ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

8-3. 意地悪な宇宙

 この時、ある可能性が頭をかすめた……。
 俺が考え、認識したことが現実世界に反映されるということは、俺の身に起こった不可解な出来事は全て俺が引き起こしたこと……
『もしや……』
 俺は悪寒を感じ、冷や汗が流れた。
 呼吸を落ち着け、急いで金星(ヴィーナス)のサーバーに入った。そこには地球のバックアップデータが並んでいる。俺は手早く23年前の地球のデータを取り出し、エミュレート機能を使って3D映像にして再生させた。そう、ママが俺を捨てた日に何があったかを確認するのだ。
 あの日、俺は保育園に預けられてすぐに発熱して、ママに引き取り依頼の電話が行ったはずだ……。
 3D映像で、ママが勤めていた新宿のオフィスを映し出す――――
 俺はママを見て少し驚いた。ママが小さくて可愛い女の子なのだ。よく考えたら今の俺より若いのだから当たり前なのだが、記憶の中の、大きくてしっかりしていたイメージからすると、随分かけ離れている。
 オフィスに電話が鳴った。
 電話に出た、痩せたおばさんがママを呼ぶ。
「神崎さん、保育園から電話……まさかまた早退? ホント困るんだけど!」
「え!? すみません、替わります……。」
 恐る恐る出るママ、そして引き取り依頼を聞いて、顔が青くなる……。
「すみません、また熱を出してしまったようなので……早退させてください……」
 ママは痩せたおばさんに深々と頭を下げる。
「ちょっと、あなたねぇ、今週二回目よ! 繁忙期にそんな事されて、私達全員残業じゃない!」
「すみません、本当に申し訳ないです……」
 俺のせいでママがなじられている……、俺の心臓がキュッとなって息苦しくなる。
 おばさんは攻撃の手を緩めない。
「幾ら謝ってもらっても、この仕事誰がやるのよ!」
「明日、埋め合わせを……」
「明日も熱出すかもしれないのよ、そもそもあなた、一人で子育てなんて無理なんじゃないの? 生き方考えなさいよ!」
「すみません、本当にすみません……」
 そう、この頃、俺はしょっちゅう熱を出し、こうやってママに迷惑をかけていたのだ。
 それにもかかわらず、俺は野菜を残し、歯磨きを嫌がり、夜なかなか寝ずに暴れ、ママのストレスを極度に悪化させていた。
 俺はあまりに辛くて見続けられなかった。
 3D映像を保育園に向けてみると、保母さんが子供の俺を、小さな布団に寝かしつけていた。
「もうすぐママが来るから、いい子にしててね」
 そう言いながら、まだ若い、恰幅(かっぷく)のいい保母さんは、優しく子供の俺に布団をかけた。
「えー、やだなー、またママ、ヒステリー起こして俺をピシピシ叩くんだぜ!」
「そんな事言わないのよ、世界で一番マコちゃんを愛しているのは、ママなのよ」
「しらないよ! ママなんて居なくなっちゃえばいいんだ!」
 子供の俺はそう言って布団にもぐった。
 俺は青くなった。これか!? まさかこれなのか!?
 思わず俺は天を仰ぐ。
 どこかでカラスがカァカァと鳴く声が響いている。
 俺は大きく深呼吸をし、気持ちが落ち着くのを待って、ママの様子を見る――――
 ママは小走りで新宿駅を目指していた。
 すると、大阪行きの高速バスが横切る……
 ママはそのバスをずーっと目で追う。
「マズい! ダメ! 行かないで!! あぁぁぁぁ!! ママ――――!!」
 俺は思わず力を使って、ママがバスに乗るのを止めようとした。
 足がもつれるママ……。
「誠さん、落ち着いて、これは過去の映像です、彼女を止めても歴史は変わらない」
 始祖(オリジン)は俺の腕をガシッとつかんで言った。
「そんな事、分かってますよ! うわぁぁぁ!!」
 俺は始祖(オリジン)の手を払いのけ、その場に崩れ落ちた。
 この瞬間、全てが明らかになった。そう、ママを失踪させたのは俺だったのだ……。
 俺がママの居ない世界を選び、ママにバスに乗る選択をさせてしまったのだ。
 ママが俺を捨てたんじゃない、俺がママを捨てたのだ。
 俺に呪いをかけたのは俺自身、何という愚か者、何という親不孝者、俺は人目も気にせずに号泣した。
「ぐあぁぁぁ――――!!」
 とめどなく涙が流れ、ポタポタと(したた)った。
「ママ、ごめんよぉぉぉ!! ママ――――!!」
 俺の叫びが世界樹を揺らし、咲き誇る花々がキラキラと瞬いた。
 始祖(オリジン)は腕を組み、そんな無様な俺の姿を心配そうに眺めていた……。

