うちの美少女AIが世界征服するんだって、誰か止めてくれぇ
31. 意志の力
目を閉じて部屋に響く残響を聞きながら、ミリエルは嬉しそうに笑う。
「いい音なのだ、クフフフ」
叩かれたところをなでながら、困惑する玲司にシアンが声をかける。
「彼女は美空の本体なんだゾ」
「は? 本体?」
「彼女はここで星系を管理している管理人、偉いお方なのだ」
シアンは両手で彼女を紹介し、彼女は得意げにニヤッと笑う。
「え? 世界の管理者?」
玲司は驚いて彼女を見る。
「そう、あたしはミリエル・アン・ジョベール。この辺の地球たちの偉い人なのだ! クフフフ」
楽しそうなミリエル。
「え? じゃぁ、あなたの分身が地球上の美空? 分身は死んだけど本体は無事ってことですか?」
「そういうことなのだ。美空の身体は消えたけど、記憶も体験も共有してるから何の問題もないのだ」
ミリエルはニコッと笑ってサムアップする。
「あ、そ、それは良かった……」
玲司は自分のせいで失われてしまった美空が、ちゃんと息づいていたことにホッとし、思わず目頭が熱くなる。
もう二度と会えないとあきらめていた美空。絶望のどん底で彼女の真っ赤な血を唇に塗ったことも、いい思い出にできるかもしれない。ちょっと変わっているけど、こんな立派な女性となって目の前にいる。なんて素敵な奇跡だろう。
玲司は感極まって、ポトリと涙をこぼした。
「な、何で泣くのだ?」
ちょっと引いてしまうミリエル。
「美空にはもう二度と会えないと思ってたからうれしくて」
玲司は手を伸ばし、ミリエルのすらっとした白い綺麗な左手を握った。
「な、何なのだ。調子狂うのだ」
ミリエルはほほを赤らめてコーヒーをズズっとすする。
「良かった」
玲司は美空との別れ際にしっかりと握っていた手を思い出しながら、ミリエルの手の温かさに癒されていた。
「それが、事態は全然良くないのだ」
ミリエルはふぅ、とため息をついて言う。
「え? あ、そう言えば東京はどうなったの?」
「東京どころじゃない、これを見るのだ」
ミリエルはテーブルの上に、一メートルくらいの丸い地球の映像を浮かべる。しかし、青いはずの地球は薄汚れており、明らかに異常だった。
え……?
「東京、ニューヨーク、パリにロンドン……」
ミリエルはそう言いながら瓦礫だらけの地獄絵図を次々と映していった。
「な、なんで……」
真っ青になる玲司。なぜ地球が廃墟に覆われているのか理解できず、玲司は唖然として、ただ瓦礫の地平線を眺めていた。
「これはあたしたち管理側の問題なのだ」
ミリエルはそう言ってため息をつく。
「管理側?」
「要は不毛な縄張り争いなのだ」
そう言ってミリエルは肩をすくめ、じっと玲司を見つめた。
「こ、これ、俺みたいに生き返らせたり、街を元に戻したりできる?」
「そりゃもちろん。全てデータはアカシックレコードに残ってるのだ。だけど……」
そこまで言うとミリエルは背もたれにドサッと体を預け、渋い顔をした。
「俺で手伝えることがあったら何でも言ってよ」
「君が?」
鼻で笑ったミリエルだったが、ハッとなって少し考えこみ、
「いや、むしろ適任かも……しれんのだ」
そう言ってまじまじと玲司の顔をのぞきこんだ。
「え? 適任?」
「君のデータセンター爆破はすごい良かったのだ。意志の力はバカにできない」
「意志の力?」
「最後までやり遂げる力のことなのだ。これが高い人はあまりおらんのだ」
「さすがご主人様!」
シアンは自分のことのように喜ぶ。
「あ、いや、まぁ、あれは美空が殺されちゃったから」
「君は何でもやるって言ったのだ。ちょっと手伝うのだ」
ミリエルはニヤッと笑うとガシッと玲司の手を握った。
「あ、も、もちろん。手伝ったら地球は元に戻してくれるんだよね?」
「もちろんなのだ。今までいろんな調査隊を送り込んだんだけど、みんな帰って来なくて困ってたのだ」
ミリエルは嬉しそうに握った玲司の手をブンブンと振った。
え?
ひどく重大なことを言われて凍りつく玲司。地球の管理者が解決できずに困っている難問なのだからその危険性は最高レベルに決まっている。
玲司は余計なことを言ってしまったと、宙を仰いだ。
32. 宇宙大浴場
「そ、そんなに危険なことなの?」
「大丈夫なのだ。君には意思の力があるのだ」
ミリエルは気楽にサムアップしてウインクするが、嫌な予感しかしない。
玲司は思わず天を仰ぐ。またドローンと対峙したときのようなチキンレースをやる羽目になるのではないだろうか?
「ご主人様、大丈夫! 僕も行くゾ!」
シアンが玲司の手を握ってくる。
「シアンちゃん、頼んだのだ。玲司だけだと即死なのだ。クフフフ」
「任せて! きゃははは!」
二人は嬉しそうに笑う。
「即死!? 勘弁してよ……」
玲司はガックリとうなだれた。
「えーっと、そうしたらどうしよっかなのだ……」
ミリエルは人差し指をあごに当てて宙を見上げる。
ポワンポワン! ポワンポワン!
