ヴィーナシアンの花嫁 ~シンギュラリティが紡ぐ悠久の神話~

1-9. 百億円の攻防

 創業時の資本金はどうするか、どんなオフィスがいいか、会社を作る上で決めなくてはならないことは、たくさんある。
 ああだ、こうだと議論していると、徐々に修一郎もノリノリになってきた。
 Jingle(カラン)
 修一郎の親父さんが現れた。
 ネイビーのスリーピーススーツに、太いストライプのネクタイをして、昭和のビジネスマンと言う感じのいで立ちだ。
 
「あ、パパ、ここだよ!」
 修一郎が呼ぶ。
 親父さんは、怪訝(けげん)そうに我々を見回すと、軽く会釈をして席に着いた。
「パパ、紹介するよ、彼らはAIベンチャーの人達。僕も今度この会社のCFOになる事になったんだ」
「え? シュウちゃんがCFO!?」
 親父さんはひどく驚いた感じで、修一郎を見つめた。
「そうそう、この会社は、なんとシンギュラリティを実現する、世界初の会社になるんだ。これはビッグビジネスになるよ!」
 修一郎、いいぞ、その調子だ。
 親父さんは困惑した表情で、我々を見回した。
「初めまして、修一郎の父です。息子が何やら、お世話になっているようで……」
「いえいえ、お世話になっているのはこちらの方です。私は社長の神崎誠です。我々はAIを使って人類の未来を変えていこうという、野心的なベンチャーです。ぜひ、御社とも連携して、Win-Winの形を築ければと思っています」
「うーん、まぁ本当にWin-Winになれるなら、それは歓迎だが、うちは貿易の会社なんでAIと言われても……」
 まぁ、正論だ。しかし、人類の未来がかかっているのだ、全力で口説かないと。
「お父さん、今、御社は貿易業なので、時価総額は一千億円程度にとどまっています。でも、AIの企業になったら、時価総額は一兆円を超えますよ? とんでもないメリットではないですか?」
「一兆円!? ま、確かに昨今のAIブームで、AIと名前が付けば、何でも株価は勝手に上がっていく。でも……うちはしっかりと実業で伸びてきた会社、下手にAIの看板を掲げたら実業が続かないよ。そんな山師みたいな事は出来んよ」
 親父さんはそう言って手を振り、顔をそむける。
「おっしゃる通りです。下手な看板を掲げたら、それこそ笑い物です。でも大丈夫です、お父さん。AI部門で利益を出せる会社になれば、誰も文句言わないですよ」
「うーん、そりゃ本当に、利益がバンバン出ればそうだけど、そんな事できるの?」
 親父さんは眉をひそめ、疑わしそうな目で俺を見る。
 俺はクリスをちらっと見ると、クリスはスマホを持って、お手洗いへ移動していった。
「それでは、うちのプロトタイプを見てもらいましょう」
 俺はスマホを出すと、チャットアプリを立ち上げた。
「今、プロトタイプのAIがサーバーで動いています。何かAIに聞いてみたい事はありますか?」
 俺はにこやかに、はきはきとした声で聞く。
「え? 何でもいいの?」
「森羅万象、何でもOKですよ!」
「じゃぁ、うちのカミさんの旧姓は? あ、マスター、いつもの奴!」
 親父さんは振り返ってバーテンに注文する。
「聞いてみましょう」
 俺はスマホに質問を打ち込む。するとすぐに返事が返ってきた。
 『Makoto:田中修司の妻の旧姓は何ですか』
 『Cyan:浜崎です』
 スマホを(のぞ)き込んでいた親父さんの顔色が変わる。
「個人情報が漏れてやがる……。じゃ、うちの会社で、一番悪い奴は誰か聞いてくれ」
 俺は言われるままに質問を打ち込むと、予想外の返事が返ってきた。
 『Makoto:太陽興産で一番悪い人は誰ですか』
 『Cyan:宮崎隼人(はやと)です。三億円横領しています。』
 親父さんの顔に怒気が浮かぶ。
「え? あの宮崎が横領? そんなバカな! いい加減な事言うんじゃないよ! 彼がどれだけ我が社に貢献したか分かってるのか! 証拠出してみろ証拠! これは名誉棄損だぞ!」
 ヤバい、本気で怒っている……。クリス、ストレートすぎないか……。
 俺は冷や汗をかきながら言う。
「た、確かに証拠は要りますね、聞いてみます」
 
