始祖はゆっくりと俺に近付きながら、中国雑技団のパフォーマンスのように、重厚な聖剣を軽々と振り回す。ビュンビュンという不気味な音が響く。
「何のため? 56億7千万年前に、そう決められたんだ……。ここで誠君を斬る……ってね」
始祖《オリジン》はさも当たり前のように言う。
全く支離滅裂な説明に、俺は絶望した。狂ってる。俺はまだ生まれてから28年しか経ってない。なぜ、56億7千万年前に俺の話が出るのか?
俺はダッシュした。狂人からは逃げるしかない。全速力で駆けた……が、そんな俺を嘲笑うかのように、目の前にすうっと始祖が現れる。
「どこへ行こうというのかね?」
始祖は嫌な笑いを浮かべている。
「うおっ!」
俺は急停止し、肩で息をしながら始祖を睨む。
「はっはっは、距離などこの空間では無効だよ。」
俺は逃げられないと観念した。
「斬るなんてやめましょうよ、何でもしますから……」
俺は必死に手を合わせて拝む。
始祖は刀身を肩に載せ、少し考え、言った。
「まぁ、そうだな……、私自身、最初の数万年ですっかり待ちくたびれて、儀式なんてどうでもよくなってたんだ。だから君の事などとっくに忘れてた、というのが正直なところさ……。それだけ56億年という時の流れが永遠だった、という事でもある。でも、ついさっき『四層もの管理者に認められた地球人がいる』って聞いて思い出しちゃったんだ。そうだ、『誠君を斬らなきゃいけない』ってね」
思い出しついでに、人を斬るのか? 頭いかれている……
「忘れてたくらいならスルーしましょうよ」
俺は何とか穏便に済ませようとするが……
始祖は思いっきり振りかぶって間合いに入ってくる。
俺は素早く横に避け、距離を取りながら必死に反駁する。
「俺は28歳だぞ! なんで56億年前の話題に出るのか? 狂ってる!」
始祖は聖剣をガン!と床に打ち付け、俺をじっと睨み、言った。
「誠君……、過去はね、未来の人が決めるものだ」
おかしな事を言い出した。
「何バカな事言ってるんだ! 過去を変えられる訳がない!」
「確定した歴史についてはそうだ。だが、未確定の過去は無限の可能性の混沌状態のままだ」
「混沌……?」
「誠君もよく知ってる二重スリットの実験があるだろう。飛んでくる粒子の軌道が、観測すると変わってしまう奴」
確かに極微小な世界では時間の流れがおかしいが、それはあくまでも原子とか電子の話だ。
「そんな実験と、56億年前の話とどう関係があるんだ!」
「……、やっぱり斬った方が早いな」
始祖は再度聖剣に気を込めると、聖剣はさらにいっそう青く輝いた。そして軽くビュンビュンと振り回し、上段に構えた。
「止めましょうよ……うわっ!」
始祖は無表情で俺に斬りかかり、俺はギリギリ横にかわした。
Clack!
左手に剣が当たり、腕時計のG-SHOCKが砕ける。
ダメだ、本気で俺を殺すつもりだ。
始祖は攻撃の手を休めない。絶望で真っ青になった俺をめがけ、再度聖剣を振り下ろす――――
「止めろ――――!!」
俺の叫びは届かず……
Flick!
