送り犬さんが見ている
「………九郎…。」
たった二日の出来事だった。見ず知らずの彼に言い寄られ、親切にされ、大事にされ…、いつの間にか私の中で、彼は“素性の分からぬ謎の男”には留まらないくらい大きくなっていたのだと知る。
これまで誰も与えてくれなかった愛情を彼がくれた。それに応えたい。そう思っただけなのに…。
重い足取りで、私は敷居を跨いだ。
休暇は今日で終わり。明日からは元の日々が始まる。独りぼっちで、つらくて、悲しい日々が始まる。
私は寝室に籠り、身につけていた旅の装備をひとつひとつ解いていく。脚絆を脱ぎ、手甲を取り、着物の帯を解く。
汗の匂いの染みついた襦袢だけの姿になった時だった。
「フヨ、帰ってたのか。」
背後から聞き慣れた声がした。
その声を耳にした瞬間、私の体を嫌な悪寒が走る。無意識に胸元を手で庇い、ゆっくりゆっくり振り返る。
襖を少し開けてこちらを覗いていたのは、他でも無い。
この屋敷の当主である、忠光様だった。
「……は、い……。」
声が上手く出ない。心の臓が早鐘を打つ。
“あの”嫌な記憶が走馬灯のように蘇る。
忠光様は室内に入り込むと、後ろ手に襖を閉める。左手には、鞘に収まった刀を握り締めている。
蝋燭の灯りしかない薄暗い部屋で、ゆっくりこちらへ近づいてくる。その顔は落ち着いている。…でもその目は違った。
「……っ!」
忠光様は今、“私”に興味を注いでいる。