 『Makoto:横領の証拠を教えてください』
 『Cyan:匯鼎騰邦(フイディン)集団の()董事(とうじ)長から、発注の見返りにリベートを毎月一千万円、奥さんの口座で受け取っています。口座を調べればわかります。』
 それを見ると、親父さんは固まってしまった。
 どうやら心当たりがあるようだ。
匯鼎騰邦(フイディン)の李さんなら知ってる……。確かに担当は宮崎だが……」
 親父さんは眉間にしわを寄せながら、携帯で電話をかけた。
 
「ワシだ、夜分遅くにすまない。お前、匯鼎騰邦(フイディン)の李さんから、金貰ってるって本当か?」
 何とストレートな追及! さすが社長! でも、これは修羅場の予感がする。
 
 皆、固唾を飲んで見守っている。
 
「おい!! そんな言い訳、通ると思ってんのか! お前、それ犯罪だぞ! 俺の信頼を裏切りやがって!」
 
『やっぱり……』
 店内に響き渡る罵声。いたたまれない。
「なんでそんな事やったんだ! うん……。うん……。おまえさ~……いや、もういい……明日、しっかり話を聞かせてもらう」
 
 親父さんは頭を抱え込んで、動かなくなってしまった。
 ちょっと、これはやり過ぎてしまったかもしれない。
 たまらず修一郎が声をかける。
「パパ、大丈夫……?」
 親父さんはゆっくりと体を起こすと、椅子の背もたれに、ぐったりともたれかかり、力なくぐらりと少し横に傾いた。そして、何かに魂を奪われたようなうつろな目で宙を見る。
 
 俺はかける言葉も見つからず、気まずい時間が流れた。
 すると、バーテンダーがトレーを片手にやってくる。
「失礼いたします。マッカラン、ロックでございます」
 そう言いながら、バーテンダーがグラスを置いたが……、憔悴(しょうすい)しきった親父さんの様子を見て言った。
 
「お水、お持ちしましょうか?」
 親父さんはゆっくりと身体を起こすと、
「……。 あ、いや、大丈夫」
 そう言いながら、マッカランを一気に飲み干した。
 そして、グラスをそのままバーテンダーに返して言った。
「今度はストレートをダブルでくれ」
「かしこまりました」
 親父さんは焦点の合わない目で、
「俺は宮崎の不正を見抜けなかった。でも、おたくのAIは一瞬で見抜いた。凄いというのは良く分かった……」
 
「恐れ入ります」
 クリスがさり気なく、トイレから帰ってきた。
 
 親父さんは、ポーチから電子タバコを出すと、スイッチを入れた。
 そして、ゆっくりと煙を吸い、しばらく何かを考えていた。
 つかみはバッチリなはず。さてここからが正念場だ。
 親父さんは俺をギロリと見て言った。
「で、うちに何を期待してるの?」
「我々には資金力が無いので、出資をお願いしたい」
「幾ら?」
「百億円です」
 俺がニッコリと笑いながら言うと、親父さんは目を皿のように大きく見開き、
 ハッハッハー!
 そう、快活に笑った。
 
「百億円! 大きく出たね!」
 親父さんは、なぜだかすごくうれしそうに言う。
「御社の十%の規模の出資です。御社側からの取締役として、修一郎君が就任します」
 俺は淡々と説明する。
 
 親父さんは美味そうに大きく煙を吸うと、俺の目を真っすぐに見た。
 
「それで、なんぼ儲かるんや?」
 なぜここで関西弁?
 
