ガーベラをかざして
転機
暦の上ではもう秋だというのに、夏の暑さはしぶとく残っていた。台風がやってきて、ようやく秋らしい涼しさが訪れたような気がする。でもすぐに冬の寒さがやってくるんだろう。秋は春と同じくらい短くて、急ぎ足で去ってしまうような、そんな寂しさがあった。
秋の度重なる台風により庭は荒れ放題になった。それでも、雅樹さんは支柱を立てたり、防風ネットを被せたり、出来るだけ対策していたし、今は庭が元に戻るよう尽力している。
私は雅樹さんが倒木がないか確認をしたり、枝の剪定をしたりしているのを横目に、自分のプランター植えを日当たりの良い場所へと移動させていた。
これは雅樹さんがくれたもので、もちろん秋永さんの許可を取っている。ギリシャ風? デコラティブ? だとか言っていたけれど、とにかく細工が丁寧で華やかだ。薄い茶色ともオレンジともつかない色合いで、私一人でも運べる大きさだ。私が一人でも楽しめる趣味としてお願いしたのだから、当然と言えば当然なんだけど。
本当は庭の木を手入れさせてほしかった。お嬢様として、それは許されないことだとわかっている。それでも気持ちは抑えきれなくて、趣味の範囲なら、とプランターを使わせてもらえることになった。本当はもっと色々な木々や草花を育ててみたい。でもこれで満足しなくてはいけない。
…窮屈で、不自由で、全部投げだしてしまいそうになる。
この趣味はそんな私の鬱屈した気持ちをほんの一時だけ逸らしてくれた。プランターで伸び伸びと大輪の花を咲かせるポットマムは、赤と黄色の迫力ある姿を晒している。センニチソウやバコバ、秋の七草も育ててみたかったけど、「そこまで増えるともう自分の役目です」と雅樹さんに言われ断念した。仕事を奪うようなーーこの場合は“増やす”だろうかーーことはしたくなかったのもあるし、私が手を出せば怒られるのは彼だ。自分のせいで誰かが叱られるのは嫌だった。
「雅樹さん、ジョウロを使うけど、かまわないかしら?」
「はい、水をお入れしますね」
「ええ、お願い」
雅樹さんからジョウロを受け取ると、ポットマムの花にかからないようそっと、そしてたっぷりと水をやる。水が足りないと花が早く落ちてしまうからだ。それから日当たりの良い場所に置けば後はもう大丈夫だろう。肥料の与えすぎは良くないし、病気や害虫は今のところ見当たらない。
私はひと通り作業を終えると軍手と帽子を取った。やれることはもうないし、後は英語の勉強して夜まで過ごそうと思い、雅樹さんが管理している倉庫に戻してしまおうと庭の隅に向かう。
開き戸型の倉庫は、まるでおままごとに使えそうな見た目をしている。焦げ茶色の屋根と小さな窓がついた小屋のような倉庫の、同じ焦げ茶色の上品な扉を開ければ、すぐ右側に私専用のスペースがあった。そこに軍手や帽子、エプロンを引っかけ、後ろ手に扉を閉めると、タイミング良く秋永さんから声がかかった。
「お嬢様、笹ヶ谷様から連絡が入りました」
心臓が一瞬、甘く高鳴ったのには気付かないふりをして、私は秋永さんに聞き返した。
「連絡? 来月のパーティーなら父も出席できるし、特に問題はないでしょう?」
「仰るとおりです、問題はございません」
私が首を傾げると、笹ヶ谷様からの依頼です、と秋永さんは告げた。
「依頼?」
「はい、お嬢様にぜひ、パーティーで飾る花を選んでほしいと」
「!」
秋永さんの言葉に、私は思考をフル稼働させた。これはきっと試験だ。このパーティーは内輪向けだと聞いているけれど、ここで本格的に私を婚約者として紹介し、婚約する段取りだ。秋永さんを通して実父からそう聞いている。そこで飾る花を任せたいときた、これはもう婚約者として相応しいかの最終試験だろう。
私は秋永さんの目を真っ直ぐ見つめた。
「こちらこそ、ぜひお願いしますとお伝えして」
「かしこまりました」
「それから、笹ヶ谷さんにお伝えして、お客さまに花粉アレルギー持ちの方がいるかどうか、使う食器やカラトリーにグラス、リネンはどんなものを使うのか、それと…いえ、直接お話しを伺いたいから、パーティー会場の家で時間が取れないかとお聞きして」
「はい、では失礼いたします」
私の矢継ぎ早な指示にも聞き返すことなく、秋永さんは恭しく一礼して去っていった。私は大急ぎで雅樹さんのところに駆けていった。ご令嬢らしからぬ振る舞いだけど、そんなの気にしていられる状況じゃない。
「雅樹さん!」
「お嬢様!? どうなさいましたか!?」
私が大急ぎで駆けてきたものだから、雅樹さんはぎょっと目を見張った。彼は手持ちの剪定鋏を腰袋にしまうと、私に緊張した面持ちで向き直った。
私は一度、深呼吸してから雅樹さんに伝えた。
「庭の手入れが終わったら、花の相談に乗ってほしいの」
「花の?」
「ええ、秋の花で、香りが強くなくて、葉や花びらが落ちないもの」
「秋の花ですか…とりあえず急いで終わらせますね!」