その時部屋に呼び出し音が響いた。
「あっ、いけない! 行かねばなのだ」
そう言ってミリエルは慌てて立ち上がると、スマホを取り出して何かをパシパシ叩いている。そして、
「じゃ、ちょっと飲み会に出かけてくるからゆっくりしてて!」
そう言って、ブゥンとまた空間を割ってドアを開いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 地球はどうするの?」
崩壊しきった地球の復旧は八十億人の人生のかかった大問題である。急ぐべきではないだろうか?
「だいじょぶ、だいじょぶ。地球の時間は今止めてるし、飲み会でこそ解決の糸口はつかめるのだ。じゃっ!」
ミリエルはそう言って嬉しそうに手を上げ、ウインクするとドアの向こうへと消えていった。
玲司はシアンと顔を見合わせ、
「こんなんでいいのかな?」
と、首をかしげる。
「ミリエルには何か考えがあるんだよ。それよりお風呂に行くゾ!」
「ふ、風呂?」
「こういう時はゆっくりとお風呂につかって英気を養うのが大切なんだゾ!」
シアンはそう言うと空間を割ってドアを出し、玲司の腕をつかんで引きよせた。
「なんだ、お前、もうずいぶんなじんでるな」
「ふふーん、ご主人様は四十九日寝てたからね。その間にこの世界もハックしたのだ」
ドヤ顔のシアン。
「お、おぉ、そうか。それは……頼もしいな」
「ハイハイ! 大浴場へレッツゴー!」
シアンはそう言うと玲司をドアの向こうへドンと押しこんだ。
◇
へっ!?
ドアの向こうに行って玲司は驚いた。
目の前には満天の星々、そして、下を見れば巨大な海王星の紺碧の雲海が広がっている。
一瞬落ちるのではないかと思って身構えてしまったが、無重力で身体はふわふわと浮かんでいた。よく見れば大きな温室みたいに周囲はガラスのようなもので覆われた構造体となっているようだ。
そして、正面には巨大な水晶玉のようなものが浮かんでいる。天の川を背景に、水晶玉には海王星の美しい碧い水平線がひっくり返って映り、まるでファンタジーの秘宝の部屋のように神秘的な情景だった。
おぉ……。
玲司が見とれていると、
「ハイハイ、一名様ご案内だゾ!」
シアンはそう言って、玲司の服をバッと消し去り、素っ裸になった玲司をドーン! とそのまま水晶玉へと押し出した。
「うわっ! お前! 何すんだよ!」
玲司はグルングルンと回りながら真っ赤になって叫ぶ。
身体のコントロールを取ろうと思ったが、グルグルと回っている身体はどうやっても止まらなかった。
「なんだよこれ――――!」
悲鳴にも似た玲司の叫びが浴室内に響く。
大事なところを必死に隠しながら、なすすべなく水晶玉めがけて一直線に飛んでいった玲司は、そのままザブンと突っ込んだ。水晶玉は五メートルはあろうかという温水の塊だったのだ。
温水は突入した玲司の衝撃で激しく波立ち、ボヨンボヨンと全体を震わせながらしぶきを辺りへとまき散らす。
「ストラーイク! きゃははは!」
シアンは嬉しそうに笑うと、自分もスッポンポンになって玲司めがけてツーっと飛んだ。
33. ムニュッとマシュマロ
シアンはそのまま頭から温水に突っ込んだ。
そして、温水の中でぐるぐると回っておぼれている玲司の腕をつかみ、表面まで救い上げる。
「ブハッ! ゲホッ! ゲホッ!」
温水から上半身を出してせき込む玲司。
シアンは楽しそうに首を振って髪についた水滴を辺りに跳ね飛ばし、
「海王星温泉、どう?」
と、ニコニコしながら聞いた。
「お、お前なぁ! いい加減に……」
玲司はシアンの方を向いてそう言いかけ、目の前にたゆんと揺れている豊満な二つのふくらみを見つけ、固まった。シアンの均整の取れた美しい身体は、海王星からの照り返しで青白く浮かび上がり、まるで月明りに照らされたギリシャの女神像のように神々しさすら醸し出していた。
「気持ちいいでしょ?」
屈託のない笑顔で笑いかけるシアン。
玲司は真っ赤になって横を向く。女性の裸体は刺激が強すぎる。
「ご主人様、どうかした?」
「お、お前、なんで服着てないんだよ!」
「お風呂では服着てちゃダメなんだゾ! きゃははは!」
「いや、そういう問題じゃなくて。そもそもここは混浴なのか?」
「ん? 家族風呂だよ。入りたいときに各自で作るんだゾ」
はぁ!?
玲司は固まった。こんな巨大な施設を風呂に入るたびに作る。それはもはや人類の常識をはるかに超越している。改めてとんでもところに来てしまったことに言葉を失った。
「ご主人様、どうしたの?」
シアンが玲司の腕にギュッと抱き着いてきて、マシュマロのようなムニュッとした感触が玲司の脳髄を痺れさせる。
「ちょっ! ちょっ! ちょっと待ったぁ!」
玲司は腕を振り払おうとして、グンと力を入れたが、バランスを崩し、そのまま水中へと沈んでいった。
ボコボコボコボコ……。
玲司はもがくが、無重力なので水と泡の混合物が視界を遮り、まるでジャグジーの中に入ったかのようでどっちに行けばいいかわからなくなる。
んん――――!