なすすべなく俺は袈裟斬りにされた。
斬られる瞬間、スローモーションのように、全てが鮮明にゆっくりと感じられた。肩口に入った刃は俺の筋肉、肋骨、内臓を次々と切り裂きながら俺を壊していく。切り口から焼けるような痛みが伝わり始める。
しかし、斬られながら俺は、不思議と頭はクリアだった。そして、刃が心臓に届いたとき、俺は全てを悟ったのだった。
◇
聖剣『開闢之剣』から流れ込んでくる56億7千万年前の記憶……俺を斬る事になった原因の男……その男の姿を見て俺は全てを理解した。その男はなんと俺自身だったのだ。
俺が感じていた違和感、誰がこの筋書きを描いていたのか、その答えがここにあった。そう、この世界を創っていたのは、なんと俺だったのだ。
『Cogito, ergo sum.(我思う故に我あり)』
俺が自分自身を認識したから俺が誕生し、俺が世界を認識したから世界は存在したのだ。これは量子力学の基本である。認識する観測者が居なければ世界はいつまでも混沌のままだが、誰かが認識したらそこで世界は確定する。この世界において、認識者は俺だった。俺が見て、聞いて、考えたから、この世界はこの形になったのだ。
一瞬そんな馬鹿な、とも思ったが、量子力学の研究が進んだ現代においては、観測者が事象の主体であることは、科学的にはもはや常識だ。そして、それは量子のサイズにとどまらず、人間サイズの世界でも同様だったのだ。
この世界は、俺が創った俺の世界だったのだ……
で、あるならば、今、この俺の身体を切り裂いている聖剣も、俺の認識の結果にすぎない。
俺は、この空間を管理しているコンピューターシステムを捕捉した。システムには必ず管理機構があり、管理機構もソフトウェアだから、必ずセキュリティ上穴がある。穴が都合よく、俺のアクセスの時に開くこともあるだろう。だって、ここは俺の世界なんだから……。
果たして、俺はイマジナリーの権利を確保し聖剣を捕捉すると、その動きを止めた。そして、右手で刃をつかみ、引き抜き、取り上げた。
始祖はニコッと笑うと、胸に手を当てて恭しく言った。
「創導師の覚醒、お慶び申し上げます」
俺は身体を元通りに治し、聖剣を高く掲げた。56億7千万年を超え、役目を終えた聖剣『開闢の剣』は、光の粒子の塊になり、たくさんのホタルの群れとなって、次々と宇宙空間に向けて飛び立っていった。
8-2. 多重多層なる宇宙
俺は、美しく舞いつつ飛び去って行くホタルを眺めながら、言った。
「まさかこの世界が、俺の創ったものだったとは、想像もできませんでしたよ」
「無意識に創られて、56億7千万年も付き合わされた身になってくださいよ」
始祖はちょっとウンザリしながら言う。凄く申し訳ないが、こればっかりはどうしようもない。その代わりに俺は斬られたんだから、おあいこだ……と思って気が付いた。
「あれ? 俺を斬る必要ってありました?」
俺は素朴な疑問をぶつけてみる。
「え? 無いですよ。でも、聖剣持ったら、斬ってみたくなりませんか? 伝説の聖剣『開闢の剣』ですよ、開闢の剣!」
始祖は悪びれもなくそう答える。
「いやいや、人を斬っちゃまずいだろ! 常識的に考えて。死んだらどうするんだ!?」
俺はちょっとキレて怒った。
しかし、始祖は俺の怒りを全く気にもせず、
「創導師はそのくらいで死にませんよ。はっはっは!」
と、伸びやかに笑う。
「いやいや、俺一回死んでるんですけど!?」
俺は笑われたのにムカついて反駁する。
「でも、生き返らせてもらいましたよね? つまりそういう事なんです」
始祖はにこやかに説明する。
なんと、生き返らせてもらう事もセットで運命が流れるのか、この世界は……。
「あ……そう……」
俺はこの世界の不思議な仕組みがいまいちなじめず、考え込んでしまった。
「まぁ、すぐに慣れますよ」
始祖は事もなげにそう言った。
「俺の創った世界とはいっても、俺の思索全部がどんどん反映されるわけじゃないですよね? 影響はどのくらいあるんですか?」
始祖はちょっと首をひねってから言った。
「例えば……、誠さんは初めてクリスに会った時、何を考えてました?」
「え? クリスと会った時? 確か……『神様! 暴走車を止めてー!』と……。え? それでクリスができたって事!?」
「教会の宗教画のイメージとか、思い浮かべてませんでした?」
「そう言えば……、神様と言えば『あのお方』がすぐに思い浮かんでしまうから……」
あまりの事に俺は呆然とした。クリスは俺の想像がきっかけで具現化したらしい……
もちろん、俺がクリスを創ったわけじゃない、クリスが出てくる未来を選んだという事になるのだろう。
そう言えば、教授が『シミュレーション仮説』を教えてくれた時に、一瞬『シミュレーション仮説はあり得るかも』と、思ってしまった事を思い出した。
「え? では、この世界が仮想現実空間になったのも、私が想像したから……ですか?」
「そうですね」
始祖は当然かのように言う。
「え? そのレベルで世界を変えちゃってるんですか!?」
「宇宙は無限の可能性に満ちています。仮想現実の世界もあれば、リアルな世界もあります。でも、『仮想現実かもしれない』と誠さんが考えた事により、この世界は『仮想現実空間として構成された世界』が採用されました。無数の候補の中から、この仮想現実空間による世界を、誠さんが選んだんですよ」
「それでは……、あなたも私が生み出したものですか?」
俺は、恐る恐る聞いてみる。
「そうですよ、火星人を見つけた時、『層はまだまだたくさんあって、大元があるに違いない』って思いましたよね? だから56億7千万年前に私ができた世界が、選ばれました」
「でも、他の人だって色んな事、認識してるじゃないですか、なぜ私の認識だけが反映されるんですか?」
「だって、他の人には、他の世界が展開してますからね」
と、始祖はにこやかに笑った。
俺は呆気にとられた。この世界は俺の世界、由香ちゃんには別の由香ちゃんの世界が展開しているって事らしい。そこの世界の俺はどうなっているんだ?