         ◇

 始祖(オリジン)は俺が落ち着くのを待って言った。
「運が悪かったですね。宇宙はいつでも認識を受け入れる訳ではありません。たまたま条件が重なってしまったんですね」 
 俺は涙を手で拭いながら言った。
「子供が荒唐無稽(こうとうむけい)な事言ったって、いいじゃないか! なんでそんなの採用するんだよ!?」
 イラつきを抑えられない俺に、始祖(オリジン)は言う。
「宇宙にとって荒唐無稽(こうとうむけい)さなど些細(ささい)な話です。子供の荒唐無稽な願望で世界が滅ぶこともよくあります」
「……」
「『天よ落ちてこーい』って言って、巨大隕石(いんせき)降らして人類絶滅とか……。誠さんのは可愛い方ですよ」
 どんなに可愛くても、当事者にとっては重大な人生の問題だ。そう簡単には割り切れない。
 俺はよろよろと立ち上がりながら言った。
「宇宙は、意地悪だ……」
 始祖(オリジン)は肩をすくめた。
 
 俺は、今の地球を映し出した。
 京都、百万遍のコンビニにママがいた。
 すっかり老け込んで、顔に刻まれたシワと白髪染めの塗りむらが、残酷な時の流れを物語っていた。
 品出し中の彼女は、ペットボトルの水を補充するところで止まっていた。
「ママ……」
 俺はあまりに申し訳なくて、ママを見続けられなかった。
 俺がかけた呪いが、ママの人生を滅茶苦茶にしてしまった……。
 俺はうなだれ、どうしたらいいか分からなくなって、動けなくなった。
 もう取り返しつかないのだ。許してって言って許されるような話じゃないし、かける言葉が見つからない……。
 後悔に沈む俺に始祖(オリジン)が声をかける。
「案ずるより産むがやすしですよ、誠さんに悪意があったわけじゃないですよね?」
「悪意なんてとんでもないです」
「ならいいじゃないですか、呼びましょうよ」
 始祖(オリジン)はニッコリ笑って、促してくれる。
 確かに一生逃げ続ける訳にも行かない……。
 俺は一つ大きく息を吐くと、ママを目の前に転送させた。
 いきなり広がる大宇宙と世界樹の世界に連れてこられ、驚くママ――――
「うわぁぁ!」
 ママはそう言って尻餅をつき、ペットボトルを落とした。
 俺は意を決し、ゆっくり手を差し伸べて言った。
「いきなりゴメン……、僕が誰だか……わかる?」
 言いながら、涙があふれてきてしまった。
 ママは丸い目でしばらく俺の顔を見て、軽く首を振ると、いきなり抱き着いてきた。
「マコちゃーん!!」
 23年ぶりの抱擁、俺もママもオイオイ泣きながら、お互いをきつく抱きしめた。
 大好きだったママの匂い……俺は次々と湧きだしてくる、幸せだった幼少の思い出に驚いた。
 ケンカして泣いたとき、うれしかった時、暗闇が怖かった時、俺はいつも「ママー!」と言って抱き着き、この匂いに包まれていた。いつだってママは優しく優しく俺を抱きしめ、頭をなでてくれていたのだ。
 なぜ、こんなにも愛されていたことを、忘れていたのだろう……。
 俺はママにほおずりしながら、あふれ来る感情の津波に流されていった……。
 そんな二人を世界樹は温かい光で包み、見守ってくれた。