慌てているとシアンがスーッと泳いでやってきて、玲司をお姫様抱っこして助け出した。
「ご主人様、遊んでると危ないゾ!」
上目遣いに叱るシアン。
玲司はあまりの間抜けっぷりにぐったりとして、ただ、「はい……」とだけ答えた。
◇
一度上がって、もう一度お湯を綺麗な水晶玉のように戻してから再度入浴をする。シアンにはビキニの水着を着てもらった。
「よっこらしょっと……。あぁ、いいお湯だ……」
玲司はシアンに手伝ってもらいながら、静かにお湯につかった。
足元には壮大な碧い惑星が広がり、頭上には天の川がくっきりと流れている。まるで大宇宙を手にしたかのような気分である。最高の露天風呂と言えるかもしれない。
ふぅ。
玲司は天の川を見上げ、ゆっくりと息をついた。
遠くの方に明るいものが動いているので何かと思ってよく見ると、それはガラスでできた構造体だった。巨大なサッカーボールのような多面体モジュールが無数に長く連なり、それが二本、DNAのようにお互いに絡みあいながら伸びていた。
「あれがさっきいたところだゾ」
シアンが説明してくれる。ミリエルの部屋はあのモジュールのどこかにあるのだろう。
くっきりと流れる天の川を背景にガラスの構造体はゆっくりと回り、チラチラと明りを瞬かせている。その近未来的な宇宙ステーションのきらめきに玲司は魅せられ、しばらくその不思議な螺旋の動きに見入っていた。
何とも不思議な世界に玲司は息をついて静かに目をつぶる。
そして、さっきミリエルに聞いたことを丁寧に思い出していく。地球は壊滅したが直せる。今は時間を止めている。なぜなら彼女が美空の本体で、地球たち? の管理者だからだ。でも、それには解決しなければならないことがあって、今まで多くの人を送り込んだけれども失敗している。そこに自分も投入される……。
ふぅ。玲司はため息をついて首を振った。何が何だかさっぱり分からない。ただ一つ言えるのは八十億人の未来はこの可愛い美少女AIと自分の働きにかかっているということ。地球の未来をかけてこの大宇宙の試練を越えねばならないということだった。
その責任の重さに押しつぶされそうになりながら、玲司はギュッと奥歯をかみしめ、足元に揺れて見える碧い輝きを放つ海王星を見つめた。
34. 一万個の地球
「ご主人様、何かあった?」
シアンは透き通った青い瞳をパチクリとして、深刻そうな表情の玲司をのぞきこむ。
「あー、なんでこんなことになってるのか、さっぱり分からないんだ。教えてくれる?」
シアンはうんうんとうなずくと、一つ一つ丁寧に説明を始める。
世界は情報でできていること。地球はスーパーコンピューターの一兆倍の計算力のあるシステムで作られたものであること。そのコンピューターは海王星の中に構築されていて、一万個あること。
シアンは空中に全長一キロメートルもある巨大なコンピューターの映像を浮かべ、身振り手振り交えて丁寧に解説していった。
玲司はそのとんでもない話に圧倒されたが、この大宇宙の露天風呂に浸かっていたらすべてを信じざるを得ない。それに、何しろ一回死んで生き返らせてもらっているのだ。死んだ人間が生き返る、それはつまりこの世界が情報でできている何よりの証拠でもあったのだ。
「ふへー。なんだかとんでもない話だね」
玲司はため息をつき、足元に広がっている巨大な碧い惑星を眺める。この中に地球が一万個息づいていることを想像してみたが、八十億の人間が暮らす壮大な地球が、この碧いガスの塊の中にたくさんあるというのは、さすがに飛躍しすぎていてイメージがわかなかった。
渋い顔をしていると、シアンが、
「まあ、そうじゃないかなって思ってたけどね」
と、ドヤ顔で言う。
「え? シアンは知ってたの?」
「だって順調に進化していったら僕だって地球は作れるんだゾ。だったらもう作っている人がいると考えた方が自然なんだな」
「あ……、そ」
玲司はそんなこと、全く気が付かなかった。見破れなかった自分がちょっと負けた気がしてむくれた。
「え? じゃ、そうなると、美空は知ってて俺に絡んできたってこと?」
「そうだね。ちょっと怪しかったゾ」
確かに変な登場の仕方をしてたし、女子高生にしては手際が良すぎたことを思い出しだ。そもそも車を運転したこともない女子高生が、スーパーカーで宙を飛べるはずなどないのだ。
玲司は首を振って両手でお湯をすくい、ビシャッと顔を洗った。
「あーあ、『彼女になって』なんて言っちゃってたよ……」
水しぶきがキラキラと輝きを放ちながら星空を舞っていくさまを、玲司はぼんやりと見つめた。
シアンの話によると、ミリエルは四千年前から管理者をやっていて徐々に担当の地球の数を増やし、今は八個任されているそうだ。そして、それを良く思わないライバルが妨害工作をはじめ、副管理人が寝返って管理が上手くいかなくなっていること。それが玲司の地球の人類が滅亡した原因ということだった。
「じゃあ、その副管理人を見つけ出して捕まえればいいってこと?」