俺の困惑を読み取ったかのように始祖は言う、
「他の人の世界の中にも、誠さんは出てきますよ。でもその誠さんは、姿かたちは一緒でも、あなたではない」
「え……」
「この世界はあなたが創ったあなたの世界。世界は意識が誕生するたびに生み出され、観察され、認識、想像されることで形が決まっていくのです」
「でもでも、そんな事になってたら世界が無数に作られて、宇宙は世界だらけになってしまいますよ」
「そうですよ、世界だらけですよ」
始祖はうれしそうに笑う。
俺は絶句した。意識の誕生ごとに、と言ったら、それこそ無数の世界がある。さらにその無数の世界の中で誕生する、無数の意識にも世界が付与されるという事だから爆発的に世界の数は発散していく……。宇宙とはとんでもない所だ。俺はあまりのスケールに呆然とした。
でも……
よく考えたら、自分の人生においては自分が主役、実に当たり前の話じゃないか……
◇
俺は目を瞑って世界樹とつながり、蓄積された膨大な情報を隅から隅まで感じてみる……。
俺の認識によって創造された、56億7千万年にわたる世界の歴史が、次々と俺の意識の深層に流れ込んでくる。
文明の勃興とシンギュラリティの突破、そこから始まる次層の構築の営みと祭り、管理者同士の抗争と世界の消去、それらが無数に繰り返された56億7千万年……。
そして、この壮大なドラマの最後に、地球が生まれ、俺が誕生した。
俺が生まれた段階では、他にも無数の可能性があったのだ。しかし、俺は無意識のうちにこのドラマを選択した。そしてこの56億7千万年の歴史は確定し、今、目の前に世界樹となって聳えている。
もしかしたら、俺がAI研究者だったから、こんな歴史になってしまったのかもしれない。他の人が選んだ世界の歴史とは、どんな物なのだろうか。
人間誰しも、生まれながらにして『世界を作る力を持っている』と言うのは、とんでもない話だ。これに気が付く事さえできれば、誰でもイマジナリーを使えてしまう……。
いわゆる超能力者、と言うのは『これに気が付いた人』という事なのかもしれない。なぜ、俺は今まで気付かなかったのだろう?
俺は意識の深層に気をためると、それをフワッと世界樹に向けて放出した。
世界樹は軽く震えると、全体が光を放ちはじめ、徐々に強く、神々しく輝きだしながら枝を揺らした。
俺はついに、この世界の根底にある『究極の真実』に到達した。宇宙は各意識を中心とした、無数の多彩な世界に満ちていたのだ。
8-1. 56億7千万年の袈裟斬り
ここにきて俺は、漠然と感じていた違和感が決定的になるのを感じていた。
クリスと出会ってから、想定外の事が次々と起こり、今、まさに大団円を迎えたわけだが……あまりにも出来過ぎだ。現実離れしすぎている。
もしかしてこれらは全部夢か、とも思ったが、夢にしては長すぎる……。
では、誰かの筋書き通りに踊らされているのか? しかし……、誰が何のために?
