ガーベラをかざして
邂逅
私は改めて、この状況を整理してみることにした。
視線を上に移せば見事な細工が施された欄間がある。掛け軸は草書体で何と書かれているかよくわからなかったけど、上手いのだろうということはわかる。掛け軸になるくらいだし。
…花でも飾ってあれば、それを見ていられるのに。
そう考えて脱線してしまいそうになったので、下に視線を移した。
丁寧な掃除が行き届いた和室は清潔そのもので、春の日差しが障子越しに降り注いで安穏とした雰囲気を醸しだしている。私が座っている座布団は柔らかすぎず固すぎず、いかにもお金持ちの家という感じだ。
でも私はお嬢様じゃない。ボブの黒髪に、プチブラのカットソーとジーンズ、手は花屋のバイトで荒れ気味だし、どこからどう見ても一般市民だ。
その私を、「お迎えに上がりました。お嬢様」と黒服の男たちが高級車に押し込んでくれたのだ。入院している母さんに着替えを届けに行こうとしてただけなのに。
本当に意味が分からない。誘拐にしては明らかにおかしいし、そもそも我が家のような母子家庭にそんな余裕はない。だめだ、考えれば考えるほどわからなくなる。
頭を抱えたくなったけど、襖が開く音に顔をあげた。
初老の男がそこにいた。上等そうなスーツを着た上品な紳士。そんな印象だ。目や口元の皺を見る限り、五十代半ばくらいに思える。父さんが生きていればこのくらいかな…。
「君が園島 菜乃花さんだね?」
目の前にいる初老の男は鷹揚な態度でそう聞いてきた。私が「はい」と低めの固い声で返すと、気にするでもなく微笑んだ。けれど目は決して笑っていない。
男はテーブルをはさんで私の向かいに座った。
「はじめまして…いや、二十年振りだね」
この男は何を言っているんだろう。私が赤ちゃんの時に会っているような口ぶりだけど、母さんや父さんからもこんな人の話は聞いたことがない。
「君は、私の娘なんだよ」
「!」
思わず身を乗り出しかけた。それを男は片手を挙げて止める。
「驚くのも無理はないね…君の本当のお母さんは、君が生まれてすぐ入院してしまったんだから」
「どういうことですか?」
本当の両親? じゃあ今まで育ててくれた父と母は? どうして今になって?
疑問が多すぎて何から聞けばいいのかわからない。私の本当の父親とかいう男は「まぁ落ち着いて」と話を切り出した。
「君は本来ならば、我が家のーー水流井の娘なんだ」
「…」
「君が生まれた時、家族はーー特に母は、あれだけ待たせておいてどうして女なんだって君のお母さんを責めたんだ」
「…」
「私の母は“三年子無しは去れ”と平気で言う人でね、父も口にはしなかったけど、同じように思っていて…どうしても跡取り息子を欲しがっていた」
「…」
「子どもが出来にくい人でね、男を産もうと色々と試していたよ…。君が生まれてからは心を病んで、実家に戻って入院してしまったんだ」
「…」
「それから君をどうしようかって話になって…ちょうど子どもが出来ないご夫婦がいると聞いて、思い切って預けることにしたんだよ」
「…」
「水流井の家よりかはのびのび過ごせるだろうと思ってね…園島さんたちは、本当に君を立派に育ててくれた」
他人事のように話す人だ。自分の妻が酷い目にあって心を壊してしまったのに、ちっとも悲しそうじゃない。悲しみを隠すために、あえて冷静に話しているようにも見えなかった。
「どうして今になって会いに来たんですか?」
そのまま一生、放っておいてほしかった。それに、こんな乱暴な方法で連れてくるなんて信用できない。
そんな気持ちを込めて聞いてみたら、予想外の答えが返ってきた。
「君の育てのお母さんが倒れたと聞いてね、ぜひ援助をさせてもらいたい」
「援助、ですか」
「入院費や治療費は私が受け持とう」
「それは…」
正直、すぐにでも飛びつきたい。コツコツ貯めてきたバイト代ではとてもじゃないけど払えない。いっそ大学を中退して、夜の仕事を始めようかと悩んでいたところだったから。
でも上手い話には裏がある。
「…私は何をすれば良いんですか?」
私が“察した”ことを理解したらしい実父は、ここで初めて目まで笑った。
「話が早くて助かるよ」
私は死刑宣告を待つ罪人のような気持ちで次の言葉を待った。
「ある方と結婚してほしい」
「ある方…」
「笹ヶ谷 睦月さんという方だ」
「笹ヶ谷…」
「成金だが、どうして、中々抜け目のない人でね…そろそろ結婚を意識しているそうだが、成金の家に嫁がせようという方は少なくて、うちにも声がかかったんだが、生憎、年頃の娘がいなくて…それなら、一か八か、君に聞いてみようと思ったんだ」
「断ろうとは思わなかったんですか?」
そう言うと、実父はそっと目を伏せた。
「実は、一族で経営している呉服屋が危なくてね、笹ヶ谷の家と親族関係になれば、色々と都合してもらえるんだ。昨年、私は再婚相手との間に、息子が生まれたばかりで…」
そこで実父はテーブルから少し離れて、額を畳に擦りつけた。
「私を、お父さんを助けると思って…頼む!」
私は喉をゴクリと鳴らし、口を開いた。
「入院費と治療費が先です」