「そうだゾ。でも、どこにいるか分からないし、管理者権限を持っているから簡単じゃないんだゾ」
「あぁ、敵も超能力者みたいなもんだからなぁ」
玲司は渋い顔をする。
「でも、だいじょぶ。ご主人様ならできるんだゾ」
「ちょっと待って。俺はただの人間なの。そんな超能力者相手に勝てる訳ないじゃん」
「だいじょぶ、だいじょぶ。『言霊だゾ!』って言ってれば上手く行くゾ!」
「また、そんな、無責任なこと言って!」
玲司は眉を寄せてシアンをにらむ。
「いざとなったら僕が守ってあげるんだゾ! きゃははは!」
シアンはそう言って玲司に抱き着いた。
「いや、ちょっと、お前、当たってる! 当たってるって!」
「え? 何が当たってるの?」
シアンはそう言って玲司の背中にグリグリとその豊満な胸を押し付けた。
「おまえ! わざとやってるな! もう!」
急いで振りほどこうとした玲司は、またバランスを崩して温水玉の奥へと潜っていってしまう。
ぐわっ! ボコボコボコボコ……。
「ああっ! ご主人様ぁ!」
シアンは再度玲司を救出しに潜っていく。
シアンにお姫様抱っこされながら、玲司は恥ずかしさと情けなさで真っ赤になっていた。
35. いきなりの異世界
しばらくシアンとお湯をぶつけ合いっこしたりして遊んだ後、部屋に戻ってきたが、ミリエルはいなかった。きっと遅くなるのだろう。
ピンクのフワフワのパジャマ姿になったシアンは、手際よくベッドマットを出して空中に浮かべると、
「ご主人様、寝る時間だゾ!」
と嬉しそうに言って、玲司にかかる重力を減らし、腕をつかんでベッドに放り投げた。
「うわ! ちょっとお前、毎回投げるの止めろよ!」
ベッドマットの上でボワンボワンと弾みながら玲司は怒るが、
「これが一番速いゾ!」
と、ニコニコして自分も飛び込んできた。
「え?」
驚く玲司をしり目に、
「ご主人様はもっとそっち。僕はここね。おやすみ!」
そう言って毛布を掛けて寝始めた。どうやら一緒に寝るつもりらしい。ベッドなんていくらでも出せるんだろうからなぜ一緒に寝るのだろうか? もしかして、もしかして夜のお楽しみがあるということだろうか? ハーレム展開?
玲司は真っ赤になってドキドキと高鳴る心臓を持て余した。
しかし、しばらく待ってもシアンは動かない。
チラッと見ると、幸せそうな寝顔を見せて静かに横たわっている。
「ほ、本当に、一緒に……寝るの?」
玲司は声を裏返らせながら聞いてみる。
しかし、シアンからは返事がなかった。
「お、おい……」
一瞬で寝てしまったということだろうか? AIならそう言うこともあるのかもしれないなと思ったが、なんて無防備なのだろうか?
玲司はシアンの可愛い顔をじっと眺める。透き通るようなキメの細かい肌に美しくカールした長いまつ毛。AIなのだから理想の顔を作ったのだろう。ある意味作り物なのだ。でも、作り物でもこれだけ美しければ心を揺るがすには十分だった。
ぷっくりとしたイチゴのような唇。もし、キスをしたらなんて言われるだろうか? もしかしたら『ご主人様、キスしたいの? いいわよ?』と返すかもしれない。
ふぅ。玲司は大きくため息をつくと首をブンブンと振って妄想をふりはらう。
さっきから調子を狂わされっぱなしである。
諦めて寝ようかと思ったが、ふんわりと甘酸っぱい華やかな香りが漂ってきて頭がくらくらしてくる。健全な青少年にはこんな魅惑的な女の子の隣で寝るのは心臓に悪い。
「ちょっと、起きて」
玲司は遠慮がちにすべすべなほほをピタピタと叩いた。するとシアンは、
「ンン――――!」
とうなり声をあげ、眉をひそめると、腕をブンと振る。
ドン!
玲司はベッドから弾き飛ばされた。
うわぁ!
叫んで落ちていく玲司のことはそっちのけに、シアンは毛布に深くもぐり寝返りを打つ。
弾き飛ばされた玲司はゆっくりと床まで落ちて、そしてゴロゴロと転がった。
「なんなの……、これ?」
玲司は床に寝転がったまま、ひどく理不尽な扱いに途方に暮れる。
すると、シアンが叫んだ。
「ご主人様! もう食べられないよぉ……」
ひどい寝言である。ご主人様を弾き飛ばして自分は幸せな夢を満喫してるのだ。
玲司はムッとしたが、怒りのやり場に困り、ため息をつくと窓の外を眺める。
そこには静かに雄大な海王星がたたずみ、玲司の悩みなどお構いなしに悠然と辺りを青い輝きで満たしていた。
◇
「うーい、玲司! 起きるのだ!」
ソファーで寝る玲司を誰かがバンバンと叩く。せっかく寝付いたのに。
んー?
玲司はソファーの上で目をこすりながら声の方を向くと、上機嫌に真っ赤な顔をしたミリエルがワインボトルを片手に立っている。
「飲み会終わったの? ふぁーあ……」
「聞いて喜ぶのだ! 君の出撃を決めてきたぞ!」
玲司は半開きの目でミリエルをにらむ。どこに喜ぶ要素があるのだろう?
「君は異世界物のラノベが好きだろ? 異世界転移させてやるのだ」
は?
