横浜山手の宝石魔術師
*********
「さっきは本当にすまなかった」
食事が終わり朱音がリビングにいると、アレクに付き添われて先ほどの男が入ってきた。
黒のTシャツにジーンズ姿だが、鍛え上げられた上半身に着ているTシャツは窮屈そうで、盛り上がった筋肉がわかってしまう。
髪は少し脱色しているような薄い茶色、長さは短めで身長はアレクと変わりない180センチほどありそうだが、もの凄いマッチョでは無いものの体つきがしっかりしているせいかとても存在感がある。
印象としてはスポーツマン、というのがぴったりだろう。
その男は神妙な顔で朱音の前のソファーに座ると、開口一番頭を下げた。
「い、いえ、こちらこそ叫んでしまってすみません」
「朱音さんが謝ること何も無いですよ。
裸で家の中を歩かないように何度も注意しているのにそれを破った彼が悪い」
「ところでこの嬢ちゃんは誰?」
男が不思議そうに冬真に尋ねると、冬真はその男に笑顔を向けるが目が全く笑ってないので男は内心やべぇと焦った。
「まずはあなたが自己紹介をするべきでしょう?」
「あ、そうだな。
俺は橘健人。二階の住人で冬真とはまぁそれなりの付き合いだ。
気軽に名前で呼んでくれ」
「初めまして、相良朱音と申します。
先日こちらに引っ越してきたのですがご挨拶が遅れてすみませんでした」
「あーいや、俺がこっちに戻ってきたのが昨日で少々不在だったから気にしないでくれよ」
そう言うと、白い歯を出して健人は笑う。
朱音は、最初の出会いこそ驚くような出来事だったとはいえ、この太陽のような笑顔をする健人に不思議と好感を抱いた。
「で、お前の親戚か何かか?」
「新しい方が入ることはメールと念のためドアのところにも手紙を刺してお知らせしてたんですが、何も見てないんですね」
「悪い悪い」
苦笑いで答えた健人に、冬真はため息をつく。
「僕の親戚でも無く、ごく普通の方ですよ。
僕の不注意で本業の仕事中に朱音さんを危ない目に遭わせてしまいまして。
そして急に部屋を探さないといけないという話を聞いてあの部屋をお貸ししたんです」
「へぇ、お前が魔術師だって気づかれるようなミスするなんて珍しいな」
「朱音さんには本当に怖い思いをさせてしまいました」
「いえいえ、もう気にしないで下さいって!」
未だに気にしている冬真に、慌てて朱音が止めた。
彼も冬真が魔術師と知っている、ここの住人はきっと冬真が慎重に選んでいるのだろうと思うと、朱音は妙に嬉しさが沸いてしまう。
「なぁ、嬢ちゃんいくつ?」
「23歳です」
「あー、なら男の裸くらいみたことあるだろうし、最初が俺じゃ無くて良かった」
あっはっはと笑いながら唐突に健人からそんなことを言われた朱音はぽかんとし、段々と顔が赤くなって思わず俯く。顔だけじゃ無く耳まで赤い。
「え」
それを見た健人が今度は一言だけ発し、横に座っていた冬真が健人の脇腹に鋭い肘鉄を食らわせた。
いくら肉体を鍛えていても痛いものは痛い。
健人が脇腹を押さえつつちらりと横を見れば、冬真が心底軽蔑するまなざしを矢のように浴びせている。
「あーそれは、実に申し訳なかった」
朱音に交際経験があるかはわからないが少なくとも最後までの経験が無いことを知り、健人が隣からの鋭い視線に気が付いてそちらを向けば、真顔で、もっと謝れとの圧力を醸し出している冬真に、これはいつものこいつなりの気遣いなのか、それとも他に何かあるのかが引っかかった。
「本当に悪かった。
そうだな、何か詫びが出来ると良いんだが」
「いえ、そんなことは」
「俺はただの絵描きだからなぁ。
もし絵が好きならやるんだが」
困ったように頭をかいている健人の隣で冬真が、
「健人はかなり有名な画家というかイラストレーターなんですよ。
KEITOってご存じないですか?」
と話すと朱音は目を見開き、突然立ち上がると走ってリビングを出て行った。
冬真と健人が顔を見合わせていると、パタパタとスリッパの走る音がして朱音が現れた。胸にとある本を抱えて。
「ファンです!!」
突然大きな声で興奮気味に健人の横に行ってその本を両手で差し出し、健人は驚きながらもその本に視線を落とした。
「これ、俺が最初に出したイラストの画集じゃねーか」
「はい!初版本です!
以前本の表紙で見かけて以来のファンなんです!
てっきり女性が描かれているものと。
KEITOさんは一切表に出てきませんし、プロフィールも謎なので」
「別に性別を隠してたんじゃないが、絵の雰囲気からか気が付くと女と間違えられているようになっちまった。
元々表に出る気は無かったし、まぁイラストレーターとしてはそれで良いかと思ってな。
だから直接ファンと会うことはまず無いから嬉しいよ」
そう言うと、健人は笑顔を浮かべる。
健人の絵は優しげな色合いが多く、漫画っぽくもなく、かといっていかにも絵画という訳でも無い絶妙な雰囲気が男女問わず人気で、本の表紙からポスターまで幅広く手がけている売れっ子だ。
「これならお詫びが出来そうですね」
冬真の言葉に健人も頷く。
「そうだな。
どうする?サインいるか?」
「いります!これにお願いします!」
気が付けばアレクが健人のすぐ後ろにいて黒のサインペンを差し出し、画集の表紙を開くと余白に慣れたようにサインをした。
「後で好きな絵をやるよ。
データだからな、好きなサイズで印刷してやっから。
そこに名前入れてやろうか?」
「光栄です!!」
サインの終わった本を大切そうに抱えて朱音は未だ興奮気味に返事をすると、健人は目を細めて大きな手を伸ばし、わしわしと朱音の頭を撫でた。
「よろしくな、朱音」
「はい、健人さん!」
「健人にはすぐ名前呼ぶんですね、ずるいな」
少し寂しそうに冬真が言って、朱音が慌てるように取り繕うのを健人は内心驚いていた。
確かにこの家に住まわせた人間を冬真はとても大切にするが、あまり女性をからかったりすることは無い。
住人への扱いでは無い、何かもっと違う感じを受けて、じっと健人は冬真を見る。
その視線に気が付いた冬真は、少しだけ笑みを浮かべた。
『俺の違和感は気のせいじゃ無いのか』
へぇ、と健人は面白そうに冬真を見たが特に動じることも無く、また朱音と話しているのを健人は温かい目で見ていた。