横浜山手の宝石魔術師
「・・・・・・やはり若い女性にはこういう部屋は合わないですね。
勝手を言ってしまい申し訳ありません」
返事をしない朱音が断り方に困っていると思った冬真は申し訳なさそうに話し、それを見た朱音はぎょっとして違います!と声を上げた。
「もの凄く素敵です!今のアパートの二倍くらい広さありますし!
ただ無料だなんて信じられなくて。
もしかして建物の掃除とか皆さんのご飯を作るとかが条件なんでしょうか?」
至極真面目に聞くと、いえいえ、と冬真は笑う。
「ご自分の部屋だけ掃除して頂ければ結構です」
「共有の場所や廊下とかは?」
「全てアレクが行います。庭の手入れも何もかも」
その返事を聞いて一瞬誰だろうと思ったが、あの黒い姿の執事が朱音の頭に浮かぶ。
「あの、アレクさんってもしかして」
「はい、何度も会っているあの彼です。アレク」
冬真に促されリビングに戻って座ると、冬真の声に合わせるようにドアがノックされ黒髪を後ろに束ねた男が入って来て、冬真の座っているソファーの斜め後ろに立った。
「彼の名前はアレキサンダー。
僕たちはアレクと呼んでますので朱音さんもそう呼んでやって下さい」
冬真は笑顔でそう言うが、斜め後ろの黒い男は無表情のまま朱音を見下ろしている。
やはり好意的に思われてはいないようで、朱音は凹んでいる気持ちを悟らせないよう小さく、はい、と答えた。
「では、いつからこちらに引っ越されますか?」
「本当に良いんでしょうか」
とんとん拍子に話が進むことに急に朱音は焦ってきたが、ふと一部の冷静な脳が語りかける。
うまい話には裏がある、タダほど高い物は無い。
彼がそんな話をし出したのは、魔術師と知ってしまった自分を監視するためでは無いのか、と。
それに気が付いた朱音は突然ソファーから立ち上がり、紅茶を飲もうとしていた冬真がカップを持ったまま驚いて朱音を見上げた。
「言いません!魔術師だって言いませんから安心して下さい!」
片手を固く握りしめ、朱音は一気に言い放った。
監視されるのはもちろん嫌だ。
だが一番嫌だと思ったのは、冬真に疑われているかもしれないということ。
冬子はいなくなっても、心根の同じ冬真という人に出会えた。
出来るならその人と仲良くなりたい、ただそれだけの気持ちだった。
冬真はぽかんと真剣な表情の朱音を見ていたが、カップをソーサーに置くと、俯いて口に手を当て肩を震わせている。
「急に信じろって言われて困るのはわかります!でも私」
「待って下さい」
未だに焦っている朱音を落ち着かせるように、冬真は少し片手を伸ばし、朱音を再度座らせた。
「もしかして・・・・・・僕が魔術師だと明かしたせいで朱音さんが他の人に言いふらさないようにこの屋敷に呼ぼうとしているとお思いですか?」
うっ、と図星をつかれた朱音は思わず目が泳ぐ。
「ちなみに、僕が魔術師だと朱音さんは心から信じていますか?」
そう尋ねられて、少し迷った後、はい、と朱音は答えた。
何もかも受け入れた訳ではないしよくわかってはいないが、自分が経験したことは夢では無かったし、何より彼を信じたい。
そんな朱音の気持ちに気づいたように、冬真は穏やかな表情を浮かべる。
「朱音さんができる限り受け止めてくれようとしてくれるのはとても嬉しく、そしてありがたいことです。
ですが、全て信じられたかと言えばそうではないはず。
ですのでもし朱音さんが、あの洋館のハーフは魔術師だ、なんて言いふらしても誰も信じることは無いでしょう」
そう優しく冬真は話しかける。
考えてみれば、私だってあれを経験しなければ信じなかったもしれないし、経験した今でもこの状態。
それを全くの第三者が聞いて信用するわけが無い、こんな突拍子もない話しを。
朱音はまた別の冷静さが襲ってきて、一気に恥ずかしくなる。
こんなの、何も冷静では無かったのだ、勘違いも甚だしい。
「そう、ですよね、すみません・・・・・・」
朱音は謝りながら、はっとした。
自分が彼の純粋な善意を疑う発言をしてしまったことは取り返しのつかないことなのだと気が付いて、今度はなんと言えば良いのか言葉が浮かばない。
「朱音さん」
その声に、朱音の身体が反応するように少し揺れたが、そんな朱音を見ても冬真は穏やかなままだ。
「私たちはまだ出会って数回、お互いを知らないのが当然なのに、貴女は突然恐ろしいことに巻き込まれ訳のわからないことを知らされた。
その上で無料で部屋を貸すなんて言われたら警戒して当然です」
その声に朱音を責めるような雰囲気は微塵も感じさせない。
「では、本音を言いましょう」
急に真面目な表情になった冬真に、朱音も緊張する。
「人が住んでいないと部屋であっても傷んでくるものです。
僕の本業を知っている人に借りて欲しいと思っていてもそんな相手が簡単に見つかるはずも無く、僕はそれなら無理に貸す必要も無いと思っていました。
そこに現れたのが朱音さん、貴女です。
もちろん、貴女が早く次の部屋を探さなくてはならないと、そして貴女が僕の事情を知らなければ、あの部屋を貸そうだなんて言うことはありませんでした。
これを僕は縁だと思っていますし、貴女が借りてくれれば僕としてはとてもありがたいことなのです」
冬真は思っていることを素直に話した。全て、は話さなかったが。