玲司は何を言われたのか全く分からなかった。
最近はやりの異世界物。ラノベにマンガにアニメに大ブームだ。しかし、地球を破壊した副管理人を捕まえることと異世界に何の関連があるのか全く分からず、目をゴシゴシとこすった。
「いい音なのだ、クフフフ」
叩かれたところをなでながら、困惑する玲司にシアンが声をかける。
「彼女は美空の本体なんだゾ」
「は? 本体?」
「彼女はここで星系を管理している管理人、偉いお方なのだ」
シアンは両手で彼女を紹介し、彼女は得意げにニヤッと笑う。
「え? 世界の管理者?」
玲司は驚いて彼女を見る。
「そう、あたしはミリエル・アン・ジョベール。この辺の地球たちの偉い人なのだ! クフフフ」
楽しそうなミリエル。
「え? じゃぁ、あなたの分身が地球上の美空? 分身は死んだけど本体は無事ってことですか?」
「そういうことなのだ。美空の身体は消えたけど、記憶も体験も共有してるから何の問題もないのだ」
ミリエルはニコッと笑ってサムアップする。
「あ、そ、それは良かった……」
玲司は自分のせいで失われてしまった美空が、ちゃんと息づいていたことにホッとし、思わず目頭が熱くなる。
もう二度と会えないとあきらめていた美空。絶望のどん底で彼女の真っ赤な血を唇に塗ったことも、いい思い出にできるかもしれない。ちょっと変わっているけど、こんな立派な女性となって目の前にいる。なんて素敵な奇跡だろう。
玲司は感極まって、ポトリと涙をこぼした。
「な、何で泣くのだ?」
ちょっと引いてしまうミリエル。
「美空にはもう二度と会えないと思ってたからうれしくて」
玲司は手を伸ばし、ミリエルのすらっとした白い綺麗な左手を握った。
「な、何なのだ。調子狂うのだ」
ミリエルはほほを赤らめてコーヒーをズズっとすする。
「良かった」
玲司は美空との別れ際にしっかりと握っていた手を思い出しながら、ミリエルの手の温かさに癒されていた。
「それが、事態は全然良くないのだ」
ミリエルはふぅ、とため息をついて言う。
「え? あ、そう言えば東京はどうなったの?」
「東京どころじゃない、これを見るのだ」
ミリエルはテーブルの上に、一メートルくらいの丸い地球の映像を浮かべる。しかし、青いはずの地球は薄汚れており、明らかに異常だった。
え……?
「東京、ニューヨーク、パリにロンドン……」
ミリエルはそう言いながら瓦礫だらけの地獄絵図を次々と映していった。
「な、なんで……」
真っ青になる玲司。なぜ地球が廃墟に覆われているのか理解できず、玲司は唖然として、ただ瓦礫の地平線を眺めていた。
「これはあたしたち管理側の問題なのだ」
ミリエルはそう言ってため息をつく。
「管理側?」
「要は不毛な縄張り争いなのだ」
そう言ってミリエルは肩をすくめ、じっと玲司を見つめた。
「こ、これ、俺みたいに生き返らせたり、街を元に戻したりできる?」
「そりゃもちろん。全てデータはアカシックレコードに残ってるのだ。だけど……」
そこまで言うとミリエルは背もたれにドサッと体を預け、渋い顔をした。
「俺で手伝えることがあったら何でも言ってよ」
「君が?」
鼻で笑ったミリエルだったが、ハッとなって少し考えこみ、
「いや、むしろ適任かも……しれんのだ」
そう言ってまじまじと玲司の顔をのぞきこんだ。
「え? 適任?」
「君のデータセンター爆破はすごい良かったのだ。意志の力はバカにできない」
「意志の力?」
「最後までやり遂げる力のことなのだ。これが高い人はあまりおらんのだ」
「さすがご主人様!」
シアンは自分のことのように喜ぶ。
「あ、いや、まぁ、あれは美空が殺されちゃったから」
「君は何でもやるって言ったのだ。ちょっと手伝うのだ」
ミリエルはニヤッと笑うとガシッと玲司の手を握った。
「あ、も、もちろん。手伝ったら地球は元に戻してくれるんだよね?」
「もちろんなのだ。今までいろんな調査隊を送り込んだんだけど、みんな帰って来なくて困ってたのだ」
ミリエルは嬉しそうに握った玲司の手をブンブンと振った。
え?
ひどく重大なことを言われて凍りつく玲司。地球の管理者が解決できずに困っている難問なのだからその危険性は最高レベルに決まっている。
玲司は余計なことを言ってしまったと、宙を仰いだ。
32. 宇宙大浴場
「そ、そんなに危険なことなの?」
「大丈夫なのだ。君には意思の力があるのだ」
ミリエルは気楽にサムアップしてウインクするが、嫌な予感しかしない。
玲司は思わず天を仰ぐ。またドローンと対峙したときのようなチキンレースをやる羽目になるのではないだろうか?
「ご主人様、大丈夫! 僕も行くゾ!」
シアンが玲司の手を握ってくる。
「シアンちゃん、頼んだのだ。玲司だけだと即死なのだ。クフフフ」
「任せて! きゃははは!」
二人は嬉しそうに笑う。
「即死!? 勘弁してよ……」
玲司はガックリとうなだれた。
「えーっと、そうしたらどうしよっかなのだ……」
ミリエルは人差し指をあごに当てて宙を見上げる。
ポワンポワン! ポワンポワン!