「三年後、単月黒字を実現し、五年後の売り上げは一千億円、利益率は80%です」
 俺は思いつきの数字を適当に言う。顔は笑顔をキープしているが、内心ひやひやである。
 親父さんは煙を吸いながら、斜め上を見る。
 
「まぁ、さっきの一瞬だけで三億の価値があった訳だから、そんくらい行ってもおかしくはないな……。とは言え百億はなぁ……」
 もう一押しである。
「実は他社ともお話しは有るんです。でも我々としては、修一郎君と一緒にやりたいので、是非御社にお願いしたいと考えています」
 俺は適当なウソをつく。エンジニアとしてはウソは慣れないが、ウソも方便である。ここは覚悟を決め、笑顔でウソをつく。
 親父さんは、こちらをジロっとにらむと、
「うーん、まぁうち以外にも、興味持つ所はあるだろうね……。シュウちゃん、お前どうなんだ?」
 そう言って修一郎の方を向く。
 美奈ちゃんと、何やらごそごそやり取りしていた修一郎は、いきなり呼ばれて背筋を伸ばす。
「僕? あ、えーと、この人達、なんか凄いんだよ。あり得ない事やるんだ。そういう人達とチームを組めるのは凄いチャンスかなって」
 まぁ、神様とチーム組めるチャンスなんて、普通は無い。
 
 親父さんは、また美味そうに大きく煙を吸い、俺をジーッと見つめた。
「神崎君と言ったね? もしかして、親戚に静江(しずえ)さんという人は、いないかね?」
 急に母さんの名前を出され、俺は動揺した。
「え……? し、静江は私の母ですが……母が何か……?」
「え!? 静江さんの息子さん!? 道理で……面影あるよ。お母様はお元気かね?」
 俺は思わず目を瞑り……。大きく息を吐き、言った。
「母は……、母は失踪してしまい、今は音信不通です……」
「えっ!? そ、そうなの? ……、失踪……うーん……」
 親父さんは酷く驚くと目を瞑り、大きく煙を吸った。
 重い沈黙の時間が流れる……。
 電子タバコをしまい、親父さんは懐かしがりながら、ゆっくりと言った。
「30年ほど前になるかな。静江さんは……うちの会社の初期メンバーだったんだ。明るくて……、素敵な女性だった……」
 俺を捨てた母さん、忘れようと思っていた母さんの歴史が、まさかこんなところで明らかになろうとは……。生まれる前の母さんの話を、どう受け取ったらいいのか分からず、俺はただうなずいていた。
「静江さんの縁なら出してあげたいが……百億はさすがに説明が難しいなぁ……」
 親父さんはそう言って目を瞑った。
 するとクリスがニッコリとほほ笑みながら言う。
「…。うちの社長はこう見えて中国のIT系にもコネがあります。うちの親会社になれば大手IT企業の中脳集団との口座も開けますよ」
「えっ!? 本当かね!? あそこは共産党幹部のコネが無いと無理なんだぞ?」
 親父さんはひどく驚いた調子で俺を見た。
 俺は何のことかさっぱりわからなかったが、
「お任せください!」
 と、胸を張る。胃がチクチクと痛い……。
「中脳集団との取引ができるなら年間売上は百億は堅い、それなら百億の出資の理由には十分じゃないか!」
 親父さんは興奮気味にまくしたてた。
 クリスはうんうんとうなずくと、
「…。もちろん増資は中脳集団との契約の後で大丈夫ですよ」
 と言って微笑んだ。
 親父さんは膝をポンと叩く。
「それなら出そう! 縁もあるしな。ただし、百億円なんて金、すぐに用意なんてできないから、十分割、それで51%。それからおたくのAIで、うちの事業伸ばす事。これでどうかね?」
 さすがやり手だ、いろんな条件付けられてしまった。様子を見ながら金を小出しにして、最後は過半数を取って実質子会社化、ダメそうなら途中で切るつもりだろう……。
 とは言え何の実績もない所に、いきなり十億円突っ込んでくれるのだから、これ以上を望むのは贅沢(ぜいたく)すぎるかもしれない。
「クリス、美奈ちゃん、どうかな?」
 Cough(ゴホッゴホッ)
 いきなりふられた美奈ちゃんが、せき込んでいる。
 クリスは涼しい声で答える。
「…。社長に任せます」
「わ、私も誠さんに任せるわ」
 