視線を上に移せば見事な細工が施された欄間がある。掛け軸は草書体で何と書かれているかよくわからなかったけど、上手いのだろうということはわかる。掛け軸になるくらいだし。
…花でも飾ってあれば、それを見ていられるのに。
そう考えて脱線してしまいそうになったので、下に視線を移した。
丁寧な掃除が行き届いた和室は清潔そのもので、春の日差しが障子越しに降り注いで安穏とした雰囲気を醸しだしている。私が座っている座布団は柔らかすぎず固すぎず、いかにもお金持ちの家という感じだ。
でも私はお嬢様じゃない。ボブの黒髪に、プチブラのカットソーとジーンズ、手は花屋のバイトで荒れ気味だし、どこからどう見ても一般市民だ。
その私を、「お迎えに上がりました。お嬢様」と黒服の男たちが高級車に押し込んでくれたのだ。入院している母さんに着替えを届けに行こうとしてただけなのに。
本当に意味が分からない。誘拐にしては明らかにおかしいし、そもそも我が家のような母子家庭にそんな余裕はない。だめだ、考えれば考えるほどわからなくなる。
頭を抱えたくなったけど、襖が開く音に顔をあげた。
初老の男がそこにいた。上等そうなスーツを着た上品な紳士。そんな印象だ。目や口元の皺を見る限り、五十代半ばくらいに思える。父さんが生きていればこのくらいかな…。
「君が園島 菜乃花さんだね?」
目の前にいる初老の男は鷹揚な態度でそう聞いてきた。私が「はい」と低めの固い声で返すと、気にするでもなく微笑んだ。けれど目は決して笑っていない。
男はテーブルをはさんで私の向かいに座った。
「はじめまして…いや、二十年振りだね」
この男は何を言っているんだろう。私が赤ちゃんの時に会っているような口ぶりだけど、母さんや父さんからもこんな人の話は聞いたことがない。
「君は、私の娘なんだよ」
「!」
思わず身を乗り出しかけた。それを男は片手を挙げて止める。
「驚くのも無理はないね…君の本当のお母さんは、君が生まれてすぐ入院してしまったんだから」
「どういうことですか?」
本当の両親? じゃあ今まで育ててくれた父と母は? どうして今になって?
疑問が多すぎて何から聞けばいいのかわからない。私の本当の父親とかいう男は「まぁ落ち着いて」と話を切り出した。
「君は本来ならば、我が家のーー水流井の娘なんだ」
「…」
「君が生まれた時、家族はーー特に母は、あれだけ待たせておいてどうして女なんだって君のお母さんを責めたんだ」
「…」
「私の母は“三年子無しは去れ”と平気で言う人でね、父も口にはしなかったけど、同じように思っていて…どうしても跡取り息子を欲しがっていた」
「…」
「子どもが出来にくい人でね、男を産もうと色々と試していたよ…。君が生まれてからは心を病んで、実家に戻って入院してしまったんだ」
「…」
「それから君をどうしようかって話になって…ちょうど子どもが出来ないご夫婦がいると聞いて、思い切って預けることにしたんだよ」
「…」
「水流井の家よりかはのびのび過ごせるだろうと思ってね…園島さんたちは、本当に君を立派に育ててくれた」
他人事のように話す人だ。自分の妻が酷い目にあって心を壊してしまったのに、ちっとも悲しそうじゃない。悲しみを隠すために、あえて冷静に話しているようにも見えなかった。
「どうして今になって会いに来たんですか?」
そのまま一生、放っておいてほしかった。それに、こんな乱暴な方法で連れてくるなんて信用できない。
そんな気持ちを込めて聞いてみたら、予想外の答えが返ってきた。
「君の育てのお母さんが倒れたと聞いてね、ぜひ援助をさせてもらいたい」
「援助、ですか」
「入院費や治療費は私が受け持とう」
「それは…」
正直、すぐにでも飛びつきたい。コツコツ貯めてきたバイト代ではとてもじゃないけど払えない。いっそ大学を中退して、夜の仕事を始めようかと悩んでいたところだったから。
でも上手い話には裏がある。
「…私は何をすれば良いんですか?」
私が“察した”ことを理解したらしい実父は、ここで初めて目まで笑った。
「話が早くて助かるよ」
私は死刑宣告を待つ罪人のような気持ちで次の言葉を待った。
「ある方と結婚してほしい」
「ある方…」
「笹ヶ谷 睦月さんという方だ」
「笹ヶ谷…」
「成金だが、どうして、中々抜け目のない人でね…そろそろ結婚を意識しているそうだが、成金の家に嫁がせようという方は少なくて、うちにも声がかかったんだが、生憎、年頃の娘がいなくて…それなら、一か八か、君に聞いてみようと思ったんだ」
「断ろうとは思わなかったんですか?」
そう言うと、実父はそっと目を伏せた。
「実は、一族で経営している呉服屋が危なくてね、笹ヶ谷の家と親族関係になれば、色々と都合してもらえるんだ。昨年、私は再婚相手との間に、息子が生まれたばかりで…」
そこで実父はテーブルから少し離れて、額を畳に擦りつけた。
「私を、お父さんを助けると思って…頼む!」
私は喉をゴクリと鳴らし、口を開いた。
「入院費と治療費が先です」
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