俺はモヤモヤとした思いの中、眉間にしわを寄せながら、参列者をボーっと眺めていた。
と、その時、いきなり時間が止まった。
舞い散る花びらはピタッと静止し、音楽の演奏も静寂に飲み込まれ、みんなもマネキンになったかのように、微動だにせず、全てが凍り付いた――――
俺が呆然としていると、後ろから靴音が近づいてきた。
カツ、カツ、カツ……
誰かと思えば修一郎だった。スーツに身を包み、にこやかに近づいてくる。
いつの間にやってきたのか……
「しゅ、修一郎……お、お前がこれをやったのか!?」
俺は、冷や汗をかきながら声をかけると、
「やぁ、誠さん。僕は始祖、便宜的に修一郎君の身体を貸してもらってる」
そう言って、修一郎っぽくない爽やかさで微笑んだ。
「オ、始祖? もしかしてこの世界の創始者という事……ですか?」
「そう思ってもらっていい。誠君、君は四層もの管理者に認められた。これは長い宇宙の歴史でもそうある事じゃない。それは誇っていい」
なんと、この世界で一番偉い人が出てきてしまった。
予想外の展開に俺は心臓が高鳴る。
「あ、ありがとうございます。たまたま運が良かっただけだと思います」
「ふふっ、謙虚なんだね」
「四層とおっしゃいましたが、この世界は何層で出来ているんですか?」
好奇心が抑えられず、思わず聞いてしまう。
「見てもらった方がいいかな?」
そう言うと、始祖は俺の手を取り、宙へ跳んだ。チャペルの屋根を抜け、海中を抜け、グングンと加速し、水の星からどんどん遠ざかり、気が付くと壮大な樹木の枝の様な構造が浮き上がってきた。枝の先にはピンクに光り輝く、まさに花の様な構造物が付いている。更にどんどんと遠ざかると、宇宙空間の中に、巨大な満開の桜の樹の様な構造物が浮いている様子が、見て取れた。
「仮想現実空間の入れ子構造を、樹木の枝に模して表現したのが、この世界樹だよ。君たちの地球があそこの枝の花。一万個の花を支える枝が海王星、その一つ根元が金星、さらに根元が水星、一番下の根っこが僕の星だ。文化と生命活動が盛んなのは末端の星、だから丁度満開の桜の樹のように、末端が咲き誇り、輝くんだ」
始祖は丁寧に説明してくれる。
宇宙空間に浮かぶ雄大な桜の樹が、俺たちの世界の全てを表している。それは暗闇の宇宙を照らすイルミネーションのように美しく輝き、煌めく命の営みがそのまま心に伝わってくるかのような、荘厳な景観だった。どこからともなく桜の花の香りが漂ってきて、俺はすっかり魅了された。
「世界は庭木のように、伸びては切られを繰り返し、たまに接ぎ木のように移植もされるから、一直線の単純な構造ではないけど、56億7千万年かけてトータルでは一万層くらいは作られている」
俺は壮大なスケールに圧倒された。世界樹は56億年かけて育った巨木という事らしい。しかし、気になるのは切られる事。切られるという事は星が消滅させられるという事、実に深刻だ。
「やはり切られちゃうんですね……。切られちゃった所はどうなってしまうんですか?」
俺は恐る恐る聞いてみる。
「マインドカーネルは回収し、うちのマインドプールに繋ぐから、魂が消される事は無い。そこは安心していい」
「そ、そうなんですね……良かった。星の数はこの位が上限って事なんでしょうか?」
「そうだね、母星の容量に上限は無いが、幹の星たちの計算リソース、エラーやバグを考えると百万個程度が上限だろう」
どうもエネルギーの問題ではない様だが上限はあるらしい。
「母星はどういう所なんですか?」
「あはは、何にもないよ。巨大なコンピューターが延々と並んでいるイカれた機械の星さ。生きてる人なんて私しかいない。後はAIたちが黙々とコンピューターをメンテしてるくらいさ。妻なんてあれになっちゃったし」
そう言って始祖は世界樹を指さす。
「えっ? あれは奥様なんですか?」
「もちろん、人型に戻ろうと思えば戻れると思うよ。でも、世界樹が気に入ってしまったらしく、もう何十億年も樹のままさ」
すると、世界樹が風を受けたかのように、ゆさゆさと揺れた。
こちらの様子を見てるらしい。
すべての星のマインドカーネルとつながって、その喜怒哀楽の光を枝先に付けて宇宙を照らす存在……確かに、生き方としては最上級の部類に入りそうだ。少し羨ましく思った。
「それにしても世界がこんな構造をしていたなんて、全然知りませんでしたよ」