「わかりました! それではその条件でお願いします!」
 俺は右手を伸ばして、にこやかにいった。
 
「儲けさせてくれよ! シュウちゃんを頼んだよ!」
 親父さんと固く固く握手をした。
 二千三百年前、古代ギリシアの哲学者アリストテレスは言った『説得にはロゴス(理屈)、パトス(熱意)、エトス(信頼)が要る』と。今回、ロゴスはクリスが、パトスは俺が出したが、エトスを出してくれたのは母さんだった。
 23年間音信不通の母さん……。
 俺を捨て、でも決定的な所で助けてくれた母さん……。
『ママ……』
 俺は胸がキュッと締め付けられるような思いがして、思わず目を瞑って下を向いた。
 母さんに大きな借りができてしまった。これはどう返したらいい……。
 ふと、クリスの方を向くと、クリスは微笑んでうなずいた。そうか、クリスは知っていて俺を親父さんと交渉させたのだ。全て神様の手のひらの上だったのか……。
「参りました」
 俺は、小さくそう言って、クリスに頭を下げた。
 こうして、『深層守護者計画』は百億円を手にした。クリスと会ってから、ここまでたった一日半。人生は動き始めたら、ジェットコースターのように動き始める。しっかりと(つか)まってないと、振り落とされてしまいそうだ。

         ◇

 その後、誠たちが歓談していると、修一郎が余計な事を言った。
 美奈が怒って、またおしぼりを投げようとした瞬間……
 いきなり時間が止まった――――
 ただでさえ暗めのバーの店内が、さらに暗くなり、全ての人はマネキンのように動きを止め、一切の音がやんだ。
 おしぼりは美奈の手から、今、まさに放たれようとしてしな(・・)り、修一郎は急いで後ろを向いて、髪の毛が宙を舞い、俺は間に入ろうと中腰で手を伸ばす。
 その躍動的なシーンは、まるで前衛芸術の(ろう)人形のように、ピタッと止まっていた。
 クリスは、一瞬顔をしかめて言った。
「…。センター、応答願います……、障害発生」
 クリスは店を出て、軽く飛び上がると、一気に街灯の上にまで達し、周りを見回す。
 銀座の街にも闇が立ちこめており、煌びやかだったネオンサインも、今は鈍い光を放つばかりだった。
 クリスは、一通り観察し終わると、まるでスピードスケートの選手のように空中を軽く蹴りながら高速に滑空し、大通りに出た。そして、ピタリと止まっている走行中のロールスロイス・ファントムの豪奢(ごうしゃ)な車体を見つけると、その横に降り立ち、軽く『カン、カン、カン』とボディを叩いた。
 静まり返る銀座の街に、叩く音がこだまする。
 大通りを走る車は全て、今はピタリと止まっており、東京の街はまさに凍り付いてしまっている。
 クリスはしゃがみ込むと、高速走行中で(たわ)んでいるタイヤをじっくりと観察しながら、ぶつぶつとレポートする。
「…。解像度、異常なし。ノイズ、検出無し。データ欠損、観測されず……」
 そして、フワッと飛び上がると、一気に上昇する。
 どんどんと小さくなる銀座、そして東京、最後には眼下に広大な関東平野が広がっていく。
「…。東京の街全体が止まっている。空間整合性、問題なし……。システム側の問題ではなさそうだ。また上位レイヤーからの干渉かな? はい……はい、了解。スクリーニング終了後、呼んでください」
 そう言って、クリスは地球から忽然(こつぜん)と消えた――――
 音を失い、闇に沈む東京、それは、先ほどまでの喧騒(けんそう)がウソのように、凍り付いたサイバースペース。この不気味な都市には今、一千万人の人が微動だにせず止まっている。
 そして……、それに気づく者は誰もいない……
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