秘め事は社長室で
4月。
予定通り正式に社長の次男が副社長へと就任した。
伴い、兼務という形で私も副社長の専属秘書に任命された……のだけど。
「天音くん」
穏やかな声に呼ばれてハッとする。
ぱちんと視界が弾けるようにクリアになり、顔を上げると心配そうな表情を浮かべた社長が立っていた。
秘書室に入ってきたことにも気が付かなかった自分に驚きながら立ち上がろうとすると、社長が片手で制する。
そして、有名なコーヒー店のロゴが印字されたカップを私の机に置いた。
「最後まで居られず申し訳ないが、これから会食でね……君も、これを飲んだらそろそろ帰りなさい」
「あ、ごめんなさい、私……!」
いつもなら、私が社長をお見送りする立場なのに、目の前の仕事に集中し過ぎていてすっかり忘れていた。
社長に足を運ばせたばかりか、コーヒーまでご馳走してもらっちゃうなんて。
「忙しくさせてしまってこちらこそすまない。急ぎの仕事で無ければ後回しにして構わないし、手が回らなそうであれば私に言いなさい。天音くん一人で抱え込むことは無いのだから」
「はい……」
ここ最近は、期の初めかつ副社長就任という重大な人事があったこともあり、目が回るような忙しさだった。
本来なら、役員一人につき専属の秘書がひとり。その原則に則れば副社長にも別の秘書が宛がわれて然るべきだが、その特異性から例外扱いの専属兼務。
当然初めての経験で毎日ついつい残りがちだったのだけれど、社長に心配をかけてしまっていたみたいだ。
「社長、下までお見送りいたします」
せめてと思い申し出ると、社長は少しだけ逡巡したあとで、頷いた。
「お願いしようかな。このまま残しておくと、またすぐに仕事をしそうだからね」
茶目っ気たっぷり、揶揄うように言われた言葉にバツが悪くなって俯く。
多分そうなるだろうな、と、自分でも思ったから。