俺は、神々しい世界樹の放つ光に、心奪われながら答えた。
すると始祖は急に真顔になり、
「まぁ……そう思うのも無理はない……か。さて、儀式の時間だ……」
低い声でそう言うと、胸の前で指先をツーっと動かして空間の切れ目を作った。
何をするのかと見ていると、始祖はそこから古めかしい鉄剣を取り出した。それは古代ローマ軍のグラディウスに似た、どっしりとした肉厚で幅広な両刃の剣だった。
俺が訝しく思っていると、始祖は聖剣をジッと見つめ、
「これは聖剣『開闢之剣』、56億7千万年の時を超えて今、君の血を求めている」
そう言って、聖剣にそっと顔を近づけ、ゆっくりとなで、刃の具合を確認する。
そして、納得したようにニヤッと笑った。
「血? 俺の血……ですか?」
何だか面倒な事になってきた。
始祖は聖剣を胸の前に立てて構えると目を瞑り、何か呪文をつぶやいて『ハッ!』と気合を入れる。すると、聖剣の刀身に、光を放つ文字が次々と浮かび上がり、最後に刀身全体が薄い青色の光を纏った。
始祖は満足そうに聖剣を眺め、そして、俺に向けてビュッと振り下ろした。
「さぁ、儀式の始まりだ」
「ちょ、ちょっと待ってください。俺を斬るつもりですか!? 何のために?」
俺は焦って後ずさりながら言う。
始祖はゆっくりと俺に近付きながら、中国雑技団のパフォーマンスのように、重厚な聖剣を軽々と振り回す。ビュンビュンという不気味な音が響く。
「何のため? 56億7千万年前に、そう決められたんだ……。ここで誠君を斬る……ってね」
始祖《オリジン》はさも当たり前のように言う。
全く支離滅裂な説明に、俺は絶望した。狂ってる。俺はまだ生まれてから28年しか経ってない。なぜ、56億7千万年前に俺の話が出るのか?
俺はダッシュした。狂人からは逃げるしかない。全速力で駆けた……が、そんな俺を嘲笑うかのように、目の前にすうっと始祖が現れる。
「どこへ行こうというのかね?」
始祖は嫌な笑いを浮かべている。
「うおっ!」
俺は急停止し、肩で息をしながら始祖を睨む。
「はっはっは、距離などこの空間では無効だよ。」
俺は逃げられないと観念した。
「斬るなんてやめましょうよ、何でもしますから……」
俺は必死に手を合わせて拝む。
始祖は刀身を肩に載せ、少し考え、言った。
「まぁ、そうだな……、私自身、最初の数万年ですっかり待ちくたびれて、儀式なんてどうでもよくなってたんだ。だから君の事などとっくに忘れてた、というのが正直なところさ……。それだけ56億年という時の流れが永遠だった、という事でもある。でも、ついさっき『四層もの管理者に認められた地球人がいる』って聞いて思い出しちゃったんだ。そうだ、『誠君を斬らなきゃいけない』ってね」
思い出しついでに、人を斬るのか? 頭いかれている……
「忘れてたくらいならスルーしましょうよ」
俺は何とか穏便に済ませようとするが……
始祖は思いっきり振りかぶって間合いに入ってくる。
俺は素早く横に避け、距離を取りながら必死に反駁する。
「俺は28歳だぞ! なんで56億年前の話題に出るのか? 狂ってる!」
始祖は聖剣をガン!と床に打ち付け、俺をじっと睨み、言った。
「誠君……、過去はね、未来の人が決めるものだ」
おかしな事を言い出した。
「何バカな事言ってるんだ! 過去を変えられる訳がない!」
「確定した歴史についてはそうだ。だが、未確定の過去は無限の可能性の混沌状態のままだ」
「混沌……?」
「誠君もよく知ってる二重スリットの実験があるだろう。飛んでくる粒子の軌道が、観測すると変わってしまう奴」
確かに極微小な世界では時間の流れがおかしいが、それはあくまでも原子とか電子の話だ。
「そんな実験と、56億年前の話とどう関係があるんだ!」
「……、やっぱり斬った方が早いな」
始祖は再度聖剣に気を込めると、聖剣はさらにいっそう青く輝いた。そして軽くビュンビュンと振り回し、上段に構えた。
「止めましょうよ……うわっ!」
始祖は無表情で俺に斬りかかり、俺はギリギリ横にかわした。
Clack!
左手に剣が当たり、腕時計のG-SHOCKが砕ける。
ダメだ、本気で俺を殺すつもりだ。
始祖は攻撃の手を休めない。絶望で真っ青になった俺をめがけ、再度聖剣を振り下ろす――――
「止めろ――――!!」
俺の叫びは届かず……
Flick!
