切なさが加速する前に
カシャ
 と氷とグラスの触れる音。

♪ The way we were・・・
「新しく作り直すよ、薄くなってしまっただろう?あたしも一杯もらうよ。切なくなってしまったから」
 i(アイ)はマリアにも一杯奢りたいと言った。
「マリアにはギムレットでいいかい?」
 あたしは手際よくプリマス・ジンとローズ社のライムジュースを並べた。
 ローズ社のライムジュース。レイモンド・チャンドラーが作った孤高の探偵フィリップ・マーロウで有名になった。
 ジンとライムをハーフ&ハーフで氷と一緒にミキシング・グラスに入れ、バースプーンでステア。
「クラシック・ギムレットだよ」
 あたしはピアノにギムレットを運んだ。
「シェイクじゃないギムレットがあるなんて知らなかったよ」
 カウンターに戻ったあたしにアイが言った。
「ママは?」
「あたしの分のギムレットは作らない」
「自分の分は自分では作らないということ?」
「そう、あたしが好きなギムレットは自分では作らない」
「他に作ってくれる人がいるってことかぁ」
「今はいないよ、愚か者さ、あたしのために人生を棒に振っちまったバーテンダーが昔、ここに居ただけ」
「ママ、なんて悲しい目・・・なんでそんな悲しい想いをしたの?」

「女・・・だからさ」
 あたしはi(アイ)と同じバーボン・ソーダを作って、i(アイ)のグラスと合わせた。
「女、だからかあ。私達、みんな、女だね」

♪ The way we were・・・

 マリアのピアノの音は一度も途切れず、気づいた時にはギムレットは空になっていた。
 あたし達はまた、マリアのピアノと一緒にi(アイ)の過去へと潜って行った。

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