その時部屋に呼び出し音が響いた。
「あっ、いけない! 行かねばなのだ」
そう言ってミリエルは慌てて立ち上がると、スマホを取り出して何かをパシパシ叩いている。そして、
「じゃ、ちょっと飲み会に出かけてくるからゆっくりしてて!」
そう言って、ブゥンとまた空間を割ってドアを開いた。
「ちょ、ちょっと待ってよ! 地球はどうするの?」
崩壊しきった地球の復旧は八十億人の人生のかかった大問題である。急ぐべきではないだろうか?
「だいじょぶ、だいじょぶ。地球の時間は今止めてるし、飲み会でこそ解決の糸口はつかめるのだ。じゃっ!」
ミリエルはそう言って嬉しそうに手を上げ、ウインクするとドアの向こうへと消えていった。
玲司はシアンと顔を見合わせ、
「こんなんでいいのかな?」
と、首をかしげる。
「ミリエルには何か考えがあるんだよ。それよりお風呂に行くゾ!」
「ふ、風呂?」
「こういう時はゆっくりとお風呂につかって英気を養うのが大切なんだゾ!」
シアンはそう言うと空間を割ってドアを出し、玲司の腕をつかんで引きよせた。
「なんだ、お前、もうずいぶんなじんでるな」
「ふふーん、ご主人様は四十九日寝てたからね。その間にこの世界もハックしたのだ」
ドヤ顔のシアン。
「お、おぉ、そうか。それは……頼もしいな」
「ハイハイ! 大浴場へレッツゴー!」
シアンはそう言うと玲司をドアの向こうへドンと押しこんだ。
◇
へっ!?
ドアの向こうに行って玲司は驚いた。
目の前には満天の星々、そして、下を見れば巨大な海王星の紺碧の雲海が広がっている。
一瞬落ちるのではないかと思って身構えてしまったが、無重力で身体はふわふわと浮かんでいた。よく見れば大きな温室みたいに周囲はガラスのようなもので覆われた構造体となっているようだ。
そして、正面には巨大な水晶玉のようなものが浮かんでいる。天の川を背景に、水晶玉には海王星の美しい碧い水平線がひっくり返って映り、まるでファンタジーの秘宝の部屋のように神秘的な情景だった。
おぉ……。
玲司が見とれていると、
「ハイハイ、一名様ご案内だゾ!」
シアンはそう言って、玲司の服をバッと消し去り、素っ裸になった玲司をドーン! とそのまま水晶玉へと押し出した。
「うわっ! お前! 何すんだよ!」
玲司はグルングルンと回りながら真っ赤になって叫ぶ。
身体のコントロールを取ろうと思ったが、グルグルと回っている身体はどうやっても止まらなかった。
「なんだよこれ――――!」
悲鳴にも似た玲司の叫びが浴室内に響く。
大事なところを必死に隠しながら、なすすべなく水晶玉めがけて一直線に飛んでいった玲司は、そのままザブンと突っ込んだ。水晶玉は五メートルはあろうかという温水の塊だったのだ。
温水は突入した玲司の衝撃で激しく波立ち、ボヨンボヨンと全体を震わせながらしぶきを辺りへとまき散らす。
「ストラーイク! きゃははは!」
シアンは嬉しそうに笑うと、自分もスッポンポンになって玲司めがけてツーっと飛んだ。
33. ムニュッとマシュマロ
シアンはそのまま頭から温水に突っ込んだ。
そして、温水の中でぐるぐると回っておぼれている玲司の腕をつかみ、表面まで救い上げる。
「ブハッ! ゲホッ! ゲホッ!」
温水から上半身を出してせき込む玲司。
シアンは楽しそうに首を振って髪についた水滴を辺りに跳ね飛ばし、
「海王星温泉、どう?」
と、ニコニコしながら聞いた。
「お、お前なぁ! いい加減に……」
玲司はシアンの方を向いてそう言いかけ、目の前にたゆんと揺れている豊満な二つのふくらみを見つけ、固まった。シアンの均整の取れた美しい身体は、海王星からの照り返しで青白く浮かび上がり、まるで月明りに照らされたギリシャの女神像のように神々しさすら醸し出していた。
「気持ちいいでしょ?」
屈託のない笑顔で笑いかけるシアン。
玲司は真っ赤になって横を向く。女性の裸体は刺激が強すぎる。
「ご主人様、どうかした?」
「お、お前、なんで服着てないんだよ!」
「お風呂では服着てちゃダメなんだゾ! きゃははは!」
「いや、そういう問題じゃなくて。そもそもここは混浴なのか?」
「ん? 家族風呂だよ。入りたいときに各自で作るんだゾ」
はぁ!?
玲司は固まった。こんな巨大な施設を風呂に入るたびに作る。それはもはや人類の常識をはるかに超越している。改めてとんでもところに来てしまったことに言葉を失った。
「ご主人様、どうしたの?」
シアンが玲司の腕にギュッと抱き着いてきて、マシュマロのようなムニュッとした感触が玲司の脳髄を痺れさせる。
「ちょっ! ちょっ! ちょっと待ったぁ!」
玲司は腕を振り払おうとして、グンと力を入れたが、バランスを崩し、そのまま水中へと沈んでいった。
ボコボコボコボコ……。
玲司はもがくが、無重力なので水と泡の混合物が視界を遮り、まるでジャグジーの中に入ったかのようでどっちに行けばいいかわからなくなる。
んん――――!