なすすべなく俺は袈裟斬りにされた。
斬られる瞬間、スローモーションのように、全てが鮮明にゆっくりと感じられた。肩口に入った刃は俺の筋肉、肋骨、内臓を次々と切り裂きながら俺を壊していく。切り口から焼けるような痛みが伝わり始める。
しかし、斬られながら俺は、不思議と頭はクリアだった。そして、刃が心臓に届いたとき、俺は全てを悟ったのだった。
◇
聖剣『開闢之剣』から流れ込んでくる56億7千万年前の記憶……俺を斬る事になった原因の男……その男の姿を見て俺は全てを理解した。その男はなんと俺自身だったのだ。
俺が感じていた違和感、誰がこの筋書きを描いていたのか、その答えがここにあった。そう、この世界を創っていたのは、なんと俺だったのだ。
『Cogito, ergo sum.(我思う故に我あり)』
俺が自分自身を認識したから俺が誕生し、俺が世界を認識したから世界は存在したのだ。これは量子力学の基本である。認識する観測者が居なければ世界はいつまでも混沌のままだが、誰かが認識したらそこで世界は確定する。この世界において、認識者は俺だった。俺が見て、聞いて、考えたから、この世界はこの形になったのだ。
一瞬そんな馬鹿な、とも思ったが、量子力学の研究が進んだ現代においては、観測者が事象の主体であることは、科学的にはもはや常識だ。そして、それは量子のサイズにとどまらず、人間サイズの世界でも同様だったのだ。
この世界は、俺が創った俺の世界だったのだ……
で、あるならば、今、この俺の身体を切り裂いている聖剣も、俺の認識の結果にすぎない。
俺は、この空間を管理しているコンピューターシステムを捕捉した。システムには必ず管理機構があり、管理機構もソフトウェアだから、必ずセキュリティ上穴がある。穴が都合よく、俺のアクセスの時に開くこともあるだろう。だって、ここは俺の世界なんだから……。
果たして、俺はイマジナリーの権利を確保し聖剣を捕捉すると、その動きを止めた。そして、右手で刃をつかみ、引き抜き、取り上げた。
始祖はニコッと笑うと、胸に手を当てて恭しく言った。
「創導師の覚醒、お慶び申し上げます」
俺は身体を元通りに治し、聖剣を高く掲げた。56億7千万年を超え、役目を終えた聖剣『開闢の剣』は、光の粒子の塊になり、たくさんのホタルの群れとなって、次々と宇宙空間に向けて飛び立っていった。
8-2. 多重多層なる宇宙
俺は、美しく舞いつつ飛び去って行くホタルを眺めながら、言った。
「まさかこの世界が、俺の創ったものだったとは、想像もできませんでしたよ」
「無意識に創られて、56億7千万年も付き合わされた身になってくださいよ」
始祖はちょっとウンザリしながら言う。凄く申し訳ないが、こればっかりはどうしようもない。その代わりに俺は斬られたんだから、おあいこだ……と思って気が付いた。
「あれ? 俺を斬る必要ってありました?」
俺は素朴な疑問をぶつけてみる。
「え? 無いですよ。でも、聖剣持ったら、斬ってみたくなりませんか? 伝説の聖剣『開闢の剣』ですよ、開闢の剣!」
始祖は悪びれもなくそう答える。
「いやいや、人を斬っちゃまずいだろ! 常識的に考えて。死んだらどうするんだ!?」
俺はちょっとキレて怒った。
しかし、始祖は俺の怒りを全く気にもせず、
「創導師はそのくらいで死にませんよ。はっはっは!」
と、伸びやかに笑う。
「いやいや、俺一回死んでるんですけど!?」
俺は笑われたのにムカついて反駁する。
「でも、生き返らせてもらいましたよね? つまりそういう事なんです」
始祖はにこやかに説明する。
なんと、生き返らせてもらう事もセットで運命が流れるのか、この世界は……。
「あ……そう……」
俺はこの世界の不思議な仕組みがいまいちなじめず、考え込んでしまった。
「まぁ、すぐに慣れますよ」
始祖は事もなげにそう言った。
「俺の創った世界とはいっても、俺の思索全部がどんどん反映されるわけじゃないですよね? 影響はどのくらいあるんですか?」
始祖はちょっと首をひねってから言った。
「例えば……、誠さんは初めてクリスに会った時、何を考えてました?」
「え? クリスと会った時? 確か……『神様! 暴走車を止めてー!』と……。え? それでクリスができたって事!?」