      ◇

 俺はママを抱きしめながら、全てを説明し、心からわびた。
 しかし、ママはそんな事は意に介さずに言った。
「マコちゃんはね、なーんにも悪くないの。五歳の子供には何の責任もないのよ。子供がね、冗談でも『ママがいない世界』を欲した時点でママ失格なのよ。肩ひじ張らずにもっとばぁちゃんや周りの人を頼るべきだったの……。ダメなママを許して……」
「ママ……」
 二人は23年の寂しさを埋めるように、しばらく抱き合ったまま、お互いの息遣いを感じていた。

       ◇

 俺はそっと離れ、ママの目を見て言った。
「そうだ、今日僕、結婚したんだ、相談もしなくてゴメン……」
 ママはちょっと驚くと、
「由香ちゃんでしょ?」
 そう言ってほほ笑んだ。
「え!? なんで知ってるの?」
 俺が驚くと、
「由香ちゃんにね、頼んでおいたのよ。マコちゃんのお嫁さんになって……って」
「え……? いつの間に……」
 俺は絶句した。女性ってすごいなと思わされた。
「ふふっ、良かった。立派に育ってくれて、本当に良かったわ……」
 ママはそう言って俺の頬をそっとなでた。
「落ち着いたら、東京で結婚式挙げるから来てね……」
 俺は優しくそう言った。
「楽しみにしてるわ……。あ、髪の毛もちゃんと染めておくわ」
 そう言ってママは、白髪染めのむらを気にし、髪を恥ずかしそうになでた。
 俺は、
「こう言うのどうかな?」
 そう言って、23年前のママの身体のデータを持ってきて、ママに適用した。いきなり20代に若返るママ。
 用意した姿見の鏡を見て、ママが笑いだした。
「何よこれ? こんなのアリなの? マコちゃん偉くなったわねぇ……」
「僕よりも若くなったね、気に入った?」
「うーん、いいんだけど、もうそういう歳じゃないのよね。もうちょっと貫禄(かんろく)が欲しいわ」
 じゃぁこれでどう?
 今度はママを30代にしてみた。
「あー、この位ならいいかな? これなら白髪染めも要らないわね」
 そう言って喜んでくれた。
「あ、いけない、そろそろコンビニに戻らないと……」
 ママが慌てる。
「あー、じゃ、最後に何か欲しいものある?」
「何よ、五千兆円欲しいって言ったら、出てきそうな勢いね」
 ママがそう言って笑う。
「五千兆円は出してもいいけど、命狙われるよ?」
 俺はおどけてそう返す。
「そうねぇ、何がいいかなぁ……。あ、そうだ、最近ワインに凝ってるのよ。何かお勧めのワインあったらちょうだい」
「それじゃ世界一美味しいワインを、一山送っておくよ、神の(しずく)、メッチャ美味いよ!」
「一山って……何本? 部屋に入り切る量でお願いね」
 と、ママは笑って言う。
「近いうちに由香ちゃんと京都行くね、身体に気を付けて!」
「楽しみに待ってるわ!」
 俺はママに、転がってるペットボトルを渡し、コンビニに飛ばした。
 気を利かせて消えていた始祖(オリジン)は、すぅっと出てきて言った。
「良かったですね、これで懸案も解決ですね」
「ありがとうございます。全てがクリアになってスッキリしました」
 俺は晴れ晴れとした表情で言った。
「じゃぁ、この男が誰かも、もう分かりましたよね?」
 始祖(オリジン)は両手を広げ、おどけた表情でクルっと回って言った。
「え!?」
 修一郎にも何かあるのか!?
 俺は急いで修一郎の情報を追った……。そして愕然(がくぜん)とした。
「弟……だったのか……」
 何やらちょっと雰囲気似た所あるな、とは思っていたが、まさか兄弟だったとは。『エロ豚ブラザーズ』とか言われていたしな、と思って気が付いた。美奈ちゃんたちは知っていたのだ……。
 ママが高卒で太陽興産に入り、修一郎の親父さんと不倫の恋に落ちてできた子供、それが俺だったのだ。不倫が奥さんにバレて大騒動になって親父さんは離婚、ママは退職、その後親父さんが再婚してできた子供が、修一郎だったのだ。
 ママは俺を身ごもった事を、親父さんには内緒にしていた。そして一人で産み、育てていたのだ。ママ、ちょっとやり過ぎちゃったね。
 俺は父親のお金使って、弟と神様たちとで妹を実験台にAIを作っていたんだな。どうしてこうなった……といえば、俺が引き寄せたのだった。俺の世界だからな……。
 俺の認識で、世界が構成されて行く事の意味を、俺は嫌と言うほど理解した。
 逆に言うならば、これを使いこなせば、俺はもう無敵……ではないだろうか? ある意味、神とさえ言えるだろう。
 見上げると、広大な宇宙を背景に、世界樹の煌めきが一段と輝いて見えた。そして、サラサラという命の営みのさざめきが、かすかに流れている。
 これら全てが俺が選び、創り出したもの……。
 俺は、その美しい世界樹の煌めきが、少しずつしっとりと心に()みていくのを感じていた。

