変態御曹司の飼い猫はわたしです
次に出てきたのは、牛フィレ肉のポワレ。
父と食べた思い出の一品だ。真っ白のお皿に赤ワインのソースが映えて美しい。記憶の中と全く同じ見た目に、心が躍る。
(あぁ、あの時と同じ)
このメニューがまだ変わっていないと気づいた日、すぐにここを予約した。数ヶ月先だったが、その日に退職届を出すと決めて、今日まで頑張ってきたのだ。
少しだけ緊張しながら、一口食べる。
(……美味しい)
『珠希! この肉美味しいなぁ!』
『うん! すっごく美味しい!』
『ふふふ。二人とも落ち着いて食べなさい』
家族三人で、ニコニコ笑いながら「美味しい美味しい」と言って食べた。フレンチなんて初めて食べたけれど、世界で一番美味しいと感じた。私はただただ楽しくて、嬉しくて、笑っていた記憶しかない。
病気で弱っていると思っていた父が、すごく楽しそうにはしゃぐから、少しは良くなってきたのだと安堵しながら、笑って食べた。
そうではなかったと知ったのは、父が亡くなった後だった。
(お父さん……!)
「このメインディッシュだけは、このレストランの創業以来、ずっと変わらないんです」
「……はい。思い出の、味です」
ぽた、ぽた、ぽた。
泣くつもりはなかった。ただ、あの時の楽しい食事を、思い出したかっただけなのに。
「よかったらどうぞ」
「ありがとう、ございます」
一ノ瀬さんがハンカチを貸してくれた。とめどなく流れる涙を抑えることはできなかったが、思い出の味を噛み締めながら残すことなく完食した。
「ご満足いただけましたか?」
「はい。とても」
「……それは、よかった」
デザートを食べる頃には涙は落ち着いていた。だが、一ノ瀬さんは何も聞かずに側にいてくれて、それがとても有り難かった。