統合失望
それだけグリーという存在は私の心の支えであった。
4年生になり単位ぎりぎりで5年がけの卒業。
卒業式には苦楽を共にした同期はもちろんいない。後輩とも交わらなかった。
グリーの仲間がお祝いしてくれた。最後までグリーよ。ありがとう!
時は2016・3月となっていた。


10 自営業
2016・4月。私の家系が代々営んでいる印刷会社で雇ってもらった。
最初は右も左も分からず、いやな時は直ぐ自宅に引きこもりしていた。
ある時、事務の女性が執拗に私に事務を指導した。
段々に覚えて楽しくなってきた私はやりがいを感じるようになった。
そして、事務員は退職した。
私が事務員となる。
次に営業の男性も定年退職で私に営業職の指導を受け、営業・事務として役割を担った。
そしてあっという間に2018年が訪れていた。


11 Aという女性
2018年、私は恋の患いで幻覚、幻聴を伴い、入院をした。
Aは同級生にしてシンママ。4人の子供。夜は北上のキャバクラで働いていた。
そのキャバクラで同級生がボーイ店長をしていると、別な同級生から聞き、いったのがきっかけである。Aはいた。しかし、興味はなかった。
とあるきっかけは、Aの家でBBQをした時である。
体調崩した私に対してAがこっちに来てといわれるまま行くと布団を用意してくれた。優しさに魅了した私はAの虜となった。
キャバクラで出勤の度に私も客で行った。
自分のためか?Aに俺の存在見てほしさに毎日雨の日もジョギングした。
120キロあった体重は108キロまで落ちた。
しかし、無理がたたったのか、恋煩いとなった。


12 3度目の入院
2018年秋。私は盛岡の観山荘病院で自主入院を決めた。
2回とも強制入院なのに対し、今回は自分の判断で入院を決断した。
小泉先生、お世話になります。
大量の薬剤療法で幻覚幻聴はなくなってきた。
リハビリ、療法も行い、少しずつ回復。やはりAのことは忘れてなかったらしい。
Aのことを考えすぎたせいで入院したとは今になっていえることです。


13 コロナウイルス
2019年5月。菅官房長官が掲げた令和の始まり。
新時代に期待し、東京2020も控えていた日本。
しかし、悲劇は訪れる。
新型コロナウイルス。
私も実は2022.09.04に感染した憎き存在。
このパンデミックは書いている今も続いている。
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