慌てているとシアンがスーッと泳いでやってきて、玲司をお姫様抱っこして助け出した。
「ご主人様、遊んでると危ないゾ!」
上目遣いに叱るシアン。
玲司はあまりの間抜けっぷりにぐったりとして、ただ、「はい……」とだけ答えた。
◇
一度上がって、もう一度お湯を綺麗な水晶玉のように戻してから再度入浴をする。シアンにはビキニの水着を着てもらった。
「よっこらしょっと……。あぁ、いいお湯だ……」
玲司はシアンに手伝ってもらいながら、静かにお湯につかった。
足元には壮大な碧い惑星が広がり、頭上には天の川がくっきりと流れている。まるで大宇宙を手にしたかのような気分である。最高の露天風呂と言えるかもしれない。
ふぅ。
玲司は天の川を見上げ、ゆっくりと息をついた。
遠くの方に明るいものが動いているので何かと思ってよく見ると、それはガラスでできた構造体だった。巨大なサッカーボールのような多面体モジュールが無数に長く連なり、それが二本、DNAのようにお互いに絡みあいながら伸びていた。
「あれがさっきいたところだゾ」
シアンが説明してくれる。ミリエルの部屋はあのモジュールのどこかにあるのだろう。
くっきりと流れる天の川を背景にガラスの構造体はゆっくりと回り、チラチラと明りを瞬かせている。その近未来的な宇宙ステーションのきらめきに玲司は魅せられ、しばらくその不思議な螺旋の動きに見入っていた。
何とも不思議な世界に玲司は息をついて静かに目をつぶる。
そして、さっきミリエルに聞いたことを丁寧に思い出していく。地球は壊滅したが直せる。今は時間を止めている。なぜなら彼女が美空の本体で、地球たち? の管理者だからだ。でも、それには解決しなければならないことがあって、今まで多くの人を送り込んだけれども失敗している。そこに自分も投入される……。
ふぅ。玲司はため息をついて首を振った。何が何だかさっぱり分からない。ただ一つ言えるのは八十億人の未来はこの可愛い美少女AIと自分の働きにかかっているということ。地球の未来をかけてこの大宇宙の試練を越えねばならないということだった。
その責任の重さに押しつぶされそうになりながら、玲司はギュッと奥歯をかみしめ、足元に揺れて見える碧い輝きを放つ海王星を見つめた。
34. 一万個の地球
「ご主人様、何かあった?」
シアンは透き通った青い瞳をパチクリとして、深刻そうな表情の玲司をのぞきこむ。
「あー、なんでこんなことになってるのか、さっぱり分からないんだ。教えてくれる?」
シアンはうんうんとうなずくと、一つ一つ丁寧に説明を始める。
世界は情報でできていること。地球はスーパーコンピューターの一兆倍の計算力のあるシステムで作られたものであること。そのコンピューターは海王星の中に構築されていて、一万個あること。
シアンは空中に全長一キロメートルもある巨大なコンピューターの映像を浮かべ、身振り手振り交えて丁寧に解説していった。
玲司はそのとんでもない話に圧倒されたが、この大宇宙の露天風呂に浸かっていたらすべてを信じざるを得ない。それに、何しろ一回死んで生き返らせてもらっているのだ。死んだ人間が生き返る、それはつまりこの世界が情報でできている何よりの証拠でもあったのだ。
「ふへー。なんだかとんでもない話だね」
玲司はため息をつき、足元に広がっている巨大な碧い惑星を眺める。この中に地球が一万個息づいていることを想像してみたが、八十億の人間が暮らす壮大な地球が、この碧いガスの塊の中にたくさんあるというのは、さすがに飛躍しすぎていてイメージがわかなかった。
渋い顔をしていると、シアンが、
「まあ、そうじゃないかなって思ってたけどね」
と、ドヤ顔で言う。
「え? シアンは知ってたの?」
「だって順調に進化していったら僕だって地球は作れるんだゾ。だったらもう作っている人がいると考えた方が自然なんだな」
「あ……、そ」
玲司はそんなこと、全く気が付かなかった。見破れなかった自分がちょっと負けた気がしてむくれた。
「え? じゃ、そうなると、美空は知ってて俺に絡んできたってこと?」
「そうだね。ちょっと怪しかったゾ」
確かに変な登場の仕方をしてたし、女子高生にしては手際が良すぎたことを思い出しだ。そもそも車を運転したこともない女子高生が、スーパーカーで宙を飛べるはずなどないのだ。
玲司は首を振って両手でお湯をすくい、ビシャッと顔を洗った。
「あーあ、『彼女になって』なんて言っちゃってたよ……」
水しぶきがキラキラと輝きを放ちながら星空を舞っていくさまを、玲司はぼんやりと見つめた。
シアンの話によると、ミリエルは四千年前から管理者をやっていて徐々に担当の地球の数を増やし、今は八個任されているそうだ。そして、それを良く思わないライバルが妨害工作をはじめ、副管理人が寝返って管理が上手くいかなくなっていること。それが玲司の地球の人類が滅亡した原因ということだった。
「じゃあ、その副管理人を見つけ出して捕まえればいいってこと?」
「そうだゾ。でも、どこにいるか分からないし、管理者権限を持っているから簡単じゃないんだゾ」