           ◇

 俺たちはチャペルに戻り、時間の流れを再開させた。
 にぎやかな演奏に、盛り上がる会場。幸せそうなマーカスと美奈ちゃん、笑顔で祝福する参列者、そして、無数の花びらを見上げて、最高の笑顔を見せる由香ちゃん……。
 これらが全て、俺の作り出した世界で、紡がれているストーリーなのかと思うと、今までとはまた一味違った景色に見えてくる。
 俺の人生は間違っていなかった。数多くの試練を超えて今、ここにいる。
 俺が流した汗、涙は無駄ではなかったし、みんなにも助けられた。俺はなんて幸せ者だろうか。
 俺は、目頭が熱くなりながら、無数の花びら全部をイマジナリーで捕捉した。
 そして、感謝を込め、それらを全てチョウの群れに変えた。
 ひらひらと落ちてきていた花びらは、いきなり羽ばたき始め、群れを成してチャペルの上空を大きく周回し始めた。チョウたちは赤、青、黄色に輝きつつ、幻想的な光の粒子を振りまきながら羽ばたく。
 ゆったりと優雅にチャペルを舞うチョウの群れに、参列者から大きな歓声が上がる。
 俺がマーティンにニッコリと笑いかけると、マーティンは両手を広げ、凄く驚いた表情をし、そして、急にゲラゲラと笑い始めた。自分のかけたイマジナリーを改変された経験など、この二百万年もの間、無かったに違いない。
 あまりにも楽しそうに笑うものだから、俺もおかしくなってつい一緒に笑ってしまう。
 ゲラゲラ笑ってる俺たちを、怪訝(けげん)な表情で見る美奈ちゃんとマーカス。
 マーティンは、今度はチョウをシャボン玉に変えた。
 キラキラと舞っていたチョウは今度はシャボン玉の群れになり、ゆったりと空気の流れに乗って流れていく。
 また、歓声が上がる。
 シャボン玉は次々とはじけはじめた。はじける時に、線香花火のように煌めく光の軌跡を描くので、チャペルの上空からは、数えきれないほどの光の軌跡が、参列者の上に降り注ぎ、まるで流星群の様な荘厳なシーンを演出した。
 大きな歓声が上がる。
「すごい! すごーい!!」
 由香ちゃんはそう言って、次々と展開される素敵な演出に、喜んで手を叩いた。

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