そう言って剪定鋏を取り出し、イヌツゲのカットを再開した。私はその背に「リビングで待ってるから」と伝え家に駆け込んだ。
秋の度重なる台風により庭は荒れ放題になった。それでも、雅樹さんは支柱を立てたり、防風ネットを被せたり、出来るだけ対策していたし、今は庭が元に戻るよう尽力している。
私は雅樹さんが倒木がないか確認をしたり、枝の剪定をしたりしているのを横目に、自分のプランター植えを日当たりの良い場所へと移動させていた。
これは雅樹さんがくれたもので、もちろん秋永さんの許可を取っている。ギリシャ風? デコラティブ? だとか言っていたけれど、とにかく細工が丁寧で華やかだ。薄い茶色ともオレンジともつかない色合いで、私一人でも運べる大きさだ。私が一人でも楽しめる趣味としてお願いしたのだから、当然と言えば当然なんだけど。
本当は庭の木を手入れさせてほしかった。お嬢様として、それは許されないことだとわかっている。それでも気持ちは抑えきれなくて、趣味の範囲なら、とプランターを使わせてもらえることになった。本当はもっと色々な木々や草花を育ててみたい。でもこれで満足しなくてはいけない。
…窮屈で、不自由で、全部投げだしてしまいそうになる。
この趣味はそんな私の鬱屈した気持ちをほんの一時だけ逸らしてくれた。プランターで伸び伸びと大輪の花を咲かせるポットマムは、赤と黄色の迫力ある姿を晒している。センニチソウやバコバ、秋の七草も育ててみたかったけど、「そこまで増えるともう自分の役目です」と雅樹さんに言われ断念した。仕事を奪うようなーーこの場合は“増やす”だろうかーーことはしたくなかったのもあるし、私が手を出せば怒られるのは彼だ。自分のせいで誰かが叱られるのは嫌だった。
「雅樹さん、ジョウロを使うけど、かまわないかしら?」
「はい、水をお入れしますね」
「ええ、お願い」
雅樹さんからジョウロを受け取ると、ポットマムの花にかからないようそっと、そしてたっぷりと水をやる。水が足りないと花が早く落ちてしまうからだ。それから日当たりの良い場所に置けば後はもう大丈夫だろう。肥料の与えすぎは良くないし、病気や害虫は今のところ見当たらない。
私はひと通り作業を終えると軍手と帽子を取った。やれることはもうないし、後は英語の勉強して夜まで過ごそうと思い、雅樹さんが管理している倉庫に戻してしまおうと庭の隅に向かう。
開き戸型の倉庫は、まるでおままごとに使えそうな見た目をしている。焦げ茶色の屋根と小さな窓がついた小屋のような倉庫の、同じ焦げ茶色の上品な扉を開ければ、すぐ右側に私専用のスペースがあった。そこに軍手や帽子、エプロンを引っかけ、後ろ手に扉を閉めると、タイミング良く秋永さんから声がかかった。
「お嬢様、笹ヶ谷様から連絡が入りました」
心臓が一瞬、甘く高鳴ったのには気付かないふりをして、私は秋永さんに聞き返した。
「連絡? 来月のパーティーなら父も出席できるし、特に問題はないでしょう?」
「仰るとおりです、問題はございません」
私が首を傾げると、笹ヶ谷様からの依頼です、と秋永さんは告げた。
「依頼?」
「はい、お嬢様にぜひ、パーティーで飾る花を選んでほしいと」
「!」
秋永さんの言葉に、私は思考をフル稼働させた。これはきっと試験だ。このパーティーは内輪向けだと聞いているけれど、ここで本格的に私を婚約者として紹介し、婚約する段取りだ。秋永さんを通して実父からそう聞いている。そこで飾る花を任せたいときた、これはもう婚約者として相応しいかの最終試験だろう。
私は秋永さんの目を真っ直ぐ見つめた。
「こちらこそ、ぜひお願いしますとお伝えして」
「かしこまりました」
「それから、笹ヶ谷さんにお伝えして、お客さまに花粉アレルギー持ちの方がいるかどうか、使う食器やカラトリーにグラス、リネンはどんなものを使うのか、それと…いえ、直接お話しを伺いたいから、パーティー会場の家で時間が取れないかとお聞きして」
「はい、では失礼いたします」
私の矢継ぎ早な指示にも聞き返すことなく、秋永さんは恭しく一礼して去っていった。私は大急ぎで雅樹さんのところに駆けていった。ご令嬢らしからぬ振る舞いだけど、そんなの気にしていられる状況じゃない。
「雅樹さん!」
「お嬢様!? どうなさいましたか!?」
私が大急ぎで駆けてきたものだから、雅樹さんはぎょっと目を見張った。彼は手持ちの剪定鋏を腰袋にしまうと、私に緊張した面持ちで向き直った。
私は一度、深呼吸してから雅樹さんに伝えた。
「庭の手入れが終わったら、花の相談に乗ってほしいの」
「花の?」
「ええ、秋の花で、香りが強くなくて、葉や花びらが落ちないもの」
「秋の花ですか…とりあえず急いで終わらせますね!」
そう言って剪定鋏を取り出し、イヌツゲのカットを再開した。私はその背に「リビングで待ってるから」と伝え家に駆け込んだ。