切なさが加速する前に
♪ The way we were・・・

 i(アイ)がバイト先のスナックで恋次郎の席に着いた二度目の時に
『あんたのその飲み方、カッコいいね』
 と言ったら、ハード・ボイルドの主人公がグラスを呷る時、頭を動かさないで手首を返すようにして喉に放り込む。そんな話を読んだことがあって練習したのだと彼が答えた。i(アイ)は腹を抱えて笑った。
『練習したんだ?すごーい。どうでもいいことに努力するって面白いよ。でも、なんで?』
 と聞いたら、彼は急に赤くなって黙り込んでしまった。
『ははあ、わかった!女の子の前でカッコつけたいわけだ』
 と追い打ちをかける様に図星を突いた。
 図星をつかれた彼は何も答えずグラスを呷る。
『だけど、うまくいったじゃん』
 i(アイ)は瞳をくるくる回して顔を近づける。
『だって私のお目に止まったわけだから』
 舌を出してアイは笑いながら、私もやってみると言ってグラスを構えた。
『折角のドレスが濡れるぞ』
 と言った彼の制止には耳も貸さず、i(アイ)はグラスを呷った。
 見事に手首を返すだけでグラスを空にした。
 得意気に鼻を上げてにやりと微笑み、
『どうよ、見直した?努力するのはあなただけじゃないのよ』
『練習したのか?』
『先週、あなたに初めて逢って、カッコつけた飲み方しているなあって思って。帰ってから自分でもやってみたら、シャツがビショビショになっちゃったよ』
『ばかだなあ、何だってそんなことするんだ』
『ばかはお互い様でしょう。努力は報われるものなのよ』
 i(アイ)は悪戯っぽく笑う。
『だって、あなたはもう私に興味津津じゃない?私の勝ちよ』
 声を上げて笑う彼にi(アイ)は名刺を渡した。名刺には携帯の電話番号とメールアドレスが書かれてあった。
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