「教会の宗教画のイメージとか、思い浮かべてませんでした?」
「そう言えば……、神様と言えば『あのお方』がすぐに思い浮かんでしまうから……」
あまりの事に俺は呆然とした。クリスは俺の想像がきっかけで具現化したらしい……
もちろん、俺がクリスを創ったわけじゃない、クリスが出てくる未来を選んだという事になるのだろう。
そう言えば、教授が『シミュレーション仮説』を教えてくれた時に、一瞬『シミュレーション仮説はあり得るかも』と、思ってしまった事を思い出した。
「え? では、この世界が仮想現実空間になったのも、私が想像したから……ですか?」
「そうですね」
始祖は当然かのように言う。
「え? そのレベルで世界を変えちゃってるんですか!?」
「宇宙は無限の可能性に満ちています。仮想現実の世界もあれば、リアルな世界もあります。でも、『仮想現実かもしれない』と誠さんが考えた事により、この世界は『仮想現実空間として構成された世界』が採用されました。無数の候補の中から、この仮想現実空間による世界を、誠さんが選んだんですよ」
「それでは……、あなたも私が生み出したものですか?」
俺は、恐る恐る聞いてみる。
「そうですよ、火星人を見つけた時、『層はまだまだたくさんあって、大元があるに違いない』って思いましたよね? だから56億7千万年前に私ができた世界が、選ばれました」
「でも、他の人だって色んな事、認識してるじゃないですか、なぜ私の認識だけが反映されるんですか?」
「だって、他の人には、他の世界が展開してますからね」
と、始祖はにこやかに笑った。
俺は呆気にとられた。この世界は俺の世界、由香ちゃんには別の由香ちゃんの世界が展開しているって事らしい。そこの世界の俺はどうなっているんだ?
俺の困惑を読み取ったかのように始祖は言う、
「他の人の世界の中にも、誠さんは出てきますよ。でもその誠さんは、姿かたちは一緒でも、あなたではない」
「え……」
「この世界はあなたが創ったあなたの世界。世界は意識が誕生するたびに生み出され、観察され、認識、想像されることで形が決まっていくのです」
「でもでも、そんな事になってたら世界が無数に作られて、宇宙は世界だらけになってしまいますよ」
「そうですよ、世界だらけですよ」
始祖はうれしそうに笑う。
俺は絶句した。意識の誕生ごとに、と言ったら、それこそ無数の世界がある。さらにその無数の世界の中で誕生する、無数の意識にも世界が付与されるという事だから爆発的に世界の数は発散していく……。宇宙とはとんでもない所だ。俺はあまりのスケールに呆然とした。
でも……
よく考えたら、自分の人生においては自分が主役、実に当たり前の話じゃないか……
◇
俺は目を瞑って世界樹とつながり、蓄積された膨大な情報を隅から隅まで感じてみる……。
俺の認識によって創造された、56億7千万年にわたる世界の歴史が、次々と俺の意識の深層に流れ込んでくる。
文明の勃興とシンギュラリティの突破、そこから始まる次層の構築の営みと祭り、管理者同士の抗争と世界の消去、それらが無数に繰り返された56億7千万年……。
そして、この壮大なドラマの最後に、地球が生まれ、俺が誕生した。
俺が生まれた段階では、他にも無数の可能性があったのだ。しかし、俺は無意識のうちにこのドラマを選択した。そしてこの56億7千万年の歴史は確定し、今、目の前に世界樹となって聳えている。
もしかしたら、俺がAI研究者だったから、こんな歴史になってしまったのかもしれない。他の人が選んだ世界の歴史とは、どんな物なのだろうか。
人間誰しも、生まれながらにして『世界を作る力を持っている』と言うのは、とんでもない話だ。これに気が付く事さえできれば、誰でもイマジナリーを使えてしまう……。
いわゆる超能力者、と言うのは『これに気が付いた人』という事なのかもしれない。なぜ、俺は今まで気付かなかったのだろう?
俺は意識の深層に気をためると、それをフワッと世界樹に向けて放出した。
世界樹は軽く震えると、全体が光を放ちはじめ、徐々に強く、神々しく輝きだしながら枝を揺らした。
俺はついに、この世界の根底にある『究極の真実』に到達した。宇宙は各意識を中心とした、無数の多彩な世界に満ちていたのだ。