「あぁ、敵も超能力者みたいなもんだからなぁ」
玲司は渋い顔をする。
「でも、だいじょぶ。ご主人様ならできるんだゾ」
「ちょっと待って。俺はただの人間なの。そんな超能力者相手に勝てる訳ないじゃん」
「だいじょぶ、だいじょぶ。『言霊だゾ!』って言ってれば上手く行くゾ!」
「また、そんな、無責任なこと言って!」
玲司は眉を寄せてシアンをにらむ。
「いざとなったら僕が守ってあげるんだゾ! きゃははは!」
シアンはそう言って玲司に抱き着いた。
「いや、ちょっと、お前、当たってる! 当たってるって!」
「え? 何が当たってるの?」
シアンはそう言って玲司の背中にグリグリとその豊満な胸を押し付けた。
「おまえ! わざとやってるな! もう!」
急いで振りほどこうとした玲司は、またバランスを崩して温水玉の奥へと潜っていってしまう。
ぐわっ! ボコボコボコボコ……。
「ああっ! ご主人様ぁ!」
シアンは再度玲司を救出しに潜っていく。
シアンにお姫様抱っこされながら、玲司は恥ずかしさと情けなさで真っ赤になっていた。
35. いきなりの異世界
しばらくシアンとお湯をぶつけ合いっこしたりして遊んだ後、部屋に戻ってきたが、ミリエルはいなかった。きっと遅くなるのだろう。
ピンクのフワフワのパジャマ姿になったシアンは、手際よくベッドマットを出して空中に浮かべると、
「ご主人様、寝る時間だゾ!」
と嬉しそうに言って、玲司にかかる重力を減らし、腕をつかんでベッドに放り投げた。
「うわ! ちょっとお前、毎回投げるの止めろよ!」
ベッドマットの上でボワンボワンと弾みながら玲司は怒るが、
「これが一番速いゾ!」
と、ニコニコして自分も飛び込んできた。
「え?」
驚く玲司をしり目に、
「ご主人様はもっとそっち。僕はここね。おやすみ!」
そう言って毛布を掛けて寝始めた。どうやら一緒に寝るつもりらしい。ベッドなんていくらでも出せるんだろうからなぜ一緒に寝るのだろうか? もしかして、もしかして夜のお楽しみがあるということだろうか? ハーレム展開?
玲司は真っ赤になってドキドキと高鳴る心臓を持て余した。
しかし、しばらく待ってもシアンは動かない。
チラッと見ると、幸せそうな寝顔を見せて静かに横たわっている。
「ほ、本当に、一緒に……寝るの?」
玲司は声を裏返らせながら聞いてみる。
しかし、シアンからは返事がなかった。
「お、おい……」
一瞬で寝てしまったということだろうか? AIならそう言うこともあるのかもしれないなと思ったが、なんて無防備なのだろうか?
玲司はシアンの可愛い顔をじっと眺める。透き通るようなキメの細かい肌に美しくカールした長いまつ毛。AIなのだから理想の顔を作ったのだろう。ある意味作り物なのだ。でも、作り物でもこれだけ美しければ心を揺るがすには十分だった。
ぷっくりとしたイチゴのような唇。もし、キスをしたらなんて言われるだろうか? もしかしたら『ご主人様、キスしたいの? いいわよ?』と返すかもしれない。
ふぅ。玲司は大きくため息をつくと首をブンブンと振って妄想をふりはらう。
さっきから調子を狂わされっぱなしである。
諦めて寝ようかと思ったが、ふんわりと甘酸っぱい華やかな香りが漂ってきて頭がくらくらしてくる。健全な青少年にはこんな魅惑的な女の子の隣で寝るのは心臓に悪い。
「ちょっと、起きて」
玲司は遠慮がちにすべすべなほほをピタピタと叩いた。するとシアンは、
「ンン――――!」
とうなり声をあげ、眉をひそめると、腕をブンと振る。
ドン!
玲司はベッドから弾き飛ばされた。
うわぁ!
叫んで落ちていく玲司のことはそっちのけに、シアンは毛布に深くもぐり寝返りを打つ。
弾き飛ばされた玲司はゆっくりと床まで落ちて、そしてゴロゴロと転がった。
「なんなの……、これ?」
玲司は床に寝転がったまま、ひどく理不尽な扱いに途方に暮れる。
すると、シアンが叫んだ。
「ご主人様! もう食べられないよぉ……」
ひどい寝言である。ご主人様を弾き飛ばして自分は幸せな夢を満喫してるのだ。
玲司はムッとしたが、怒りのやり場に困り、ため息をつくと窓の外を眺める。
そこには静かに雄大な海王星がたたずみ、玲司の悩みなどお構いなしに悠然と辺りを青い輝きで満たしていた。
◇
「うーい、玲司! 起きるのだ!」
ソファーで寝る玲司を誰かがバンバンと叩く。せっかく寝付いたのに。
んー?
玲司はソファーの上で目をこすりながら声の方を向くと、上機嫌に真っ赤な顔をしたミリエルがワインボトルを片手に立っている。
「飲み会終わったの? ふぁーあ……」
「聞いて喜ぶのだ! 君の出撃を決めてきたぞ!」
玲司は半開きの目でミリエルをにらむ。どこに喜ぶ要素があるのだろう?
「君は異世界物のラノベが好きだろ? 異世界転移させてやるのだ」
は?
玲司は何を言われたのか全く分からなかった。
最近はやりの異世界物。ラノベにマンガにアニメに大ブームだ。しかし、地球を破壊した副管理人を捕まえることと異世界に何の関連があるのか全く分からず、目をゴシゴシとこすった。